平成17年12月6日(火曜日) 14時~17時
ホテル・フロラシオン青山 「芙蓉東」
福田座長、有村委員、伊藤委員、梅野委員、押谷委員、神山委員、小島委員、塩委員、菅原委員、仁科委員、林委員、森委員、若井委員
坪田児童生徒課長、宮川視学官、森嶋生徒指導調査官、今泉課長補佐
(○:委員、△:事務局)
事務局から資料の説明後、自由討議を行った。主な内容は以下の通り。
○ どうもありがとうございました。それでは第二次とりまとめ案について議論していきたいと思います。資料2は、第二次取りまとめ案に対する意見募集の結果を取りまとめたものでございます。この資料は事務局から皆様に対して事前に送付してありますので資料2をもとに議論していきたいと思います。以下の概要についてそれぞれの意見にどのように対応していくのかということを議論して取捨させていきたいと思いますのでその点でのご協力をお願いいたします。それでは、お気づきの点から指摘していただきたいと思います。まずは、「はじめに」をお読みになってのコメントがありましたらお願いします。
○ 送ってきたメールを見させていただいてまずこのアのところ最初から引っ掛かりがありました。「わが国」を「日本」という言葉に置き換えられるのか。そもそも、そういう風な論議をする遡上の問題なのかなと率直に思うんですね。ですから素直に表現をすれば「わが国」という言い方でいろんな文章が作られているところでありますのであえて「日本」ということを言わなくてもいいのではないかと思うんです。それとも別な視点があって論議がされているのか。意図の背景が分かりにくかったところがあるんですけれども。
○ まあ、ここで一応、様々な角度から意見を出しておられますので、それに議論するというものではないと思うんですね。変えなきゃいけないというポイントがあればそこだけ取り上げてということでよろしいですか。他にいかがでしょうか。まあ言って見れば耳を傾けて、変えていかなきゃならんという問題であればそれに対応する必要がある。
○ どういういきさつでこうなったかが分かってないので申し訳ないんですけれども、(注)がはじめ二つありましたよね。(注)を一つにしたためにでてきた意見が結構あるなあと拝見していて感じたんですけど。注の二つ目というのは、ここにあがっている参考例とういうのがどういう性格のものかという説明だったと思うんです。その点があればいくつかの疑問については解消できるできるなあと読んだのですけれども、いきさつがよく分かってないものでもしも差し支えなければ・・・。
○ この文書の性格と、その参考例とか調査させてもらったこととの関わりで、それをこの会議としてお願いするという性格では無いのではないかという議論を三人で一回やりまして、この際なしにした方がすっきりするだろうという判断をいたしました。
○ その点はいいんですが、参考例の性格という部分はどうなんですかね。その部分を落とすというのは私は問題があると考える。パブリックコメントで出てきている意見の中にも結構そういう意見がある。
○ 参考と参考例はどう違うのかということをどっかで書いた方がいいというご意見ですがいかがですか。事務局として何かありますか。文章の性格として。
△ 参考例は事例の名前を消しただけのものである。参考の方は、むしろ一つの事例ではなく、いろんな事例から持ってきてそれを噛み砕いて委員の先生方がお作りになったものです。
○ その後に文言として表現するのは難しいという判断ですかね。例えば、前の福田座長の言われたような理由で削除した(注)がありますよね。あの注の後半部分は確かに言われる様な感じだと思うのですが、前半部分は参考例というのはどのような額がついて数字を書いた箇所があったかと思うのですか。今言われたような。その部分は残すということもありうるのかなと思うんですけど。
○ 「はじめに」の部分については、参考云々というのはありましたっけ。
△ 今回、先生方に議論していただきたいのは資料2に出てきた意見を踏まえて、資料1の二次とりまとめ案の中で修正するべきものがあるという点が今回の話しであって、そもそも論で資料2に関係なく資料1の内容について議論するということではない。
○ なぜ抜けたのかという説明よりも、例えばですけれども2ページのクの意見ですね。参考例とかずいぶんありますよね。ケでも同じように参考とか参考例について気にしているというのがあるので、もしなんだったらこの部分についてもし差支えが無ければですけれども書き込んどけばこういう意見は無くて、受け入れられやすくなるのではという趣旨です。
△ まず、去年の論議について言わせていただければ、この参考・参考例の出典については参考も名のとおり参考ですのでこれを参考にしてやってもらいたいと。位置づけも何もその名のとおりだと思います。
○ 説明の必要は無いということですね。
△ 説明の必要は無い。出典についてはご存知のとおり今回は全国津々浦々に人権教育を推進したいという思いがありますので、あるごく一部の人権教育の進んだ取組み事例の出典をあげることによって「これ結局西日本の進んでいる地域の取組みでしょう」と、とらえられ、うちみたいなところではさほどあそこのような人権対応を抱えているわけではないので、そこまではやらなくてもいいだろうというデメリットを懸念して出典については示してないところでございます。その部分については、取り上げる意見ではないと考える。これをどういう風に配付するのかは、行政上の話であって今回の取りまとめの段階で議論する話ではないと思います。後段部分で言えば、まさにどういう風に使っていただきたいかということは、本とりまとめの「おわりに」の部分で記述されているので、取り上げる必要はないと考える。
○ このまとめをだす側で必要最小限で非常に重大な欠陥であれば問題ですけども、今までの流れだとか参考については、例えば二つぐらい私が書いたところで入れてますけど、これは著作権上の問題でやむおえず入れた訳であって、私としては許容される範囲ではないかと判断しております。
ここで今、まるまる県のまるまる学校でということを入れないということを了承しておりますのでこれは無理なんですよね。よろしいですか。「はじめに」の部分については、これでよろしいですか。では、第一章にまいります。第一章についての意見を踏まえて訂正を考えるべきではないかというご意見がありましたら出していただきたい。私のほうでひとつ申し訳ないんですが、資料1の8ページの図の中でこれは私の不注意だったと思いますが、価値的・態度的側面の中の下から三つ目ですか。人権侵害に「悩む」という訳語をくっつけていていくつもでているんですが、確かsufferだと思うんです。訳に問題があると思うので、例えば一番近ければ「苦しむ」というような本質に近いものの方が適正ではないかと考えておりますがいかがでしょうか。ちょっとその辺で私自身の人権感覚のにぶさの表れかもしれないので訂正できればしたいと思います。よろしいですか。その他に。
○ 10ページまでのところでいかがでしょうか。ちょっと大雑把過ぎるとすれば5ページまでの1章の1の点について処理したいと思いますが。6ページ、7ページ・・・。よろしいですか。それでは8ページの図についてもしあればですが、9ページ、10ページで今度は2と3をまとめて見たいと思いますが・・・。特にありませんか。後で戻ることももちろん結構ですので、11ページの2章にまいりましょうか。
○ 資料1の22ページのアの2段落目の文章がわかりにくいと二つ三つパブリックコメントの中に出ていたので見直してみましたら、私自身分かりにくいなと思いました。「児童生徒にとって人権感覚を培うことになる。」にして「また」で後を続けると一応文章は通るような気がします。
○ よろしいでしょうか。「誘発する」とか確かにニュアンスは良く分かると思うんですが。今のようなご意見いかがでしょうか。特に異論が無ければすっきりしますのでとりたいと思いますが。よろしいですか。他に2章の中で。
○ 10ページ(資料2)のカのところにご指摘のある12ページ(資料1)の(2)の中味なんですけど。12ページの5行目ですかね。人権教育が有機的に関連して展開できるようにとありますが、この有機的関連というのはどのようなことなのかというご指摘がありまして、私も自分で記憶があるんですがいわゆる教育課程が持っている領域的な考え方に合わせて人権教育が機能的要素を持つ必要があるという言い方をした記憶があるんですが、新めてみますとその時「有機的に」となるときになるほどなと、ちょっと抽象的かなと思っていて、むしろ似たような表現かもしれませんけど、人権教育が、代案として「機能的に関連して」の方が「有機的」より分かりやすいのかなと思います。言葉の問題ですから、ちょっと感覚の問題があって。この人みたいに指摘を受けると「う~ん」と思ったものですからご意見申しあげましたが。
○ 「機能的」とはニュアンスが違いますよね。有機的でいてというのは、有機体というのを念頭に置きながらバラバラにできない感じを私なんかは受けるんですが。いかがですか。「機能的に関連する」というメカニックですよね。どうなんでしょうね。
○ そうしたときにですね一方では人権教育を機能として考えていいのかということがあるんですね。ですから、おっしゃるように機能的、有機的にといいますか、先生ご指摘のようにいろいろなものがある意味では、内的にも外的にも子どもの心や体の面も合わせて有機的といったほうがいいのかなあと思ってはいます。
○ 今の意見いかがですか。
○ この有機的という言葉が分かりにくくて、別の言葉であえて表すとしたら「総合的」にですかね。全体の議論の中で、このパブコメを取り上げることが前提となっているのか。
○ いいえ。最初に事務局からもお話しがありましたし、私も言いましたけれども要するにパブコメをきちっと受け止めて、それを踏まえてどうしても直す事が必要だと我々が判断すればですねということです。いろんなご意見があるわけですから我々としてもまさに「総合的」に考えて作ってる訳ですから、そこのところはここでどうしても取り上げて変えなきゃならないという重大なものがあれば当然変えていくわけですけれども。
○ 「有機的」とか文言ありますね。文言が分かりにくいから変えるというある意味単純なものと考え方に関わって変更するしないというのは別問題である。後者に関してもおかしいところがあれば変えるというはありということか。
○ ええ。ただ内容的にさっきの「悩む」ということについては文字だけの問題であって全体に関わると思ったので私は申し上げたわけですけどね。いずれにしてもみなさんからご指摘いただいていくにしても最終的には責任をもってこちらで検討することになるわけですけれど、時間的な制約もありますので3時間ばかりの間でですねできるだけ効率的に、見落とすことなく考えていますが。そういうことで非常に大きい部分でこれはというものがあればそれも勿論でありますが、とりあえずアトランダムにレベルを超えて出していただいていいと思いますが。今のどうしましょうかね。「総合的」にということで。
○ 有機的に関連するものは前にでているので。前の文章の中に何と何を関連させていけばいいのかというのは列記されているわけですよね。だから「総合的」ともちょっと違うとおもうんですよ。それぞれが特質に応じて行われている人権教育が有機的だからこのままでいった方がよいと考える。これ位分からないと困りますもんね。だから現場の先生に考えてもらえばいいんじゃないですか。前に列記しているわけですから各教科、道徳、特別活動、総合的な学習それぞれの特質に応じて行われている人権教育が総合的に行うわけではないわけですよ。だからそれらを考えてばらばらにならないようにという意味ですよね。こういう表現で仕方ないのではないか。
○ 預からせていただいていいですか。この部分。このままいく事も含めてちょっと預からせてください。
○ 「機能的」という言葉もどうかと合わせて吟味いただきたい。
○ はい。
○ パブリックコメント(資料2)の9ページのエ(資料1では11ページの下)に関してなんですが、「いわば正義が貫かれているような」という部分のパブリックコメントがありまして、確かに言われてみれば、「いわば」というのは、「例えて言えば」とか「言ってみれば」という意味合いがあるので、むしろ無くても通る文である。「正義が貫かれている学校・学級」という表現でもメッセージとして伝わりますので、例えて言えば何々のような言葉で、いわば何々のようなというのは無くてもいいのかなと思ったのですが。
○ はい。これ私が書いたんですけど正義というとまた何が正義かとまた議論になるんですね。だから一応柔らかくということで。正義論で本が書けるような世の中ですからそれを避けられないだろうかという意図です。なんか今のご意見にありますか。
○ パブリックコメントに対する対応ですけれども。基本的には第二次取りまとめというのが原案というか、ここでの総まとめということですので、基本的にはあまり変えないと。で、その中でパブリックコメントにおいて是非それを変えなければならないという部分だけを変えると言うことですよね。だからあまり小さいことで云々となると・・・。あれかなと。
○ ただ私があらゆるものをご自由にお出しくださいと述べましたのでそういうことなんですけどね。時間とにらみ合いながらという事ですが。今、第2章の第1節の1のところまでをご覧いただいておりますけれどもよろしければ15ページ以降に移りたいと思いますが。今までのところで事務局の方で何かお気づきのところがご指摘があれば。
△ 簡単にいくつかお願いします。福田先生からご指摘のあった「悩む」を「苦しむ」への修正部分については、私も気づいた部分ですのでお願いしたいと思います。1ページ目(資料2)のイの部分についても基本計画に書いてある部分があります。ここの部分は少し工夫したいと思います。よろしいですか。イの部分は人権が確立される社会を目指すということについては「国民的課題」であり、「国の責務」であることに言及すべきではないかということで、確かにこのことについてはごもっともなのでこの部分を強化したいと考えている。
○ 今の件よろしいですか。国民の課題があって国の責務であるというのを明言してされてきているわけですから織り込みたいと。
△ 資料2の3ページ目のコの部分です。世界計画のことについて言及はあるが、積極的に活用していく必要性についての言及がないと。ここについては、皆様の知恵をお借りしたい。私は、本文のままでよろしいかと思うんですけれども。この部分に触れるのであれば「世界人権宣言」とか「国連10年」にも触れていく必要があると考える。それはそれとしてまた意義のあることでもあるし、これについては是非皆様のお考えをお聞きしたいと思います。
○ いかがですか。私としては、4ページの第1段落の最後にあえて入れたわけですね。2005年に開始する宣言を採択したということでちゃんと目配りをしてますよと姿勢を出したかった。そういう意味では、今おっしゃるように入れるとすればかなり細かくこれだけとりやすいのかと言う問題もあります。その積み重ねもありますからね。ですからとりあえずこのような性格の文章は、何もかも盛り込むわけにはいかないと私は考える。
△ 文言的な修正の部分はこちらで対応させていただきたいと思う。例えば、(資料2)4ページのエの部分については、人権概念についての指摘があります。人権の定義の部分なので定義という言葉に置き換えてよろしいですか。
○ 私も気になっていた部分ですのでおねがいします。
△ あと分かりにくいというとことでは、同じく資料2の4ページ目の一番下のキの部分なんですがここでは価値志向的な感覚であるという部分の意味が分かりにくいという部分が出ていますが、この価値志向的な部分についてはどうなんでしょうか。
○ これも私が関わる部分なんで価値思考的の志向が違う漢字になっておりますけれども、これは単なる感覚ではなくてより高い価値を目指すような感覚と私はとらえたかった。そういう意味で単なる五感だけではなくて中味があって、人が人として尊重されるというポジティブに受け止めるようなということで「志向」を入れたんですね。これは文字がどこで違ったのか、「思考」でしたら読み違いだと思います。「志向」は方向性ということでとりあえず前の文科省のレポートでも問題なくきたもので生かしたんですが、もう少し説明を加えたらどうかということですか。
△ はい。
○ 私は、多少書いたほうがいいかなと考えている。作る段階での時間的な問題もあってきてますが、もし必要ということであれば考えたい。
△ 預かりということで。
○ 確かに分かりにくいというのはどうしてもあります。これはやはり分かっていただけるように書くのは、我々の責任だと思います。ここについて、もしご了解いただければ検討してよりよく分かっていただくような形にしたいと思います。よろしいですか。
○ ニュアンスは大変重要だと思いますよ。表現でということですかね。
○ 他にいかがですか。今泉さん、そこまでよろしいですか。
△ さらに、(資料2)5ページ目のクの部分について、ここではその現実的には8ページの参考図なんですが、技術的側面は知的側面に関わる部分が少なくない。とくに技術的側面のところで「人権侵害であることを指摘する技能」とか「これらのことについて相談窓口へ相談する技能」これらのことを盛り込むことが意見としてあげられているんですがいかがでしょうか。私は、もっともなことだと思いまして。
○ これは技能といえば技能なんですが、私は知識の方に盛り込んでいるつもりなんですよね。具体的には書いてないんですが、具体的に人権問題とか差別を解決することに関わるような知識とか技能というのは確かに必要なわけなので、等々という形で全部入れてるわけではありませんよということなんですが、もし必要ならば入れることは重要だと思います。ただ、今申しましたように全部このスペースに入らないということもありまして、優先順位の問題も出てきますので、非常に重要なことでもありますので入れてよろしいということでありましたら入れたいと思います。
△ 預かりで。
○ 預かりでよろしいですか。
△ はい。
○ 入れるというニュアンスを強く持たせたいと思えばいいですか。
○ それでいいですか。
△ はい。次は、資料2の6ページ目のエですね。ここでも重要な指摘なんですが。「人権を侵害されている現実の社会問題をとらえること」という風に書いてあるんですが。
○ これはたぶん基本計画からひいてきてそれでそこでとどまっている。確かにそういう意味では私自身が従来のものを踏まえて発展させるということで言うと、世界プログラムもそうですけれども少し遠慮しているところもあるんですね。だからそういう意味では、私自身は入れることについては、むしろ前向きではある。皆さんいかがですか。たしかに今までの一歩でも二歩でも出るものを出すという責任は当然あると自覚はしているんですけれど。じゃあそういう方向で前向きに預かりという形にさせていただきます。
△ その次が同じく6ページのオの部分です。もっともわれわれの試案の中にはあったことではあるんですが、ここでの指摘は「人権が社会の中でとらえられて、みずからの態度や行動に現れるとともに、権利が守られる社会づくりにむけた行動につながること」この一番最後の文ですけれども、この部分を入れる必要があるんじゃないかと。実は、これに似たような意見は他にもいくつかでているところがありまして、一番最後の部分の「権利が守られる社会づくりにむけた行動」というところについて議論していただきたいんですが。
○ 今のいかがでしょうか。
○ 入るのであれば入れていただくとありがたいなあと思っています。というのは、資料1の方の29ページにつながるようなものだと思うのですが、枠の中の6.が上のところでないという指摘されている方が何人かあった。私の関わる部分だと思いますが、6.ではまさに権利の守られる社会づくりに向けた行動力を育てると書いてありましたので、もしそれで差し支えないのであれば入れていただいて、ここにも入るとすっきりつながるなあと思います。
○ 他にいかがですか。
○ それを入れるのはいいと思う。ただ「守られる」というのが「人権が擁護される社会づくり」とするほうが格調高い感じがする。
○ 全体を通しての用語の統一ですね。
○ はい。
△ 例えば、「人権が尊重される」ではどうですか。
○ そうですね。
○ それでいいですね。。
○ 人権という言葉とか人権の関わりというのを当然踏まえているつもりなんだけれども、やはり今、文章として入れる方がベターに違いないわけで。どうですか。
△ 次は、資料2の8ページの中間のイは、表記の問題ですのでここは事務局の方で対応させていただきたいと思います。
○ 整理しなおすということで。
△ そうですね。
△ 次は、資料2の11ページ目のイの部分です。ここについては、こういうことが言われています。生徒指導上の取組みに際して、「暴力行為、いじめ、不登校、中途退学といった問題に発展しないような取組を推進していくには、人権を尊重する観点が不可欠であるということを打ち出す必要があるのではないか。」ということについてです。
○ 生徒指導との関わりと人権の位置づけということですね。これは、会議全体としては暗黙の前提にしておりましたですよね。やっぱりそれを明文化しないとだめですよね。そういう意味では内容的にぜんぜん異論はない。むしろ明記した方がいいと私は考えますけれど。いかがでしょうか。それをどこでどういう風にというのは預からせていただいてよろしいでしょうか。
△ その次が資料2の12ページ目の(4)のアの部分についてです。ここでは、提案として(資料1)13ページ目の人権教育の環境づくりの整備の例で全校集会というのを入れたらどうかという提案が出てるんですけれど、私は入れてもいいのかなと思うんですがいかがでしょうか。
○ 今の点どうでしょうか。この四角の中ですね。当然といえば当然のことですね。これはちょっと気づかなかったところを指摘されたということですね。これは意味があることですね。いかがですか。
△ 同じく資料2の12ページの一番最後のウのところです。ここの部分で、資料1の13ページの環境整備のための支援の文章の中で「医療機関」を位置づけて欲しいと。特殊教育諸学校においては、生命を守るために医療機関との連携が必要になると、その観点で付け加えさせていただきたいと思いますがよろしいでしょうか。
○ 異論ないですね。それでは是非。資料1の14ページまでみたわけですがよろしいですか。それでは、先にいきたいと思います。どういう角度からも結構ですので意見をお願いいたします。いかがですか。
○ 資料2の14ページの(1)のウの指摘ですが、「共感能力」の問題ですが。確かに言葉が並ばないですよね。「自尊感情を培うことはもとより、共感的な力・・・」とか「共感的な力や想像力」という気がして。「共感能力・調整力」ちょっとつりあわないかなという気がするんです。ご指摘のとおりで共感能力という表現が、私の認識では色んな文章では使わないかなと。
○ そうですか。これsympathyを訳したわけですよね。「感受性」と訳してもいいのではないか。「感受性と想像力」なら並ぶかな。どうですか。「共感する力」を主張したかったけれどもそれは感受力なので。
○ 言い方として共感する力や創造する力としたほうがしっくりいく感じがして。いま共感性ということでよければぴたっと
○ 「共感性」というか「感受性」で。よろしいですか。今の。
○ 「感受性」と「共感」は違うような気がする。「人権教育は共感的に理解し・・・」とかね大事だと考える。共に感じるということで「共感能力」「共感」は残した方がいいと思う。
○ あまり「共感力」とはいいませんよね。むしろ共感能力ですよね。一般的には、「共感する力」ということで「共感能力」それと「想像力」は言うまでもない。特に問題は無いと私は思うんですけど。
○ 分かりにくいとしても別の理解をされるのは少ないと思う。
○ 食い違いはありえないということですよね。ということであればこちらとしては、いいんじゃないかと。
○ 共感という言葉と能力という言葉がなかなかつながらない言葉ですよね。だったら「共感する力」でいいと思うんですけどね。
○ 「共感する力」でもいいですよね。あとは、それで統一するということで。
○ 「共感する力」にしましょうか。その他は、いかがですか。
○ 先ほど、生徒指導のところに問題が表面化したとき後の事後対応・問題処理ということにならないようにということがありましたよね。11ページなんですけど。そこの所がOKですねということで通ったと思うんですが、もともと生徒指導というのはもっと積極的に、児童生徒の生活の実態や背景を把握して生徒一人一人を尊重して指導していくということなら分かるんですけど、日常の授業に生かすということがどういう意味なのかがよく分からない。このパブリックコメントの意見の中に、日常の授業、児童生徒の生活の実態を把握した上でそれを授業に生かすというのはどういう意味かなと思うんですけど。
○ これは、相手さんの問題なのでここで詮索してもしょうがないと思います。ですからそれを踏まえて人権を尊重する観点というのは不可欠であると言うことを入れれば我々の仕事としてはいいと思いますよ。
○ これを前提にしないということですよね
○ そんな責任もありません。これをベターにしていけばいいわけです。パブコメの扱いですが、その指摘を受けてベターにできるものがあればとりあって、そちらさんの意見について言う立場ではありません。
○ 検討ですけども資料2の13ページのイです。例えば、校内組織図にPTAを入れるとか。提案なんですけど前向きなことなんで入れた方がいいのでは。校内組織図でも大体入っているので。
○ PTAは入ってないんですね。これは、入れてよろしいですね。重要な要素というか、組織になりますよね。
○ どこでもあるのはこの二つですから。
○ よろしいですか。
○ 同じくその図のところでですが。資料2で言うと15ページのキの参考例ですけど。ここに全教職員による実施及び点検・評価の位置がおかしいという指摘がありましたが、その通りでこの網掛けの黒い部分の「全教職員における実施および点検・評価」の楕円がですね上のところに重なるんですよ。もう少し上に上がる。
○ どういう意味ですか。地域教育協議会ってありますよね。それは下がればいいということですか。
○ ここの網掛けの所が少しこちらの下にかかるような感じで存在すると。
○ もっと左にいくということですか。
○ そうですね。
○ 上に上げて、かかるようにすると。よろしいですか。より分かりやすくという趣旨ですね。よろしいですね。他はいかがですか。資料1のとりまとめ案の20ページ以降のことに関連して、そこまでで事務局で気づいたことがあったら。
△ 一点だけ。16ページ(3)の方のイなんですが、実はここの部分以外にも指摘があるんですが、中学校の夜間学級や高校の定時制で学ぶ成人を対象としたカリキュラムや学習指導方法の指摘があるんですが、どこまでとりまとめで扱うのかにもよるんですけれども。
○ つまり学校教育と学校外教育がオーバーラップするというか関連に関わる所ですね。欧米の場合特にヨーロッパでは、そこが非常に表面にでてくるのでちゃんとカバーできるんですけれども、日本の場合それが確かにこういう指摘がある通り、はずされちゃう懸念はありますよね。ですから含めておいた方がいいですね。ちょっとこれも工夫してなんとか入れていく方向でよろしいですか。
○ まったく余談なんですけど夜間中学は、全国的にはでどれくらいの数あるんですか。
△ 100ぐらいだったと思います。東京都内だけでも6箇所。都道府県1箇所ぐらいだと思います。
○ 私の認識では、36ぐらいですね。大阪に11、東京に6、後はパラパラパラという感じだったと思います。
○ 減る傾向にあるんですよね。それは、重要なポイントでしょうね。ですから可能な限り入れる方向でいきたいと思います。20ページ以降についてどうですか。第2章の1節の部分でいかがでしょうか。家庭・地域との連携、校種間の連携、その関連でもし委員の皆さんでなければ事務局から何かありますか。お気づきの点がありましたら。
△ 資料2の18ページのキの部分なんですけども。私は、学校の役割としてここまで書くのかなとかなり疑問はあるが、指摘としては重要である。家庭に対するエンパワメントのことと保護者等に対するエンパワメントのことを指摘しているところなんですけど、この具体的に書いてあることについてそのまま記述するということについては私はネガティブであるものの、この保護者に対する支援というかですね、方向性としては確かに重要な点である。
○ いわゆる連携とか協働とかいうその場合に私はよく学校ということで、ここでもそういう考えでいたんですけれども、保護者の方達もまさにエンパワーしてもらわないとという事はありますよね。それをどういう形で入れるか。今までの会議の中では具体的に提案できなかったんですが重要な視点ではありますね。今後にとってもダブルスタンダードが非常にマイナスに働くわけで、それも含めて保護者のエンパワーにどう関わっていけるか。少なくてもその視点だけは、入れたいという考えはあります。
△ そこまで学校の役割ということでは引っかかるんですが、それを書くことによって逆にここまでやらなくちゃいけないのかということになるのは嫌な感じがする。
○ いかがですか。
○ 例えば、この文言の中に保護者と連携してやっていくとかねそういう文言を入れて学校単独でないというスタンスで対応したらいいんじゃないかという意見なんですけど。結果として学校が主体的な役割をするかどうかは別問題として、一方では子育て支援とか当然の流れになってきていますので。だから単独で言うと誤解があるけれどもなんか文言を入れてそういう趣旨を言うことは、大事な視点だと思う。
○ 基本路線としては、例えば父母を巻き込んで、コミットしてというニュアンスはずっと通しているんですよね。だから、保護者の方にも人権教育に関わっていただくとずっと言ってきていると思うので、それをしかるべきところで主体者とか責任とか微妙なところがありますけれども、協力し合っていかないと子どもはよくなっていかない。そこのところにからめたなんかポジティブな出し方したいですね。
△ 今の部分に関わるところなんですが、資料2の19ページのケの部分です。ここの部分については、含めていきたいものです。保護者と教員が連携して進めるPTAにおける人権教育を位置づける必要がある。PTAにおける人権教育というよりもPTAを巻き込んでいく人権教育という観点であれば、もしかしたら保護者のエンパワメントにも資するのではないか。
○ この部分に関連して伊藤さん何か。
○ 今、おっしゃいましたPTAの組織とですね保護者向けの研修会、授業研究会、講演会とかですね生徒向けの人権教育にご参加いただくという一定の縛りの中の保護者等も支援していくというのは何ら意見は無いんですが、ただここは、非常に微妙な問題をはらんでいますので文言には最大源の配慮が必要かなと思います。といいますのは、この部分で苦しんでいる学校関係者もたくさんおりますので、現場の実態もきちっと見ての文言でないとなかなか難しいかなと感じました。ケならば異論はありません。
○ そういう当たりで言葉の選択に知恵を傾けながら、どういう形で可能かという方向で検討させていただくという事でいいですか。それでは第2章の1節の部分はここで終わらせていただきます。第2章の2節「人権教育の研究及び指導方法等」に入っていきたいと思います。
△ 一つだけパブコメに無いんですが資料1の19ページのイのところに児童生徒の評価という部分があるんですけれども、これの上3行目までは分かるんですが、その後ですね「また、学習の状況、取組の節目ごとに児童生徒の評価活動を行うと共に、その評価を学級に公開することにより、児童生徒間相互の共通認識を図ることも必要である。」の公開なんですが、ちょっときついニュアンスなんで、その評価を学級全体で共有するとか、共有するぐらいのほうがいいのではないか。公開するという言葉が子供達に関してなのでちょっとここの言葉引っかかります。
○ なるほど。いかがですか。
○ いいと思います。同感です。
○ 公開ではなくて共有とおっしゃったんですか。
○ 確認なんですが。これは児童生徒自身が自分自身の学習について評価するということで書いてあるんですよね。
○ 自らの学習ですね。
○ 児童生徒の評価となっていますけれども、児童生徒による評価ということですよね。
○ そうですね。
○ 「の」となってますけど、本来「による」です。
○ 自己評価といえばはっきりしますよね。
○ 自己評価ですよ。
△ ウのところの「保護者等の外部評価」になってますけど、外部なのか内部なのかという議論がありますので「保護者等による評価」ぐらいで調整したほうがいいのでは。
○ なるほど。いかがですか。
○ なんだったらこのイとウが「の」になっているので「による」にしてしまえばいいのではないですか。そのほうがすっきりすると思います。
○ イが児童生徒による評価、ウが保護者等による評価ね。よろしいですか。
○ 先ほど、イのところで森先生ご指摘のここは児童の自己評価のニュアンスが強いのでより学級に共有するとかそういったような評価するという部分までは書かなくてもいいのではないか。
○ そういうことではありません。子供達が私はここまでできたとか、私は振り返ってこんなことを感じたとか、見直しとか、そういうことの共有だと思ったので、その点がはっきりしていれば「共有」というのはすごくうなずけると思い発言させていただきました。
○ ポジティブな意味でですよね。
○ 自己評価を共有することが大事なことであるということでよろしいですか。
○ もし教員が子どもを評価してこの子はこうで、あの子はこうでとやるんだったらぜんぜん意味が違ってくるので確認のために言わせていただきました。
○ はい。わかりました。
○ よろしいですか。それでは2節のほうでいかがでしょうか。
○ パブコメの中の「中立性の確保」のなかに個人情報に関する配慮という中味が合わないんじゃないかと意見があったと思うんですよ。そういわれて読んでみるとそうなんだなと思うんです。これとっても大事な問題ですよね。人権の問題だとすれば個人情報やプライバシーの配慮というのが。だからここにこういう扱いでおかしいといわれると本当にそうだなあと思うんですけど。ずっと考えていてどういう風に入るのかなと考えていて新しく項立てしなければいけないのかなと。
○ 確保等と書いてありますので分けているんですよね。中立性の確保等と並べて書いてあるので理屈をつければ重要な問題だから書いてあるということなんですがいかがですか。確かにプライバシーの問題は書いておくべきだと思うし、内容的にも非常に重要でありますのでね。ただそれだけを別の項目でとは我々は考えなかったのでこういう構成できたわけですがね。確保だけでいったら別のものじゃないかといわれたらしょうがないですけど「確保等」をつけることで一応広げて重要な問題に触れているという言い方ができなくはないですよね。
○ 結構そういう意見があったので気にはなった。例えばですが「・・・確保等個人情報への配慮」としてしまってもいいと思いますけど。行数から言えば個人情報のほうがかなり長くなっているところがありまして、そういうことで言うと見出しにも入れてしまって問題でないということであれば二つ並べておくというのは一つのやり方ではないかと思うんですけど。
○ だいたいこの種の文言は、これ単独であるでしょう。そこら辺への配慮も含めて書いて欲しい。
○ 第一次取りまとめの流れを受けているんですよね。これは非常に重要なポイントである。時代の流れの中でプライバシーとか情報の問題ありますので。
○ 確保等の中に含んでいますのでなんかあれば返せるわけですからいいのではないか。
○ 私もそういう立場なんですけどね。よろしいですか。32ページまで特にございませんでしたら。32ページまでで事務局のほうで何かありますか。
△ 一点戻って申し訳ないんですが、保・幼・小・中の連携のところです。資料2の24ページ目の一番下のアの部分です。本体も24ページなんですが【参考例】のところの追加として保・小の連携については分からないのですが、小・中の連携についてはこういうことやっているというのがあるんで事例を追加したい。
○ 参考例の表の中にこの部分を意見に基づいて追加したほうがいいだろうと。
△ 保育所と小学校の連携の中にこういうことはあるんですか。
○ 2年生の生活科とか高学年の総合的な学習とかで小学生が保育所の先生になろうということで保育所に行って先生体験をしたり、保育所の園児さんが学校に来て小学校生活を体験してくるということはあります。
○ それでは入れるという方向で。
○ 幼稚園もあるので保育所だけではおかしいのではないか。
△ その通りですね。
○ 幼稚園抜けてますね。
○ 文部科学省の研究指定で幼・保育所・小学校との連携というのをやっているのでだからこういう連携をやっていないという事実は絶対にないので。
○ この辺確認していただいて必要があればきちっと・・・。
○ 今もかなり出ているんですけれどもここに書かれている【参考例】のようなことは珍しくもなくなっているというのが現場としてはあります。特に東京あたりでは。先生同士が学校間で教えあうというのもあるし、生徒が交流するというのもたくさんあります。
○ そういうことを踏まえて、補完してという感じでしょうか。よろしいですか。では、2節の方に入ってご指摘あればお願いします。
○ 資料1の29ページの指導内容の例の「各教科等における指導内容の例」のところで、資料2でいうとの29ページのカです。参考例としてあげられている「各教科等における指導内容の例」において一部の教科・領域の教育目標・内容が示されているが、他教科の例も提出した方が現場に浸透するのではないかと思われることと書いてあることで、そういう流れでみたら人権が道徳と社会くらいで、今ここに取り上げられているのは当たり前の例なんで国語を入れたり、せめて他の教科をここに入れるとかするといいのかな。
△ ちなみに資料1の29ページは、まさに学習指導要領からの例であり、学習指導要領上文言があれば入れたいと思います。
○ 国語のコミュニケーションとか関わりうるよね。英語なんかも国際理解等でないですかね。これだけだということではなく、例えばと読んでもらえればいいわけですよね。我々としてはね。
△ 学習指導要領の文言からとっていますので、他にふさわしい言葉があれば
○ 逆に言うと学習指導要領に無ければ出しにくいということですよね。
○ この例は、常識的なので国語くらい入れたらどうかということです。
○ 拾い出せればお願いします。
△ 数学的な見方や考え方という視点で行けば理科教育や数学教育においてもありますよね。ただ、ここで押さえるべきものなのか。指導要領の内容を押さえておりますので。
○ 本当は、principleとしての人権教育というとできるだけ広く拾った方がいいと思う。論理的な思考だとかは、やはり物事をしっかり見ていくことにつながっていく。
○ 表記と関わる部分です。29ページで総合的な学習の例の中の1.~5.のあとに6.が無いという指摘がパブリックコメントにあるんですが。
○ これは、先ほど森先生指摘なされましたね。そのほかに。
○ 人権教育の目標について資料2の6ページです。人権問題を社会問題としてとらえるとか権利が守られる社会づくりにむけた行動のエとかオをここでは採用して文言を変えていくというのはどうですかね。この資料1の26、27ページの人権教育の内容のところで、この目標に呼応する部分というのか、現実の社会問題としてとらえる力を養うとか、あるいは社会にむけて積極的に行動するような児童生徒を育てるためにのような整合性ですよね。色んなところにちりばめられてはいるんですがこれでいいんでしょうか。それとも、もっとここを受けてその部分を強調していくべきなのか。
○ 具体的に書ければ書いたほうがいいと思います。ここのところはいったりきたりしたところなんですよね。1章との関係でね。それで、これだけは最低限という思いで書いてあるわけですが入れられれば、クリアになった方がいいと思います。そういう意味で修正したらそれとの内容の一致を図っていく検討は行ったほうがいいと思います。整合性の問題もですね。その他いかがですか。もしよろしければ33ページ以降の人権感覚を育成する指導方法の工夫・改善のところはいかがでしょう。
△ 資料2の31ページ目のキです。「個人情報やプライバシーへの配慮は非常に重要な配慮」の表現では、結果として「地域社会における体験活動」等の取組を消極的にさせかねない面がある。そう受け止められないような工夫が必要であると書いてある。確かにここの部分について消極的にさせてしまうのであれば逆効果となり、ねらいと違う部分になってしまう。ここの文言については、もう少し検討させていただきたいのですが。
○ よろしいですか。非常に微妙なだけに、これで阻害されるのも問題ですからね。トータルに人権尊重が浸透するような方向でということでよろしいですか。それでは33ページ以降のところでいかがでしょうか。
○ 資料1の36ページのイのところ。児童生徒の発達段階と実態を踏まえた指導方法の工夫のところの枠に入る直前の一文について多くの人が言及しています。資料2の35ページあたりで色んな人が言及しているということで、いろんな意味で気づいたということだと思います。そこで、意見をどう反映させることが可能なのかと思ったんですけど例えば、「保護者との連携し、その解決に当たりつつ人権教育を進める必要がある。」ぐらいを入れればいろんな人が書いている疑問に応えることになりはしないかと考えます。
○ 配慮しつつというところですね。
○ 配慮しつつというのを具体化してということで、もし書くことが可能であればどうでしょうかということです。
○ 基本的な我々の姿勢としては、そういうところでは一致していると思うんですがどう表現するかということで「配慮しつつ」ということで包んだわけですが。今のところいかがですか。どの程度まで突っ込んでクリアにできるかというあたりは・・・。
○ 大枠として前の節で保護者の連携・家庭の連携を言うわけですよね。言えばその通りになるんですけれども。あえてここでも入れるのか。
○ この文の冒頭に人権侵害を受けている児童生徒というのがぽっとでてきますよね。差別を受けたりとかでてくるので、ここで配慮しつつだと確かに大事なことを指摘している割にはここの書き方が弱いなという風に思われているというのは分からないことだろうなと感じたんですけれども。保護者との連携とかできるだけ解決に努めるとかという文言があったらいろいろ疑問や意見を出しておられる方、あるいは限界の中味って何なんだということにもある程度答えることになりはしないかという意見です。
○ 他の委員の方いかがですか。
○ むしろここで大事なのは、保護者というのは大事なんですけれども発達段階に絡んで社会の変化とか情報化社会の難しさとかのほうにかなり配慮をしないといけないと思うんですね。全てのことに配慮しないといけないということが大前提にになっていますので。私がこだわったのは、保護者だけでいいのかと考えたものですから。
○ ああなるほどね。
○ いかがでしょうね。包括的に様々な面に注意を払ってと含めてという表現で置くというのも一つの意味はあると思いますがその辺いかがですか。
○ 実は、パブリックコメントの35ページのセのところ『青年期中期』あたりの文言の中に今話題のインターネットの問題ですよね。インターネット等による人権侵害の問題が増えてますから、特に中学校・高校段階にはインターネットの活用の仕方とかについて触れる必要があるなと思って入れて欲しい。
○ これを入れるのであれば、前のほうに情報化社会だとか社会の変化に配慮した動きを考える必要があるかなと。
○ 関連としては、例えばもう少しスぺスティックスですよね。だから配慮しつつというよりもある程度具体的に書くべきであるという森委員のご意見と思うんですが。いかがでしょうか。ここのところ。
△ 預かりでよろしいですか。
○ そうですね。ご意見を踏まえて考えていくということで。
○ 「教職員又は」という表現がありますよね。この「又は」の意味は何ですか。
○ 具体的に人権侵害とか差別とかを受けているいるわけですよね。そういう子供達の経験や思いを学校として、学んでいる子供達もこのことをきちっと受け止めなければならないということで、教える側だけでなくて、まさに先ほどの共有とかにつながって、自分達の力で解決していくという力を育てたいわけです。そういうことで児童生徒も書いたという文脈で理解してまいりましたけれども。
○ 「又は」という表現だったら、そういうニュアンスがちょっと伝わらないという気もするんですけど。
○ 及びか。
○ 配慮しつつだけでなく、例えばからの全体を考慮して対応していく方がいいんじゃないか。預かりというならば。ここは、微妙な内容だと思うんで。例えば、人権侵害という言葉が使われてますね。ここだけ差別ですね。ここに人権侵害入れたら行変ってまた人権侵害がでてきますよね。文としては、そういうところも含めて考慮する必要があるんじゃないか。「これらを配慮しつつ」という表現でいけといわれたら僕は確かにいらないという。配慮というのは、なにが「配慮」なのかと言われたときになかなか説明が難しい。だから、それを前段で分かりやすく、前段を変更することも含めて検討するとしたほうがいいのではないか。これは、意見ですけどね。
○ 今のと関連してなんですけど。これを配慮しつつという「これ」というのは私は児童生徒の思いとして読んだ。それで「解決」ぐらいにしたほうがいいという思いもあったんですけれども。それで配慮というのはやや弱いかなと。例えば、いじめを受けたというときに全体としていい形になるように検討いただいたらと思います。
○ 「そうした立場」というのも難しい。人権侵害を今受けている子なんか、今は受けてないけどそういう社会的立場となっている子なのか、そこがあいまい。だから例えば、今受けているんなら解決しなければならない。また、立場におかれていることも解決しなければならないが、解決の意味合いが違ってくる。ここの文も趣旨を踏まえて変えるほうがいいという気がします。
○ そういう扱いでよろしいですか。一応これで2節は終わるんですが。これでよろしいですか。
△ 資料2の36ページのエです。効果的な学習教材のところなんですが、これも追加意見で歴史的事象の教材化とあるんですがこれについてはいかがでしょうか。
○ 項目を付け加えたいということですよね。よろしいですか。
○ 資料1の40ページの視聴覚教材の児童生徒の五感に訴えるという「五感」という言葉なんですけれども「様々な感覚」というほうがいいのではないか。
○ 感性に訴えるではないの。
○ 五という数字が五つの感覚でなければならないということを言っているわけではないが人権教育に関わる文言なので、感性でも何でもいいんですけど五にこだわっているわけではないんだと。
○ よろしいですか。
○ 資料1の41ページの9番の一番下のところに巻末の参考例として云々という3行があるんですが、これは当初、巻末に入れるかもしれないという話しがあったものですから入れたんですが削除ということで。歴史に関しては、「人権に関する歴史の学習」ということで入れたつもりではいたんですが、新たに項立てをしたほうがいいということがよければここも省いて整合性を図っていただければと思います。
○ 「人権に関する歴史の学習」とかぶる部分があるわけですね。先ほどの指摘がね。そこも含めて検討させていただきます。よろしいですか。最後3節で「学校及び教育委員会における研修等の取組」の部分に入りたいと思います。
○ 資料1の47ページ、資料2の41ページのタです。ロールプレイやフィールドワークは参加体験型学習の一つであると。これを「や」でつなぐのはおかしいということで、これもご変更いただければありがたいと思っている。34ページではロールプレイング、シュミレーション、ドラマ等ということが書いてあって、47ページでは、討論会、ロールプレイとロールプレイングではなくロールプレイと記述されている。
○ 用語の問題ですか。
○ 用語の問題でそろえて欲しい。
○ これは、ロールプレイングが普通であるという話しですよね。ロールプレイングで統一したほうがいいと
○ 用語の問題に関連して分からないときがあった。これは、50ページのワークショップとかライフステージなど分かる人にはわかるが、分からない方には分からないのでどうすればいいのか。私も今回、ファシリテーターの意味をこの委員会に参加させていただいて調べてそういう意味なんだと分かりました。
○ 用語説明。確かにアクティビォティーもそうだね。これは、どこかでつけるというのは可能ですかね。
△ 特段その用語解説というリストは考えていない。51ページの本文中のファシリテーター(学習促進者)という感じで考えている。
○ 今の問題、それでよろしいですね。
○ 資料2の41ページのエのところに「幼小中学校合同」だけではなく、「小中学校合同」さらには「中高等学校合同」を加筆するべきだと思います。さきほど仁科先生が言われたように一般的だといわれる様々な実践の例が出てたので小中学校合同だけではなくて、このご指摘のように連携にも様々あるんだということを加えてもいいかなあと。 様々な連携がでてきていたので資料1で言うと24ページの中にも付け加えたほうがいいと考える。
○ よろしいでしょうか。
△ 資料2の43ページ(3)のイ。効果的な研修の中味のところなんですけど、本文のほうだと52ページの2のところなんですけど。個別人権課題について個々の個別人権課題ということではなくて、個別人権課題という言葉を( )(かっこ)書きで明記したらどうかという意見だと思うんですが。これについてはいかがでしょうか。
○ あったほうがいいと思います。
○ 一般的アプローチと個別的アプローチから当然のことですよね。そういう意味では書いていいでしょうね。
△ さらに付け加えて言いますと、個別人権課題を個々の具体的名称はあまり出さない方針でやってきてたんで、52ページのところで児童虐待問題とあって、ここだけ出てるのが引っかかる部分である。「個別人権問題への理解と対応」ということで書き直させていただいてよろしいか。
○ そのほうが整合性がありますんで。時代的に、命を大事にというのははじめのほうで書きましたけれども、この文脈では今のほうが妥当性ありますよね。よろしいでしょうか。
○ 資料1の46ページの下のところの参考例の中の一行目の各人権問題等というのは、個別の人権課題ということですよね。
○ ありがとうございました。
△ 47ページのKJ法の方は、川喜多次郎法と書くんですか。
○ 今のところは、( )(かっこ)で説明をつけるという方向の意見ですか。それとも・・・。
○ 川喜多次郎という言葉の使用はうるさくないですか。著作権法上
△ 可能であればはずしたほうがいいかなあと。
○ 事例だからはずしましょうか。一応見てきたんですが誤字、脱字とかもありますので気づかれたらぜひ事務局のほうへお願いします。一応通して見ましたが、改めてこれだけは指摘しておきたいことがございましたらお願いします。
○ 最初に出た「人権教育のための世界計画」なんですけれども参考資料のところに載らないんですよね。
△ 世界計画は、仮訳だったんですが決議を載せさせていただいております。
○ 行動計画は、まだドラフト段階かな。
○ 時間的、内容的に問題がなければ載せていただきたい。
△ 載せさせていただきます。
○ 前に事務局では、今こう考えていますということで、個別人権課題については先々という風に言われていることがありましたよね。もしも今の段階で可能なのであれば今後そういう検討をする予定であるという文言入れれば納得する方もいるのではないかと思う。
△ 第二次取りまとめでは、触れないほうがいいと考えている。
○ 本文の14ページで「効果のある学校」の【参考例】がでているんですけれども、志水先生が著書やあるいは新聞などに効果のある学校として具体的に7~8項目あげてますよね。あのことを指しているんだということを8項目を知っている人はすぐ想起すると思う。だからそれを言わないのはちょっと抽象的表現なので、それをすぱっと言うことには問題点があるのかなと。私の考えでは、効果のある学校とは、こういうことを言っているとして8項目出してもいいのではないかと思うんですけど。いかがでしょう。
△ 8項目自体は普遍性があるんですが効果のある学校のエッセンスとしてあの8項目がそこまで普遍性があるのかどうかというところが引っかかっている。
○ ここでの意図は人権を尊重するということが非常に多面的な事柄の根底にあることが言えればいいわけであって。やはりこのレベルでいいのではないかと思う。
○ 国内外と書いてあるわけですけど、他に効果のある学校という書き方をしている所があるんでしょうか。他の例を知られないものですから。
△ 預かりにさせていただいて検討させてください。
○ 実は私もこのことに関して疑問点を持っているんですね。色んな文献を見ていても出所に色んな背景あるようなので。我々が理解する上で効果のある学校と言った時には、すぱっとあの8項目が浮かぶということからするとインパクトが強いものですから。お伺いしたところでございます。
○ 何を根拠に一人の意見を取り上げたのかということもありうる。もしこれで効果が上がらなかったら
○ 考え方にもよると思いますが、関西独特のベースがあることも理解している。
○ 効果のある学校の研究そのものは、アメリカ、イギリス等で盛んに行われてきたものでし、その研究を踏まえてやられていますので関西という風には思わないんですけど。
△ その研究では、8項目は普遍的な感じのエッセンスなんですかね。
○ おおよそはそうだなあと思うんですけど、表現は個々の研究で様々ですのでそれはどんなものでしょう。一度確かめていただいてということで。
○ 普遍的な表現だったらかまわないということですよね。私的な印象を与えるのが一番怖い。
△ うちの委員の一人だからですね。
○ ここで出すなら理念だと思うんだよね。その意味で普遍的な部分であれば載せても問題はないと。
○ 資料1の53ページの「普及方法等の取組」というところでなお書きがありますね。「なお、情報提供の際には、個人情報の取り扱いには細心の細心の注意が必要である。」ここで個人情報だけを注意するということではなくて、重なる部分ももちろんあるんですがプライバシーですね。児童生徒のプライバシー及び個人情報の取り扱いには注意が必要であると入れたらどうかなと。
○ 「際には」は、生かすわけですか。
○ 情報提供の際には児童生徒等のプライバシー及び個人情報の取り扱いに細心の注意が必要であろうとでどうかなあと。プライバシーと個人情報は概念的に違う。個人情報は個人が識別できる情報が個人情報で価値付けも何もしておりませんので、プライバシーは従来の概念で言えばこの人にとって他人から触れられたくないそういう意味づけを持ったものである。この両方をカバーできたほうがいいのかなと思いましたので意見しました。
○ いかがですか。よろしいでしょうか。
△ 資料1の39ページの7番です。人権感覚の高揚と定着。気持ちはとっても分かるんですが人権感覚の場合は、「高揚」というのを使うのがいいのか。定着でもいいのかなと。人権感覚の定着を。高揚というとなんかちょっと違うイメージが・・・。
○ 今まで「育成」と書いてきましたね
△ 「育成」という言葉は使うけど「高揚」という言葉は使わないかなあと思って。
○ 「育成」に変えたらまずいですか。
○ たとえば「高揚」という意味合いでいくと、「深化」とか
○ 理解は深めるんですけどね。感覚だとどうなるのかな。
○ 育てるであれば。
○ 今までは、育成でやってきたんですけどね。
○ 生かすということであればそうなんでしょうけどね。
※次回の日程についての説明の後、閉会。
初等中等教育局児童生徒課