平成17年9月27日(火曜日) 13時~15時
ホテル・フロラシオン青山 「芙蓉西」
福田座長、有村委員、梅野委員、岡田委員、押谷委員、小島委員、菅原委員、志水委員、林委員、若井委員
坪田児童生徒課長、森嶋調査官、今泉課長補佐
(○:委員、△:事務局)
○ それでは限られた時間ですけれども資料2の頭のほうから議論していきたいと思います。目次の部分は事務的なものか。
△ その通り。部と章という形になっているが、通常法律だと、部というのは使わずに編、章、節、款、目というような形なので、できれば原文のとおり第1章、その次は第1節という形でさせていただければありがたい。
○ 赤字になっているのが修正案ということでよろしいか。
△ 注2の部分については、第19回会議の時には入ってなくてその後の意見があり入れたものである。「この場をお借りしてお礼を申しあげたい」というのは入れる必要は私はないのではないかと思う。注2自体をそもそも入れる必要がないのではないかと考えております。この点いかがでしょうか。
○ 今までよく議論したところですが事例とか参考とかの重みというのが議論になったと思うので、そのあたりを頭に入れて提案されたんじゃないかと思う。私は、そういう風に受け止めて一応関わりのある部分なものですから入れたが、確かに最後の文言は明らかにいらないと思う。
○ 注の2の真ん中あたりに、参考例ということで「下のことを求めることはまったくないことに十分注意されて」と非常に強い言い方であらわすのも不自然と思う。
○ それでは注2は削ることにする。それでは第1章、小見出しが若干あるが、まず見出しだけ確認する。「1人権および人権教育について」、2が人権教育の目標について、これは確か第一次の時も同じである。3が人権感覚の育成をめざす取り組みということですが。私は問題ないかと思うがよろしいか。次の第二段落について。
△ 事務局からですが6ページの3段落目「一般的には」で始まる段落がある。この4行の部分は要らないのかと思う。ここは確かに前回の第19回会議でもうすでに入っていたところでありますので今さらこうしようというのは非常に心苦しいが、ただ前の「しかし」のところが人権を理解するには人とは何か権利とは何かを考えなけらばならないとある。ここの部分は、「人権を考えなければならない。」「その具体的な内容には」とつなげればこの4行はいらないのではないかという風に思う。
○ 人権を人として生きる権利であると考えるのであれば、きわめて根本なんだけれども、人間の尊厳とか価値というのは言葉としてしっかりと押さえておいたほうがいいのではないかと思う。読んだときに別におかしくなければ、あったほうがいいのではないかという意見である。
○ 価値と尊厳とか必要なものは様々であるから、あえて私としては、書き込んだのだが、具合が悪いということはあるか。
△ 特段そういう事ではないが、この第二次取りまとめの求めているところの指導内容方法等のあり方について示す部分で果たしてここの部分が必要なのかなというのがある。尊厳と価値の部分についてはもちろん分かるが、他の動物と根本的に異なる特徴の部分がちょっと引っかかる部分がある。もちろんこれは、人権と関係のない話ですが動物愛護とか少し気にもなる。あまり他の動物と人間が違うということを言い過ぎるのもどうかと思う。
○ ただ尊厳と価値というのは、世界人権宣言にも言われているわけで、そこがかなり軽くされているという苦情があるものですから。
○ 一連の文章の流れの中に尊厳と価値を入れて何かを補足していれるということで一文にして後は消すということでいかがですか。尊厳の価値は大事だと思う。この文の中味をあとで入れるということでどうですか。
○ よろしいか。
△ 尊厳と価値は大事な言葉ですので、これは残すべきだと思います。
○ これは預かりでよろしいですか。動物愛護といった批判については避けた方がいいと思うので、そういう形で修正という形で預けていただきたいと思います。
では、7ページ。この部分は私自身だいぶ赤を引いたとところですが、文章の筋を通す、という思いで赤を入れてみました。ご意見ありましたらお願いします。
△ 「明らかになる」という表現がちょっと文章的に気になります。
○ 上の「必要であることが明らかになる。」についても同じですか。
△ そうです。
○ それでは「必要である」以下は切るようにする。確かに強すぎる表現のように思う。
○ 必要とされる資質能力のことで3つの側面というのがここにあげられており、これが今回の中ではキーワードになってくるのかと、私自身は考えているところである。「側面」という言葉だが、側面というのは、なにか立体的なものに対し、ある面はこう、こっちの面からはこうだ、というので側面を捉えるのだろうと思う。そう考えると、この中味、というか立体そのものは人権なのか。「側面」という言い方がこことは違うところでもある。その辺、どんな風に説明をしていけばいいのか。
○ ここでいう側面というのは資質や能力ですよね。要素といった方がよいかもしれない。実際的な要素。フェイズなどはあてはまりますか。
○ 要素と言うと、ばらばらの印象を受ける。
○ 確かにばらばらの印象を受ける。こういう面もあり、こういう面もある、という程度でやってきたが。人権の教育を推し進めるためにはこういうものが必要である。それは、知識であり技能もあり価値もある、というのが今の国際的な通念であろう。それに対し、日本語で側面と言う字を当てたわけである。一般的に頭と心といったときに人間にはそういう一部分があって、それを全部やるのが全面的発達という。全面的と言うことで面は使っている。
○ 要素ってなんでしょうか。
○ 認知的側面などは一般的に言っている。要素よりは側面の方が良いのではないかと思う。
○ そういう整理ですよね。
○ 円錐でも、三角錐でもないですね。側面というのは立体で考えるというべきものという意味ではないのですか。
○ これは少し後回しにしましょうか。また戻ることにして。
○ 7ページの4行目。「第一には、人権や人権擁護…」「また第二にでは…」の「また」はいらないのでないか。そのまま素直に「第二では…」でいいのではないかと思う。それはどちらでも良いが、一番言いたいことは、「そしてそれらの意欲や態度…」これが第三になるのではないか、と思う。
○ それは少し違う考えである。8ページのこの人権感覚というのが技能的な面と価値的な面からなっているととらえるのが普通である。もちろん実践につなげる技能というのがあるけれども、ここの図でいうとひとつ上のほうに意識・意欲・態度とありますよね。ここの所が、今「そしてそれらの意欲や態度…」といっている部分なんですね。だからその下の知識と感覚で実践的にとらえたという考え方。なので、3つを並べることはできないと思うが、よろしいでしょうか。
○ さっきの側面とは違いますが、その3つの面については世界プログラムのほうでまだ訳が出ていないが、ある方の訳を読むとここのところはアクションになるそうである。それもやはり3つに分けており、分け方は「知識およびスキル、技能」という分け方と、「価値観、態度および行動」という分け方がある。最後に今言われた行動は二つにもまたがっているように感じる。
○ 理屈でいうとまたがらざるを得ない。確かに世界計画でそうなっているんですけれどもアクションというのはアクティングアップということで行動に移そうということが強調されている。今までのここでの議論で行くとそこまで行かないですね。だからそれとくっつけるとかえって混乱すると思う。とりあえずここでの理論ではこの3つの整理をすることで一応整合性を保ってはどうか。
○ 私は、こちらのほうが分かりやすいが。
○ 8ページのところ私自身が修正したのだが、いろいろ議論やっているうちに第二章と内容が関連しているために、前回には、4つの「人権についての」、「人権のための」・・という図を出したが、今あの図を出しても現場の先生が理解されるとは限らないので、むしろいきなりこれでいってみようと思い、2・3節のこともつながるものなのでこのようにさせていただきました。8ページはこれでよろしいでしょうか。
まあ、すでにお送りしていて検討いただいたものから特に何か新しいものを入れたことはないんですが、一応説明しやすいように作ったつもりです。これでよろしいですか。
○ 一番下の学校・学級と、上の要素との関連が示されていない感じがします。
○ 文章で一行は入れた。
○ 矢印とかがあればよい。
○ 7ページの最後から9行目にある部分を取り入れて図を作ったつもりだが、確かに矢印などはないので、土台というのを示すためにどうやっていくか工夫が必要。土台という意味で盛り込んだつもりでやってはいるが。
○ 土台っぽく表現する方法はないか。下から矢印が出ていたり、双方向であるなど。なにか関連するということを目に入るような形で表していただければよいと思う。
○ どこをどう表すべきか。
○ 7ページの真ん中の少し下に「一種の価値志向的な感覚であると言えよう。」とあるが、明らかに断定的な部分なので「と言えよう」は要らないのではないか。
○ 切ることとする。
△ その一文について、「人権感覚とは」のところで「人権が擁護され、実現されている状態を感知して、これを「善し」とし、…」というところなんですが、「望ましいと感じ」と直すことはできないでしょうか。
○ それはかまわないと思う。「良」という字も考えたが、いわゆる道徳的な「善」という、誰が見てもよいという意味で「善し」と入れている。「望ましい」でもよい。
△ 「価値志向的な人権感覚が…」というその次の部分であるが、「人権感覚が健全に働くとき自他の人権が尊重される事の「善さ」と「妥当性」…」の部分を「望ましさ」と書きかえると、結局「妥当性」と同じなので「妥当性」をとってしまってはどうか。
○ それはかまわない。
△ その一行下の「問題性」と「不当性」の部分も「問題性」を認識してにまとめてよろしいでしょうか。
○ はい。ではそのような形で。なるべく簡潔にするということで。
○ 8ページの価値的・態度的側面の中に記述されていることの順番について、例えば一番下の人間の尊厳、自己価値及び他者の価値を感知する感覚は大変大きな問題、またその前の正義、自由、平等などの実現という理想に向かって活動する意欲、これも大きいと思う。一番下のものを一番上に持ってきて、と順番を逆に入れ替えたほうが他との関連でいいかと思う。
○ 今の順番の組み換えについていかがですか。
○ 全体に関わることですが、前の文章以上のことを進めることができるものが参考例か。文章があって参考例がある場合と、こういうのを切って参考例となった場合があるがどっちでもいいのか。今回のように参考例をおけば、文章を切るとか。あくまで参考例という位置づけであれば、この種の文章のあるものは全部抜くのか、抜いた場合は、前の文章を変えるとかするのか、また、それでいいのかということを考えた方が良いのではないか。
○ 当たり前のことですが、出し方に問題があればご指摘願います。
○ どうせだったら参考例をとるとか。これをとると問題になるか。
△ 参考例ではなく、黒括弧の参考としておいてはどうか。
○ この図は残したい。例をとるということでよろしいですか。
△ 全体を見て統一を図っていただければよい。
○ 8ページの図なんですけれども、矢印が三つにかかっていて技能的側面にかからないので一番下で知識的側面とつないではどうか。一目で分かったほうがいいのでないか。価値的・態度的側面で技能的側面をひとつの大きな枠で囲まれたものが人権感覚で、その大きな枠が知識的側面と関わっているとする。今の図であると知識的、価値的、技能的と並んでいて、その順番でつながりとして矢印がかけられている図なので、かえって考えすぎてしまうのではないかと思う。
○ 右側のふたつの四角をひとつにくくりましょうか。
○ ひとつにくくると知的と人権感覚というものが分かれているがいかがか。
○ 技能的と知的とが関係ないかというとそれは全くないので相互のかかわりを表したかった。右の二つは、上の人権感覚に矢印が二ついくのでこれが構成要素になるという事は示せていると思う。右二つを例えば点線を四角かなんかで。価値的と技能的も双方に矢印を入れましょう。今は少し見にくいですが。右二つはくくって相互にという形で上につなげて、という方向で図を工夫するということでよろしいですか。
○ あとは細かくなりますが例えば、知識的側面から矢印があって人権に関する知的理解となっているので表現上として別のものみたいに見えますが、イコールになるのですよね。
○ 中味的にはそうである。人権感覚と価値的・態度的側面を矢印的にはイコールを表す二本で作図ができないか。むしろ左の知識理解の側面と一つにくくるような工夫ができればよい。タイトルみたいな感じで。
○ 人権感覚として四角を作って、その中に点線などで小さい2つの四角を作って技能と価値と作る。
○ 今の考え方でやっていただいてよろしいでしょうか。
△ はい。わかりました。
○ それでは、第2章にいきたいと思います。第2章についていかがでしょうか。
△ 第2章の前にちょっと、前回会議の方で押谷先生からも頂いていた意見であり、また、私においても判断がつかないのですが、10ページのところで「隠れたカリキュラム」という言葉があるんですけれども、「隠れたカリキュラム」は、どれくらい一般的なんでしょうか。
○ ある領域では一般的でしょうが全体の中では一般的とは言わない。
○ もともとの「隠れたカリキュラム」というのは、表面的なものよりもむしろ思想的な部分での教育力といいますが、そういう意味で使われておりましたでしょうか。
○ 行政の立場で言わせていただくと、この言葉で、すべての教育課程の流れをこれは人権侵害であるとかないといった風に使われる可能性はあるので、いくらかこれを的確な言葉で置き換えるほうが無難じゃないかと思う。どうしてもこれを使うというなら別ですが。
いろいろな議論がある人権というパートですので、とくに楽な表現の方がいいのではないか。枠の中の議論ではないと思うが、表現としては、深い表現に変えたほうがいいような気がする。
○ 私が書かせて頂いた時は、学術用語としてもともと発生したものによって環境と具体的な活動の新しい言葉になってほしいということで書いた。今ご意見があるように他に懸念があるようであれば無難な言い方にした表現のほうが望ましければ、そのようにしていただいてよい。
△ 学術用語については、例えば10ページの一番最初の行なんですが、いわゆる「隠れたカリキュラム」でそのあとの、「への注目が要請される」をきって、括弧書きで「隠れたカリキュラム」とは、だれだれが何とかの中で提唱するように、という感じで括弧書きにした上で、したがって教育を推し進めながら…と事柄をさす。というように一つの学術用語だ、ということを逆に明記していただければいいと思う。
○ 一定の配慮をした方がいいと思います。
○ 特定の名前をあげることは全文の中でないですよね。
○ 注で「隠れたカリキュラム」の説明するということも考えらる。
△ そうですね。定義みたいな形で。
○ いろいろな意味で聞きなれている人間と聞きなれてない人もいるので途中で解説することが必要。そうやって意味を限定することである。
△ また、9ページ目一番最後の「そうしたカリキュラムの整備とともに、」の部分を、例えばなんですが「学校との教室の雰囲気とかで児童生徒自らが人権について学び取っていくような」みたいな感じで書き加えるなどはどうか。もうこのことは、時間がないので。また20日にさせていただきます。
○ それでは第2章なんですが、はじめの部分で第一節の前の部分は私が書いたところだと思います。少し言葉を変えただけですが、学校としての組織的な…というところで、学校・学級と並べたり、学級・学校と並べたりいろいろある。私は「学校・学級」という順で統一したらということで書いたんですがよろしいですか。
では、それで統一したいと思います。じゃあ20ページはよろしいですね。
△ P11の参考例の中の「効果のある学校」の部分が気になっている。本文と若干あわないように感じるし、今この時期なので誤解を招くかと思う。おそらく先生方は「効果のある学校」の裏の文脈なり背景なり趣旨であり、詳細な内容がご存知であろうから、たぶん問題はないと思いますが、まったく知らないものにとってこの「効果のある学校」で本文が出て、学力の向上に成果、という感じがあわないのではないか。文章の流れからしてもこの参考例は、こ位置的にも合わないかのではないか。
○ いわゆる雰囲気作り全体で第1節の1に入れるのが適当かとも考えたが、人権教育の効果・効用のひとつに雰囲気作りがあり、学力の面においてすぐ伸びるという私のとらえ方があるためこのように書いているのですが、いかがですか。
○ あえてこれを位置づけるとしたら一番妥当なのは、13ページにウというのを付け加えて、人権尊重の精神に立つ学習支援、もしくは基礎学力向上、要するにすべての子どもたちの学力向上というのは、すべての子どもたちが基礎基本を習得するということは基本的人権を尊重する、という2~3行くらいの文を作ることではないか。そこに「効果のある学校」ということを付け加えたらいい。そして参考例にもってきたらきれいに学級経営、生徒指導、学力向上といくだろう。
○ 先ほどの「隠れたカリキュラム」の扱いと「効果のある学校」の扱いに差が出てくるので統一した方がいい。本文で趣旨を書いて、その趣旨の背景にある専門用語として中途例を補っていくのか、それともこの文面にあわせる具体例が、ここではいじめは挙げられているんですが、書かれるのか。用語を入れるときに本文でどう扱うのかを統一していた方がいいかと思う。
○ 先ほどの「隠れたカリキュラム」の場合、参考例はこのままにいれるんですよね。
○ そうです。
○ 文章の方へちょっと説明をつけるということになろうかと思う。
△ 「隠れたカリキュラム」の部分も含めて考えさせていただきたい。
○ このあたりは預かりという形でよろしいですか。では、そういう形で。
次に、14ページの(1)真ん中あたり「自分の大切さとともに他者の大切さ…」これは「他の人」でよろしいでしょうか。また、(2)の「その役割(機能)の」を切って「確立と充実」にという意見だがよいか。
○ よい。
○ 13ページに戻って恐縮だが、「(3)人権が尊重される学級経営と生徒指導」について、学級経営の中には生徒指導、学習指導を取り入れるということで3つは並列ではなくて、学級経営の中に生徒指導的側面と学習指導的側面がある。もちろんそれは関連するという捉え方である。また、実は、参考例の所に右側の囲っているところで「遊びを通して、人権教育を通して、自主的活動を通して」とあるが、それに追加して「各教科等の学習を学習を通して」が入るか考えていたがどうか。その位置づけについて検討していただいたらいいと思うが。
○ (3)の見出しのところでしょうか。
○ そうである。「人権が尊重される学級経営」としておいて、その中で学級経営について全般的な話があって、さらにそれを生徒指導の側面と学習指導の側面との二つに分けて書くというイメージ。参考例をもしいれるとすれば、右側の括弧の中に学習活動、評価等が入る。
○ 議論として言ってきたのは、普通は学級経営があって学習指導と生徒指導、その他が入るところだが、今、いろいろ問題がおきており、先生方の学級経営能力そのものがちょっと心配になってきているので、これを少し特化したいということである。生徒指導も学級経営の枠の中での生徒指導の側面と学校全体での生徒指導の側面があり、生徒指導も学級経営の枠をはずして学校全体としてことも求められているから、本来ならばそういうオーソドックスな考え方が基本なんだけれども、生徒指導は生徒指導と独立させたらどうかという議論の中でこうなったということ。
○ それは、生かした方がよいだろう。
○ 14ページですが、(1)の下から2行目のこれまでの取り組みの経緯というのがあるんですけれどもこれは何を指しているのか。
○ これは、今までの取り組んだ行動とか取り組んできたことの経緯。今までそれぞれ困っている流れ、そういう意味。言いたいことは今までここで取り組んだことを大事にしながらやっていこうということである。
○ 次に(2)のアのすぐ下なんですけど、児童生徒の意欲・関心・技能・態度・表現力を培いとありますが、これは普通4観点という時の順序ではないし、また、私たちが言っているさっきの3つの側面のことを言っているのかとも思ったのですが、ここの言葉はどういう意味なのか。
○ そこのところは、妥当な言葉ということで入れたところ。
○ どっちだろうか。3つの側面のこと言った方がいいのか。
○ 特にコミュニケーション力とかいわれているからあえてこのような表現を使っているだけなので、3つの側面で言っていただいた方がよいという気がする。
○ あと2つあるが、その一番下の「年間指導計画(推進)計画」と、括弧書きに書かれている意味をどういう風に汲み取ったらいいのかなと
○ これも他意はなく、前の議論で推進計画と書いていたからである。
○ 年間をとってもいいのだろうか。
○ 言葉を厳密にそろえるということであれば、年間・全体と揃えて頂いてもよい
○ 学校長というのと校長というのが分かれていくつかあるので揃えた方がよいと思うが。
○ 正確には学校長となろうか。14ページには他に自尊感情というのも自己尊重の感情と直すという意見がある。よろしいでか。15ページはチェックはありません。では16ページ。よろしいですか。では17ページ。なにもなければ点線の方を生かすということですか。いいですか。
○ 16ページ(4)2のウは、漢字の変換間違いである
○ 以前にお送りしたときに迷ったんですが17ページですが、上から4行目取り組みの総括、参考例のところに総括とあるんですが、総括という言葉を使うことの是非なんですが、ちょっと強いかなという気がしてですね。代案が見つからなくてそのままにしていたんですが。
○ 学校では、総括とか、ごく普通に使われている言葉で無意識のうちに使っていたのですが、変えていただいて結構です。
○ ここでは、例えば点検・評価のことを言ってますので、取り組みの点検というのがいいんでしょうけど、前の言葉と重なる。
○ さしさわりなければ点検としましょう。
○ 以後の総括も点検という表現で。
○ もうひとつなんですが。これはちょっといろんな感覚、考え方があると思うが、17ページ下から7行目に「カウンセリングマインド」という言葉があるんですけれどもこれはやっぱりいろんな使い方があって、私はカウンセリング感覚という言葉の方がいいような気がするがどうか。
○ これもカウンセリングマインドを行政の場で使っているため、無意識のうちに使っているので、直してもらえれば結構だと思います。
○ 私が知り得た感じでは、カウンセリングマインドというのは、和製英語であって作った言葉の言い方があるようですね。辞書を引いてもカウンセリングマインドという言葉は無いようである。あまりこれに合わせた言葉にしない方がいいのではないか。まあカウンセリング感覚、センスといった言葉か。
○ カウンセリングの視点を取り入れた、という表現ではどうか。
○ そうですね。視点とかあるいは考え方といった表現がいいと思う。
○ いじめの問題でも県の文章の中でカウンセリングマインドという言葉がよく使われている。専門職大学院等の話をお聞きするときに教師は何が必要なのかというと、カウンセリングの素養があるかたが良いという説明を受けることが多い。素養によってできる程度の訓練といいますか、それをカウンセリングの視点という言い方でもいいですし、カウンセリング手法を取り入れた演習といいますか。そういうことが分かれば良いのでないかと思う。
○ 群馬県では、教育相談的な手法をというような言葉をわざわざこの言葉を使わないで言っている。
○ カウンセリングの手法ということでどうですか。
○ それでお願いしましょう。では18ページにまいります。
○ 真ん中にあります子どものアンケート~参考例について、先程、学校と学級という言葉使ったんですが、参考例ということで考えると学級というのは固いので、クラスという方がいいのではないか。子どもにとって分かりやすいような気がするが。
○ 議論ではクラスよりは学級で統一するということでしたが。
○ 文章は、学級で通してよいと思うが、中のアンケートは、そのまま使うと子どもさんはクラスの先生とかクラスの友達とかが分かりやすいかという気がした。表記の統一を優先するのならばかまわない。
○ 学校の先生方にとってはいいと思うが、「学級の友達からいじめにあったことがある」というようなアンケートというのは、私たちが例として出すものとしては心配。これで発見するという意味では、発見される方もおられるんですけれども私たちが全国的に推進するという心配がある。
○ 学級を全部切るというのでもよろしいですか。18ページよろしいでしょうか。
19ページは、四角の中の1番の自分の行き方を生き方へ。6番の子どもの話をよく聞きの2点。これはよろしいですか。20ページは、真ん中の「寄与することが求められる。」について、主語が人権教育でなので「ことが求められる」なのか。主語と述語の関係があるので。寄与する。切って、「また、人権教育で身に付けたいのは…」という事でよろしいでしょうか。このページはよろしいでしょうか。
○ 上の方の5行目。「その際、学校からの明確なメッセージ、及び多様な地域の人々の参加…」とありますが、このときの多様なというのはどういうことなのか。
○ 地域のいろんな人というのはですね。地域の様々な人の参加。
△ 地域の人々には、いろいろ例えば高齢者の施設の方々がいれば身障者の方々がいたりとかそういう地域全体を活用していくという意味。
○ 「多様な」の位置がちょっと奇異な感じがするど。「地域の多様な」のほうがいいのかもしれないな。それでよろしいでしょうか。20ページいいですか。それでは21ページにいきます。
○ 21ページの下から3行目。児童相談所や、地方法務局と書いてありますけど前の方では法務局・地方法務局となっているし、上の注の中も法務局・地方法務局とあります。どのように表記するか。
○ 法務局・地方法務局でよろしいですか。なければ22ページ
○ 22ページに中学生や高校生がはじめて児童生徒でなくてでてまいりますがどうしてここが児童生徒でなくて、上の方のキャリア形成の部分は中学生や高校生となるのか。
わざわざ違うというのはおかしいかと思う。小学生からキャリア教育は始まりますから。
○ 児童生徒に統一しておきますか。
○ いま児童生徒だったら中黒つけるんですか。
○ これも全体でばらばらですよ。だからどっちかに統一した方がいい。どうなんですか。中黒なしですか。
○ そうですね。
○ それでは、なしで書きましょう。明らかにこの文章に混在していますので。
○ 良い意味での、これも良いですかね。
○ これも統一の方がいい。
○ 一番上の行の取り組みも振り仮名を振らない取組で。取り組むとか動詞形になったときに困る。
○ そうですよね。中ほどのちょっとしたの方のところには動詞形の時にはひらいている。
○ ただ、名詞形では取組は第一次でも漢字だけでしたよね。
○ 名詞形を使うときは振り仮名をふらないということにしましょう。
○ では22ページがよければ23ページへ
○ 23ページの一番上のところで、学校や教員の不十分な側面を補ったりという言葉がありますがこれはどういう意味か。
○ 多忙の中で全部を掌握、準備ができない教師の実態を踏まえたものでしたが、確かに誤解を与える表現でした。
○ この文をとっただけでもいいと思う。
○ この部分を切り、それで学校における人権尊重につながるということでよろしいですか。
○ 一人歩きしかねないので。
○ 具体的に今まで「しかも」とかはよろしいでしょうか。
○ 私はこのところの文章は、今は直っているが意味が分からなかった。ここの6行が何を言っているのか。
○ 分かるように直してそれで統一すると。
○ 最初重層的と書いていたものを「重なって」に直したのだが、学校の児童であるという形の問題と家庭の子どもであるという問題と学校でいじめを受けるという風にいろんな場面で一人の子どもが違う役割の中で人権侵害の場面に関わっているという意味で書こうとした。
ですから家庭でも学校でも一緒に協力していくことによってしか人権教育が完成しないんだというそういう意味で書いていた。
○ 人権教育の内容は、人権教育の取り組みとか言葉の置き換えができるのか。人権教育の内容とあるでしょ。内容というと人権教育の課題みたいなことになるから、人権教育の推進を通して取り組みは重なりあって、本来学校、地域、家庭、社会は連携する。相互連携して行われることによって、もしくは人権教育は、相互に連携して取り組まれることにより、そこまででそういう表現でもかまわない。
○ この意味は、人権に関わる課題は社会のいろんな側面に存在するので学校だけではとてもできないそういう意味で地域連携という地域の連携が必要かなと。課題そのものが学校だけではないというそういう意味で書いている。それを内容で書いていてわかりにくいのかと思う。
○ これはそういうことを踏まえて整理していただいてよろしいですか。
○ 今のところで、地域社会が地域、社会とするか地域とするか。先生のものに地域・社会とあるがなんか別の概念で書かれているんですがなんか統一があってもいのかなと思う。次の(4)が幼、保、小、中です。最初の行では保育所、幼稚園これが一番最後の行では保育所、幼稚園、小学校、中学校、高等学校の連携と書いてありますが表記上の問題でしょうけど順番については統一した方よい。
○ (4)は保、幼、小、中…の並びでもいいと思う。
○ 25ページにいきたいと思います。26ページの参考例なんですが、県下全域を管轄地域全体という修正案であるが、よろしいでしょうか。
○ 下の図なんですが、図のタイトルみたいなものが必要ないか。
○ 支援・指導・研修体制の整備等がタイトルではないか。
△ 一応そういうつもりで書いてあります。
○ これを上の方へ上げてはどうか。
○ 25ページの中学校区等の連携の後に・協働をいれたほうがいいのではないか。図、中学校区等での連携・協働。共に働くという漢字ではどうか。
○ 連携の後ろに中黒で・協働
○ つまり連携だけではなしに一緒にやっていこうと。
○ 協同組合ということですか。
○ 協力するの協と働くで協働。一緒に働くということで。
○ これは下に市教委とか都道府県教委があるが、中にこう矢印等があれば相互連携、そういう関わりか。
△ この図自体があんまりいい図ではない。
○ 少し戻って悪いのだが24ページの部分で参考例の上の辺りの文章で、朱で直されている子どもの年齢が比較的低い保育園や幼稚園にとあるこの表現はどういう意図か。
○ たぶん保護者を入れたいのだと思う。子どもとにだから「に」だけをとるとおかしいか。子どもと保護者の年齢が低い事を言いたい。子育てにかかる問題なので。
○ 保護者を削るとちょっと意味が変わるのではないか。
○ ここをみんな保育園、幼稚園はみんな行くからあえて解説は不要。
△ 子育てに関わる問題など保育園や幼稚園におけるにつなぐということか。
○ 一章はよろしいですか。では、26ページ
△ 押谷先生のご意見として実は26ページの一番最後の行、批判的・分析的に思考するというところが客観的・分析的という風に直した方がいいというご意見をいただいている。また同様に27ページの参考例の1の2行目のところを客観的・分析的な思考を行いに直してはどうかと。これはこれでいいのかなと思う。批判的・分析的となっているところを客観的・分析的と直す。
○ クリテォカルが強すぎたらアナリティカルをくっつけて書いたというもの。
○ 前者の例というのは知識・技能ですか。その前のところでいくとその内容でいって知的側面で、人権に関わる知識の内容を客観的に感受しそれを共感的に受け止め、これを内面化することが求められているんですよね。
△ どうしてもこう批判的によりは客観的のほうがいいかなと。場面で思いついてしまうのは勉強会みたいなイメージが浮かぶから、ここは、客観的・分析的というのがいいような感じがする。
○ どなたが書いた文章か分からないですが1行目にまず客観的な知識として知るだけでは充分とはいえないという脈絡があるのでそうじゃなくてという言い方になってる時に、そこに客観的というのは…。
○ たぶん座長が言った例えばクリティカルな見方といいますか、ということであれば批判的が強すぎるので分析的を取り入れたというのでは分析的という言葉だけでも通じるという気がする。
○ 客観的は入れない方がいいと思う。じゃあ分析的に
○ 知るだけではなくて客観的、知識とまた客観と知識と事実を客観的見ることになるのかもしれない。
○ 客観的に知っていてもできないというところに問題があるので。そこに感覚の問題が来るわけですから。まさにそこは主体的でなければならないわけで。まあただクリティカルというこの言葉は確かにアメリカの学者でも使いたくないという人がある。分析的だけにするということでよろしいか。
△ 理性的というのは入らないか。分析的というのだけがくるんであれば理性的・分析的に思考するというのはどうか。客観的っていうのは使わないんだったら分析的に思考するというのがぽんと飛び出すというのはもったいないか思う。批判が使えない客観もそうではないんだったら理性的・分析的や合理的・分析的とかはどうか。
○ 分析的は入れたいけども、みなさんがやめろというのならそれでもよい。
○ 創造的というのでもいいのかなあと。
○ いずれにしても批判的という言葉は、文句を言うという意味合いがあるならそれは抜いた方がよい。この他についていかがか。ここも今までここでお出ししていたものを前に持ってきたために図をいれないで説明だけとなっていますが前の内容をおけばいいと考えて変えました。ちょっと混乱を招いてしまいましたが。
△ 27ページの(2)の第2段落目なんですが、あくまでも参考例として提示してのあくまでもはいらないような感じがする。
○ はじめの方にあった注の2とのかかわりで。これとります。その他よろしいか。27ページはいいとして。28ページ。
△ 大変申し訳ないが、28ページ、29ページあと次の30ページから33ページまで新たに事例が入っている。事例としては非常に分かりやすい事例ではあるが、むしろこういうのは今回は省くことで整理させていただいたので、申し訳ありませんがここは事例をはずさせていただきたい。これは今後、広報するときにまたはその教員の研修会のときに第二次取りまとめのここの部分は具体的に意図している事例はこういうことなんですよという時に出てくると整理したい。次に出てくる事例とかかわらせていただいて。よろしいでしょうか。28ページの「人権とは何か」、あと、その次の「人権を絵に書く」、30ページの「あなたならどう反応しますか」、31ページの「写真を読む」「不公平な扱いを受けた体験の共有」あと「聴くスキルをみがく」この部分に関しては、大変申し訳ありませんが削除をお願いしたいと思う。
○ これは、もともと私がルール違反として話したので大変申し訳ない。明らかに体裁の面から言っても約束にも反しておりまして。
△ 事例としては、分かりやすくていい事例だと思う。
こういうのは、今後、取りまとめを出したその次に第二次取りまとめの解説なり教員への普及を図っていく必要あると思う。その時にこの事例が生きてくると思うので、そのときに活用していただきたい。
○ よろしいか。33ページにいきましょうか。総合的な指導内容の部分である。これはまあ今までも検討した内容なんですが。あとこの学習指導要領の抜粋の部分は、一応これは第一次まとめで出されたものですね。それをさらに詳細に組み替えたものを資料として提供いただいているのですが検討できませんでした。
○ 34ページですか。総則のところで学習指導要領総則、高等学校の総則のその最後の所に人権指導うんぬんという言葉そのものが入っているんですよね。あの部分3行から4行くらいですか。入れてもいいんじゃないかと思うのですが。
△ はい。わかりました。
○ よろしいですか。それでは36ページ。ここは、私がちょっと朱を入れ積極的に関わろうとすればするほど、児童生徒は個人情報に接する度合いが増し、それだけ慎重な取り扱いが要求されるようになると、前にあったものを文章をつないだのだがよろしいですか。プライバシー保護、これは外務省の仮訳ですよね。ちょっとこれでいいのかという感じもあるが、一応こういう風に出ているので良いかと思う。
△ 確認する。
○ よろしいですか。
○ 表現の問題で申し訳ないんですが、本人や保護者からの同意の取り付けは同意をしっかり行ったうえでだけでいいのでは。同意を得てとか同意を得た上でとか。
○ そうですね。他にないですか。
○ 参考の35,36ページに英語は要らなくないか。
○ これが外務省訳なんですよ。私の見たところでは、訳語が少し気になるところがあるが、基本は、政府の出しているものはそのまま使うということしている。それでは37ページ。
○ よろしいですか。「協力的な学習」とあるんですけれども、ここのところの(1)のすぐ下のところは「協力」「参加」「体験」だが、下に来るとアが協力でイが参加でウが経験になっている。そろえた方がいいのかなと。
○ ただこれ「協力」「参加」「体験」と切るのは自分は少し抵抗がある。協力的な学習が、参画的な学習が、体験的な学習という意味合いでだした。
○ 経験を体験にするということでどうか。
○ 要するにこういう手法を考えないと従来のでは理解してもらえませんよということが基本に書きたかったんですけど。
○ 今現場では、経験学習が体験学習になっているので、その方がすっとはいる。
○ そこまではこだわっていないので体験なら体験で良い。
○ 学習サイクルというのが参考例に乗っているが、こういうので体験と言うのか。
○ もともとexperienceでちょっとニュアンスが違うんですよね。
○ 別にこれは参考例ですからね。ここは経験という言葉で。
○ 要するに、体験というときに体験そのものに意味があるというとらわれがちなんですが、私は、やはりそこにリフレクションとかジェネラリジェーションを入れながらでないと意味ないと。だから、そういう活動的な学習を座学的に偏してしまうことがあるので、特徴としてそれではだめだと言いたいので書きたかったんですけど。みなさん、ご意見いかがなんでしょう。協力とか、参加とか経験なんてことを日本の文脈だと体験という言葉が使われているけれど、いれるとかえって混乱するかと思う。
○ 文科省が「体験」を「経験」にしてしまったのかと、そういう見方で見る側は見ますので、例えば経験と書いて(体験)というように括弧で補うとか工夫していただければ別に良いかと思う。
○ 体験をもう一回見直してくれといいたい。
○ あの今そのことなんですけど、私が体験とか経験ということもあるのだけれども集積してもいいのかなと。ここでいう協力、参加と書いたときに協力する参加するその行為そのものが体験ということで。経験というのは体験に基づいたひとつのプロセスをたどるわけですよね。そういう意味合いからすると、ここではむしろウのところでは経験ということを人権育成の中で3番目に重視しようという捉え方があるのではないかと思う。
理解の仕方としてはまあ協力する参加するということそのものを体験するという押さえてですね体験・経験というのは選別して使っているのではないかという気がするんですね。現場でもそうですけど、括弧で補うにはちょっと一般化しすぎではないかなという気はする。
○ だから私は、経験というところを飛び越してすべて体験、体験と言っていないだろうかという懸念を持っている。研究者としては、ここのところはもう一回振り返ることが必要だろうという。これが私のスタンスなんですけど。それが混乱を与えるとしたら修正しても良い。
○ むしろ体験と書きますとむしろ説明の中で書いてあったらいいのではないか。体験という言葉が出てくるときに経験とどう違うのか。論争としてあった。だからむしろ体験の見直しという先生の今の本当にいいご指摘だと思いますが。
○ 現場ではかなり混乱しますよね。
○ やっぱり現場は体験一色。体験と経験があったらどうしたんだということになる。だから押谷さんが言っておられたニュアンスを入れるとか。
○ 体験という言葉でもいいんですけどもうちょっと、ただやらなければなければならないという感じででてくるんですよ。だったらそれをはじめの基本原理的なところでちょっと触れておけばその方がいいかなという意図なんですけど。以上なんですけど。
△ できればこれ預かりにさせていただいきたい。
○ そういうことでよろしいですか。
○ 表記中の問題なんですが、5行目6行目くらいですか。「考え・感じ・行動する」っていう表記ですが、感じ・考え・行動するといって使いましょうなんて言ってたこともあった。
○ 順としてはそういうことで預からせていただきます。
○ 参考例はとるという風に理解してよろしいか。これも生かすか。
○ 参考という文字は残しておく。
○ 経験についての3つが必要なんだけれどもこの図はそのうちのひとつをウのところだけの説明となっている。ということで理解してよろしいか。混乱するかしれません。
○ 混乱を防ぐような努力をする事も含めて預からせていただく。では、38ページにいきまして、これはすでに県としていただいた参考例の中味になりまして。参考例の中ですから修正どおりでいいか。40ページまでこれが続くんですけれども。それでは次は41ページ。これは発達段階に応じたものでこれも検討をすでにいただいたもので、もし何もなければ42ページ。ここは私が朱を入れましたけれども留意点ですので「~すること」で統一したということでよろしいか。中味はもうご覧になっていますので。それから44ページここが新たに効果的な学習教材の選定・開発というところでふたりの委員から答えていただきましたので私がかなり整理したものの中に私が手を入れたと。44ページ、45ページですね。もしご意見なければ参考例という形で載せたいと思います。46ページについてはよく分からないのだが、これも載せるとなれば参考例ということになるが何の説明もなくこの図だけを見ただけでどうか。
△ 要点的なことは44、45ページで書いてある。
○ 分かりにくい感じが私はしている。切ってよろしいか。
○ 44ページの参考例のほうなんですが、例えば命の大切さの指導にだけなっているでしょう。これ教材化で語呂をくくっているのだが、中味は教材なので、語呂を合わせるということでどうか。8番と9番は入れ替えたらどうか。
○ これも預けてほしい。
○ 45ページの5で、古典的な作品の教材化とあるが意味としては著作物ぐらいの意味ではないかと思う。6番目が児童生徒の作品となっているが、そうではなくて5番目は古典なのか。意図が何かありましたら。
○ これはまあようするに専門家が書いたものですよね。
○ ここで言っているのは古典ではないのではないか。古典というと万葉集とかになりますので、削除でもいいような気がする。
○ 古典的なを取ればよいか。
○ そうですね。それでよろしければ。
○ それでは第3章。47ページは、「気づき」を「感じ」にぐらいか。では48ページ。「が大切である」を「を忘れてはならない」とこれでいいですか。では、49ページ。「研修のため」のが「研修に関わる」、「全体研修計画」を「全体計画」これは研修計画でも大丈夫か。50ページもよろしい。51ページちょっと朱が入っているがよろしいでしょうか。
○ 全部これ例のところひとまずこれ全部参考例なので、横に参考例をつけたほうがよいのではないか。
○ 上に入れた方がよいのでは。
○ そこはまかせます。
○ 53ページはどうか。
○ 53ページのこの四角の中の四月の欄の方法のところで人権教育部会と書いてあるが、研究部の方がいいのではないか。前の国の部会では教育研究部だったので整合性をとった方がよい。
○ では、人権教育研究部とする。そのほかよろしいですか。54ページはタイトルを削るということで。
○ これも参考例にタイトルをつけるか。統一した方がよいか。
○ これはこちらに預けていただきたい。55ページ「などを踏まえ、策定することが望まれる。」を切ればよいか。57ページはどうか。
△ 57ページのこの(3)の効果的な研修の部分の位をひとつ落とした趣旨を教えていただきたいんですけど。
○ 教育委員会等における研修等の取り組みというのが(2)であり、その中に効果的な研修があるというような位置づけである。
△ 推進方針と推進体制でその後に調査の実施について、内容としては効果的な研修と。それはそれで分かるが、その反面、考え方によっては、横線の所が学校の研修の取り組み、教育委員会の研修の取り組み、まあ研修内容についてはこれは別項目でもいいと思う。内容的にひと項目を立てるぐらいの中味的には分量があるかなと思う。
○ では、(3)ということでかまわない。
○ 58ページ。59ページ。61ページ。一応全体を検討いただきました。ここで事務局の方から今後の日程についてご連絡お願いします。
△ その前に資料4だが、第一次とりまとめのときも参考資料として本文の後ろに関係資料を付けておりました。第二次とりまとめも同様に関係資料を付けていきたいと思います。その関係資料の案として出しているのが資料4である。資料4については多少直さないといけない部分があるにせよ基本的な路線は第一次とりまとめと同じものを取り上げさせてている。これに関して、委員からご意見が出ています。それは「人権のための国連10年」のことを少し触れておいた方がいいのではないかと言うことである。全部を掲載する必要はないんだけれども要点の部分だけでも抜粋の形で載せていったらどうかということですが、これについては掲載させていただいてよろしいでしょうか。
○ 世界計画の部分は。
△ 世界計画のところはちょっと悩んでいる。
○ 決議までか。
△ 決議自体は1枚程度なんですけど内容が逆にない。
○ 決議だけでも個人的にはのせたらいいと思うが。
国際的な状況の中で取り組んでくださいということなので、非常に大きな力になると思うんですが。
△ あくまでもその仮訳でしかないという懸念もあるんですが。
○ 仮訳でものせていただきたいと私は思う。
△ 了解した。資料4に関しては、後ろから3枚あるものをそれぞれ挿入していいきたいと思っている。委員の名簿の次、11年間のデザインに関しては、幼・保・小・中・高の連携ということでいれさせていただいております。
○ 学校名はずすということでよろしいか。
△ 学校名ははずします。推進計画のところは、本文中かなり項目が充実しているので逆に削らせていただく。一番最後のページのこの3年間のタイムテーブル、これを入れさせていただくことでよろしいでしょうか。前回会議で事務局より答申を付けさせていただいたが、今回は付けないつもりである。これで関係資料よろしいか。
○ 今の点よろしいか。
○ 違うことで。全体の語句なんですけど、参加体験型学習というのがあるが、これの説明について、注などで参加体験学習とはというのを付けておいた方がよいか。一般的ではないような気がする。参加・体験型学習という用語も入っていたような気がする。また、体験的な活動と体験的活動と体験活動の3つが混在しているでそれをどういう風に統一するなら統一するし、その場その場において使い分けるなら使い分けるということもぜひお願いしたい。
△ 一次取りまとめで体験的な活動と表記したんですが、二次取りまとめの方も体験的な活動で統一させていただきます。
○ 以上で終了したい。今後の流れをお願いします。
△ 資料3に書いてあるとおり、このうち少数の委員の先生方と最終的な文言のつめをさせていただき、皆様にはもう一度ご確認いただくため、メールを流させていただいて事後確認をお願いしたいと思います。10月の中旬くらいには最終的な形で取りまとめたい。10月26日人権教育セミナーにおいてとりまとめ(案)をつけた形で公開させていただきたい。その人権教育セミナーの場で各都道府県の指導主事、校長先生、実際に人権教育を担当している教員、そのリーダー格の先生を呼んで研修を行うのでその場でこの取りまとめ案について研修したいと思う。また、26日の公表とあわせてパブリックコメントをいただく形で意見募集を広報させていただきたい。意見募集を踏まえて、11月の下旬あたりに第21回会議を開催したいと思います。そこまで一般の方々から出てきた意見をふまえて第二次とりまとめ(案)をもう一度書き直してしていただき、取り入れられるものについては、取り入れた形で第二次取りまとめ(案)を抜いた形で、12月上旬ぐらいに公表できるような形に持っていきたい。以上の進め方で考えているが、いかがか。
○ 他にはよろしいか。それでは、本日はこれにて終了したい。
初等中等教育局児童生徒課