人権教育の指導方法等に関する調査研究会議(第2回) 議事要旨

1.日時

平成15年7月14日(月曜日) 15時~17時

2.場所

霞山会館 9階 「さくら」

3.議題

  1. 人権教育に関する現状と課題について
  2. 自由討議
  3. その他

4.出席者

委員

 福田座長、押谷座長代理、有村委員、伊藤委員、梅野委員、岡田委員、神山委員、塩委員、志水委員、菅原委員、高橋委員、林委員、森委員、山田委員、若井委員

文部科学省

 金森大臣官房審議官(初等中等教育局担当)、関児童生徒課長、鈴木児童生徒課課長補佐、高田人権擁護調査官補佐(法務省)他

5.議事要旨

 事務局から説明の後、自由討議を行った。主な内容は以下の通り。
(○:委員、△:事務局)

○ 文部科学省が主体となって、子どもの意識等に関する調査は行っていないか。また、旧総務庁や内閣府等の実施する意識調査に連携、協力しているのか。

△ 文部科学省でも、いじめなど個別の課題に特化した調査は行っているが、系統的・時系列的な手法での調査の多くは旧総務庁、内閣府が行っているところである。その際、青少年に関わりの深い調査については、調査項目の設定の段階で適宜相談するなどしている。

○ 親の世代の意識調査はないか。

△ 保護者や成人を対象とする調査についても、文部科学省や厚生労働省が、子育てや家庭教育などの観点から様々な調査を行っているが、まずは子ども自身の意識のあり方に重点をおいて、データを準備した。そのような資料についてもリクエストがあれば検討したい。

○ かつて、いじめや体罰について、一般社会の認識が低いために問題が根深くなったことがあったが、学校だけではどうにもならない。家庭、社会の関わりが重要な問題も多く、親の意識のあり方も気になるところである。

○ 人権意識というとき、人権をどのような概念として捉えるかで、議論に大きな影響を及ぼす。人権の私人間適用、第三者効力という考え方があるが、元々、人権とは国家と個人の関係がベースであり、人権意識とは、「国家は~してはいけない」「行政は~すべきである」といったことについて、どのように考えるかがベースになるのではなか。人権は国家を縛るものであるが、このような部分についての意識調査などはあるのか。

△ 子どもの発達段階を考えると、子どもにとっても身近な私人間の問題にポイントを当てて調査が行われているということではないかと考える。

○ 規範意識に関する調査結果を見ると、かなり犯罪的なことを容認する割合が高く、規範意識が弛緩しているとしか言いようがない実態があるが、一部には、このような問題について「たかが意識じゃないか」とか「実際に本人がやるとは限らない」など、犯罪行為を是認するような意識のあり方を問題としない向きもある。しかし、1982年に行われた、子どもの価値意識と非行行動についてのクロス調査では、価値意識と非行行動の間にかなり高い相関関係が見られており、「たかが意識」とはいえない問題であると考える。人権教育において、人権とは何なのかについて知識としてきちんと教えていくことは、子どもの意識のあり方にも関わることであり、子どもの意識のあり方をどうとらえるか、それを教育によってどのように変えていくのかについて、関心がある。

○ これまでいくつかの意識調査を行ったことがあるが、意識調査の結果は、子どもが望ましいと考える回答をすることもあり、必ずしも当てにならない側面もある。
 子どもに関わる意識のあり方については、子ども自身の評価と、上の世代による評価がある。数年前、ベテランの小・中・高等学校の先生に、「子ども達は変わったか」というテーマで聞き取り調査を実施したが、「子どもが心身ともに弱くなっている」という回答の割合が非常に高く、また、「子ども達が一対一の関係を求めたがる」という回答も多く見受けられた。この調査を実施した際に感じたのは、時代の変化に応じて実態として子どもの在り様が変わってきている部分と、年を取ると若い人間に厳しくなるというような、見る側と見られる側との関係性の中で、子どもが評価されるという部分があり、アンケート結果を見るときには、このような点には注意する必要がある。
 国際比較のデータについて、経年調査で他国との比較をしており、日本の子どもの状況について考える1つのきっかけとなるのではないか。国際的な視野で見たとき、日本の子ども達は、確かに自尊感情が低いところがあり、このような国際比較の調査結果を見ながら議論を始めることも1つの方法である。

○ 学校教育現場で一番危惧することは、自尊感情が低いことである。自尊感情が低いと、自分に誇りを持てない、また、他人の痛みに気付かなくなりやすい。
 次に、人権教育というと、どうしても「人権についての教育」、具体的な人権課題についての知識・理解が課題とされるが、人権感覚にも着目すべきであると痛切に感じる。その人権感覚の基礎となるものは、幼少期に大人から伝えられる正義感や公平性、社会貢献に関することについての感覚であり、それらを培っていく中で人権感覚が磨かれていくと思う。
 最後に、より効果的な学習方法の検討も重要な課題であり、スキルを身に付けるための参加体験型学習をどう活用するかなど、現場でもまだ整理できていないところである。人権、心の教育、という角度から精査しながら、現場で受け止めていきたい。

○ 人権意識と感覚は深く関わりがあり、また、知識がないと感覚も育たないという不可分の関係のものである。

○ 子ども達の各発達段階における課題、例えば小学校低学年で身に付けたい人権感覚または課題などについて整理したい。
 人権は人との関係性による部分が大きい。近年、いじめが減少している一方で、不登校が増加している状況であるが、いじめに起因する不登校など、不登校としてカウントされているもののいじめによって人権侵害がなされている、といった事例はかなりあるのではないか。
 1つの関係性の中でどのような感覚やスキルを身に付けていくか、という関係性に注目した部分も考える必要がある。学校での集団活動における体験などから、どのように人権意識、感覚を身に付けていくかについて検討する必要があり、そこからカリキュラム、教材開発などにもつながっていくのではないか。

○ 人間としての権利がどのように守られてきたかという体験が世代間で連鎖して見えないカリキュラムになる。見えないカリキュラムと見えるカリキュラムが連動しないと、子どもは大義名分だけを学ぶことになってしまう。見えないカリキュラムは家庭、地域、社会全体のものであるが、この見えないカリキュラムが不安定になっていることを意識した見えるカリキュラムづくりが大切ではないか。
 最近の学生、子ども達を見ていると、彼らは人を怖がっており、関係性を維持するためにメールでのやり取りをしている。一方で、ネット上では何をやってもよいという感覚もあり、個人名を挙げての誹謗中傷も見られる。ネットの中の人権をどうするかなど、今までと違った人権教育が必要ではないか。

○ 学校のカリキュラムなど、目に見えるものだけを対象にするということでなくてもよいのではないか。

○ 見えないカリキュラムのインパクトは大きい。教えられるのではなく、見て学ぶ部分も重要であり、例えば、子ども達に仲良くしろといっても、教師同士が仲悪くては効果がない。学力問題に関わって、基礎学力の標準が高く、できない層がいない、非常に頑張っている学校が見受けられる。人権教育の蓄積がある、ある学校では、「分からないことがあるときに分からないと言える学校にしよう」というスローガンを掲げ、授業では分からない子どもが大切にされている。教師が授業時間や休み時間を通じて児童に言葉かけをし、ある価値観・規範を子ども達に伝えようという了解の下、学校と子どもの関係、子ども同士の関係がしっかりと築かれている。見えるカリキュラムと見えないカリキュラムがうまく連動して全体として効果をあげている例である。

○ 本市では、中学生を対象とする「子どもフォーラム」や「夢トライ&チャレンジ」という、子ども主体の事業を開催し、生徒会活動の発表や、地域清掃などの子ども達の自発的な活動の支援などを行っている。時代の変化に伴い、意識調査の結果の数字が落ちている部分もあるが、子ども達の良いところに視点をおいて発信していくことが大切ではないかと考えている。イベント的な取組だけでなく、日常的に、子どもの良さを発信していく必要がある。教師もこのような方向性を理解はしているが、実際には、子ども達を肯定的には見ることが難しい場合もある。より一層意識して子どもの姿を肯定的に捉える必要がある。教師、保護者、地域の大人の姿から、見えないカリキュラムを子ども達は、感じとっている。学校における人権教育と大人の何気ない言動との関連性を、いかに子ども達への指導に結び付けていくかという課題がある。

○ 人権感覚、人権意識というとき、人権が満たされていない状態、差別されている状態をどう感じ、考えるか、という部分が強調されがちであり、人権が満たされている部分の感覚・意識が欠けているのではないか。自分の人権が尊重されていると感じてこそ、相手の人権も尊重しようとするのである。人権が満たされない部分ばかりを考えるのではなく、発想の転換が必要ではないかと考える。

○ 各学年、各領域で、自由権・平等権・社会権など幅広い人権をどのように扱っているのかについて、意識的に、分析的に見ることにより、人権教育の現状と課題が明らかになるのではないか。各都道府県等で人権教育の指導資料や教材等を作成する指導主事、それらに基づき授業を行う教師、学習者がそれぞれ何を課題として感じているか、学習者は知識以外の部分で何を学んでいるのかなど、それぞれの意識を分類して多面的・分析的に見ることにより、人権教育の現状と課題がより鮮明に見えていくのではないかと考える。

○ 県では、現在、中学生と高校生のための人権教育資料の作成に取り組んでいるところであり、自尊感情、権利意識、人間関係能力やそれに関連するスキル、参画能力などの概念を盛り込んでいきたいと考えている。アサーショントレーニングやピアサポートなど教育相談的手法も取り入れながら、人権感覚を養っていく必要がある。

○ 人権教育は単なる心の問題ではなく、学校教育において、発達段階に即して、道徳教育、心の在り様の問題と法律関係の事柄とを結び付けて、子ども達に理解させることが必要である。人権教育は単なる心の問題ではなく、人間は関係的存在であり、人間関係の中で生きているということを意識させることが大切である。人権教育は様々な切口があり、各学校の実情を踏まえて効果的に進められるべきものであるが、教科書の記述等も参考にして、各学校の実践に際しての有効な手がかりになるような提案をできるかについて、考えていく必要がある。その中でも特に、生命の固有の権利を人権教育の根本に据え、命の問題を軽く考える状況をいかに克服するのかについて、意を用いる必要がある。

○ 長崎県の事件にも見られるように、メディア等の影響によって、人権が「加害者の人権」「被害者の人権」など個別化して論じられ、総体として人権がどう扱われているかに関する規範が理解されていない状況がある。人権の中でも何を優先すべきか、ということに関する価値観が確立されないままに、個々の人権が相対化されて論じられている状況の中で、統一的・効果的な人権教育がなされていない。人権には相対化してはいけない部分がある、ということの理解を欠いたままで人権を相対化していくと、命の大切さを第一に考えることは容易ではない。このような状況を克服するトレーニングプログラムのようなものがないか、考えていく必要がある。

○ 子ども達が人権を学ぶ過程において、その人権が尊重されていることが重要な課題である。本市では、人権教育の一環として、人権のまちづくり、学校づくり、クラスづくりなどに取り組んでおり、このようなプラス志向・未来志向型の人権教育の方向性にも光を当てる必要がある。
 また、本市では、2年前、3年間かけて、実践事例等を盛り込んだ人権教育プログラ ムを作成し、昨年度は、学習教材の取りまとめをしたところであるが、作成に当たっては、スキル・態度を培うような学習の位置付け、地域と学校の連携やコミュニティづくり、心の教育と人権教育の関わり、などに視点を当てて取り組んだ。

○ 権利・義務をどうバランスよく教育するかが問われるところである。最近の学生は、同和地区の人が大学の講義で話をしている最中に平気で教室から出て行くなど、かつてでは考えられないようなことがある。また一方では、とても良い感想文を書くことができる繊細な学生が増えている。このような繊細な学生は、対面状況での自己表現が苦手な場合が多いが、自尊感情を伸ばすためにも、対面での自己表現ができれば効果があるのではないかと考える。

○ ツーリングで高校生が死亡した事故が起きた際に、先生が「勉強していた生徒が死んで、あまり勉強していない生徒がなんで、、、」という発言をしたが、全国の児童生徒にどれだけのショックを与えたか分からない。先生が人権に反することをしていては、人権教育も実を伴わない。学校だけでなく、家庭、地域が一体となって取り組む必要がある。

○ 隠れたカリキュラムは、暗黙のやり方など、先生の側にもあるだろう。確かに、教師の規範意識が低下している面もあるだろうが、人権に関わる個別具体的なケースに対する考え方や対応の仕方を単純に知らないという面もあるのではないか。抽象的に「人権は大事である」と言われても、先生方は個々のケースへの対処の仕方が分からないために、指導を徹底できずに及び腰になってしまう。このような状況の中で、正確な理解を欠いた暗黙のやり方などの隠れたカリキュラムが蓄積し、無力感だけが募るようになる状況はよくない。どこまでの指導が可能なのか、何が人権侵害に当たるのかなどについて、これまでの事例や判例等を整理し、先生方が個別のケースに対応する際に閲覧できるガイドラインのようなものが必要ではないか。

 事務局より、次回以降の日程等について説明をした後、閉会。

(以上)

お問合せ先

初等中等教育局児童生徒課