資料4_第6回会議発言要旨


(主な発言要旨)
【教員養成学部のカリキュラムや組織の改革】
・主査ペーパーの中で,開設すべき授業科目として「最新の教育改革の動向を踏まえた内容」があるが,「チーム学校」を支えられる能力やカリキュラムマネジメントなどが今まさに求められている。
・小学校の英語教育は,教員養成課程でも非常に求められるものであり,社会に一度出た方を呼び戻すニーズもある。このような必然性にも触れると一般の人に分かりやすい。
・次期学習指導要領の理念である「社会に開かれた教育課程」の実現のためには,地域との連携協働の姿勢も必要であり,それらもきちんとカリキュラムに位置付けられなければ,実践力の育成には物足りない。
・国立教員養成大学・学部は,企業や他学部等との幅広い教育研究の連携を強化すべき。今後「AI時代」など大きな社会変化を迎えた時に,従来の教育学部で考えていたような対応ではひと回りもふた回りも遅れていく。
・教員養成学部の入学定員が減り,免許法も変わる大変動の中で,教育の実態に合った教員配置が必要。国が大まかな教員配置の基準を設けてほしい。大学では,学部の中でどこの講座の教員が多い,少ないなど不平不満があり,基準がないために水掛け論になる。
・教職大学院でカリキュラムの認定基準が変わることで,ゆくゆくは学部にも及び全体的な改革につながっていけばいい。免許法が基準であり,それを受けて課程認定基準や学部の設置基準等を示してほしい。
・本校がコミュニティスクールの取組を始めた頃の中学生で,当時,生徒としてそれを体験した学生が,今,教員としてコミュニティスクールに関わろうとしている。こういった動きの促進のためには,学校現場・教育委員会・大学の連携が重要であり,それができるのが国立大学の強みなので,大学のカリキュラムにしっかりと位置付けるべき。
・免許法施行規則に「臨床教科教育学」等の各教科を横断した学問項目を設定することや,同規則の「教育の方法及び技術」等の但し書きに「臨床的な手法を含む」等を加えること,科研費の細目表に各教科を横断した細目名を設定して大学教員の意識改革を後押しすること等が考えられる。

【理論と実践】
・平成20年に教職大学院ができた時から,理論と実践が融合的にできる人を教職大学院の担当教員とする発想があり,そのことを確認的に提言したのが平成24年の中教審答申と翌年の協力者会議報告。
・専門の内容を教科専門の教員が語り,それを授業として考えた場合にどうかを教科教育の先生と一緒になって話をし,学生を含めた三者で議論するスタイルの授業はわかりやすい。
・理論と実践の融合は,換言すると,子供に教えようとする内容としての文化遺産を教育現場にどうつなげていくかという,文化と教育の融合。改革に消極的な教員が危惧しているのは,文化の良さやすごさ,学ぶことの面白さがしっかり確保されるのかという点。
・教育学は元々,理論と実践が統合された学問であり,その理念が実際の大学の授業で行われなければいけない。教育の実践を対象とした教育研究が必要。
・難しいのは,理論と実践と言った場合の理論の中身。教員が実践をする時によりどころにするのはその人の内側にある理論であり,私たちが日頃言っている理論は外付けの理論。外付けの理論についての評価はいくらしても内なる理論に変わることはない。内なる理論の構築のプロセスに,どうやったら外付けの理論が加わることができるかを論議したい。
・高度な職人としての力を付けるためには論文が必要だが,その論文は数値化したり,他と比較したりする形の客観的な科学論文の体裁ではなく,むしろ当事者論文,当事者研究でいい。自分がこれまでやってきたことを整理し,新たな知見を加えて自分の内なる理論に作り直していく論文をきちんと位置付けるべき。
・高度な職人とその科学論文とは全く違うものなのか。高度な職人芸を持つためには「見る」ことも大切だが,それを科学論文として理論化していくことも作業として必要。教員は今までデータとして出しつつ職人芸も示す,ということができていなかった。
・実践と理論をつなげるのではなく文化と教育をつなげるとの話があったが,文化と教育の両方を伝えたらいい。しかし,文化だけ語っている人も多い。文化と教育をつなげる,科学と教育をつなげる,このつなげる作業を理論化して後輩に教えていければ,教員養成学部は教員養成を担う組織として成り立つ。

【教科専門,教科教育,教職教育】
・アメリカの小学校教員養成の場合,教養教育の段階では数学や体育等の勉強が必要だが,教員養成課程に入ってからは教科に関する科目の授業はほとんどない。2年半ほどの間に,教育の基礎理論,指導法,教育課程論,教育実習,教育実習など,日本でいえば教職に関する科目を多く学ぶ。
・日本では,60年代に教科重視となったことにより教科教育の教員が多くなり,教員養成学部の半分以上を占めている。88年の免許法改正で教科に関する科目が減り教職科目が増えたが,免許法や課程認定の基準と比べた教員養成学部の教員配置とはかなり矛盾している。教員組織はこれまで小手先でいじってきたため,大きな変化に対応できなかった。
・教科専門の先生は,相当しっかりした人選や,資格・能力を問うことが必要。そのために,例えば教職大学院の教科専門の教員に求められる資質や能力は何かを具体的に示し,それを教科専門の教員の目標にして取り組んでいただく。
・これまで教科専門の教員の基準がなく,その基準を目指した育成もなかった。自分で学会等に所属して勉強して論文を書けば評価はされるので,それにしか目が行かないことが続いてきた。それを抜本的に変える方向で進めたい。ただし,大事なのは,最初から排除することではなく,目標を示して,可能な先生をできるだけ巻き込んでいくこと。

【教職大学院の質の確保】
・教職大学院の量的な拡大が一段落し,次は質の保証を図ることが重要な段階。カリキュラムをいくら縛っても,教育の質を決めるのは教員であり,教員の資質を保障するために,分かりやすい基準を定めることが必要。
・教科教育の領域を取り込むにあたり,安易に修士課程から教職大学院に移行するのではなく,きちんと精査すべき。研究者教員あるいは実務家教員の明確な基準を確認しつつ,修士課程の教員が移行に向けた努力目標を明確に見えるようにすることが重要。

【教職大学院の教員の業績の評価】
・実務家教員の中で学術研究の業績を持つ人は多くない。大学院生に「理論と実践の融合」を求めているが,教える側の教員にとっても難しいことを学生に求めるのは無理がある。
・研究の業績については,長い学術研究の歴史の中で一定の評価方法が確立されているが,実務業績に関しては評価方法があいまい。教職大学院では10~15年程度の現職経験を持つ院生も学んでおり,そこで教える教員の基準が単に実務経験20年程度等の期間の目安であることは疑問。研究者教員の実務業績のカウントの基準づくりが重要。
・実務の業績の評価にもピアレビューの視点が必要。学術研究の査読に当たるものとして,現職教員を主な対象とする雑誌や書籍の業績を評価するべき。
・上越教育大学の教員選考基準では,実践研究業績について,ISBNを持つ教師向け書籍における連続10ページ以上の単著もしくは分担等の基準を設けている。
・教職大学院のスタッフの半数以上は,研究と実務の業績をともに持つ教員で占めることが望ましい。その場合の最低必要人数は,専任スタッフの中での割合で定めるべき。そのような措置を取っている大学に対しては,移行期間中,研究と実践の両方の業績を持つ必要教員数について,例えば1人を2人とカウントする等のインセンティブを設けるべき。
・研究者教員でも,授業研究に頻繁に呼ばれて学校教員と一体的に授業研究をしたり,いじめなど諸々の教育相談的な内容に関わっていたりという経験は,実務的な業績としてカウントすべき。
・ある実務家教員は,研究成果を学術論文を引用しながら書籍で発表しており,3年間で30~40冊に上るが,それら書籍が書店に並ぶことも理論と実践の往還の一つの在り方。今後は「理論と実践の往還」から,「実践と理論の往還」の段階に入っていく。

【教職大学院の規模や在り方】
・毎年の新規の教員数2~3万人のうち教職大学院の卒業生は約1,500人で1割にも満たない。1,500人のうち半数以上が現職教員のため実際には5%にも満たない。教職大学院がいかに期待に応えられるものになっても,この割合では学校改革を支える人数にならない。
・既存の教職大学院が,周囲にある教員養成に携わる大学を取り込み,連合の形を組んで教職大学院を増やす方法が考えられる。
・西洋型の教育学部には,教科専門の先生方はあまりいない。今の日本の教員養成学部にそれがいるのは,旧師範学校の系統や旧高等学校を引きずって,それに合わせて免許法と教員養成学部の構成が決定された経緯があるため。この教科専門の先生方がいることが,世界に類のない新しい教員養成の在り方を示すことにつながり得る。それを具現化するため,教科内容の先生方が入った教職大学院を作ろうとしている,そういう方向でこの会議では意見をまとめようとしていると理解している。

【教職大学院のカリキュラム】
・可能な限り教職大学院を大きくする手立てを取るべき。その場合,教科教育の領域を取り込むことが必要だが,カリキュラムマネジメントや,学校の実践研究を支えるイメージを明確にしたカリキュラムを提示することが必要。
・教職大学院への教科領域コースの設置について,学校現場の実情に即した実践的な授業の提供が必要。研修の内容が個人の研究や実践のレベルにとどまらず,その教員が組織のリーダーとして学校全体の授業づくりを牽引できる力を備えられるような,組織マネジメント的な理論も含むカリキュラムが必要。

【教職大学院と学部や博士課程との関係】
・多様な実務家教員が大学の中に入ってこられる仕組み,中堅の若い先生が大学に来て教育委員会に戻って行ける仕組み,教員でドクターまで上がった方が実務家教員としてもう一回採用される仕組み等への見直しが必要。
・教職大学院を作る意味の一つは,学部の教育にいい影響を与えること。教育学部の教員の理論と実践を往還できる能力を育て,それを学部生の教育に活かし,教職大学院や地域の教育にも活かす。このような形で,Ph.D.を持つ教員に「現場に行かなくてはいけない」と思わせるプロセスを示すことが,改革を望まない教育学部の教員に道筋を示すことになる。

【修士課程からの移行】
・教職大学院に移りたくない人たちも気持ちを変えて何らかの踏み出しができるような手順や目標を示すことが必要。
・理論と実践を融合した教員を教職大学院の中に移行措置を設けながら増やし,教職大学院と修士課程との融合をまず成し遂げた上で,実践家であり研究家である教員を増やす。その中で,教育委員会との交流人事として若い先生を学部の准教授として入れ,博士課程にも籍を置いて博士課程ではEd.D.を目指すとともに,学部の授業において実践的な研究を広める,という一つの流れを作るべき。

【教職大学院の活用方策】
・国立教員養成大学・学部の教員就職率は6割であり,逆に言うと4割の教員免許を持った教員でない社会人を輩出している。それらの人材が5年,10年経った後に教職大学院で学んで教員になるというキャリアパスなど,複線的な教職大学院の生かし方が重要。
・免許を持たない方が民間から教員になりたいと大学院に免許を取りに来るケースは結構あるが,免許を持っている人が教職大学院で学び直しをして教育の世界に入ることはなかなかないので,そのような仕掛けができるのはいいこと。
・免許を持っている方を大学院に呼び戻して学校現場に行かせるのは,質の向上や維持が大前提となるが,様々な経験や社会で学んだ専門分野も持っている方々であり,多様性を高める面でいい取組になる。

【Ed.D.】
・理論と実践が融合的にできる教員を置くための制度的な方法としてEd.D.がある。学校現場で実践を積んだ修士レベルの学位を持つ教員がEd.D.の中で3~5年間,徹底的に研究の指導を受けることで,大学教員として教職大学院を担当することが可能になる。
・Ph.D.型の研究者は,Ed.D.の過程の中で,実証的あるいは臨床的な研究を積むことで教職大学院担当教員になる。これは教職大学院の担当に限らず,教員養成系の学部を担う教員としても非常に重要な資質。

【附属学校の在り方】
・資料1の附属学校の在り方について,「子供の貧困等,従来の附属学校では取組が弱かった教育課題を対象とした研究の率先実施」とあるが,現実にそのようなことができるのか。「教育実習学校から教員研修学校への重点シフト」とあるが,何をどう変えればいいのかなど,附属学校の在り方はもう少し整理すべき。
・地域のモデル校という位置付けをするのであれば,その基本的な部分,すなわち,入口である入試も含めて,エリート校をなくせという指摘に関する点にも踏み込んで検討すべき。
・臨床の学である教育学や教員養成が,実習や実践をする場である附属学校を手離せば,もう教育学部ではない。様々な問題はあるが,附属学校抜きの教育学部はあり得ない。
・福井県では共働きが6~7割を占めているが,共働きの家庭は附属学校に子供を入学させられない。というのは,国の学校なので国から補助金をもらうことができないために,附属小学校では同校の子のための放課後児童クラブが設置できず,幼稚園では認定こども園への切り替えができない。いろいろな子供たちが入ってこられる条件を作り出したくても,現状では難しい。
・校種間の研究開発,例えば幼稚園,保育所と小学校のつなぎ方,小学校と中学校のつなぎ方,インクルーシブ教育をどう実現するか等について,附属学校はそれらの学校すべてを含んでおり,学校間の協力関係を作る中で,通常の学校ではできない取組が提案できる。
・附属学校の在り方や役割を見直す時期に来ていることを書き込むべき。一つは地域との連携の観点,もう一つは選抜の在り方や子供の構成の見直しの観点。
・大学の総人件費の減少の中で,附属学校の教員数だけが変わらず,学部の教員数は減っており,大学は経営が苦しい。附属学校の評価は地元の県教委や市教委のニーズとのバランスによって決まる。地域から望まれていないのならやめる学校があってもおかしくないし,地域からこれだけ望まれているのだから維持しなければと頑張っている学校もある。
・東京学芸大学は附属小金井小学校で学童保育をやっているが,小金井市と連携して,その地域の核になるハブの学童保育にすることで実施が可能となった。学生が集まるので,そこで開発したプログラムを提供したり,学生が出前ティーチャーとして地域の学童保育に出向く場面を作ったりすることで,地域から補助金が出ている。

【附属学校のモデル性】
・附属学校については,公立学校のモデル校にはなれない,エリート校であることで教育格差を助長しているとの意見もあったが,それでも附属学校はモデルになり得る,新しい役割が担える,ということを示さないといけない。
・東京学芸大学は附属中学校・小学校で貧困をテーマにしたプロジェクトを進めている。附属学校が貧困という問題にどう役割を果たし得るのかのモデルを形成しようとしている。
・附属が地域の公立学校のモデル校になり得るかどうかは,その入口の部分が大きく関わる。附属学校にも貧困家庭もあれば特別支援が必要な子供もいるが,外からは特別な学校と見られているならば,入学者選抜まで踏み込んで改革する必要がある。
・子供の貧困対策については,附属学校での取組が地域の公立学校に解決策を提示することを目指して取り組んでいる。主権者教育の一環としての財政教育の全国展開に向けたパイロット的な取組が,公立学校においてモデルとして活用される実績も生まれている。
・貧困等の問題について,岡山市内にはモデル地域があってすでに保幼小中で連携してやっている。附属学校が貧困対策をやってもモデルにはならない現実があり,しかも加配もない。公立学校と連携して,附属学校がやれるところとやれないところは何かを詰めるべき。
・貧困については,附属学校がショールームのような形でモデルを示すのではなく,むしろ附属が「拠点」になって,地域と連携して地域全体の貧困対策を支援していくべき。


【教育実習校から教員研修学校へ】
・教育実習校から教員研修学校へのシフトは当然。就業前の4年間をターゲットにした教員養成から,生涯にわたって学び続ける教職生活全体を支える教職大学院ができた以上,教員の成長のために附属学校で研修等ができる体制を作るべき。
・都道府県の教員研修センターには子供がいないが,目の前に子供がいて,子供どう力を付けるかを考えられる附属学校の役割は大きい。教員が附属学校に来て不足している免許を取得することや,教職大学院に入りやすい条件を提供できることも附属学校の良さ。
・附属学校の教員は,多くの地方では教育委員会との人事交流。交流そのものが研修と言えるが,その研修の役割を附属学校がしっかり果たしているかも評価の一つ。

【附属学校の評価】
・附属学校の役割や価値がこれだけ問い直されるのは,附属学校がどれだけすばらしいことをやっても,その実践を測って評価する確固たる物差しがないため。せっかく教育学という学問があって専門家がいるのだから,その物差しを打ち立てることが必要。
・学校が何をやってきたかよりも,何をアウトプットできるかで附属学校の価値を判断するべき。シンプルに一般の人に分かりやすい「うちの研究成果についての本がこんなに売れている」「うちの研究会にはこんなに人が集まる」というものをアウトプットすべき。
・この会議でも話題になった大分大学附属小学校を訪問したが,午後7時になれば本当に教員が帰宅し,限られた時間の中で非常に効率的な運営をしている。皆が本当にいいと認め,かつ皆が真似できるような授業をやっていることがすばらしい。
・実践についてのピアレビューや評価のシステムを確立し,それを大学や教育学の専門家がきちんと認めていくシステムが必要。

【その他】
・主査ペーパーや資料1で大きな方向性は出たので,今後は方向性を示すだけではなく,具体的な中身をいくつかの選択肢を示す形で示すべき。
・設置審査は文部科学省の大学振興課,課程認定は初等中等教育局の教職員課が担当であることの問題も報告書に書くべき。


お問合せ先

総合教育政策局教育人材政策課教員養成企画室

電話番号:03-5253-4111(内線2909)

(総合教育政策局教育人材政策課教員養成企画室)