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国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議

2002/01/25  議事録
国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議「連絡調整委員会(第5回)」議事要旨

国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議
「連絡調整委員会(第5回)」議事要旨
   
1    日   時 平成14年1月25日(金)14:00〜16:00
           
2    場   所 虎ノ門パストラル「ローレル」
           
3    出席者    
    (委   員) 長尾   真(主査)、中嶋嶺雄、阿部博之、阿部充夫(副主査)、渡邉正太郎、松尾   稔、小出忠孝、堀田凱樹、梶井   功、河野俊二、田中健藏、鈴木章夫、石   弘光の各委員
    (関係者) 荻上紘一、奥島孝康
    (文部科学省) 工藤智規高等教育局長、遠藤昭雄研究振興局長、清水   潔高等局審議官、坂田東一振興局審議官、樋口修資人事課長、森口泰孝会計課長、板東久美子高等教育企画課長、合田隆史大学課長、吉川   晃学術機関課長、杉野   剛大学改革推進室長、   他
       
議   事
(1) 開   会
     
(2) 主査から、第4回議事要旨(案)の取扱いについて説明があり、2月1日(金)までに意見があれば事務局に連絡の上、修正し、文部科学省のホームページで公開することとされた。
     
(3) 事務局から、資料3『運営組織の具体案について』について説明があった後、以下のような意見交換が行われた。(○印は委員及び関係者の発言、◇は事務局の発言)
     
      このバリエーションの案の1の(3)に「ただし、特定の重要事項については」とあるが、この「特定の重要事項」は法律か何かで予め定めるということをいっているのか。
     
      公的な機関の運営組織の制度としては、通常は法令で特定の重要事項を定めるのが通例かと思われるので、そのようなイメージで書いている。必ずしもそのようなことばかりではないが、平たく考えれば通常はそのようなことが法令上列記されるということではないかと考えている。
     
       そうすると、バリエーションの案の1の図の下の注に書いてあるような各大学の裁量を認めようとする場合には、書き加えることをキチンとしないといけないことになる。
     
       したがって、そのような場合には法令上ある程度実効を上げる場合であっても、その他各大学で定める事項をあわせて規定するとか、あるいはそのような重要事項を列記した上で、必ず各大学の裁量に委ねられる部分があるのだということをはっきりと法令上書いておくようにするというのが注のところである。
     
       案の2の方では、そもそも役員会の議決は各大学によって行うか行わないかを決めるということであり、重要事項については当然大学が指定するという理解でよいのか。
     
       むしろ案の2は、そもそも重要事項を議決するという仕組みを入れるか入れないかを大学に選択させるからには、逆に言えば重要事項は何かということぐらいは法令上書いておくということである。重要事項を議決するという仕組みを入れるか入れないかは各大学の判断であるという部分で、大学の裁量を認めるということがまず考えられると思う。論理的に言えば、どちらも全て各大学の裁量に委ねるということもありえると思うが、そうなればそもそもそのような制度をわざわざ書く理由はないのではないかということになる。入れるか入れないかも、中身も自由であるということになると、そのようなことをわざわざ制度化する意味はないということになってしまうので、むしろ案の2の場合は重要事項は法令上きちんと書き、その上で、重要事項を議決するという制度を入れるか入れないかは各大学の裁量に委ねるという意味のバリエーションであると思う。
     
       (3)は案の1、案の2ともそのような意味に読める、読もうということか。
     
       そのような意味で作成している。
     
       読みようによっては結局同じではないかという気がしないでもない。案の1に注で書いてあるように、重要事項の内容について各大学の裁量を認めるのであれば、法令で重要事項を特定したり例を書いたりしたとしても、少なくてもその事項に捕らわれないので我が大学はどれも重要事項としない、というケースを作るとすれば、これはバリエーションの案の2と結果的に同じになる。したがって、案の1で重要事項をある程度法令でいくつか決めて、それ以外にその他いろいろなことでもというように書いておいて、そこは自由である、というならば案の2とは違うという言い方が出来るが、このままでは結局は同じではないかという見方が出来るのではないかと思う。
     
       今のご指摘は実はそのとおりであると思っており、突き詰めて言えばかなり似てくる部分があると思う。ただし、案の1をとった場合には全く重要事項を定めないということはありえないわけであり、必ず各大学は、議決を経る重要事項を定めるということになる。ただし、中身については各大学に一定の幅はあるということになるのではないかと思っている。今お話があったように、そもそも案の1の場合にあっても重要事項の中身を全て各大学に任せてしまうのかどうかということは大きな議論があるのではないかと思う。せめて例示を挙げておくというようなことが必要ではないかという議論はあるのではないかと思う。
     
       私はC案を中心でいくべきではないかということをずっと主張をしてきた。今回、各大学その他からも、B案が主体ではあるけれどもC案の良いところも借りる要素は十分にあるのではないか、というようなコメントも多くあるように思う。それでこのバリエーションも工夫されて、例えば、運営協議会も学外の有識者だけということであれば、やはりそこは意思疎通が欠けるということで、役員等の学内の関係者が入るというのは非常に意味があるのではないかと思う。もともと評議会にまで学外の人が入るということは、効率性に欠けるという面があり、評議会は学内代表者で運営するということで整理されたのではないかと思う。したがって、一番真ん中の役員会の意思決定の透明性をどのように担保するかということが組織運営上の最大の問題であると思う。法人化して大学そのものに運営自治というものが大幅に任されるというか寄託されるわけであり、やはりそこでなされる意思決定、また意思決定の過程における透明性というものが担保されなければ、ある意味やりようによっては学長のワンマンコントロールも可能になるというリスクも含んでいる。私共、産業界も今、ガバナンスの問題を突きつけられて色々な方法で模索しているわけだが、その要件は内輪だけの論理で全てを諮っていたらだめであるというのが結論である。したがって、一つは自主運営の意思決定機関というものを学長だけのワンマンにするのか、あるいはこのような機関を一応作っておくのかということである。また副学長がいるという意見もあるが、副学長そのものは大体が学長の意によって選択されるわけであり、今まで日本の会社が問題であったのは、全部社長が役員を決めて、そのような取締役会で運営していたということに色々なガバナンス上の問題があったということであり、私はこのバリエーションは色々工夫されているのではないかと思う。したがって、学長、副学長等の方々と学外者が含まれている役員会の中で重要なことは意思決定を行うことである。しかし、その意思決定に基づいて意思決定の主体者である学長が役員会のバックのもとに十分な執行運営を行うというほうが、これからの大学の自主運営にとって、タックスペイヤーからの目あるいは大学の自主運営の透明性が必要であり、個人の意志決定というのは、誰が透明性を確保するかというと本人しかいないわけであり、バリエーションの整理というのは重要であると思う。世間の評価とすれば、明らかに学長一人に任されるよりもこのような機関決定のガバナンスのほうが外部評価は高まっていくのではないかと感じており、バリエーションの案の1をそのような点で優れた改良案ではないかと受け取った。
     
       ここでの議論は、以前に出ていたB案とC案とバリエーションの案の1、あるいはその他の案というようなことをよく議論して、最終的には何かの形に絞り込んでいくということは必要である。したがって比較検討の上これが良いという見方をしていただくと大変ありがたいと思う。今のお話しはそういった意味では案の1がこの4つの案の中では一番よいということか。
     
       そのとおりである。
     
       役員会は、だいたいどのくらいの頻度で行われるものなのか。私は相当な頻度で行われるのではないかと思う。頻繁に行われる役員会に、非常勤の方もあるいは学外者の方も含めてそんなに開催できるものかどうか少し疑問に思う。いったいどのくらいの頻度を考えて役員会というものを行うのか。以前学長をやっていたときには事実上の役員会のようなものを行っていたし、各大学でもそれぞれ行っていると思う。副学長がいるならば副学長、それに局長を加えて事実上の役員会のような形で運営を行っていた。それは常勤だけで、ある意味副学長と部局長だけであるため、毎週でも行うという形でやっている。重要事項の案を考えたり、あるいは具体的な執行という面もあったが、事実上の役員会というものは今までも機能していた。部局長会議という規定は何もないが、どこの大学でも部局長会議は重要な役割を果たしていたと思う。そのような点から言えば、私はむしろ案の2のほうがそれに近いという感じで見ていたが、そうすると実際に役員会の頻度というものをどのように考えるのかということが非常に気になる。特に各方面からのご指摘で、学外者という場合には、少々責任ある形で常時大学のことをみているわけではないため、すべてを押しつけるのもどうかと思う。学外者も含めた役員会の頻度をどのように考えているのか、具体的に考えてみると気になるということである。
     
       民間会社と大学運営は必ずしも同じではないと思うが、民間ではこのような役員会は基本的に一ヶ月に1回程度開かれ、重要決定を何にするかということがあるが、そんなに日常茶飯事に重要決定ばかりあるのではないと思う。したがって役員会の規模を何人くらいと考えているのかということである。民間は、一時期30人位と多かったが、大体スモールミーティングで10人前後という一つの規模が標準になろうとしている。社内者と社外者の割合は、アメリカ的にいくと社外者の方が多いが、日本的にいくと社内者の方が多い。そうすると10人規模で社外者は何人くらいと考えるべきなのか、この辺りの具体的なイメージがないと、ということであると思う。おそらく10人で役員会がスタートすると社外の者は3人程度が最適ではないかと思う。日本のいろいろな委員会の規模からいって、いきなり社外の者が半分くらいというアメリカ的なことを考えている会社は、会社としては少ないと思う。したがって、大学の役員会として月1回程度あるいは二ヶ月に1回で良いのか、あるいは一ヶ月に1回以上ということはないと思う。役員会という規模、学長や副学長の学内者とその中に学外の人を何人にするかという組織イメージを具体的に出された方が色々考えやすくなるのではないかと思う。
     
       今、お話のあった規模や頻度について、各大学ともそろそろ中身を検討しはじめていると思うが、我が大学は、役員会なるものは学長と副学長の3人と常勤の内部の人、学外者で非常勤の5,6人と考えている。これは決めているわけではないが、確かに学外者を入れると役員会は頻繁に開かれないということになる。そこで評議会や役員会の間に部局長会議は必要だろうと思い、部局長会議が実際に動かしているということになり、この部局長会議がかなりの高い頻度で開かれれば、役員会は最後にオーソライズされるところであるため、少なくとも部局長会議より頻度が多いということは多分ないと思う。月1回か月2回になるかはわからないが、そのようなイメージで我々は考えているが、各大学の事情があるのではないかと思う。一つ意見を申し上げたいのは、B案、C案、バリエーションの案の1、案の2というように4つ案が出ており、この中で選んではどうかというご提案であると思うが、B案、C案の折衷案ということでバリエーションの案の1、案の2がでてきて、フレームは私はこちらが良いと思っている。大きなフレームとして役員会を作り、左右に運営協議会と評議会をつけて教学と経営を分け、真中が意見するという形である。問題はこの役員会の中の議決権をどれだけ肯定化するか、あるいは強制するか選択するかという点である。私の理解では、大きなフレームは案の1の方がよく、後は中身の問題の判断であろうと考えている。そこで我が大学としては議決権をもたせるという意見であったが、それは学長の暴走があってはならないという発想である。そこである程度リスキーなルールであれ、チェック機能が必要ということである。おそらく学長に対してリコール権を認めているところが出てくると同時に、リコール権は年中出せるものではないため、ある案件について暴走しそうなときには、ということを思っているのだが、ただ実際にはどこの大学でも行われていると思うが、部局長会議も評議会も大体議長がこれでいきましょうというときには議決など行わなくても自ずから議決ができるような審議状態になるため、私は案の1でも案の2でも具体的に実態面からみればそう変わらないと思いつつも、世の中に対していうならば学長一人が決めているのではなく、しかるべき役員会でしっかりと審議されているというイメージのほうが世の中の通りは良いかと思う。そうなると案の1ということになるのかも知れないが、各大学、大きい大学も小さい大学もあるため、選択という意味においては別に案の2でも案の1とはそれ程大きな差がないと思う。要するにバリエーションだけとれば別にどちらでも良いというのが私の意見である。
     
       今度の国立大学の法人化の案は、ある意味で国立大学の私学化ではないかと思う。私学の場合では、極端ではあるが案の1という形になっている。国で決めてある私立学校法によって、重要事項が決められているが、それ以外は各大学の裁量で行ってよいということになっており、少なくとも重大な事項だけは決めておく必要があるのではないかと思う。役員会について極端に言えば3回くらい開催されればよいのではないかと思う。重要事項以外のことで極めて重要事項に準ずるものがあれば、学外者を抜いて常勤の人たちだけで行うという考えもあるのではないかと思う。私は案の1の方が良いのではないかと思う。
     
       結論からいうと案の1で良いのではないかと思う。今日は国大協のパブリックコメントとして意見が出ているが、その1,2ヶ月あとに国大協の理事会が提言を出している。その理事会の提言では、大きい枠組みから言えば役員会と評議会は必置である。運営協議会と運営諮問会議は置くことができる。どちらか一方を置くこともできるし、両者を置くこともできる。多分運営協議会を置くことになるだろうという論調である。しかももっと踏み込んで評議会に外部有識者をいれるのを画している。そういう面から言えば、バリエーションの案の1は国大協理事会の提案と、中間報告に対する国大協のパブリックコメントの中間をとったような形であり、理事会案の方が厳しいわけである。この案とは評議会と運営協議会を必置としているところが違うわけだが、恐らくどの大学でも必置にすると思われるので、ほとんどこのバリエーションの案の1と同じであるというように見ている。
     
       私もバリエーションの案の1が良いと思うが、ただその中の構成については、大学の組織の大きさなどはそれぞれ違っている。したがって一つの案としては、例えば全体の構成は10人でその中に3人くらい入れるということを決めておいて、後は各大学が5人にすると言えば5人くらい入れるというように、枠だけ決めて後は各大学で決めるというようにすればより具体的になってくるのではないかと思う。
     
       私も私学を色々と拝見しており、普通の私学の場合は年3回から4回くらいで大体正規の理事会を済ましている。大変熱心な私学の場合にはやはり毎月1回くらいは理事会を必ず行う。さらにその他に産業界というところもそうだが、常勤理事会のようなものを別途おいて、そこで事実上のある程度のこなしを行い、これは正規の理事会に諮らなければならないということを正規の理事会に諮っている、というなやり方で行われているということを参考までに申し上げておく。
     
(4) 事務局から、資料4『中期目標の作成手続きのバリエーション案』について説明があった後、以下のような意見交換が行われた。
     
       結論から言えばA案の方が良いと思う。理由は、例えば基本的な構造や、一番下の備考の基本方針というものをいれて苦心の跡が見えるが、これは国のいわばグランドデザインとは違うということである。グランドデザインであれば、国が大学に対して示していただき、その中で各大学が長期目標を立てるということはできるが、基本方針となるとこのニュアンスからしてもかなり具体的な政策目標的なものに聞こえてくる。つまり私が言いたいことは、多様化、個性化を求めているときに、文部科学大臣が基本方針を決めてしまうということになると、色々な目標の立て方のところで拘束を受けてまた金太郎飴のようになってしまうのではないかという危惧を感じるということが一点である。大学の自主性への配慮については、A案とB案を見比べると、違うように見えるが内容的にはまったく同じである。次の変更についても、これはよく読んでみるとまったく同じである。したがって実際には、B案では「文部科学大臣が全大学共通の基本方針を定め」というところが私は非常に引っかかる。私はA案の方が良いと思う。
     
       私も結論からいうとA案であるが、少し理由が違う。おそらく大学がまったくのフリーハンドでこれができるというならば大学人である以上、みんなA案をとると思う。少なくとも法令上の主体が文部科学大臣というのをみて、これは困るという反応が出てくる大学が多いと思う。ただ今回の法人化というのはまだまだ政府あるいは文部科学省に、言い方はよくないが、とりわけ予算面では全面的に握られており、大学がすべてを決められるわけではないということになる。そうすると自ずからそこからでてくる制約があり、A案とB案を比べたときにA案の方が抽象的な内容でとりあえず良いということと、きちんと法令上で歯止めがかかっているということがある。それに比べてB案は差し戻しがあったり、内部で支障があったりして、最終的に大学側の意向を通してもらうまでにずいぶんやり取りがあると思う。これが意外と不透明になってしまうという形はかえって良くない。先程ご発言があったように、全大学共通の基本方針ということが気になっているところであるが、表面的には大学が決めているように書いてあっても実態的にはなかなか決めにくいということで、そういう面からみるとすっきりしているのではないかと思い、A案の方が良いという意見である。
     
       私もA案の方がよいと思う。わが国の国民性はこのように基本方針を出すと誰もがそちらに行くということである。したがって、もともと大学改革の一つの目的が個性化、多様化、自律性というものを求めるとするならば、A案の方が可能性が多いのではないかと思う。
     
       問題のポイントは、全大学共通の基本方針がグランドデザインではなく、政策的なものが強くなるだろうということがある。本当にそのようなものなのかどうか、全大学共通の基本方針というのはどのようなことが考えられるのかを伺いたい。
     
       具体的なイメージが固まっているわけではないが、基本は大臣が国立大学に対してだけ示す基本方針であるので、当然一般的に大学についてどうというわけではない。あくまでも国立大学としてかくあるべしということが基本方針にならざるを得ないだろうと思っている。その上で、どのようなものがあるのかということになるが、その場合、目標評価委員会で作成いただいた中期目標のイメージが少々参考になるのだが、例えば「各大学ごとに理念・目標を明確にすること」ということを基本方針に謳うとか、あるいは多少踏み込んで言えば「大学の教員の流動性をさらに高めること」であるとかがある。もう少々国立大学的なニュアンスがでればよいのだが、そのような各大学の運営にあたっての指針のような、かつ、全国立大学に共通に適用されるべきというものを考えなければならないのだろうと思う。
     
       全国立大学に共通の基本方針であるため、本来であれば内閣が変わったから基本方針が変わるということではありえないと思う。そうでないとすればそれは全大学共通の基本方針とはならないと思う。内閣の文教政策ということならわかるが、全国立大学共通の基本方針というときに内閣が変わったら変わるようなことを基本方針に書けるかどうかと言えばそれは書けないと思う。
     
       教育基本方針ということを発表しながらこれまで国立大学といっても国費の投入が6割弱という中で、今の独立行政法人のスキームは国がこのような仕事をして下さい、だからお金を出しますという指示があり、それに基づいて中期計画を立て、認可し、ではこれだけお金を出しましょうという流れである。A案・B案を策定したのは、A案は中間まとめの段階で、指示というのはいかにもおかしい、ということから策定という方向であったが、それについてもやはりイメージがわかりにくいということがあり、国大協からのご意見では認可方式でできないかというご意見があった。私学は建学の精神を踏まえて自主・自律的に行うことになるが、国から一定のお金を出すというスキームを考えると、国としてあるいは大臣としてこのような仕事を行ってほしいということがどこかでなければ、そういう契約関係が成立しなくなるため基本方針というものをお出しした。その中身をどのように考えるかということでイメージがかなり違うのかも知れないが、文部科学大臣としてこのようなことを行ってほしいというようなことがあり、それを受けて、うちの大学はこのように行いますという形があり認可という行為で契約が成立するというのがB案である。それでは基本方針のイメージが何かということであるが、それを今の全体のスキームの中でどのように考えるかということである。そうなるとまったく抽象的にきちんと教育研究して下さいというだけでは済まない。今あるマンパワーなり、リソースをできるだけ活用してこの分野についてそれぞれやって下さい、というある程度それぞれの大学が中期計画を策定できるような、若干具体性を帯びながらも抽象的なことにならざるをえないのではないかと思う。全大学共通のまったく無味乾燥的なものになるのか、若干年表でも作成して各大学ごとにそれぞれの研究分野についてのコミィットメントするような形になるのか、という色々なイメージはあると思うが、構造としては少なくともそのようにならざるを得ないだろうと思う。しかしそうはいっても先程からお話にあるようにB案には中期目標そのものの作成主体が大学ということになるので、3段目にある実際の配慮規定が書きづらくなるという、大学側から言えば不安感というか、違いが出てくるところであるとか、先程御発言があったように、実際各大学が申請されたとしても同じようなパターンででてくるかどうかはわからない。例えばキャンパスを移転して立派にするなど、大変な財政負担が色々あり、すぐにはコミットメントできないような案が出てきたときに、それではそれを不認可にするのかということになると角がたつから、認可できるような中身になるように事前のやり取りが出てくる可能性もあるという、色々な弱点もここで考えられる。
     
       しかし、今の後段の説明は、A案の場合でも同じことではないかと思う。各大学が作成した原案については差違があるだろうし、その調整のようなやりとりはあると思うので、そこはA案でもB案でも同じであると思う。
     
       A案の場合は、仮に大学が策定した案に対して大臣がこの部分はコミットしにくいという部分は、大臣としてできるだけ大学の意見は尊重するが、丸ごとは認められない場合に、9割は認めて策定するなど、大臣の姿勢と大学との意見はいわばオープンな形で出てくると思う。やはりアングラで事実公認をどのようにするかという問題はあるかも知れないが、少なくともかなりオープンな形での大学の声聴きというのはまとまるのだろうと思う。
     
       これは国立大学の法人化の問題であるが、私は公立大学の立場から感想を申し上げたい。これはやがて公立大学に対しても何らかの形で法人化の枠組みの雛型になるという前提で考えたときに、A案もB案も非常に恐ろしい感じがする。それは文部科学大臣とかかれているところは、公立の場合であれば知事ということになる。そうなるとA案の場合は知事が決めることになり、B案の場合は基本方針を知事が決めることになるということになる。国立大学の場合、それほど変わりはない。どちらをとっても何とかなるのだろうと思うが、公立大学の場合、設置者が非常にバラエティーに富んでいる状況を考えると、場合によっては大変なことになる恐れをはらんでいると考える。この意見は少々離れているところから将来を見通しての危惧というか、感想ということになるが、そのあたりもご配慮いただければと思う。
     
       もともと指示、認可ということには、目標評価委員会においても非常に異論があり、これはいわゆる策定認可ということにして、策定を大学側が行うという一部の意見もある。その一部の意見という書き方をいれたのはそこだけだが、そこのところを法律の上で定めて実質的には策定が大学側の意見を聞かないと策定できないという形になっているため、A案で良いのではないかと思ったのが一つである。もう一つはどうしてもひっかかるのが一番上のところであるが、いずれにしても文部科学大臣が各大学の目標などを意見を聞かずに定めるということはできない。したがってもし文部科学大臣が定めるのだとすれば、大学の意見を聞いてからでなければ定められないというように変えた方が良いと思う。ところが基本方針を定めるということになれば、文部科学大臣に代わって文部科学省の幹部の方が全て決めてしまうということは非常に恐ろしいことであると思っている。
     
       どちらにしても大きな違いではないのだろうと思っているが、やはり独立法人という精神にどちらが近いかという観点だけではないかと思う。したがって私はA案であると思う。
     
(5) 事務局から、資料5『「公務員型」と「非公務員型」職員の比較(公務員制度改革大綱を踏まえたもの)』、資料6『法人化後の職員の身分に関する主な意見』、資料7『公務員制度改革大綱のポイント』について説明があった後、以下のような意見交換が行われた。
     
       教特法の適用その他のところで大学の教員といわゆる教員以外の職員について若干差別的な関係があったが、そこは全体として一括して議論する流れなのか。これはかなり大きな問題である。国立大学の職員を全体的に公務員型としてキープするのか、あるいは非公務員型に移行させるのかというときに、教特法の適用を受ける教員と、その他の職員の問題も非常に重要であるがそこはどのように考えているのか。
     
       新しい法人の中で、例えば教員は非公務員型で職員は公務員型といった混在型が考えられるかというご指摘であると思うが、その点については、現在の国家公務員法、国家公務員制度自体がその法人の目的や業務に着目してその法人自体が公共性を持つということであれば、法人の職員はまるごと公務員である、あるいはこれはそのような性格の法人ではないため、この法人の職員は公務員ではないという形で、法人全体の目的業務に着目して切り分けており、同じ機関の中で公務員と非公務員が混在するというのは、現在の制度の中ではおよそ想定ができないのではないかと考えている。
     
       フランスなどもそうだが、外国では大学や研究機関でも混在型もあるように思うが、今はそのようなことを想定していないという前提で議論するということでよいのか。
     
       公務員法制そのものが、例えばドイツの場合であれば、官吏とそれ以外の職員、教員ということでそれぞれ取扱いが違うという公務員制度もあるが、日本の場合の法制度において同じ法人の中で公務員と非公務員が混在するというのは想定できないのではないかと思っている。
     
       20世紀はパブリックセクターとか公の時代というようなものであったが、これからはまさにプライバシーゼーションの世界、民の時代であるとすると当然、国立大学の場合も活性化するために、あるいは国際的なメジャーを持ってくるためにも公務員制度が非常に制約になっていると私は思っている。私自身の経験からしてもそう思っており、私は思い切って非公務員型がいいと思う。現にそのような世論というか意見がかなり多いわけである。これに背を向けて国立大学は依然として公務員型でしかも国立大学法人という国家のサポートを受けたままということになると、果たして国立大学は何処まで変わったのかという世論なり批判に耐えられるのかという問題があるような気がする。これは持論だが、仮に公務員型を採択するとしても教特法は適用しないということである。教特法を適用しないということがどうしても無理ならば教特法を廃案にするような運動を起こさない限り、いくら設置形態を変えても国立大学の根っこの部分はよくならないと思っている。
     
       その点については、今、事務局から説明があったように、資料5の教特法相当規定の適用というところで非公務員型は特例を法律上規定することは困難ということになっている。そのような点から言えば、仮に非公務員型を選択すれば、このことは法律上書けないということになると思うが、どのように考えることになるのか。これは文部科学省のほうで非公務員型を採択した場合には、国大協が要望しているようなことはできないということなのか。説明では非公務員型では教特法を特例として規定ということは困難であるということであった。国大協では、これについて国立大学法人法等で規定することが必要ではないかと主張している。このままではダメであるという言い方である。したがって、国大協は議論の上でここでは規定することは困難と書いてあるけれども、なおかつ国立大学法人法の中に書き込めというご主張であったわけである。
     
       教育公務員特例法の規定は、基本的には文部科学大臣が人事権をもつということに対する、大学の自治への制度的な保証ということであり、大学の場合は職員や教官の任命については、直接文部科学大臣が任命権を行使するのではなく、まず大学で選任し、それによって学長が申し出て任命するという規定になっている。もう一つは大学の場合にも、通常、機関のトップである学長は当然大臣が任命することとなるが、その学長の選任にあたっては、大学の評議会で選考し、大学が申し出るという形になっている。これは文部科学大臣に任命権があるということを前提として、それに対する大学の自主性への保証としての規定が教特法の規定であり、今度仮に法人化されるということになれば、そもそも任命権自体が大学に移り、大学の長が任命権者になるということで、当然そのような関係で言えば、文部科学大臣の任命権を前提とした規定をそのまま置くということは非常に難しいということである。まして公務員でなくなってしまえば、そもそも公務員としての任命権の前提自体がなくなってしまうわけであり、法制上の整理から言えば、そういう規定を置くというのは法制上理屈がなかなか立たないのではないでないかということをここで記載しているということである。
     
       法律的な説明が文部科学省からあったが、国大協にも法律の専門家がいるので、このようなことが資料として示され、なおかつこのようなご主張をなさるのであれば、規定することができるという法的根拠を、あるいは法理論根拠を明らかにしてもらいたいと思う。
     
       なぜ国家公務員がこのような格好で教職員だけ守られているかということについて、国家権力の介入というものが学問にあってはまずいということがある。これはやはり公務員であるから国家権力が介入してくる。それを防ぐために作られたということである。今度の独立法人は、より大学主体に人事や実施権が移っていくため、国家権力の介入というのはむしろ減るということである。大学側はより日本の新しい形としての自律性というか、そのようなものをこの際確立するというのが主たる目的であると思う。庶民的に言えば、例えば国立大学というとやはり皆さん公務員ですからね、とこのように言う。やはり庶民の感情がそこにあり、新しい国が、日本がこれから自律して、しかも地域の交流やグローバル化、あるいは国立大学の先生が私立大学の先生を兼務して悪くはないのではないかと思う。そのようなことから言えば、やはり非公務員型で思い切って自由に活躍されるという方がよいのではないか。しかし私立大学よりも恵まれているのは、やはり学問を支えるために国の予算が支出されるということがあり、これだけでも十分私立大学のリスクよりかはるかに安心して学問に邁進できるのではないかと思う。このように考えてむしろ前向きにこれから21世紀をつくる、つまり例えば教育を受ける人がみんな規制と国家に守られたそのような中から学生が育ってくれば、やはり雰囲気的に自律性とか意識の変革はできないのではないだろうかと思う。大学自身の自律性が高いところからそこで教育を受けたり、研究をしたりしている人たちの取り組みもより自律的な雰囲気に変わるのではないかと考えている。
     
       公務員型、非公務員型の如何にかかわらず大学の特殊性というものもあると思う。私の知っている領域であれば、教職員の数及び職員の配置というものはその大学の特殊性に任せていただけるようなシステムが一番良いのではないかと思う。例えば資料5に給与・勤務時間というところがあるが、勤務時間などは、外科医が手術の途中で勤務時間が来ましたからといって終了するなどどいうことは、患者の命にかかわることであり、そのようなことは当然できない。これが今の日本の講座制の悪いところであるが、教授が頂点にあり、教授の代わりができる、本当に教授と同じような実力をもった人がほかに2,3人いるのかと言えばいないということである。そのために教授は24時間いつでもオンコールということになる。それは事実上できないことであるため、人員配置を十分できるようにして欲しいということである。一方では、やはり国立大学の附属病院は赤字体質だといわれているが、この赤字体質は人員配置が十分にできないということも原因の一つである。したがって、もう一つはそのような医療の質あるいは研究の質を高めるためにも、大学の特殊性によって十分人員配置ができるようにしていただきたいということであり、そのような観点から言えば若干、非公務員型の方が良いのではないかという気がする。しかしまだ検討の余地はあるだろうと思う。
     
       教官については非公務員型で問題はないと私は思っているが、しかし現場にいると、一般の職員が一番問題であると思う。一般職員は一般職員なりに非常に一生懸命にやっている。そうすると、これから色々と議論されると思うが、そのような一般職員の人事の交流について、どこがコントロールし、誰がどうして動かすのかという問題がある。これは法人化されれば、文部科学省が行うわけにはいかないということになると思う。そうすると、色々なところで実力をつんでやっていこうという人の士気が一変に落ちてしまい、そこのところをどのように担保するのかというような労使交渉の問題がある。文部科学省の方はあまり現場のことをご存知ないと思うが、現場ではやはり職員の問題があり、これはよく議論してもらいたいと思う。もう一つ、私の聴き間違いでなければ産総研は確か公務員型であったと思うが、産総研こそなぜ非公務員型にしないのかと思う。産総研はなぜ公務員型なのかということを示さないと、なかなか納得がいかないのではないかと思う。
     
       この問題は法人化で最大の問題である。私は国大協に所属しており、ずいぶん地方の国立大学の関係者から電話をいただいたが、その真意は非公務員型になると困るということである。組合のこともあるし、教官も抑えきれないという話を伺っていたので、大きな問題であると意識していた。ただ私は今日のご説明で、あるいは前からそう思っていたが、法人化にあたっては非公務員型がふさわしいと思う。これ以上は理由は申し上げないが、自由もあるし、特に外国人の雇用等もかなり今後活用の余地があるのではないかと思っている。問題の一つは、文部科学省からの職員について、行ったり来たりの問題はあるにしても、身分上の問題については、また文部科学省に戻れば公務員になるからということで、恬淡とされているが、各大学で採用された方の場合、公務員の身分を捨てて、非公務員になったときの期待権の損失は大きいと思う。これは特に地方にいくと非常に大きいと思う。そのことについてどのように説明するのかということが、この制度をソフト・ランディングさせていく上で、大きな問題であると思うし、国が設置者であれば公務員型ではないか、それを何故非公務員型で認めるかという時に、これはどう説明したらよいのか。
     
       公務員とは何かということは非常に定義が難しい。国に雇用され、国から給与を貰い、国の事務に従事している、というこの3要素が充たされれば公務員であるということもあるが、必ずしもこれが定義になっているわけではない。今お話があったように、国が設置者にもかかわらずということであるが、一方で今度は国とは別の法人格を持つことになる。それは国とは別の主体になるということで言えば、先程の国に雇用される、あるいは国から給与を貰うことがストレートに当てはまる訳ではないと思う。
     
       しかし、全部国からお金がくるということではないのか。
     
       その場合においても、いわゆる非公務員型の独立行政法人があるが、それもまさに国がお金を出し、国が設置者になるということである。その場合においてもそもそも法人化する時点で、国とは別の法人格を持つ時点で、厳密な整理から言えばそこは公務員の枠から外れるということである。したがって、いわゆる公務員型の法人のことを特定独立行政法人といっているが、これは独立行政法人全般から言えば公務員の身分から外れるのだが、一定の要件に該当するものは公務員の身分を与える。これが独立行政法人の通則法のスキームであり、その原則から実際には公務員型の法人が大半になってしまっており、非公務員型が少なくなっているということで少し食い違っているが、法律上の整理の仕方から言えば、独立行政法人が別の法人格を持った時点で少なくとも公務員からは外れる、ただし一定のものについては特例として公務員身分を与えるということなので、そこはそういった整理を国立大学法人の場合でも行うのではないかと思っている。
     
       私は何が何でも公務員型でいいと言っているわけではなく、非公務員型になったときに一般職員のことについて説明できるようなものがないと困るということである。
     
       それに関連して、具体的な問題で質問したいが、退職手当の問題について、これは各法人が支給基準を定め、それに基づいて退職手当のほうは通常の交付金の中の人件費とは別枠でくるわけである。その時に今は国立大学間で教員が異動する場合は、これは当然通算、継続されるということになる。しかし今回、これが仮に非公務員型になった時には、ある大学からある大学へ移った時には、これは当然現大学を退職して別の大学へ採用されることになるため、退職金の通算はどうなるのか。
     
       そこは、法人のほうでどういう退職手当規定を定めるかということになると思う。確かに必ずしも別な法人、大学から移ってこられた方が自動的に通算されるわけではない。その場合は法人として交流を活発にしようという観点であれば、当然他の大学から移ってきた方を通算する形になり、国立大学法人全体として、グループ全体として流動性を高めようということであれば、そういった形に配慮した退職手当規定を設ける必要があると考えるが、そこは退職手当規定をどういう思想で設計するかというところにかかってくるのではないかと思う。
     
       承継職員については期間を通算するということが個別法で規定すると決まっている。今いる教職員は良いが、法人化以降に採用となった教職員は一体どうなるのか。
     
       今国立大学に勤務している人、これは教員、職員も含めて、当然今の公務員制度を前提に大学に就職され、活動されているわけである。その中で大学の教員あるいは職員は、公務員としての実績を積み重ねられているわけであり、当然そういった方々の権利がこの法人化によって不利にならないようにということで、先程の承継職員の規定が設けられている。したがって、仮に新しい非公務員型の法人に移った場合においても、公務員の期間を通算して、新しい法人の中で退職手当が受けられるようにという措置である。これは仮に非公務員型ということになれば、個別法の法律の中でそういった規定を設けることになると思う。ただそれ以外の職員というのは、まさに新しい法人の中に入って来られた方であり、それは新しい法人がどういう退職手当を定めるかということであると思う。
     
       私は教員の身分が公務員であるかというよりも、職員の身分が公務員であるかどうかのほうが基本的な問題で、私は非公務員にすべきであると思っている。例えば、国立大学と私立大学を比べると圧倒的に国立大学の方が職員が多い。例えば私立大学でも、早稲田大学では一頃教員が900人で職員が1,400人いたが、現在は教員が1,650人で職員が850人と逆転させた。そういうことをやはりやっていかないといけない時代ではないかということが一つである。もう一つは、国立大学の職員は上の人だけが動いて下は動かないということである。したがって私が見るところでは、非常に労務管理のところが私立から見るとめちゃくちゃである。そういうことを考えると当然全体として非公務員にすべきであると思う。
     
       非公務員型の場合の人事交流の問題や退職手当の通算の問題など色々とご指摘があったので、次回までにその辺りのところも含めて整理させていただきたいと思う。
     
       運営組織や中期目標については、比較的意見が一致した方向だったと思うが、教職員の身分の問題については議論がまだまだ詰めたりないと思っているので、整理して次回にお願いしたい。
     
次回の日程
       次回は、2月7日(木)に開催することとなった。
     
     
        以   上
(高等教育局大学課)

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