報道発表資料
重要伝統的建造物群保存地区
文化審議会答申
平成16年10月15日
文化庁
| ○ | 文化審議会(会長 高階秀爾(たかしなしゅうじ))は、10月15日(金曜日)に開催される同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、「篠山市篠山(ささやましささやま)伝統的建造物群保存地区」および「日田市豆田町(ひたしまめだまち)伝統的建造物群保存地区」を新たに重要伝統的建造物群保存地区に選定するよう、文部科学大臣に答申する予定である。 この結果、近日中に行われる官報告示を経て、重要伝統的建造物群保存地区は59市町村66地区となる予定である。 |
今回選定の保存地区
| 【 | 新規選定】 |
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| 【 | 参考資料】 |
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・重要伝統的建造物群保存地区数
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| (参考)重要伝統的建造物群保存地区一覧(答申・官報告示後) |
【新規選定】
| 1 | 天下普請による篠山城跡を核とした近世初頭の城下町 篠山市篠山伝統的建造物群保存地区
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篠山市は兵庫県の東部、篠山盆地の中央にあり、古くから京都と山陰、山陽間の交通の要衝であった。慶長14年(1609)に、篠山城が築かれ、それに伴い、城下町が整備された。
城下町の構成は、城の周囲に上級武士の屋敷地を、さらにその外側に下級武士の屋敷地を配する。また、城下町を通る山陰道沿いに町人地が形成され、要所には寺院が配された。明治4年の廃藩置県により、旧武家町は衰退するが、旧商家町は、多紀郡内の商業の中心地として栄えた。
保存地区は、篠山城跡(国指定史跡)の周囲に町割された武家町、商家町を含む東西約1500
、南北約600
、面積は約40.2
の範囲である。堀に面して上級武士の長屋門を残し、城の西に位置する南北の通り沿いには天保元年(1830)の大火直後に建てられたとされる下級武士の茅葺入母屋の主屋を残す。下級武士の屋敷は通りに面して土塀を配し、棟門等の門を開く。城下町の南東に位置する町人地には江戸時代末期から大正期に建てられた町家を連たんして残す。商家町の主屋は切妻造妻入が主で、正面に下屋庇をつけ、二階窓上には母屋桁まで延ばした特色ある庇をつける。
篠山市篠山伝統的建造物群保存地区は、篠山城跡を核とし、武家地や町人地の町割を残すなど、近世の城下町の基本的構造を良く残すとともに、近世から近代にかけて建てられた武家屋敷や商家及び寺院など、城下町の要素を全体として良く残し、その歴史的風致を良く今日に伝え、我が国にとって価値が高い。
| 篠山市篠山伝統的建造物保存地区地図(PDF:91KB) |
| 2 | 九州における旧幕領地で近世初期の町割をよく残す商家町 日田市豆田町伝統的建造物群保存地区
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日田市は大分県北西部、筑後川上流域に位置する。市街地は文禄2年(1593)築城の日隈城と、その北方の、慶長6年(1601)築城の丸山城との間につくられた町人地の発展により形成された。元和期(1615〜1624)には、南北二本、東西五本の通りによって整然とした町割が行われた。
寛永16年(1639)に日田は幕府の直轄地となり、東西三本の用水路が順次整備され、江戸後期には日田代官が西国筋郡代へ昇格するなど、九州における政治的に重要な地位を占め、また、いわゆる日田金(ひたがね)を扱う掛屋が豪商となり、経済の中心地ともなった。明治維新後、経済は活力を失うが、農業や林業によって発展した。
保存地区は、東西約360
、南北約470
、面積約10.7
の範囲で、近世城下町築造時およびその後の拡張時の整然とした町割や江戸前期に建設された水路が残る。江戸、明治の大火を契機に居蔵造の町家が増加し、明治期には洋風の意匠を取り入れた町家が建てられた。その居蔵造の切妻造平入二階建、長屋建、入母屋造妻入二階建の商家など多様な町家主屋が、さらに醸造用の土蔵、近代の洋館、三階建の家屋や蔵などが、変化に富んだ町並を形づくっている。
日田市豆田町伝統的建造物群保存地区は、近世初期の町割の構成を良く残す商家町で、江戸初期から昭和初期にかけて商人の町として繁栄し、各町毎に特色のある多様な建築様式の町家や、時代によって意匠的に特色ある建造物を残し、歴史的風致を良く今日に伝え、我が国にとって価値が高い。
| 日田市豆田町伝統的建造物保存地区地図(PDF:59KB) |
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