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史跡等の指定等について

平成15年5月
文化庁

報 道 発 表 資 料

文 化 審 議 会 答 申


  文化審議会(会長   高階秀爾)は、5月16日(金)に開催される同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、文部科学大臣に対して、別紙のとおり史跡名勝天然記念物の新指定12件、追加指定等15件、解除1件について答申する予定である。

(平成15年5月16日現在)
種別 現在指定件数 今回答申件数 合計(既指定件数と
答申件数との合計)
新指定 解除
史跡
(うち特別史跡)
1,502
(61)
10
(0)

(0)
1,512
(61)
名勝
(うち特別名勝)
321
(35)

(0)

(0)
324
(35)
天然記念物
(うち特別天然記念物)
965
(75)

(0)

(0)
964
(75)
合計 2,788
(171)
13
(0)

(0)
2,800
(171)

(備考)
  現在指定件数欄の史跡,名勝,天然記念物の件数には,それぞれ特別史跡,特別名勝,特別天然記念物の件数を含む。
  件数は,同一の物件につき,2つの種別に重複して指定が行われている場合(例えば,史跡及び名勝など),それぞれの種別につき1件として数えたものである。
  今回、史跡と名勝に重複して答申予定のものがある。
  なお,種別を通じての指定件数は,次のとおり。
     現在指定件数    2,685件
  答申後件数 2,696件

 

「新指定」答申予定物件

【史跡】  9件

     せんだいじょうあと
   仙台城跡【宮城県仙台市】
   東北の大大名であった仙台藩主伊達氏の居城で、我が国近世を代表する城跡
   
     いじじょうあと
   伊治城跡【宮城県栗原郡築館町】
   古代律令国家の東北地方への支配拡大を知る上で重要な城柵官衙遺跡
   
     みやはたいせき
   宮畑遺跡【福島県福島市】
   東北南部を代表する縄文時代晩期の拠点集落
   
     かみこうぬし・もばらかんがいせき
   上神主・茂原官衙遺跡【栃木県宇都宮市、河内郡上三川町】
   大規模な地方官衙で、古代の地方官衙と交通路との関係を知る上で重要
   
     たまがわじょうすい
   玉川上水    【東京都羽村市、福生市、昭島市、立川市、小平市、小金井市、西東京市、武蔵野市、三鷹市、杉並区、世田谷区、渋谷区】 
     江戸時代、江戸市中への給水を目的として開削された上水
   
     まんぎょういせき
   万行遺跡【石川県七尾市】
   古墳時代前期の、古墳時代では例のない大規模な掘立柱建物跡が検出
   
     こほりこふんぐん
   古保利古墳群【滋賀県伊香郡高月町】
   琵琶湖北端に面する丘陵に立地した132基の古墳からなる古墳群
   
     しんぐうじょうあと つけたり みずのけぼしょ
   新宮城跡          附        水野家墓所 【和歌山県新宮市】
   紀州徳川家の付家老で大名として列した水野氏の城跡
   
     ぶぜんかいどうなんかんおちゃあと
   豊前街道南関御茶屋跡【熊本県玉名郡南関町】
   豊前街道沿いの藩主等の休憩・宿泊施設跡



【史跡及び名勝】  1件

     あすかきょうあとえんち
   飛鳥京跡苑池【奈良県高市郡明日香村】
   南北2つの池と、石造物、水路などによって構成される飛鳥時代の苑池遺跡



【名勝】 2件

     きゅうしばたはんしもやしき  しみずだにごてん  ていえんおよびいじみのおちゃやていえん
   旧新発田藩下屋敷(清水谷御殿)庭園および五十公野御茶屋庭園
【新潟県新発田市】
    公儀の茶道方が指導したことがわかる希少な大名庭園
   
     はくさそんそうていえん
   白沙村荘庭園【京都府京都市】
   近代日本を代表する日本画家橋本関雪(はしもとかんせつ)により造られた庭園






別紙


平成15年5月史跡等の指定答申予定物件



《 史跡の新指定 》 9件

     せんだいじょうあと
   仙台城跡【宮城県仙台市】

 仙台城跡は、仙台市の中心市街地の西方に位置する東北の大大名であった仙台藩主伊達氏の城跡である。慶長6年(1601)、初代藩主政宗が築城を開始し、江戸期を通じて伊達氏の居城であった。本丸は、東側では広瀬川を臨む60m以上の断崖により、南側は標高差40m以上の竜ノ口峡谷によって画されている。また、西側の尾根は堀切で遮断され、背後には天然記念物「青葉山」となっている御裏林が広がっている。
   石垣修理に伴う発掘調査の結果、江戸時代前期の何回かの地震により、石垣が崩れ、そのたびに縄張りを拡張整備していったことが明らかになった。仙台城跡で現在見られる切石積みの石垣は第3期のものであり、その内側に野面積みの2期にわたる石垣が確認されている。また、本丸御殿大広間の遺構も検出され、出土品としては金箔瓦・ヨーロッパ製ガラス器などや寛文の銘のある石材・慶長12年の墨書のある木簡などがある。
   仙台城跡は、石垣等の保存状態が良好であり、発掘調査の結果、3期にわたる石垣の変遷などその築城の様子も確認された、我が国近世を代表する城跡として重要である。
   
     いじじょうあと
   伊治城跡【宮城県栗原郡築館町】

   伊治城跡は、神護景雲元年(767)に設置された古代東北地方の城柵遺跡で、律令政府による古代陸奥国経営の重要拠点の一つである。
   遺跡は南北約900m、東西約700mの範囲にあり、政庁、内郭、外郭からなる。存続年代は、8世紀から9世紀にかけてである。政庁は儀式的な施設で、中央やや北よりに位置する正殿を中心に、前殿、後殿、脇殿を配した構成をとり、1期から3期にわたる変遷がある。内郭は外郭内の東南寄りに位置し、調査が進んでいる西北部分では「コ」字形に配した掘立柱建物群を検出しており、実務的官衙と考えられる。外郭は居住域で、主に竪穴住居を検出している。
   また、出土遺物では、中国式の弓「弩(ど)」が注目される。これは我が国初めての発見事例であり、律令時代の兵器の実態を解明する上で貴重な資料である。
   伊治城跡は、このように正庁、内郭、外郭という三重の区画のそれぞれの性格が具体的に明らかとなっており、東北地方における古代律令体制の成立や官衙の構造を具体的に知る上で極めて重要である。
   
     みやはたいせき
   宮畑遺跡【福島県福島市】

   宮畑遺跡は、福島市に所在する縄文時代中期、後期、晩期の集落跡である。特に本遺跡の主体である晩期の集落跡は、前葉から中葉にかけてその構造が判明している。中央に広場と考えられる東西45m、南北60mの空閑地があり、それを中心に住居又は葬送に関する施設と考えられる掘立柱建物群が環状に巡り、北西側では柱痕跡が1m近くの大型のものがある。さらに外側には、埋葬施設である埋甕が群を形成して配置される。環状掘立柱建物群の北西側から竪穴住居跡、南西側から土坑墓も検出されている。西側の斜面には大量の遺物を伴う捨て場が形成されている。出土遺物では、大量の土器、石器のほかに土偶、石剣、石刀などの祭祀遺物が出土している。なお、中期の集落では、意図的に燃やした焼失住居が数多くあり、当時屋根を土で被覆していたことが判明している。
   宮畑遺跡は、特に縄文時代晩期では集落構造や出土遺物から東北南部を代表する拠点的集落と考えられ、縄文時代の社会を考える上で極めて重要な遺跡である。また、集落構造全体が判明したものとしては当該地域における初めての事例である。
   
     かみこうぬし・もばらかんがいせき
   上神主・茂原官衙遺跡【栃木県宇都宮市、河内郡上三川町】

   栃木県のほぼ中央、田川の氾濫原に面した比高約8mの台地縁辺上に立地する、古代の官衙遺跡である。周囲を大溝により区画されており、東西約250m、南北約370m以上の広さをもつ。その内部は、中央に政庁域、南に正倉域、北に関連施設域に分けられる。政庁域は広場を中心に南面した正殿と東西両脇殿がコの字形の建物配置をもち、正倉域は約50棟の建物が確認されている。正倉域の中心的建物が唯一の瓦葺建物である大柱礎石建物であり、その周辺に総柱建物を中心とする建物が配置される。遺跡の南東には東山道と推定される道路遺構が、古墳時代中期の大型円墳である浅間神社古墳との間に確認され、官衙と一体的に機能していたと考えられる。
   遺跡は土器や瓦からみて7世紀後葉から9世紀前半にかけて営まれ、政庁と正倉という施設の構成からみて、下野国河内郡衙と考えられるが、郡衙関連施設や交通関連施設などを含めた多様な性格も想定される。保存状況も良好であり、豊富な人名瓦などを含めて古代の地方官衙の具体的なあり方を示し、主要な交通路との関係を考える上でも重要である。
   
     たまがわじょうすい
   玉川上水    【東京都羽村市、福生市、昭島市、立川市、小平市、小金井市、西東京市、武蔵野市、三鷹市、杉並区、世田谷区、渋谷区】 
 
   玉川上水は、江戸時代前期、江戸市中への給水を目的として、武蔵国多摩郡羽村(現・東京都羽村市)の多摩川に取水口を設け、江戸の西の入口に当たる四谷大木戸(現・同新宿区)に至るまでの約43キロメートル間を自然流下により導水する施設として掘削された素掘の開渠水路(かいきょすいろ)である。工事は玉川庄右衛門・清右衛門兄弟が幕府から請け負い、承応2年(1653)2月着手、翌年6月竣工とされる。
   江戸市中に入った上水は、暗渠水路(あんきょすいろ)となって江戸城・武家屋敷・庶民の居住地に配水され、飲料水をはじめとする都市給水施設として人々の生活を潤した。また、武蔵野の新田開発の灌漑及び生活用水としても機能した。
   現在、江戸時代の開渠水路の一部は暗渠化されているが、水路はかつての路線のまま連続しており、開渠のまま残された部分はのべ約30キロメートルに及ぶ。特に、小平監視所(小平市)から浅間橋にかけての中流部では近世の素掘り水路の状況がよく残っている。
   玉川上水は、このように江戸の発展を支えた歴史的意義を有し、近世の水利技術を知る上でも重要である。
   
     まんぎょういせき
   万行遺跡【石川県七尾市】

   能登半島のつけ根の東側、日本海が入り込む七尾湾を望む標高6から10mの台地上に所在する遺跡である。古代においては能登の国津である香嶋津が置かれ、日本海側の海運上、重要な位置にあったことが示唆される地域である。
   この台地に区画整理事業の計画がおこり、七尾市教育委員会が発掘調査を進めた結果、長軸で1m、深さ1.5m前後という大規模な柱穴が、東西17.2m、南北44mの範囲に60基ほど検出され、古墳時代前期の巨大な掘立柱建物跡の存在が確認された。柱穴の配列状況から、1時期に3棟からなる倉庫群説と、1棟の祭殿説があり、建て替えもあったことが判明している。倉庫群とした場合であっても、約150平方メートルから約320平方メートルという巨大な建物が、南北に3棟が整然と並んでいたことになる。
   万行遺跡で検出された掘立柱建物群は、古墳時代では例のない規模であり、こうした建物が出現した背景には、在地の勢力ではなく能登地域を越えた政治勢力が関わった可能性も示唆される。こうしたあり方は、古墳時代の政治状況や社会を知る上で重要であるとともに、建築史的にも貴重である。
   
     こほりこふんぐん
   古保利古墳群【滋賀県伊香郡高月町】

   古保利古墳群は、滋賀県北部、琵琶湖北端の塩津湾東岸に面した丘陵上に、南北約3キロメートルにわたって分布する。古墳時代の初期から後期・終末期に至る、132基の古墳からなる大規模な古墳群で、古墳の墳丘も良好な状況で保存されている。前方後円墳8基、前方後方墳8基、円墳79基、方墳37基からなる。立地や分布状況からみて6つの支群に分けられ、それぞれ1基以上の前方後円墳又は前方後方墳が含まれる。古墳の規模は、前方後円墳では90m、前方後方墳では60mが最大である。この古墳群は、立地からみて琵琶湖からの眺望を意識したことがうかがえる。琵琶湖は近江の水上交通の大動脈であり、湖北地域は畿内地方・北陸地方・東海地方・山陰地方から若狭地方の各地を結ぶ交通路上にあたることからも、古墳の被葬者は琵琶湖の水上交通に関与した集団と考えられる。
   古保利古墳群は、古墳時代の初期から終末期まで長期にわたって継続した大規模なもので、古墳時代の琵琶湖の水上交通のあり方とそれを担った集団の変遷や構成を知る上で重要である。
   
     しんぐうじょうあと つけたり みずのけぼしょ
   新宮城跡          附      水野家墓所 【和歌山県新宮市】

   新宮城跡は、丹鶴城(たんかくじょう)跡とも呼ばれ、新宮市の熊野川に臨む河口沿いの丘陵に所在する紀州徳川家の付家老であった水野氏の城跡である。初代水野重仲は、徳川家康の従兄弟で、水野家は大名に準じ、幕末まで新宮城主として当地を支配した。城は寛永10年(1633)二代重良の時に完成した。正保城絵図である「紀伊国新宮城之図」によると本丸を中心に、南西に鐘ノ丸、北西に松ノ丸、西山麓に二ノ丸が配されていたことがわかる。また、本丸の北には出丸、水ノ手郭などがある。発掘調査の結果、水ノ手郭で確認された多数の炭小屋と想定される礎石建物群は、新宮炭の専売を行っていた藩が、本来軍事的な面の強い場所であった水ノ手郭を江戸時代の安定期に経済的性格の施設に変えていったことを示す重要な発見である。
   また、城跡の南1キロメートルに位置する水野家墓所は、初代重仲から10代までの、江戸期を通じての墓碑が建ち並び良好に保存されている。
   新宮城跡は、近世城郭の機能としては異質の経済的側面の強い遺構が確認された、我が国近世大名家の経済的基盤を考える上で重要な遺跡である。また、城主であった水野家の墓所も良好に保存されており、新宮城の歴史を考える上で重要である。
   
     ぶぜんかいどうなんかんおちゃあと
   豊前街道南関御茶屋跡【熊本県玉名郡南関町】

   南関御茶屋跡は、御客屋(おきゃくや)とも呼ばれた熊本県北部に所在する豊前街道沿いの藩主等の休憩・宿泊施設跡である。当地は、古代には官道が通り、交通の要衝として発展した地域で、肥後・筑後国境警備のための関が設けられた場所である。近世においても、街道は豊前街道として参勤交代等に使われ、この場所は肥後国内最後の休憩・宿泊地点であった。そのために造られた御茶屋は、史料等から江戸初期より整備されていたことがわかっており、現在遺っている建物は、嘉永5年(1852)に竣工したものであることが、地方文書や肥後藩主細川家の記録などからわかる。建物は、南北に長い造りで、部屋の配置や建物の北側に造られた庭園、細川家の家紋である九曜紋をあしらった鬼瓦など、往時の姿をよく遺している。
   豊前街道南関御茶屋跡は、このように、近世の街道沿いの御茶屋跡が現存している貴重な例であり、我が国近世の交通史を考える上で重要な遺跡である。


《 史跡及び名勝の新指定 》 1件

     あすかきょうあとえんち
   飛鳥京跡苑池【奈良県高市郡明日香村】

   飛鳥京跡苑池は、飛鳥川右岸、史跡伝飛鳥板蓋宮跡の西北に接する飛鳥時代の園池遺跡で、南北約280m、東西約100mの範囲に及び、周囲に石積み護岸をめぐらせた南北2つの池と、北に延びる排水路からなる。7世紀中葉に造営され、7世紀後葉に改修を加えた後、10世紀に至るまで維持・管理されていたと考えられる。
 南池は東西、南北ともに約60mで、北に開く扇形を呈する。底には石が整然と敷き詰められ、島状の石積みと中島及び噴水施設と考えられる2基の石造物が検出された。北池は、南北約55m、東西約35mで、底には石をやや乱雑に敷き詰める。南池は観賞用の池という色彩が強いのに対し、北池は実用的な性格が強く、形態や構造、意匠を異にしている。飛鳥地域の苑池や方形池の中でも、最も規模が大きく構造も複雑で、宮殿に付属する公的な施設である可能性が高い。特に鑑賞性の高い南池の構造と意匠は、当時の庭園の状景をよく示している点で貴重である。
 飛鳥京跡苑池は飛鳥時代の政治、文化を知る上できわめて重要な遺跡であるとともに、我が国における庭園の発展を知る上でも重要である。


《名勝の新指定 》 2件

     きゅうしばたはんしもやしき  しみずだにごてん  ていえんおよびいじみのおちゃやていえん
   旧新発田藩下屋敷(清水谷御殿)庭園および五十公野御茶屋庭園【新潟県新発田市】

   慶長3年(1598)入封した新発田藩溝口氏の3代宣直(のぶなお)は、万治元年(1658)に下屋敷清水谷御殿を建立した。その後4代重雄(しげかつ)の時に幕府茶道方縣宗知(あがたそうち)を新発田に度々招き、作庭の指導を受け、元禄年間に清水谷・五十公野などの庭園が完成している。
   下屋敷庭園は、御殿上段から眺める、大池泉を中心とした奥行きのある景を主としつつ、露地を渉りながら回遊する庭園として造られ、「水」の字型に池を掘り、中絞りの池型は前後の水面を大きく見せる効果を発揮し、公儀茶道方指南による往時の庭園地割を良好に残している。
   五十公野御茶屋は、藩主の別邸で、池を穿ち、緩やかな起伏の築山をめぐらして諸国名所のスギ・マツの種苗を植えるなど植物観賞に重きを置き、石組みはほとんど施さないゆったりとした造りの庭園である。
   公儀茶道方の指南の下に造られた、それぞれに異なった趣の庭園が良好に保存されている越後を代表する大名庭園である。
   
     はくさそんそうていえん
   白沙村荘庭園【京都府京都市】

   白沙村荘庭園は日本画家、橋本関雪(はしもとかんせつ)(1883?1945)により築造された庭園で、慈照寺(銀閣寺)からの参道を下った西方約400m、琵琶湖疏水分線の南側に位置する。関雪は、もと水田地であった敷地を盛土造成して、大正5年(1916)に本邸を造営し、白沙村荘と名付け、昭和20年(1945)に没するまで30年間にわたって継続的に手を加えて庭園を造り上げた。庭園は、敷地中央部分の画室「存古楼(ぞんころう)」を境に東西の地割に分かれる。東の地割には大池を設けて関雪自身の収集による石造物の優品を配置し、その南の池畔には東に「問魚亭(もんぎょてい)」、西に「憩寂庵(けいじゃくあん)」「倚翠亭(いすいてい)」が相向かって建つ。西の地割にはハクショウ、サルスベリなどを植栽し、瀟洒な回遊式庭園を構成している。庭園の北西隅には、竹林の築山に羅漢石仏群を配して個性ある景観を造り出している。
   本庭園は、関雪自身が「庭を造ることも、画を描くことも一如不二(いちにょふじ)のものであった」と述懐するように、近代の日本画家の芸術観を反映した庭園であり、保存状態もよく、観賞上・学術上の価値がきわめて高い。


《 史跡の追加指定・名称変更 》   2件

      くめかんがいせきぐん          きしはいじあと
   (新) 久米官衙遺跡群 (旧)来住廃寺跡  
       くめかんがいせき  
       久米官衙遺跡  
       きしはいじあと  
       来住廃寺跡  
      【愛媛県松山市】
   白鳳期に造営された古代寺院跡として指定されたが、その後の調査により、律令体制の成立前後とその後の確立期に至る地方官衙のあり方を具体的に示す貴重な遺跡群であることがわかった。来住廃寺跡の周辺に展開する地方官衙遺跡群を追加指定する。

   

きゅうはぎはんこうめいりんかん

         めいりんかんすいれんいけ
   (新) 旧萩藩校明倫館 (旧)明倫館水練池および
               ゆうびかん  つけたり  めいりんかんひ
               有備館     附     明倫館碑
      【山口県萩市】
   萩市街地の中心部に所在する萩藩の藩校跡である。明倫館は、内容・外観とも全国有数の藩校であった。発掘調査で確認された南門跡や聖廟の跡地、これらと既指定の有備館や水練池を結ぶ地域を追加指定する。

《 史跡の追加指定 》   11件

       にしぬまたいせき
1   西沼田遺跡【山形県天童市】
   山形盆地の最上川右岸低地上に位置する古墳時代後期の集落跡で、東北地方における陸奥国成立以前の農村集落を知る上で極めて重要。調査によって確認された水田に伴う畦畔状遺構、溝、井堰などの生産域を追加指定する。

       ほとだこふんぐん
2   保渡田古墳群 【群馬県群馬郡群馬町】
   榛名山南東麓を流れる井野川左岸に5世紀後半から6世紀初頭に造営された群馬でも代表的な古墳群。3基の前方後円墳が現存し、このうち八幡塚古墳の外濠周縁地の一部を追加指定する。

       はちまんやまこふん
3   八幡山古墳 【群馬県前橋市】
   全長129.5mの、東日本では最大規模の古墳時代前期の前方後方墳である。確認調査の結果、周濠を含めた規模は199m以上であることが判明した。周濠部分の一部を追加指定する。

      あさひなきりどおし
4   朝夷奈切通【神奈川県鎌倉市、横浜市】
   鎌倉と外港の六浦を結ぶ鎌倉時代の重要な交通路で,鎌倉市と横浜市の境の峠道が史跡指定されている。既指定地の西側で発掘調査によって確認された、14世紀から15世紀の納骨堂跡等を追加指定する。

       ながつかこふん
5   長塚古墳 【岐阜県可児市】
   木曽川中流域に所在する古墳時代前期の前方後円墳で、墳丘長72m、周濠を含めた全長は120mに達する。美濃地域の古墳時代の政治動向を知る上で重要である。周濠部分の一部を追加指定する。

       ふるいちこふんぐん
6 古市古墳群
           こむろやまこふん  せきめんやまこふん  おおとりづかこふん  すけたやまこふん 
  古室山古墳 赤面山古墳 大鳥塚古墳 助太山古墳
  なべづかこふん  しろやまこふん  みねがづかこふん  はかやまこふん 
  鍋塚古墳 城山古墳 峯ヶ塚古墳 墓山古墳
  のなかこふん おうじんてんのうりょうこふんがいごうがいてい
  野中古墳 応神天皇陵古墳外濠外堤
  はちづかこふん  はざみやまこふん  あおやまこふん  ばんしょやまこふん 
  鉢塚古墳 はざみ山古墳 青山古墳 蕃所山古墳
      【大阪府羽曳野市】
   4世紀末から6世紀中葉にかけて造営された総数112基からなる古墳群。古代国家形成期の中央政権の構造を考える上で極めて貴重。古市古墳群の中でも最大の規模をもつ応神天皇陵古墳の外濠外堤のうち、外堤の一部を追加指定する。

       あこうじょうあと
7   赤穂城跡【兵庫県赤穂市】
   正保2年(1645)に入封した浅野長直(ながなお)が海に接して築城した変形輪郭式の平城跡である。城跡の北西部、三の丸外堀跡の一部を追加指定する。

       うえやまこふん
8 植山古墳【奈良県橿原市】
   2基の巨大な横穴式石室を東西に併置する飛鳥時代後半の大型方形双室墳。東石室には阿蘇溶結凝灰岩製の家形石棺、西石室には扉の基部となる閾石(しきみいし)が置かれている。墳丘北側の一部を追加指定する。

       やかたこふんぐん
9 屋形古墳群
           めずらしづかこふん 
  珍敷塚古墳
  とりふねづかこふん
  鳥船塚古墳
  ふるはたこふん
  古畑古墳
  はるこふん
  原古墳    【福岡県浮羽郡吉井町】
   福岡県中南部、耳納連山北麓に展開する装飾古墳群。石室奥壁に、鳥、船、太陽、靫、盾をもつ人物、月、ヒキガエルといった図文が描かれた珍敷塚古墳の墳丘跡等を追加指定する。

       ちくごこくふあと
10  筑後国府跡 【福岡県久留米市】
   7世紀末から11世紀にかけて変遷した3期の国庁跡と国司館跡が確認されており、国庁の成立や移転、国司館などの関連施設のあり方を具体的に示す事例としてきわめて貴重。1期国庁と2期国庁及び国司館跡の一部を追加指定する。

       ひとよしじょうあと
11  人吉城跡 【熊本県人吉市】
   人吉市中心部に位置し、球磨川と胸川に挟まれた丘陵上に築かれた、相良氏の城跡。相良氏は、鎌倉時代に人吉荘に地頭として入部し、近世まで当地方を支配した。近世城郭部分は既に指定されおり、中世城郭部分を追加指定する。


《 名勝の追加指定 》 1件

       きゅうだいじょういんていえん
1   旧大乗院庭園 【奈良県奈良市】 
   室町時代、門跡尋尊(じんそん)が、足利義政の同朋善阿弥(ぜんあみ)に作らせた庭園。江戸末期の門跡隆温の描いた「四季真景図(しきしんけいず)」により当時の状況を知ることが出来る。発掘調査により、資料に見られる江戸期の状況が確認された部分を追加指定する。


《 天然記念物の追加指定・一部解除 》 1件

       しんぐういのそうきしましょくぶつぐんらく
1   新宮藺沢浮島植物群落 【和歌山県新宮市】 
   沼沢の泥炭から出来た浮島に成立した森林植物群落で、温暖な地でありながら寒地性植物が遺存して混生する希少な群落。隣接地の追加指定によりかつての池敷を復元し浮島と植物群落の保存に資そうとするもの。一部解除は追加指定時の錯誤を訂正するものである。


《 天然記念物の解除 》 1件

       みょうけんのおおけやき
1   妙見の大ケヤキ 【熊本県上益城郡矢部町】
   幹周9m、樹高30mに達するケヤキの巨樹であったが、平成15年1月12日、樹幹基部から倒壊したため解除する。内部で腐食が進み、元々幹が斜上し傾いていたため、幹の強度が樹体の重さに耐えきれず倒壊したものと考えられる。

(文化庁文化財政部伝統文化課)

-- 登録:平成21年以前 --