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2   解   説


【重要無形民俗文化財の指定】


1   鹿沼今宮神社祭(かぬまいまみやじんじゃさい)の屋台行事(やたいぎょうじ)

    (1)文化財の所在地    栃木県鹿沼市(かぬまし)
  (2)保護団体 鹿沼いまみや付け祭り保存会
  (3)公開期日 10月第2土・日曜日
  (4)文化財の概要 1文化財の特色
   華麗な彫刻屋台が多数巡行する、栃木県の代表的な屋台行事の一つ
2文化財の説明
   鹿沼今宮神社祭の屋台行事は、栃木県鹿沼市の旧市内34か町の鎮守今宮神社の10月第2土・日曜日の例祭に行われ、氏子各町から毎年20台ほどの屋台が奉納される。屋台は、日光の宮大工の影響の下に近世後期以降に成立したといわれる華麗な彫刻を施した囃子屋台である。
   例祭初日には、氏子各町の屋台の今宮神社への繰り込みと繰り出しが行われ、神社からの帰途、交差点などで他町の屋台とお囃子を競い合うブッツケも行われる。二日目は、午前中各町内で屋台の引き回しが行われ、同時に当番組へ神社の神輿行列が渡御する御巡幸(ごじゅんこう)、その他の組の各町会所へは御巡拝(ごじゅんぱい)が行われて行事が終了する。
   この行事は、華麗な彫刻を施した囃子屋台が巡行するもので、風流の屋台行事の一つの展開型を示しており、全国的な比較の観点からも貴重な行事である。


2   見島(みしま)のカセドリ
    (1)文化財の所在地    佐賀県佐賀市蓮池町
  (2)保護団体 加勢鳥(かせどり)保存会
  (3)公開期日 2月第2土曜日
  (4)文化財の概要 1文化財の特色
   小正月に神が祝福に訪れる行事で、九州北部の数少ない事例である。
2文化財の説明
   見島のカセドリは、佐賀市蓮池町の見島地区に伝わる小正月の来訪神の行事である。笠を被り、藁蓑をつけたカセドリを呼ばれる青年2人を中心とする一行が地区内の家々を順番に訪れて祝福をもたらす行事で、毎年2月の第2土曜日の夜に行われている。
   カセドリは、勢いよく家の中に飛び込んで、下半分を割り裂いた長さ2メートル程の青竹を畳や床などに激しく打ちつけて悪霊を祓い、それによって一年の家内安全や五穀豊穣などが祈願される。
季節の折り目に神に扮した者が家々を訪れる行事は、日本の各地に地域的特色をもって分布しているが、見島のカセドリは、九州北部におけるこの種の行事として注目されるものであり、日本人の神観念や民間信仰を理解する上で貴重である。また、カセドリが悪霊を祓う所作は、他に類例がほとんどみられず、地域的特色も豊かである。



【記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財の選択】

1   和久里壬生狂言(わくりみぶきょうげん)
  (1)文化財の所在地    福井県小浜市(おばまし)和久里
  (2)保護団体 和久里壬生狂言(わくりみぶきょうげん)保存会
  (3)公開期日 6年目(十二支(じゅうにし)の子(ね)と午(うま)の年)ごとの4月中旬
  (4)文化財の概要 1文化財の特色
   せりふ中心である能楽の狂言と異なり、仮面を付け無言で演じるもので、江戸時代に京都の「壬生狂言」が伝わった。現在、京都で既に行われなくなった演目や和久里独特の演目を伝承し、他に類例が少ない。
2文化財の説明
   和久里壬生狂言(わくりみぶきょうげん)は、福井県小浜市(おばまし)和久里地区で、6年目ごとの4月中旬に、同地区の西方寺(せいほうじ)境内に舞台を仮設し、鰐口(わにぐち)と太鼓、笛の伴奏にのせ、仮面を付けた演技者が、滑稽な内容の芝居を無言で演じるものである。
   これらは京都市の『壬生狂言』(重要無形民俗文化財・昭和51年指定)が伝わったものとされる。京都の壬生狂言は14世紀初めに創始され、江戸時代初期に、ほぼ現在の形式に整ったものとされる。それらが江戸時代に小浜市に伝わり、さらに明治6年から和久里地区で伝承されるようになった。
   和久里壬生狂言は、京都の壬生狂言が伝わったものだが、既に京都では行われなくなった演目を現在も伝承し、また和久里独自の演目や演技手法を伝えるなど、我が国の芸能の変遷の過程や地域的特色を示し重要である。


2   白鳥(しろとり)の拝殿踊(はいでんおどり)
  (1)文化財の所在地    岐阜県郡上郡(ぐじょうぐん)白鳥町
  (2)保護団体 白鳥拝殿踊り(しろとりはいでんおどり)保存会
  (3)公開期日 8月17日、20日ほか
  (4)文化財の概要 1文化財の特色
   下駄履きの踊り手が板張りの神社拝殿で、楽器を使わずに踊り手自身が歌いながら軽快に踊るもので、盆踊の古い姿を伝えている。
2文化財の説明
   白鳥(しろとり)の拝殿踊(はいでのおどり)は、岐阜県郡上郡(ぐじょうぐん)白鳥町で、毎年8月下旬を中心に、町内の神社拝殿で踊られている。拝殿の天井中央にキリコ(切子灯籠(きろことうろう))を下げ、踊り手は下駄履きで、踊り手の中から歌い出す者がいて、それにあわせて他の踊り手が歌いながら踊る。三味線や太鼓などの楽器の伴奏はなく、拝殿の板床を踏みならす下駄の音が踊りの調子を整えていく軽快な踊りである。白鳥地域では18世紀に拝殿で夜通し踊ったという記録がある。
   神社拝殿など板敷きの堂内での下駄履きの踊りは、岐阜県のほか富山県や奈良県などで行われていたとされ、今も岡山県などで踊るところがある。
   それらの中で白鳥の拝殿踊は、楽器の伴奏がなく、踊り手自身が歌いながら多様な曲目を軽快に踊るもので、我が国の芸能の変遷過程や地域的特色を示し重要である。


3   養父(やぶ)のネッテイ相撲
  (1)文化財の所在地    兵庫県養父郡養父町(やぶぐんやぶちょう)
  (2)保護団体 水谷神社ねっていずもう保存会
  (3)公開期日 10月第2月曜日
  (4)文化財の概要 1文化財の特色
   儀礼的な相撲の所作を行い悪霊を鎮め豊作を感謝する類例の少ない行事
2文化財の説明
   養父のネッテイ相撲は、兵庫県養父郡養父町奥米地(おくめいじ)に鎮座する水谷神社の祭礼に行われる儀礼的な相撲で、奥米地の各戸が10組に分かれて、毎年順に世話役を務めている。
   この相撲は、神社境内で氏子の成年男子2人が向き合って四股を踏んだ後、互いの首を抱え込みかけ声をかけながら右回りに一回りするなどの所作を数度繰り返して終わる。
   養父のネッテイ相撲は、悪霊鎮めと作物の稔りを感謝するもので、伝統的な神観念を窺う上で貴重な習俗として注目されるものである。当該地域では類例の少ない儀礼であるが、相撲の取り手が固定化する傾向が見られるなど、伝承が変貌・衰退する恐れが高い。


4   岡山県の会陽(えよう)の習俗
  (1)文化財の所在地    岡山県
  (2)保護団体  
  (3)公開期日 2月第3土曜日他
  (4)文化財の概要 1文化財の特色
   国家安泰などを祈る寺院行事が民俗化したもので、勇壮な裸祭がみもの
2文化財の説明
   岡山県南部を中心に、会陽あるいは裸祭りと呼ばれる行事が伝承されている。岡山市の西大寺(さいだいじ)、金山寺(きんざんじ)、美作町(みまさかちょう)の安養寺(あんようじ)などでは現在も行われており、備前市の恵美須宮、落合町の木山寺などでもかつて行われていたことが知られている。
   シンギ(宝木)を得た者は福を得ると信じられており、裸で参集した大勢の人々が、御福窓(おふくまど)から投下されるシンギを奪いあう。
   この行事は、年始にあたって国家安泰や万民豊楽、五穀豊穣を祈願する修正会が民俗行事化したもので、民間信仰の変遷を知る上でも貴重な行事である。岡山県内では同種の行事が複数存在していたことが知られているが、一部を除いて衰滅しており、現在継承されているものも習俗の消滅や変容が見られるなど、衰退・変貌の恐れが高い。


5   野見(のみ)のシオバカリ
  (1)文化財の所在地    高知県須崎(すさき)市
  (2)保護団体 野見潮はかり保存会
  (3)公開期日 旧暦1月14日(2月下旬頃)
  (4)文化財の概要 1文化財の特色
   根付き竹を海中に立てて豊漁を祈願し、傾き方で漁の豊凶を占う行事
2文化財の説明
   野見のシオバカリは、高知県須崎市の野見地区に伝わる小正月の行事で、毎年旧暦1月14日の夜に行われる。漁業に従事する青年たちが、木遣り唄に合わせて、短冊などで飾られたシオバカリと呼ばれる長さ十数メートル程の根付き竹で地区内を搗いて回った後、深夜の干潮時にシオバカリを海中に立てて一年の安全や大漁を祈願するとともに、その傾き方で漁の豊凶を占う。
   この行事は、漁業に関する小正月の予祝行事として注目されるものであり、我が国の年中行事や民間信仰を理解する上で貴重である。また、シオバカリと呼ばれる作り物を海中に立てる儀礼がみられるなど地域的特色も豊かな行事であるが、時代の推移に伴う生業の変化によって、衰退・変貌のおそれが高くなりつつある。


6   呼子(よぶこ)の大綱引き
  (1)文化財の所在地    佐賀県東松浦郡呼子町(ひがしまつうらぐんよぶこちょう)
  (2)保護団体 呼子大綱引振興会
  (3)公開期日 6月第1土・日曜日
  (4)文化財の概要 1文化財の特色
   古くは五月節供に行われた綱引き行事で、九州北部では数少ない事例
2文化財の説明
    呼子の大綱引きは、佐賀県東松浦郡呼子町呼子に伝承される行事で、呼子の各集落がサキカタ(浜組)とウラカタ(岡組)に分かれて綱を引き合い、漁や作物の出来の善し悪しを占う行事で、サキカタが勝てば豊漁、ウラカタが勝てば豊作になるといわれている。
   この行事は、豊漁・豊作祈願の要素を強く持っているが、本来は五月節供に行われた行事で、子どもの無事成長を祈願する意味もあった。
   盆に行われる綱引きが多い九州北部地方にあって、数少ない五月節供の綱引きの伝統を引く行事で、全国的な比較の上からも重要なものである。


7   竹(たけ)ン芸(げい)   
  (1)文化財の所在地 長崎県長崎市
  (2)保護団体 若宮稲荷(わかみやいなり)神社竹(たけ)ン芸(げい)保存会
  (3)公開期日 10月14日、15日
  (4)文化財の概要 1文化財の特色
   狐に扮した者が、高さ10メートル余りの竹に登って曲芸的な演技を行うもので、他に類例が少ない。
2文化財の説明
   竹(やけ)ン芸(げい)は、長崎市伊良林(いらばやし)地区の若宮稲荷(わかみやいなり)神社で、毎年10月14日と15日に、同社境内に高さ10メートル余りの高さの竹を2本立て、白装束に狐面をかけた若者2名が、その竹に登り、笛と締太鼓、三味線の伴奏にのせて、曲芸的な演技を披露するものである。なお脇に高さ5メートルほどの竹が立てられていて、子どもが同様に白装束に狐の面を付け、若者の演技に先立って、簡単に構成された演技を披露している。
   竹ン芸は、19世紀前半から同市諏訪神社の長崎くんちに奉納され、明治29年から若宮稲荷神社で公開されるようになった。竹ン芸は、江戸時代に中国の踊りから学んだとも伝えるが、室町時代から近世初頭に流行した「蜘蛛舞(くもまい)」という曲芸との関連も窺わせ、また演じ手を狐と位置づけることなど、芸能の変遷過程や地域的特色を示し重要である。


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