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資料1

第6回私的録音録画小委員会における意見の概要

1. 制度全体の問題について
 文化のためと言っても、一部の利益のために薄く広く消費者全体から徴収するシステムである以上は説明責任、透明性、公平性が強く求められると思うが、補償金制度自体の周知も、補償金額がどのように決定されているかの説明も不十分である。もう少しきちんと説明責任、透明性、公平性を確保していただきたい。

 大きく見て、私的複製によって権利者は利益を全く得ていないのか。全く私的複製を許さない世界になったら売り上げが上がるのか。メーカーや消費者の利益を議論するのであれば、権利者の利益と損失のバランスも考えた上で重大な利益の損失が生じているかどうかを検討することが不可欠であると考えるが、権利者の反論は反論になっていない。

 消費者に対する権利者の説明責任が十分でないという意見は承るが、消費者の代表も私的録音補償金管理協会(sarah)の理事になっておられるが一度も理事会に出席されていない。少なくとも持ち帰って周知をする役割は負っていたのではないか。

 権利者側として日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合の提出資料などから不利益の一端について説明をしてきているが、全て数値化して説明できるものではないから先に行こうということで、具体的制度設計の議論に入っている。30条1項の範囲から外す5項目について詳細な議論を重ねた上で、今期の小委員会の議論がある。

 平成18年第6回私的録音録画小委員会では海外及び国内の実態調査結果が報告されており、権利者によって損害が立証されていないという発言は行き過ぎではないか。

 補償金制度が導入される前に、著作者が補償金制度についてどう認識していたかについては、JASRAC(ジャスラック)の理事長を務められていた芥川也寸志氏の文書(資料7−3、7−4)に詳しく記載されているので説明する。
 私的録音録画は新しい形の著作物の利用形態であり、一人一人の行為はごくささやかでも社会全体では巨大になるが、その利益が著作者に分配されていないために著作者に生じる不利益は、ベルヌ条約9条2項の範囲を超えている。そういう状況を放置しておくことは文化的視野から見ても不適切であり、技術の進歩や社会の変化に取り残されない文化的な制度の再構築が急務である。補償金制度は不適切な状態を是正するための新しい文化的な制度である。
 問題の本質は私的録音録画によるレコードの売り上げ減少のような次元ではない。著作者、演奏家、受け手の三者の環の交流の中でこそ音楽文化は発展するものであり、複製の増殖で音楽を消耗し尽くしてしまうとしたら文化としての成長発展は止まってしまう。補償金制度によって、音楽をめぐる善意や自由、自然の気持ちを生かすことが大切ではないか。西ドイツの最高裁判決の言葉を借りれば、「個人の芸術的要求の満足には、精神的創作者に対する感謝、義務が結びついている。それは創作に対する個人的および経済的利益を法律上有効に保護することによって償われる」。
 補償金制度によってユーザーの自由は確保され、権利侵害の恐れもなくなるが、メーカーには補償金徴収の手数がかかる。しかし現代の企業の社会的役割、責任の大きさからも、ぜひ引き受けていただきたい。技術進歩の音楽文化発展への寄与は事実だが、それによって権利者の不利益が相殺されるという考えは誤りであろう。
 著作者は、重大な利益の損失の説明について、19年ほど前からこのように認識をしてきているということを申し上げておく。

 インターネットの普及やIT化の進展で音楽や映像の提供方法、利用方法、ユーザーの視聴スタイルに大きな変化が起こっているが、今の著作権法等の法制度、様々な産業の形態、各者の立ち位置は昔の環境に立脚している。社会環境の大きな変化の中でそもそも私的録音録画補償金制度がどうあるべきかを大きな視野で考えることが重要であり、これまでの議論の経緯を追ったり、現行制度を前提にしたりするような形でいくら議論をしても、新しい法体系に向かって改革をしていくということは非常に難しいのではないか。この小委員会が新しい体系への議論の場ではないのならば、いったん議論を凍結したほうが良いのではないか。

 社会環境が新しい大きな体系に変化していく時に古い制度をどこまで保護するかは微妙な問題で、恣意的に法制度で操作するということになるからあまりすべきではなく、自然に任せた最適化が一番マクロ的に良いと思う。消費者に見えにくい補償金制度で調整することは、余分な操作をしているだけではないか。

 市場での調整を経て音楽視聴の提供の方法が変わった結果、消費者の支払い方が変化しているということもあるので、CDの売り上げが減って著作権収入が減っているという前提は違うのではないか。

 現在の補償の必要性の議論に納得性がないということも事実と思う。

 議論のために、小委員会としてもう一度ファクトファインディングをしてみたほうがいいのではないか。

 現状を放置するという方法論も分かるが、著作権制度には文化の観点から絶対保護しなければいけない権利とビジネスの部分があり、事実、後者として著作権使用料は減ってきており、前者も減っている。補償金制度が最上とは考えていないが、見直しの効くリーズナブルな制度として必要ではないか。

 自然に任せると、例えば最盛期40億円あった補償金は8億円になってしまうが、私的複製の実態は減っているわけもなく、自然に任せて死んでしまえといわれているような気がする。

 30条1項の範囲をまず明確化して限定したうえ、CDと放送を具体的に想定した制度というところまで詰めたうえで、評価機関を設けてフレキシビリティを持たせたというのが見直し案の考え方。

 補償金制度の認知度は低く、高めていく必要性は感じており、苦労している。しかし、消費者代表が外野にいながら認知度が低いことについて権利者やメーカーが悪いということはいかがなものなのか。権利者、メーカー、消費者団体がそれぞれ前向きに認知度を高めていく取組みが求められているのではないか。

 エンドユーザーの著作物の利用形態の変化の原因は、インターネットによる著作物利用の多様化、エンドユーザーの可処分時間の変化などの環境変化が大きい。

 インターネットの登場により、コミュニケーションがコンテンツ化するなど、著作権の主要なプレーヤーがユーザーに変わってきたことを踏まえると、文化を守るために録音と録画だけを議論して著作権法自体を変えていこうというところに本質論的問題があると思う。

 薄く広く消費者からお金を徴収するということに対する責任感は文化という言葉を使えば何でも許されてしまうのか。利益を守ってほしいと思うなら、それを主張する者が広めるべき。

 そもそも補償とは何かという基本的な理解について2つの立場があり、それぞれ前提が違うから話が食い違ってきているのではないか。
 1つは、私的複製は本来無償で自由にできるはずという立場である。この場合、権利者に不利益が生ずる場合の補償の必要性については、その具体的な損害額の立証を権利者に要求し、立証できない限りは原則どおり私的複製は無許諾・無償にできると考え、具体的な不利益の立証や補償金の徴収は、権利者側の責任で行うべきだということになる。
 もう1つは、仮に30条がないとユーザーは権利者に個別に許諾を取って適当な使用料を払い複製することとなって不便なため、法律が適当な報酬を条件に私的複製について権利者に強制的に許諾を強制しているという立場である。補償金制度をこの立場から見ると、本来個別に許諾を求めた場合に使用料の支払いが生じることになるので、一般的に補償の必要性があることになる。しかし、個別徴収ができない以上、徴収の方法や金額の決定について制度設計が必要になることになる。原則に戻し30条を廃止すればメーカーに対する訴訟が起き、その中で一定の秩序ができ、また補償金制度を採用することになるかも知れないが、そこまで戻して放置するのはよくないという点で大方意見が一致しているところで、補償金制度という別の道を探ろうということになる。
 後者の立場では、強制許諾なので基本的な補償の必要性は発生しているため、前提問題の大議論をする必要はなく、入り口のところでそれほど議論する必要はないこととなるが、前者の立場に立つと、本来無償から出発するので、入り口で補償の必要性の具体的立証の議論が必要となる。

 著作権自体の大きな枠組みは他の小委員会で議論すべき問題。補償金制度を作った当時はそれが議論の結果最適であったのだろうと思うが、私的録音録画小委員会では、技術の変化がどうなっているのか、それによって何が現在一番適当なのか、そのために現在の法制をどう改正すべきかを中心に議論していただきたい。

 著作権は極めて人工的な権利であり、その時代の技術状況や社会状況にあわせて変化する。30条ができた当時は、複製機器が現在ほど発展・普及しておらず私的複製が問題にならなかっただけであり、その後の複製機器の発達によって私的複製の補償が問題になってきたため補償金制度が導入された。さらに補償金制度を導入した時期と現在を比べるとまた技術が変わっており、その技術を踏まえた上で補償金制度をどう考えるのかということが必要だと考える。

2. 第30条の範囲の縮小について
 違法複製物・違法サイトからの録音録画は、30条1項から除外することが必要不可欠だと考えているが、有料放送からの録音録画に関しては、特に技術的保護手段での担保がない上で、受信契約のみによるエンフォースメントしかできない状況であり問題だ。

 30条の範囲の縮小に賛成。違法配信・有料放送からの録音録画の除外については分かりにくいことがあるが、ルールを整え関係者の理解を得た上で除外していただきたい。

 現在、無許諾複製物のアップロードは公衆送信権侵害、送信可能化権侵害となっているが、ダウンロードは違法と明示されていない。これは、アップロードが多数のダウンロードを惹起する点で法益侵害が強い一方で、ダウンロードは法益侵害の程度が軽微なため類型的に可罰的違法性を欠いているからだと理解している。しかし、インターネットにおける違法流通がこれだけ増殖している今、個々のダウンロードは軽微でも総量は膨大化しており、違法行為であることは明白であることから、第30条の範囲外とすることが妥当であると考えている。

 違法複製物や違法サイトを無くすための努力がまず必要であり、いたずらに法律違反が増えることだけで終わってしまってはいけない。

 違法配信・有料放送からの録音録画の除外については、適法配信のビジネスの仕組みの中でどういう合意が得られるのかがポイントになってくるので、そこを見極めなければいけないと思う。

 30条の範囲の縮小は結構だが、放送局は基本的に複製を前提としない形で権利者団体等と契約しており、有料放送でも同じ。適法配信と有料放送はビジネスモデルが一般的に違う。

 補償金を機器・媒体から回収できないことを承知しておきながら、何故複製されることを前提にした契約ができないのか疑問に思う。利用者からすれば、適法配信、有料放送、場合によってはレンタルなどのように複製を前提とした利用形態の中では、当然どこかで私的複製の対価が徴収されていると考える余地もあるだろうと思う。だからただちに30条から除くのかというのは別の議論が必要だと思うが、契約と30条の関係という論点もこの前提条件の整理の中で議論したほうがよいのではないか。

 放送局は、利用者の複製を想定しているからこそ、有料放送の中で、ペイパービューについてはコピー禁止までエンコードできるようにしてほしい、ペイテレビの場合は1世代のコピーまで許せる技術がほしいとメーカーに要求しているし、複製されることが想定されるからこそ、複製後のコントロールのレベルのあり方について昨今議論になっているのだと思う。複製を想定している前提がある中で、なぜ録画を含めて上流で権利処理を行うことに合理的な理由がないと考えているのか。

 放送においても、30条により無許諾の複製が許されている以上、その範囲での複製は想定せざるを得ない。上流で権利処理を行うとすると、実際に複製をしない消費者、複製機器・媒体を持たない消費者にも結果的に何らかの負担をさせる懸念もあり、現行の補償金制度を前提に制度設計をしたほうがいいのではないか。

 私的録音録画の規模が拡大してきていることを認めた上で、自由に私的録音録画できる世界というものをある程度残しておいたほうがいいのではないかと思う。そのうえでコンテンツクリエーターをいかにリスペクトしていくかが1つの議論になるのではないか。

 デジタル化、ネットワーク化の激しいイノベーションの中で、権利者とユーザーの具体的な利害調整の仕組みの経済性、合理性が前提として必要ではないか。上流の権利処理は理念的にはあり得ると思うが、波及効果、影響をきちんと把握して詰めることに非常に時間がかかるため、やはり現在の制度を改善することが望ましいのではないか。

 30条の範囲の縮小に反対。ファイル交換にも合法なサービスがあるなど、エンドユーザーにとって何が違法か合法は非常に分かりづらく、ダウンロードする側に一方的に負担をかける法改正について根本的な疑問がある。違法性が高いものを複製権や送信可能化権で個別具体的に対処することで、実際に効果も上がっており、十分事足りるのではないか。違法な状況の対処のためには、資料6にある30条第1項への但書追加を検討すべきと思う。

 資料6の但書による実効性や規範性についても議論すると厚みが増すのではないか。30条だけというより、権利制限規定全体の一般条項的なものとして意味があるのではないか。

 30条の範囲の縮小の有無で補償金の対象の範囲も変わってくる。補償金制度は妥協の産物であり、ブランケット的な制度であるが、混沌とした状況が数十年は続きそうだということであれば、まだこの制度も多少意味があるという気もしており結論が出ない。

 「違法サイト」とは何かについて議論していないが、サイト自体を「違法サイト」としてそこからのダウンロードを一律に違法と決めつけてよいのか。社団法人日本レコード協会による「違法配信の識別方法に関する検討」(中間報告)の説明中の、P2Pやファイル投稿掲示板は違法の可能性が極めて高いという発言には賛同しかねる。違法複製物の流通に何らかのたがをはめるべきという原則には賛成であるが、「ウェブ上のものも含む違法複製物」と表現すれば十分である。

 同じサイトの中でも合法なものと違法なものと両方があり得るわけであるから、仮に法制化ということになれば、その点にも十分留意した規定ぶりとすべき。

 上流での権利処理については、現在の契約が私的複製の対価を含んでいるかどうかではなく、契約関係が存在している場合には今後は契約でカバーすればよいのではないかという趣旨で事務局から案が提出されているということであれば、現在の契約内容に拘わらず、契約でカバーできるものは30条の範囲から外すことがありえるのではないか。適法配信、有料放送等が外されるなら同様にレンタルなども議論されて然るべき。

 放送について、権利者とユーザーが契約で私的複製について処理するためには、ペイパービューに加え、権利者側がコピーコントロールについて自由に選択できることが少なくとも議論の前提条件になる。

 違法サイトからのダウンロードを30条1項の範囲から外すことについては、条文の作り方によって、一方的にユーザーに負担がかかることにはならないと思う。

 これまでの社会と家庭が隔絶された非常にクローズな時代と、今のネットで接続されて家庭と社会とが結びついている時代においては、私的複製で許容される範囲に関する概念が変化して然るべき。違法にアップロードされたものから家庭でどんどんダウンロードされるのは健全な社会とは考えられない。文化の発展のために権利保護と利用をどう調整するかという観点からも絶対必要な法改正事項だと思う。

 30条から違法複製を除外しても、ユーザーに対して本当に権利行使をするのかという問題があり、社会的に弊害のほうが大きいのではないか、実効性ない立法に意味があるかという懸念がある。しかし何もしなくていいというわけではないので、「但し、著作物の通常の利用を妨げるものではあってはならず、かつ著作者の正当な利益を不当に害するものであってはならない」という但書を加えることで、違法複製の場合だけではなく30条全般の問題についてケースバイケースで判断したらどうか。

 違法コンテンツをダウンロードできる状況が健全な状況ではないという話について、20パーセントくらいはそう言い切れない部分があると考えている。レコード会社やアーティストなどのコンテンツの配信方法がようやくインターネット時代に適応してきたのだから、実効性が分からない法改正より、コンテンツ提供側の工夫のほうがむしろ効果は高いのではないか。

 30条の範囲の縮小は利用者の行動に相当影響する。違法複製物の除外と適法配信・有料放送の除外は別物であり、後者は二重取りがあるので30条から外すことはユーザーの利益に資するところだと思うが、違法複製物の除外は注意しないと複製権侵害の問題になるので、文書表現に注意をお願いしたい。

 仮に違法複製を30条から外すとすると、「情を知って」という条件の要件を厳密に詰めた上で議論しないと法的な不安が払拭されない。

 細かい要件の詰めは法制局との関係もあるので、小委員会では方針を決ればよいと思う。


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