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文化政策部会(第9回)議事録

1.日時: 平成16年7月28日(水曜日) 10時〜12時

2.場所: 東京會舘本館12階 カトレア・チェリールーム

3. 出席者:
(委員) 高階委員、津田委員、富澤委員、川本委員、熊倉委員、都築委員、根木委員、山野委員、吉本委員、米屋委員
(事務局) 河合文化庁長官、加茂川文化庁次長、森口文化庁審議官、寺脇文化部長、湯山文化財鑑査官 他

4. 議題:
(1) 地域文化の振興と発信について
事例発表と意見交換
1 行政の立場からの地域文化の振興
(河井章夫 日立市生活環境部長)
2 美術館・博物館を通じた地域文化の振興
(山本一博 能登川町立博物館館長補佐)
3 伝統文化を通じた地域文化の振興
(村井喜一 小松曳山八町連絡協議会会長)
(関戸昌郎 小松曳山八町連絡協議会副会長)
(2) その他

5. 議事
高階部会長 皆様、おはようございます。ただいまから文化審議会文化政策部会第9回を開催いたします。本日はご多忙の中ご出席いただきまして、まことにありがとうございます。
 初めに、前回ご欠席された委員の先生で今日ご出席いただいている方をご紹介いたします。
 東京芸術大学助教授の熊倉純子委員でございます。

熊倉委員 熊倉です。よろしくお願いいたします。

高階部会長 続きまして、文化庁の方で人事異動があったようでございますが、事務局からご紹介をお願いいたします。

吉田政策課長 7月1日付で文化庁に人事異動がございました。文化庁次長でございますけれども、素川から加茂川に交代いたしました。
 また、文化財部長についてでございますが、今日は出張中のため欠席をさせていただいておりますが、木曽から辰野にかわっております。それから、政策課長でございますが、尾山から私、吉田にかわりましたので、よろしくお願い申し上げます。
 以上でございます。

高階部会長 よろしくお願いします。
 それでは、早速議事に入りたいと思いますが、まず事務局から配付資料の確認をお願いいたします。

吉田政策課長 お手元の議事日程の下に資料1から4までをお配りさせていただいております。
 資料の1は、前回第8回の議事録でございます。資料の2、3、4は、今回事例発表していただきます団体などからお出しいただいた資料でございます。何か不備がございましたら、事務局の方にお申し付けいただきますようお願いいたします。

高階部会長 ありがとうございます。
 それでは、前回の部会におきまして議事の公開についてご検討いただきまして、議事の要旨ではなく議事録を公表するということにさせていただきました。資料1の前回第8回の議事録(案)につきましては、委員の皆様に内容をご確認いただき、ご意見がございましたら、1週間以内、8月8日の水曜日までに事務局にご連絡をお願いいたします。
 前回から本文化政策部会では、地域文化の振興と発信について審議を開始したところですが、本日はそれぞれの地域で地域文化の振興と発信についてさまざまな取り組みを進めておられます方々に、事例発表をしていただこうと思っております。本日は3団体の方々にお越しいただいております。1団体目は行政の立場からの地域文化の振興ということで、日立市生活環境部長の河井章夫様です。2団体目は、美術館・博物館を通じた地域文化の振興ということで、能登川町立博物館館長補佐の山本一博様です。3団体目は、伝統文化を通じた地域文化の振興ということで、小松曳山八町連絡協議会から村井喜一様、関戸昌郎様のお二方です。3団体の方からの事例発表と意見交換をほぼ30分ずつ行った後、最後に、事例発表を踏まえて20分程度で各委員の自由討議ということとさせていただきたいと思います。
 そこで、まず河井章夫日立市生活環境部長より行政の立場からの地域文化の振興について事例発表を10分ほどお願いして、その後で20分程度意見交換を行いたいと思っております。河井部長、よろしくお願いいたします。

河井章夫氏 日立市の河井と申します。どうぞよろしくお願いします。
 それでは、レジュメに従いましてご報告させていただきます。レジュメは通しページになっておりますが、間にパンフレット等が入っておりまして、ページが抜けておりますので、ご理解いただきたいと思います。1ページ目にございますような話の順序にしたいと思っています。
 まず、2ページでございます。日立市の文化史でございますが、スタートは企業と全国から転入してきた従業員の文化活動がスタートでございます。その後、幅広い市民の文化活動を展開していったということでございます。そしてもう一つの特徴は、常に市民参加を念頭に置いてきたということでございます。
 年表を拾い読みさせていただきますと、1889年、市制・町村制施行で初めて日立という名称がつく村ができまして、1905年、日立鉱山、これが後の日本鉱業でございます。それから、1910年、日立鉱山の機械修理部門が2年後に日立製作所として成立いたしました。こういう企業の福利厚生の一環として、本山劇場、現在、登録文化財である共楽館が残っているということでございます。
 それから、鉱山吹奏楽団、日立製作所吹奏楽団、これは当時、外国から高価な楽譜を購入して、かなりレベルの高い活動をしていたと考えております。それから戦後は、合唱団、交響楽団が発足しています。
 右の欄に行きまして、1965年、市民会館が開館ということでございます。1,400人のホールでございますが、当時、茨城県内にホールらしいものは3つございまして、そのうち2つが日立市にあるという状況でございました。
 それから、1976年の下段の方ですが、財団法人日立市民文化事業団が発足。これは100%市民の寄附によって発足しました。先ほどの市民会館の運営をするためでございます。
 それから、この文化事業団は鑑賞型の文化事業を展開してまいりましたが、大きな転機を迎えましたのは1990年、日立シビックセンターの開館でございます。シビックセンターを運営するため、科学文化情報財団が設立されたました。日立シビックセンターは、JR日立駅前の開発の一環として建設されまして、音楽ホール、科学館、図書館等を整備した総合文化施設でございます。建設の目的は、日立市の都心部における人々の交流の拡大ということを大きな目的としております。それを受けまして、第1回の音楽祭が催されました。この音楽祭は、市民の合唱、吹奏楽、オーケストラ等の各分野の発表を兼ねた音楽祭でございましたが、その中からより総合的な活動ができないかという意見が出てきまして、オペラ活動につながったということでございます。
 3ページでございます。日立市にとってオペラをつくるということは全く未知のことでございますので、それから大変な作業が続くわけでございますが、まず市民の懇談会を発足しまして、大賀先生、原先生等を訪問しまして、いろいろご指導を受けました。
 まずオペラをつくってみようということで、ストーリーの公募を開始しました。1995年の季刊「ひたちオペラ市民」でございますが、これは市民向けの広報紙でございます。
 1996年、ニューイヤーオペラコンサート、これはその後毎年開催しておりますが、市民に手軽に低廉な価格でオペラを楽しんでもらうという趣旨でございます。その後、ひたち市民オペラを育てる会が発足しました。この会に「もてなしチーム」という組織をつくりまして、ここに飲食業、旅行業、ホテル業の方たちにも入っていただきました。その後、オペラは金がかかる、なじみがないという意見もあったわけでございますが、こういう直接オペラにかかわらない、「もてなしチーム」のメンバーが、そうではなくオペラはまちづくりに必要だという意見を大分広めてくれまして、それが中断せずにつながっている大きな要因となっております。
 それから、同じ年に第1回の全国オペラフォーラムが開催されております。これは、地方のオペラ団体の横の交流がないということを受けまして、そういう交流を図ろうという趣旨で開始されました。また、日立市にとっては外客の誘致、あるいはオペラづくりの先人に学ぶという趣旨もあり、今年度までに、第9回まで開催を継続しております。
 1997年には、全国オペラ情報紙「ニュースオペラフォーラム」を刊行しました。これは全国向けの各地方団体でのオペラの公演情報紙でございます。
 それから、オペラサロン「オペラとクッキーコンサート」でございます。これは、生活の芸術化という言葉がございますが、逆にオペラの方から市民生活に近づこうということで、公民館、小学校、中学校、大学等で開催するものでございまして、以後毎年数回継続しております。同時にスタッフの養成も行っており、第1回目の発表として1999年、「ある町の小さなフィガロ」公演を行いました。
 2000年、第5回ニューイヤーオペラで「水の声」を公演しました。これはストーリーを公募した作品でございます。公募から6年たっておりました。また、オペラ制作講座やその実践編等を継続しております。
 2003年には、オペラを育てる会からオペラによるまちづくりの会、オペラをつくる人たちを中心とした会へと発展的改善をしました。全国オペラネットワークでございますが、これはオペラフォーラムの参加者の中からインターネットによる組織化によって横の連携を図ろうというものでございまして、2003年に発足いたしました。それから、この年からH響がニューイヤーオペラコンサートに参加ということでございまして、音楽ホール、合唱団、オーケストラのオペラづくりの3点がそろった体制になりました。
 2004年でございますが、合唱講座、それからオペラ大学等を実施しております。
 2005年には、野外オペラで「カルメン」を行うということを予定しております。これは、平成20年に国民文化会が茨城県で予定されておりますが、オペラを日立で開催してもらおうと、その際には野外オペラをやろうという準備を兼ねているということでございます。
 オペラの歩みにつきましては、日立市にとっては未知のチャレンジでございましたが、企画実施を市民中心に行いまして、かつまちづくりの一環として、経済界の方も含めて幅広い市民参加でやってきたというのが特徴ではないかと思います。
 次のページは、本年のオペラフォーラムのパンフレットでございます。1枚めくっていただきますと、右ほどに日程がございます。一番上にオペラ名曲大全集とございますが、これはオペラを学ぶ人たちの発表の場を設けようということで、公募によるものでございます。
 それから、2日目の日程の下段、各地のオペラ団体活動、これが好評でございまして、発表したい団体4団体が発表したということでございます。
 続きまして、次のパンフレットでございます。ひたち秋祭りでございます。郷土芸能によるお祭りをつくろうということで、今年で13年目でございます。この写真は会場の風景でございます。
 次のページでございますが、日立市にも伝統芸能がございます。そこにございますように、国指定重要有形・無形民俗文化財の「日立風流物」がございます。1枚めくっていただきますと、古い写真がございます。
 それから、もう1枚めくっていただきますと、地元4町内、4台の山車、高さ13メートルの山車でございますが、それが五層のステージに開いて人形芝居が行われるというものでございます。この人形はからくり人形になってございます。
 4ページ目のレジュメに移ります。このような伝統芸能はございますが、市民がもっと気軽に楽しめる郷土芸能づくりをということで始めた事業でございます。今までの実績がそこにずっと書いてございますが、まず第1に日立の保育園児に「荒馬踊り」をやっていただいております。3、4年前から、全公立・私立の保育園児が参加しておりまして、現場の保母さんからは、これが終わると子供たちが自分のことは全部自分でやるようになるとか、かなりの教育的な効果があるということを聞いております。
 それから、2番目の「日立さんさ踊り」、これは盛岡のさんさ踊りをけいこしているものでございまして、高校生にも広めようとしております。
 それから、3番目は中学生対象でございまして、久慈中という中学校において北海道稚内南中学校のソーラン踊り、河原子中学校において沖縄のエイサーをやっていただいておりまして、地元のお祭りや運動会等でも発表する等々の活躍をしていただいています。
 4番は太鼓の会のグループを結成しました。
 5番目は、広く市民の寄附金を集めて屋台をつくったということでございます。
 5ページでございます。この伝統芸能に合わせまして、2年前から全国の青少年の交流事業も含ませていただきました。そこにございますように、平成14年は韓国の民族芸能、愛知県の福祉大学、秋田県の高校生等も招聘して交流をしておりますし、昨年は新潟県、岩手県、宮城県からそれぞれお招きしております。今年は、沖縄県、山形県から中学生、高校生をお招きしまして、郷土芸能の交流を2日目に行うということで進んでおります。
 「ひたち国際大道芸」でございます。本年度で14年目になりますが、14年前のスタート時は日立市民にとっては全くなじみの薄いものでございました。最近でこそ東京都が取り組んでおられますので、かなり広まってきておりますが、当時はなじみの薄いものでございまして、日立市民に新しい文化を享受してもらおうと、あるいは地元の活性化をねらうということで始めた事業でございます。アートマーケット、キッズスタッフ、フェイスペイント、ジプシー屋台、といった市民の参加によるプログラムがございます。
 ボランティアスタッフの一覧表ですが、小学生から中学生の清掃スタッフまで、約400人弱のボランティアが参加しているということでございます。
 少し横道にそれますが、6ページの左側のリーフレットの一番上でございますが、作曲家の吉田正先生の音楽記念館が今年4月にオープンいたしましたので、来市の折はぜひおり寄りいただきたいと思います。
 7ページに移ります。文化体験プログラム支援事業でございます。現在の日立の文化活動の中心は、企業を退職した方など高齢者が多数を占めており、子供たちの参加が少なく、子供たちは1人で遊ぶ機会が増加して、世代間の交流が少なくなり、文化に触れるチャンスが少ないということから、文化協会が子供たちにどう伝承しようということを議論し始めた矢先に、文化庁がこのような補助事業をつくっていただきましたので、早速取り組みをしたということでございます。
 初年度は9プログラム、昨年度は24プログラムを実施しました。参加延べ人員は昨年度で2,515人でございました。
 8ページに事業を実施した成果がございますが、5行目の後半にありますように、後継者問題には各団体においても関心が高いことが確認されたということでございます。また、子供たちの感想を聞くと、子供たちの文化に対するニーズが非常に強いということが確認されました。
 次の9ページの写真でございますが、文化体験プログラムの風景でございます。日ごろお年寄りばかりで活動をしている人たちにとっては、非常によろこばしい風景だということでございます。
 それから、10ページでございますが、全小中学生に文化体験のパスポートを作成しました。具体的にはこのような冊子でございますが、これを全小中学生に配付させていただいたということです。
 11ページでございます。文化少年団を設立いたしました。目的の(1)から(4)にございますように、後継者の養成、子供の文化の体験、親子で楽しめる、そのような柱を立てまして文化少年団を設立し始め、幾つかの団体が団員募集を始めております。
 最後に、ひたちこども芸術祭でございます。2月に開催予定ですが、各団体の発表の場としてだけではなくて、子供たちが文化に触れ、感じることができる体験型芸術祭にしたいと思っております。
 レジュメの発表は以上でございますが、まとめといたしまして、日立市の文化事業を過去10年程度のものを総括しますと、日立市にとって幅広い市民活動、福祉から青少年育成、防災等、そのような幅広い文化活動に取り組んでいる市民自体が一つの資源でございまして、このような市民を中心に、新しいことに、新しい体制をつくってチャレンジしてきたと言えるのではないかと思います。
 それから、単なる文化振興という説明ではなく、交流人口の拡大、最近の言葉で申し上げますとコンベンション機能の強化の取り組みということを明確にしまして、経済界も参加していただいたということが特徴でございます。いわゆる文化的な事業に使う経費が消費的な経費ではなくて、まちづくりのための投資的な経費なんだということをご理解いただくように努力したということでございます。
 もう1点は、我々が事業をする中で、全国的な交流、情報交換に努めてまいったということでございます。特に一般市民ばかりでなくて、全国的な実践をしているアドバイザーの方々との長期的なおつき合いができているということも特徴でございます。本日、芸団協の米屋さんもおいでですが、10数年前には芸団協との文化協定なるものも結びまして、協力体制をつくりまして、伝統芸能につきましては、当時の専門員の方がいまだにおつき合いいただいており、アドバイスをいただいています。
 最後に課題を1つだけ申し上げますと、やはり子供たちの文化活動の参加、伝承でございます。少子高齢化ということで、コミュニティーのあり方が非常に問われておりますが、日本のコミュニティーにとってスポーツもそうですが、郷土芸能等の文化活動が非常に重要な要素でございまして、子供たちの友人づくり、それから学区・世代を超えた交流づくり、それからコミュニティーの一体感の醸成というものについて、非常に重要ではないかと思っております。日立市では、スポーツ少年団が先行して立派な活動をしておりますが、それに負けないような文化少年団を結成したいと思っております。
 以上でございます。ありがとうございました。

高階部会長 河井部長、どうもありがとうございました。
 それでは、ただいまの事例発表を踏まえて、20分程度自由に意見交換を行いたいと思います。ご質問も含めて結構でございます。どなたからでもご発言をお願いしたいと思います。大変いろいろご活動をされておられますが、お聞きになりたいようなことはございますでしょうか。はい、山野委員。

山野委員 とてもすばらしい活動で、感銘を受けました。私は舞踊を専門としているのですが、舞踊は日本舞踊だけしか入ってないのかと、少し残念に思いました。来年「カルメン」をなさるということですが、「カルメン」はダンスシーンもあるのではないかと思いますので、洋舞関係の方も仲間に入れていただけるような予定はないのでしょうか。

河井章夫氏 2001年に「トゥーランドット」の野外公演を行いました。地元の高校生のバレエ部の方にも参加していただきましたし、シビックセンターではバレエの講座も実施しております。

高階部会長 ほかにいかがでしょう。はい、川本委員。

川本委員 地域の文化のあり方に興味がありまして、冒頭で「もてなしチーム」ということをおっしゃいましたね。ひたち市民オペラを育てる会の中での「もてなしチーム」というのは、具体的にはどういう役割を担っているのか、ほかのチームとどういうような仕分けをしているのか、お伺いしたい。

河井章夫氏 ご存じのとおり、日立市は鉱工業で発達した町でございまして、かつては外からの観光客を受け入れるという土壌のあまりない町でございました。「もてなしチーム」というのは、そういうことから、外からの観光客にもっと来ていただこうということで発足いたしました。
 具体的な活動は、まず1つはオペラフォーラムの際のもてなしでございますが、一流の料理店の社長さん等も入ってございますので、目の前でカツオをさばいたり、すしを握ってごちそうするというようなこと、あるいは4月にさくらまつりがございますが、そのときにこの「もてなしチーム」がお土産を売る、あるいはそれ以外の、例えばさくらサミット等の全国会議等が開かれますが、その場でお土産販売やパーティーの仕切りをするというような活動を主に行っております。

川本委員 もう1点質問ですが、全日本オペラネットワークというのはどういう組織なのでしょうか。多分オペラをやりたいという各種の集まりのネットワークだろうと思いますが、そのネットワークが、例えば一つの団体がオペラをつくったときに、ネットワーク的に他の団体が何かそばで上演するということでしょうか。そのための文化会館などの機能や規模の調査もなさっているのでしょうか。ネットワークというのは、地域ごとのコミュニケーションなのか、それとももっと先進的なこともなさっているのかどうか。

河井章夫氏 私どもがつくりましたオペラ団体要覧では、86団体の登録がございまして、これらをインターネットで横に結びたいということでございます。それから、メーリングリストを今年度から開設いたしまして、そこでの情報交換、意見交換をしたいということでございます。当然、議論の中では、先生が今おっしゃったようなこともできるような組織という提案もございましたが、やはり財源、それから事務局を担う者の力量等からいって、まだできないのではないかということで、インターネット上の組織化をまずは行う予定でございます。

高階部会長 はい、津田委員どうぞ。

津田委員 本当に多彩なことをなさっていらっしゃるので、感心しています。特にオペラの活動は、恐らくまちおこしにつながるだろうと思うのですが、もう少し素朴な質問で、今、北海道でYOSAKOI(よさこい)ソーラン祭りというのがあって、冬は雪祭り、6月はソーラン祭りで、100万以上の人が出るといいます。日立でも伝統芸能のうち各地区でなさっているものが、そういうパワーになれば本当にいいなと思います。今のお話では、盛岡のさんさ踊りをやっているところがあり、中学校によってはソーラン、中学校によってはエイサーということでしたが。
 確かにソーランは稚内の非行がおさまったというぐらいに、エネルギーがあり、いいものではあるけれども、せっかくやるのなら、中学校ごとに違う踊りをするよりは、日立で一つの、全部同じ踊りで盛り上げていって、もう少し将来日立の名物になるようなものを育てていけば、これだけの努力で住民参加もあるので、何か名物になるものができるのではないかなと思いました。余りにもいろいろなことをやり過ぎなのではないかなと思ったのですが、それはどうですか。

河井章夫氏 当然そういう議論があって、日立らしいものを、日立オリジナルのものという議論があります。それでは、日立らしいものを日立のオリジナルというものは何なのかということを考えたときに、やはり最初は借り物でもいいから、郷土芸能が楽しいということをまず体験してもらおうと、そういうものの中から何か生まれてくるのではないかと思っております。
 もっと割り切って言えば、郷土芸能というのは全国各地100年前、200年前に、どこからか伝わってきたものがそこに残っているということもございまして、私どもはこういう作業を20年、30年やっていく中で、何か新しい芽が出ないかと思っております。
 現在、郷土芸能に取り組んでいる中学校は2校ですが、学校の先生の理解、現場での指導、そういう体制が現実に組めないということで、2校にとどまっているという状況がございます。そういう意味では、保育園は私立が中心になっており、競争関係にございますので、積極的に取り組んでおり、保育園では全保育園に広まっています。そのような違いがあります。

高階部会長 はい、富澤委員どうぞ。

富澤委員 私も津田さんがおっしゃるのと同じような印象を持ったのですが、このような市民参加型の文化事業は発信型ですよね。YOSAKOI(よさこい)ソーランは、まさに北海道から全国に発信していると思うのですけれども、むしろ日立の場合は本当にオペラから郷土芸能、大道芸まで幅広くやっておられるので、安心しています。
 その中で、特に私がすごいなと思うのは、これは最近始めたのでしょうけれども、ともすればこういうものはシニアの人が集まって趣味的にやるのでしょうけれど、若い人を発掘しているというか、若い人に参加をしてもらっている、子供、少年を含めているという点だと思います。例えば文化少年団とか、このパスポートなんかもよくできていると思います。これは最近始めたことなのでしょうか。

河井章夫氏 パスポートにつきましては、文化庁の文化体験プログラム支援事業の一部として作成しており、平成14年度から支援をいただいております。
 先ほど申し上げましたように、地元の文化協会に30団体が加入しておりますが、その議論の中で、後継者や子供に対して文化をどう伝えたらいいのかという真剣な議論がありまして、その際にタイミングよく文化庁の補助事業ができたので、取り組みを始めました。

富澤委員 体験プログラム、例えば14年度は600人だったのが15年2,500人、急速に数がふえていますよね。これはやはり、学校に呼びかけて先生方を中心にふやしていくということなんですか。

河井章夫氏 募集につきましては、小中学校を通して募集しましたが、実施したのは、例えば囲碁連盟とか、日本舞踊とか、民謡民部連といった市民の組織です。
 それと、急速に参加人数が伸びましたのは、これは文化庁の方の方が事情に詳しいと思うのですが、募集期間が2年目の方が若干余裕があったので、準備ができたというわけです。初年度は、ある程度こういう補助事業が出そうだという情報はつかんでおりましたが、県経由で募集した期間が非常に短いこともございまして、約10団体近くの参加でした。

高階部会長 ほかにいかがでございましょうか。はい、吉本委員。

吉本委員 2つお伺いしたいことがあるのですが、まず河井さんは生活環境部長という所属になっていられるのですが、生活環境部の中に文化を担当なさっている、例えば文化振興課などのセクションがあるのでしょうか。つまり、これだけの事業をやろうとすると相当な人手がかかるのではないかと思いまして。もう1つ、今の質問にも関係するのですけれども、この文化体験パスポートで、例えば子供たちがこの事業、舞踊に参加したいといった場合というのは、例えば総合学習の時間などで行われるのでしょうか。このようなことをやろうとすると、学校の先生方はとても忙しくてなかなか対応できないという話をよく聞くものですから、これは実際どういう仕組みでやっておられるのかということをもう少し教えていただけたらなと思います。

河井章夫氏 最初の質問でございますが、よくそういう質問を受けるので、私の担当はごみと文化だと申し上げることにしています。もう少し詳しく申し上げますと、コミュニティーと文化活動、環境、ごみ、廃棄物を担当しております。日立市の場合には、文化政策がかなりの部分、教育委員会から市長部局の方に移っております。音楽ホール、科学館、文化協会は市長部局で、教育委員会は図書館、博物館、公民館、生涯学習、学校教育を担当するという形で、文化関係は市長部局で担当しております。
 2番目のご質問でございますが、これは先ほど申し上げましたとおり、先生を煩わせましたのは、各クラスで募集のチラシ、それからパスポートを配っていただくということだけでございまして、指導、それからその後の募集の作業は、市民グループや各文化団体の方がおやりになるということでございます。学校の先生に活躍してもらおうということでは、多分できないのが現状でございます。

吉本委員 そうすると、実際は土日とか夏休みにやるということですか。

河井章夫氏 はい。

高階部会長 今の吉本委員の質問に関して、私もちょっと伺いたいのですが、財団法人として日立市科学文化情報財団を設立されるということですが、それ以前の市民文化事業団というのは、もうオペラはやらないということですか。

河井章夫氏 日立市議会の行革委員からも、2つを1つにという意見が出ておりますが、成り立ち、役割がそれぞれ違うということで、調整させていただきたいと思います。
 市民文化事業団は、市民が主体となって主に鑑賞型の、発足が昭和40年代というとどうしても鑑賞型の事業になりますけれども、鑑賞型の文化事業をしてございます。独立採算的に成り立つものを実施しており、理事長も市民でございます。
 科学文化情報財団は、先ほど申し上げましたように、駅前開発の拠点施設で交流人口拡大のための事業を行っております。昨年度までは市長が理事長でございまして、1億円の交付金を白紙でもらって、商店街、商工会議所等々との連携を強めながら、財団の方で検討して事業を行っております。したがって2つの財団の特徴が違っているわけでございます。

高階部会長 オペラをやっておられるということですが、そうすると担当者、例えばオペラを専門的にやっておられるような方がこの財団にいらっしゃるのですか。例えば、国際的にも活躍している専門家でしばらくずっとそこにおられる方が、財団あるいはシビックセンターにおられるということでしょうか。あるいは出向でどんどん担当者は変わるというようなことがあるのでしょうか。

河井章夫氏 現在、市から出向しているのは3人でございまして、この3人は現場には立ちません。現場にはもう10年以上担当の財団の職員がございまして、オペラにつきましても先ほど申し上げました芸団協の専門委員であった佐藤克明先生等のアドバイスを受けながら、職員が育ってきております。担当は全国区で知名度も高くなってきております。

高階部会長 大変結構だと思います。ほかに何かございますでしょうか。米屋委員、今、芸団協のお話がありましたが、ご意見などございますか。

米屋委員 私が芸団協に勤務するようになったころ、ちょうどこのお話があったのですが、特定の地域と余り密な関係はどうかと、個人に任せようという話し合いがあって、それで佐藤克明さんや荒馬座の方ですとか、そういった方にお任せするようになったという経緯がございました。それがこのように育っているということを、今日うれしく聞きました。
 1つお伺いしたいのですけれども、日立市としてこれだけ広範囲のことをやっていらっしゃいますが、その目的として、今、交流人口の拡大などということもありましたけれども、最終的には市民がどの程度楽しんでいるかというところだと思うのですが、その辺の目標を達成してるかどうかの把握は、どのようにされようとしているのかをお伺いしたいと思います。

河井章夫氏 地方都市、特に10万を超える都市はそうだと思うのですが、特に日立市は全国から人が集まってきておりまして、学歴も高卒から博士号を持っている人まで多様です。特に日立市においては、文化の分野を特定することができず、幅広い文化の機会を追求する人がいると思っております。
 私どもの財団でも、この4つ以外にもいろいろなもの、アジアの芸能とか、いろいろなものも含めて事業を行っております。それが幅広過ぎるとは思っておりませんで、それぞれの分野にそれぞれの市民組織ができております。ですから、まだまだ市民の需要にこたえられないかなというような気がしております。
 特に、先ほど山野先生からございました洋舞関係でございますとか、まだまだ足らないものもございますので、市民の幅広い文化に触れたい、文化をつくりたいという要求に幅の広さでまだこたえきれていないと認識しておりまして、機会があればどんどん広げていきたいと考えております。ただ、これは全て税金でまかなわれているというのは認識する必要があると思っています。

高階部会長 ありがとうございました。では、意見交換はこのあたりにしたいと思います。河井部長、本当にありがとうございました。
 引き続きまして、能登川町立博物館館長補佐である山本一博様より、「美術館・博物館を通じた地域文化の振興」について、やはり事例発表を10分ほどお願いして、その後20分程度意見交換を行いたいと思いますが、山本様、よろしくお願いいたします。

山本一博氏 山本でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 前の画面を使ってご説明をさせていただきたいと思います。映像と同じものはお手元に資料として配付してあると思いますので、参考にしていただければと思います。
 まず、私どもの館の所在地ですが、滋賀県能登川町でございます。能登川町と申しますのは、位置的には近江商人の町の近江八幡、そして井伊大老の彦根のちょうど真ん中あたりに位置しております。こういうところでご説明するときは、織田信長の安土城跡の半分は能登川町にありますという表現を使っています。能登川町にとりまして、安土城跡は国指定の唯一の文化財なんですが、能登川町の人口は2万3,000ほどの小さな町でございます。
 平成10年11月8日に開館をいたしまして、今年の秋で7年目を迎えます。複合施設でございまして、図書館部分、博物館部分、共用部分がございます。これらは同一棟でございますが、別棟でもう1つ、埋蔵文化財センターがございます。この3館は同時に開館をいたしまして、文化振興の拠点ということで仕事をしております。
 それで、この館を建設するに当たりまして、基本的に我々が考えたことでございますが、1つは一度しか行かない博物館は要らないということです。住民に何度でも来ていただきたいということを中心に据えました。私どものような小さな自治体で、博物館、資料館を設けましても、開館のときに人がたくさんお越しになりますが、それ以後はなかなか継続的に利用していただけないという現状がありますので、それを何とか打破しようという一つの方法として、非常に冒険的ではありますが、常設展はつくらないことにしました。
 2つ目に、今日ご説明を申し上げます「地域学芸員」という考え方を取り入れました。この「地域学芸員」でございますが、まず博物館ができたときに、どういったニーズが地域の方からあるだろうということを考えた場合、恐らく最大のニーズは地域のことに関することだろうと、地域の自然、文化、歴史、そういうことについて問い合わせや活動をしたいというようなことがあるのではないかと考えました。
 しかし、考えてみますと、地域のことはなかなか資料化されていない。住民の方がお越しになっても、冊子であるとか、何かまとまったものになっていることはあまりありません。安土城についてはたくさんの本が出ていますが、そのときに能登川町内にいた豪族のことはどうだというようなものが何もないというのが現状でございます。そのようなものをどうしていこうかと考えたときに、地域のことは地域の人が一番知っているのではないだろうかと気づいたわけです。さらにその一方で、先ほど日立市の方もおっしゃいましたが、町内にも専門家の方はいらっしゃるだろうと、詳しい方もいらっしゃるだろうと考えました。そういう人たちを取り込んでといいますか、一緒になって活動してはどうだろうと思い、地域の人はすべて学芸員という位置づけをしようではないかという考えを持ちました。これを「地域学芸員」と呼ぶことにいたしまして、基本方針などに盛り込んでまいりました。
 具体的には今申しましたように、「地域学芸員」と一緒に活動していこう、博物館が持っている収集・調査研究・展示・教育といった機能を地域の人と一緒になって利用するといいますか、地域の方に開放し、またその機能を使っていただくということを基本に据えて、建設をさせていただきました。そして、開館以後この方針に沿って活動をしていただいていおります。
 活動事例といたしまして1つご紹介いたします。琵琶湖博物館が滋賀県では非常に先進的な取り組みをしておりまして、市町村の博物館もこれに触発される部分がありますが、その琵琶湖博物館が「滋賀のトンボ」という調査結果をまとめられました。その中には当然、能登川町の町域に生息するトンボも一覧となってあります。これを見た「地域学芸員」のうちトンボに興味を持っている方々が、それなら町内に来るトンボを全部集めて標本にして展示しようじゃないかということをおっしゃってくださいました。トンボをとり、標本にしはじめたところ、子供たちも標本にするのを手伝ったりして、最終的に「能登川のトンボ滋賀のトンボ」という形で展示に結びつけていただきました。この「地域学芸員」の方々は、能登川の水生生物調査会というグループの方々でございます。開館当初よりいろいろとご支援いただきまして、今では学校の総合学習、あるいは環境学習の自然系の講師を直接学校から頼まれて行ったり、また他の市町村のそういった催しの講師の依頼もくるというような状況でございます。
 2つ目に人文系の活動としまして1つご紹介させていただきたいのは、これも展示としては「北須田の歴史展」という展示をさせていただきました。北須田と申しますのは、町内にある一つの集落の名前でございますが、その集落の歴史を紹介する展示でございます。こういった展示はどこにもあるかと思いますが、その集落にあります文書絵図等を展示してあるんですが、ここで活躍していただいたのは川村弘さんという方ですが、この方は長い間町を離れておられまして、定年退職後、町へ帰って来られまして、たまたま区有文書が再発見されるという場面に遭遇されまして、それに触発されて、今までは全然興味なかったということでしたが、文書の解読、それも地域の中で実行委員会をつくるなどして、解読をし、その成果を展示発表していただきました。さらに、県が催します高齢者大学の中でその発表をされ、その講演記録が県から出版されるというようなこともございまして、今年の春には、それ以後の成果も合わせて一冊の本としてまとめられました。また、先ほどのサークルの方々もそうですが、町内の歴史サークルの講演会の講師なども務めたりしておられます。
 そこで、我々の活動のポイントといいますか、実際建設をして運用をしていく中で、どんなことがポイントになっているかということを改めて考えてみると、既成概念の払拭と反省ということが言えると思います。従来の資料館、博物館の考え方を変えるということです。少々まとまっていないかもしれませんが、4つの項目を挙げさせていただきました。
 まず第1には、博物館は住民のためにあるのだということを、やはり職員としては肝に銘じなければいけないだろうということを思いました。そして、2つ目に今までの資料館、博物館は、資料のことばかりに重きを置いて、利用者の方を余り見ていなかった、これは1番目にも共通するわけなんですが、資料の方へ向き過ぎていたのではないかと思います。そして、利用者と資料を結びつけると言いながら、なかなか本当は結びつけていなかったのではないでしょうか。学芸員が調査研究をして、その成果を展示で発表して、それを還元するというのが、我々小さな規模の館ではなかなかうまくいかないのではないだろうかということで、利用者と資料を直接結びつけるようなことをしようということを考えました。
 また、これも職員に関することですが、学芸員といいますと、外部からは我々も先生というようなことを言われるときがあります。そんな先生ではありませんと、我々は役場の職員ですということで、もちろん研究的な意欲も持たなくてはならないのですが、そればかりが先行し過ぎると、やはり利用者の人たちと距離ができてしまうだろうということで、言ってしまえば我々職員の意識改革が必要なのではないだろうかということを思っております。以上このようなことを考えて活動をしております。
 今後の課題ということで、先ほど申しましたように、今年の秋で7年目になりますが、振り返って課題をまとめてみますと、1つはここに示しましたように、既存の博物館の概念では今までは博物館内の職員と資料で完結していたのですが、我々は地域の方を巻き込むということで、もう少し輪を広げましたので、「地域学芸員」の方々とのよい関係を継続できるようなシステムやルールを明文化しようと考えております。
 もう1つは、参加者、見学者、「地域学芸員」の方、資料、我々職員と様々なファクターがありますので、その辺をどのようにすり合わせていくか、どのような関係を今後創っていくべきなのかが課題であると考えています。我々職員はそのコーディネーターとしての資質を向上させていかなくてはいけないと考えております。我々も探したのですが、今までこのような事例がありませんし、五里霧中のような形でやっているような状況でございますが、我々の今の途中経過といたしまして、ご報告は以上でございます。
 ご参考になるかどうかわかりませんが、ご意見をいただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

高階部会長 はい、ありがとうございました。大変おもしろいというか、啓発されるお仕事でございます。では、ただいまのご発表に関してご質問なりご意見どうぞ。はい、まず熊倉委員、それから根木委員の順序でお願いします。

熊倉委員 大変興味深く拝聴をいたしました。まさにご指摘のとおりで、美術館・博物館の学芸員という方々に、まさに地域の中に眠っているアマチュアの専門家の方々のコーディネーター的な資質が求められているのに、学芸員の資格を取るに当たって、なかなかそういうことを教えていらっしゃる大学がないというのは寂しいところだと思います。能登川町の博物館にはプロフェッショナルの学芸員という方は1人もいらっしゃらないのですか。

山本一博氏 博物館に3名の職員が配置されておりますが、我々は一応、学芸員の資格はもっております。

熊倉委員 学芸員として、研究実績のあられる方はいらっしゃらないということですか。

山本一博氏 そういった意味では、我々はプロフェッショナルではないと思います。

熊倉委員 その辺の部分は客員学芸員という方が補ってくれるという考え方でいらっしゃいますか。

山本一博氏 私を含め当館の学芸員はもともとは発掘調査から入った者ですので、考古学や歴史についてはある程度専門知識を持っております。しかし、ほかの分野は当然3人では網羅できないので、地域におられる方の力で、自然系のことであるとか、また我々の力が及ばないところを助けていただいているということでございます。
 表現を変えますと、「地域学芸員」という部分は非常勤学芸員といいますか、町民の方でそういう学芸員的な仕事をしていただいているという、言葉をかえれば非常勤学芸員に置きかえられるかなと思います。

熊倉委員 それでは、非常勤という形で、割と恒常的に博物館にかかわっていらっしゃるのですか。

山本一博氏 それぞれの個人の方の感覚で、週に一回お越しになる方もいらっしゃれば、適宜という方もいらっしゃいます。今までたくさん企画展をしているのですが、自分の専門分野には足繁く通って援助をいただくとか、そういうことです。

高階部会長 はい、ありがとうございます。それでは、根木委員どうぞ。

根木委員 私も今、活動の実態を拝聴しまして、大変感銘を受けました。今後の課題のことで、熊倉さんと同じような質問になるかもしれませんが、先ほどおっしゃっておられました地域学芸員活動のルール、システムの構築ということが今後の課題だとおっしゃいましたけれども、もうちょっとこの点を突っ込んで、今お考えになっていらっしゃることをお伺いをしたいということが1つと、いま一つは学校との連携といったようなことをどうお考えになっていらっしゃるのか、その2点をうかがわせていただければありがたいのですが。

山本一博氏 まず、第1点目のルール、システムの構築についてですが、現在、館内で「地域学芸員」の方に活動いただいておりますが、一般の来館者の方が見た場合、あの人は一体何者だと思われると思うのです。そうした場合に、実は当館では「地域学芸員」というシステムがございまして、登録をするなり、また申し込みをするなり、しかるべきところにきちんと名簿があって、その方々はこういう活動をされているということをきっちりと明示するべきだろうと考えております。今のところそういうものがなくて、本当に人間関係だけで成り立っていて、非常に微妙なところだと思いますので、そこを補強して、例えば我々が異動しても、それが継続するということにしたいと思っております。
 2点目のご質問で学校との連携でございますが、我々は、学校は営業に行くべきところという位置づけをしておりまして、学校の現場の先生は非常にお忙しいということは聞いているのですけれども、そこへこちらから訪問しまして、先生何かお役に立つことはございませんかと、こちらが売り込みに行っております。小さな町でございますので、小学校は4校しかございませんし、中学校も1校しかございません。総合学習などで、学校側からも問い合わせがございますし、こういう対応でどうでしょうという経験を蓄積していきますと、逆にそれから類推して学校の方へこの時期だからこんなことはどうでしょうというようなことを売り込みに行っております。学校は足繁く通うべき第1のお得意さんという位置づけで、目を離さないようにしております。

高階部会長 よろしゅうございますか。どうぞ、米屋委員。

米屋委員 住民中心というお話を伺って、大変すばらしいと思ったのですが、住民というのは能登川町の中に住んでいる方だけなのか、あるいは滋賀県下の近隣の方の来館者ですとか、そういった方へのアプローチというところも視野に入れて活動をしていらっしゃるのか、その辺を伺わせていただきたいと思いました。

山本一博氏 見学者については町内に住んでいる方ばかりということではございません。私どもは冒頭で申し上げましたように、図書館との複合施設でございまして、図書館は入館無料になっておりますので、我々の方も入館無料になっております。展示室も貸しギャラリーということで、開放しております。展示の機能を開放するということです。展示につきましても、町外町内という枠は設けておりません。ただ、能登川町の博物館でございますので、活動は能登川のことにこだわるという点だけは外さないということで、それに趣旨が合うようでしたら、町内外に関わらず、この施設を使っていただくようにしております。

高階部会長 はいどうぞ、津田委員、次に吉本委員。

津田委員 せっかくつくったこういう施設をうまく利用していただかないといけないという意味では、非常にいい取組なのだけれども、町の人口が2万3,000人であることを考えるとかなり立派な博物館です。平成9年というとバブルもはじけた後だと思います。私は母親の出身が近江八幡なので、あの辺のことは非常によく知っているのですが、いわゆる市町村ごとにこういうものを建てていると、非常に財政上非効率なのではないでしょうか。例えば、さきほどのトンボだって、近江八幡から能登川へ飛びますよね。非常に立派な施設が市町村ごとに既にできてきて、今後、市町村合併が進んでいくとなると、これは大変大きな問題になります。維持費も相当かかりませんか。

山本一博氏 大きい建物ですのでかなり維持費がかかります。

津田委員 維持費は大変な負担になっていると思うし、文化政策の一番根本的な点があるのではないかなと思って、どういう経過でできたのか聞きたいのですが、これは町だけではなくて、国や県から補助金などが出てできたのですか。

山本一博氏 まず、ニーズは図書館でした。図書館が欲しいという町民の方々のニーズがございまして、一方で埋蔵文化財の発掘、民俗調査、民具の収集等を行う必要がございまして、それを合わせて、県の補助金をいただき、建設が進められました。

津田委員 今日の趣旨と違うので、これ以上は聞きませんが、だからよっぽどうまく利用してもらわないと困るという気がします。できたものは利用しないともったいないのだから、ぜひ全国のモデルケースになるように活動してください。

高階部会長 じゃ、吉本委員どうぞ。

吉本委員 私も市町村のことで少しお伺いしたいです。今は能登川町の町長なり町議会なりの決断があれば、こういうユニークな運営というのはできると思うのですけれども、合併の話が進んでいらっしゃいますよね。合併されて市になったときに、こういう非常に地域に密着した、まさしく「地域学芸員」というのはそうだと思うのですが、こういう地域を基盤にした施設というのがどうなるのかというのが、全国各地でいろんな博物館、美術館だけじゃなくて、文化ホールでもそういう危機感を持っていらっしゃる方が大勢いらっしゃるので、そのあたりのことをどうお考えなのかという点を少しお尋ねしたかったのですが。

山本一博氏 合併についてでございますが、実は能登川町は滋賀県下でトップを切って合併の協議をしていたのですが、途中でとんざいたしまして、逆に合併の協議の進捗が一番遅くなってしまい、どことも合併ができない状況にございます。施設の運営費は高額ですので、我々の方は合併しても合併しなくても危機的な状況になるだろうと思っています。ただ、そのときに住民の方から、あそこは置いておいてくれよと言っていただけるように努力したいと思っております。
 何度も申し上げますが、我々は図書館との複合施設ですが、恐らく図書館を閉館すると言ったら町民からかなり大きな反響があろうと思います。しかし、資料館、博物館を閉館すると言っても、それほどの反響はないのではないかと思っております。そのときに、学校の子供たち、先生などが、あそこでいろいろ教えてもらったとか、「地域学芸員」から話を聞いたとか、授業をしてもらったとか、そういう声が上がって、何とか存続できないかと思っております。このような背景もあって足繁く学校へ行っております。
 もう一つ、介護医療に伴う「回想法」での民具利用ですか、あれは少子高齢化の中でこれから非常に需要があるのではないかと思っております。先駆的に取り組んでおられるところがございますので、その辺を研究して、我々もそれに追随して、資料の新たな活用方法を見つけていけば、何とか危機は乗り切れるのではないかと、多少考えが甘いかもしれませんが、そのようなことを考えて、この合併の時期の日々を過ごしております。

高階部会長 よろしゅうございましょうか。根木委員、何かございますか。

根木委員 埋蔵センターとの連携がどうなっているのかということと、それから先ほど話に出ておりましたけれども、1つの町内だけで立派な施設をおつくりになったわけですが、周辺の他の博物館などとのネットワークといいますか連携はどのようにお考えになっているのか、その2点をお願いしたいと思います。

山本一博氏 埋文センターとの関係は、収納スペースをある程度相互利用しております。計画当初は埋文センターと博物館で一つの収納スペースという計画ができていたのですが、途中で埋文センターには大きな収納スペースが必要ということで、別個に大きな収蔵スペースをつくったという経緯がございます。もう1つは、埋文センターは土日が休館日、博物館は月火が休館日ということにしておりまして、一応1週間いつでも必ずどちらかは見ていただけるという連携をしております。また、埋蔵文化財センターの方は発掘調査が主な機能になっておりまして、展示機能は博物館で主に担うということで、機能分担をして運用しております。また、様々な催しや体験学習的な授業も一部を除いて博物館の方で、特に自然研究系の体験学習等の支援などを行っています。
 実は合併の話がとんざしたとはいうものの、そういう経緯がございましたので、その過程で、博物館、資料館は個性を出せという方針がございまして、各市町村が個性を出した施設になるべく努力しております。例えば、隣町の五個荘町というところでは、近江商人にまつわる展示を特徴にしております。そのような特徴が能登川ではなかったものですから、何とも個性のないというのが個性でしたので、その部分では逆手にとったような形で地域密着という個性を出しております。また、自然系の部分がほかの博物館では弱いように思います。どちらかというと歴史系が多いので、そこで何かすみ分けができるのではないかということを合併のときに感じておりました。
 そして、総体的にはいろいろな方が博物館にいらっしゃって、自分からその機能を使うということが特徴になることによって、存続は可能であろうと考えております。

高階部会長 はい、どうぞ、富澤委員。

富澤委員 簡単に少しご質問したいのですけれども、私も関西に住んでいて、能登川町にこんな立派な博物館があるということは知らなかったのですけれど、それは皮肉で言っているのではなくて内容的にも大変すばらしいものだと思いますが、かつて安土城があった地あるいは近江商人の発祥の地だということですが、施設をつくるときに安土城を復元しようというような声も当然あったかと思うのですけれども、そうではなく博物館にしたのはどのような経緯があったのでしょうか。お聞かせください。

山本一博氏 おそらく、安土城はあくまで安土城でございまして、安土町という自治体もございますし、今、滋賀県の教育委員会が安土城の調査整備もされております。能登川町がそこへお金を投入いたしましても、安土町が全部持っていくということになってしまいます。やはりどうしても能登川町は安土城の裏側という意識はぬぐい切れないもので、安土城をメインに据えるということはできませんでした。
 そして、近江商人も我々の町からも出ておりますが、近江八幡市や五箇荘町には負けます。そういった意味で、本当に器用貧乏といいますか、いいものはあるのですが、それよりちょっと上手が周りにたくさんあるので、結局、町内の人を対象に町内のことをということに落ちついたようです。

高階部会長 大変に個性的な活動をしておられると思います。「地域学芸員」等の活動は大変すばらしいと思いますが、その成果のようなものは、やはり資料としてとっておかれるのでしょうか。例えば、トンボの標本など新しい資料が出てきていると思いますが、その保存なり、あるいは管理なり再利用というようなことはお考えなのでしょうか。

山本一博氏 今の例で申し上げますと、トンボですと70種類ほど町内にいるトンボを全部とっていただきまして、標本をつくっていただきました。それは収蔵品として、今、収蔵庫に納めております。そして常設展を持っていないかわりに月1度企画展をさせていただいておりますが、企画展をする際にはその都度印刷物をつくりまして、その成果をまとめております。また、総合学習の中で子供たちが地域のことを調べてきたときは、その標本などを参考になるように使っていただいています。印刷物は自分たちがワープロで打って刷ったものなので、ペラペラのものですが、一応必ずそういうものをつくっております。

高階部会長 ありがとうございます。大変すばらしい活動だと思います。それでは、このあたりにいたしまして、山本様、どうもありがとうございました。
 引き続きまして、小松曳山八町連絡協議会の村井会長、関戸副会長より、「伝統芸能を通じた地域文化の振興」について、また10分ほどお話をいただいて、その後、意見交換をしたいと思います。村井会長、関戸副会長、わざわざおいでいただきましてありがとうございます。よろしくお願いします。

関戸昌郎氏 関戸でございます。村井会長にかわりまして、私の方から説明をしたいと思います。
 私、このような文章を書くこと、またこのような場所でお話しすることが初めてなものでございますので、不備なところがあるかと思いますが、ご容赦いただきたいと思います。
 私たちの小松曳山八町連絡協議会というのは、小松市の旧市内にあります神社、本折日吉神社、菟橋神社の春祭りに、子供歌舞伎を奉納する曳山を持つ八町の会が相互に連絡調整し、曳山の上演や曳揃え行事及び曳山の保存を統括する団体でございます。
 あとは後々またご説明いたしますが、私たち小松市は石川県の加賀平野の中心部にございまして、霊峰白山から日本海まで、幅広い地域で構成されております。古くから能の「安宅」、それから歌舞伎の「勧進帳」で知られるところでございまして、また、芭蕉の句で「無残やな、かぶとの下のきりぎりす」でも有名なかぶとがここにもございます。それで、また平清盛の愛妾、仏御前の生誕の地でもございます。
 産業の方は平安時代から献上の絹を織っておりまして、鎌倉時代に聖護院門跡道興が「誰かもと 織り染めつらん 喜びを 加うる国の 絹の経て緯き」と詠んでおられるように、絹織物が盛んなところでございます。特に、前田3代の利常公の時分に産業殖産に力を入れられまして、町内に活気がみなぎり、町民文化も大変栄えておりました。茶の湯、謡曲はもちろんのこと、浄瑠璃、三味線も盛んに行われ、戦前においては師匠、弟子を含めまして200人以上もの方が習ってございました。今でも墓地へ行きますと、墓ではなくて顕彰碑が45基ずらっと並んでいたりします。明治の初年から昭和初期までそのようなことが行われました。お弟子さんがお師匠さんの碑をつくられて並べてございます。竹本、倭国太夫、伊達太夫、鶴沢、野沢という名前の碑がたくさんございます。全国的にこういうのは珍しいんじゃないかなというふうに思っております。
 お祭りにつきましては、お旅祭と申しまして、旧市内の2カ所のお宮さんのお祭りで、5月に盛大に行われます。両神社のみこしが氏子町内を回りまして、そのためにお旅祭という名前がついておりましす。慶安4年の「小松旧記」というのに書かれておりまして、350年余り前より連綿と続いております。
 お祭りの中でも、特に曳山は250年も続いておりまして、曳山はその上で子供歌舞伎を上演するものでございます。特に、現在は小学生高学年の子どもが一生に1度だけ上演することになっており、一生懸命に演じております。文化14年に書かれた「蛍のひかり」に小松祭りとして明和3年、1766年から曳山ができたというように書かれており、それが今でも通説になっておるものでございます。
 昭和初年までは10基あったのですが、5年と7年の小松市旧市内の大火で市内のほとんどが焼け、その際に2基が消失しております。そのときに文献なども多く消失しており、本当に残念だと思っております。
 曳山の構造は、幅が3メートル、奥行き7メートル、高さ6メートルという舞台でございまして、建造当時は白木のままだったようですが、文化年間以後には徐々に漆塗り、それから金箔を施し、彫刻とかいろいろなものを加えて、現在の姿に仕上げられております。
 私は曳山は総合芸術だと思っております。ハードの部分は曳山の本体に、先ほど申しました漆塗り、それから金箔を施して、いろいろな芸術的なものを加えております。特に小松は浄土真宗の盛んなところで、仏壇を模して曳山もそのようにできてございます。ソフトの面につきましては、もちろん太夫、浄瑠璃、三味線が盛んであるということで、近年までは、私の町内は60軒ほどですが、60軒の中で太夫、浄瑠璃、三味線を全部賄ってきたわけですが、残念ながら今では、私の町内にはおいでにならないというような現状でございます。
 先程も申しましたように、昭和初期の2度の大火によって市内がほとんど焼失しまして、その後急遽家を建てました。その当時建てた家が現在もそのまま残っている町並みがたくさんありまして、伝統的保存区域に順ずる町並みとして曳山に似合う場所として、これを保存したいと思い、歴史文化回廊協議会というものを立ち上げて、町並み保存に努力をしているような次第でございます。町名も江戸時代につけられたままの町名が現在も残っていたりします。
 次に、我々曳山八町の協議会の活動でございますが、戦後各町が交代で2基ずつということで、4年に1度の交代交代に上演するということがルールになりまして、現在まで続いているわけですが、戦前は好きなときに各町内の若い衆が主体的に今年はこれをやりましょうかということで、曳山を上演したそうでございまして、1年に5基出ることもあれば、1基だけのときもあるということでございました。当時より五人衆という制度がございまして、その五人衆が町内から曳山を借りまして、上演を全部取り仕切るわけです。この五人衆を経験しなければ町衆の役員になれないというような言い伝えも昔はあったようでございます。
 私たち曳山の協議会ができてからは、曳山八町曳揃えということで、8基全部を一堂に市役所前の広場に会しまして、夜ライトアップしたところでそのうち2基が上演し、あと6基がその横に並んで、盛り上げるということをやっております。
 曳山は、毎年お祭りの始まる前に組み立てまして、お祭りが終わるとばらばらにしまして、町内の土蔵の中に収蔵しております。お祭りが始まる前になりますと、町内総出でそれを組み立てるわけです。これも専門家の大工さんは一切おりませんので、町内総出でああでもないこうでもないというふうにして組み立てております。だんだんそれもわからなくなるといけないと思いまして、マニュアルなどをつくろうという動きもございます。それによって町民が皆一緒になって組み立てられるという、町内の融和ということも起きるわけであります。
 先ほども申しました五人衆制度というのがありまして、若い衆は電気方、囃し方、狂言方というように順々に上へ上がっていって、最後は五人衆になるという制度があるんですが、きょう現在、町内の若い人の人数が減ってきているもので、その制度の維持が大変難しくなってきているというのが今のところの悩みでございます。
 次に、子ども歌舞伎のことでございますが、大体小学校の3年生から6年生がやりまして、4年に一度の晴れ舞台になるわけですが、踊りの素養も何もないので、それを振りつけの方が上手に教え込みまして、約2カ月の間に一流の役者にまで仕上げて稽古をやっております。
 活動の成功点でございますが、我々がそれだけやったことによりまして、「全国子供歌舞伎フェスティバル」がNHKさんにおいて取り上げていただきまして、全国放送されるようになりました。今年で7回続いております。今年もお祭りのときに同時に上演されております。余談ですが、今年の1月23日にNHKホールにおきまして伝統文化の発表ということで、子供歌舞伎として、函館の子供歌舞伎と同時に小松も上演いたしました。曳山もNHKホールに持っていって、その場で組み立てました。ちょうど大雪になりまして、車がなかなか着かないのでやきもきしたと聞きましたが、どうにか無事上演ができました。
 それから、以前に地域創生の1億円を頂戴したということがございますが、その基金をもとに小松市内の中学校で1年に1校持ち回りで、全部で10校あるので10年に1回になりますが、「勧進帳」を上演しております。小松ということで、安宅の関、「勧進帳」の発祥の地でございますので、曳山だけではなく「勧進帳」も子供に教えようということでございまして、小学校の校長先生をやっている方が12、3年前より指導をなさって、素人の方でございます。上手に教えまして、年に1回発表をしております。はじめは長唄はテープでしたが、そのうちに中学生も長唄を習い、地の長唄で「勧進帳」を上演しております。
 また、平成8年、11年に歌舞伎愛好会が結成されまして、地元の振りつけ師の方を中心に歌舞伎を2度ほど上演しておりますが、なかなか資金難でございまして、その後やっておりません。
 一昨年から「加能歌舞伎塾」というのを、先ほどの校長先生が個人でなさいまして、小松市内、特に曳山のない町内を中心の子どもを集めまして、いろいろと子どもを教えています。今年の6月には旗揚げ公演をやり、上手に発表されておりました。
 会の運営が盛んになるにつれまして、いろいろな方面よりご協力をいただいておりまして、特に日本伝統芸能協会の先生方にも来ていただいて、アドバイスなどもしていただいております。特に、小松の出身で科学技術庁の事務次官をいたしました石田寛人さんに、小松の仏御前を題材に歌舞伎の脚本を書いていただきました。一昨年それを曳山の上で上演をしております。
 それから、今年、芸術劇場という歌舞伎を専門にできる劇場ができました。花道も常設しておりますし、スッポンもございます。それからセリも2台あります。当初、回り舞台を作るということでございましたが、団十郎さんのご忠告で地方には回り舞台があっても、そこに持ってくる舞台装置が伴わないので、要らないということで、回り舞台はつくってございません。850ほどの座席でございますが、こけら落としには団十郎さん、三津五郎さんに来ていただきました。先日も松緑さんの襲名披露ということで、「千本桜」を上演していただいております。

高階部会長 時間がございますので、ちょっとまとめていただけますでしょうか。

関戸昌郎氏 すみません。今後の課題でございますが、車輪でございます。これは赤松の丸太を使っておりますので、なかなか古木がないもので、これからどうなるかということで大変ここのところ苦労しております。集成材も使わなければいけないのではないかということで、復元をどのようにするのかということで心配しております。
 修理につきましても漆塗りが一番難しいのですが、幸いなことに仏壇の技術がありますので、そういうことでどうにかできるのではないかというふうに思っております。
 それから、あと浄瑠璃等の後継者の育成につきましては、今後十分取り組んで後継者をつくっていきたいと思っております。どうもありがとうございました。

高階部会長 大変興味深いことをなさってございます。それでは、ただいまの事例発表につきまして、どうぞどなたからでもご質問、ご意見、いかがでございましょうか。はい、山野委員。

山野委員 これは大変お金のかかる仕事なのではないかと思うのですが、お金の出どころはどのようになっているのでしょうか。

関戸昌郎氏 大体1回上演するごとに1基あたり1,500万円かかります。それで2基ですので、3,000万円ほど。1基につきまして市より400万円、県から100万円ほど支援をいただいておりますが、あとは五人衆と言われる皆さんが一生懸命三、四ヶ月前から資金集めをしております。商売そっちのけにしてやっていらっしゃいます。町内全体で負担するということになっておりますが、基本的には集めることに関しては変わりございません。

山野委員 それだけお金をかけても、やはり観光客などがいっぱい来てそれに見合った経済効果があると考えられているのでしょうか。

関戸昌郎氏 経済効果は、まだそれほどではございません。町民の心意気で伝統を維持していきたいということで頑張っております。ただ、NHKさんに取り上げていただいたので、東京方面や大阪方面からだんだんと来られる方がふえてきておりますが、まだ長浜の曳山ほどには知名度がないのが残念なのでございます。

木村委員 小松市といえば、森前総理のご出身地ですが、森前総理が文部大臣をおやりになっているときに、小松歌舞伎ということで、多分、団十郎さんだったと思いますが、「勧進帳」と大変縁の深い土地柄ということで、本当の歌舞伎をやったと思いますが、その後は途絶えているのでしょうか。

関戸昌郎氏 その当時、大分10数年前ですが、一度団十郎さんが来られまして、公会堂の仮設の花道で六法を踏んでいただきまして、そういうものをやっていただきました。さきほど申し上げたこけら落としには「勧進帳」を団十郎さんに思いきって六法を踏んでいただきました。

木村委員 現在、お客さんは何人ぐらい入るのでしょうか。

関戸昌郎氏 850です。

木村委員 それでそこでは曳山の歌舞伎の練習をしたり、あるいは本番を見せたりということはできないのでしょうか。

関戸昌郎氏 曳山は先ほど申しましたように、3メートルに7メートル、下座の場所もありまして、床場というのがありますので、本当のところは3メートルに5メートルほどの場所、小さいところなんで、子供しか上演できません。しかも人数の制約もありまして、7人が一度に上にのったら芝居ができませんので、5人か3人ほどが入れかわり立ちかわり、1時間ほどの芝居でございます。

木村委員 普段の稽古を子供たちが新しくできた歌舞伎小屋でするということはあり得ないのでしょうか。

関戸昌郎氏 それにしても、大きさが全然違いますので。立ち回りも所作も大歌舞伎と全然違う振りつけをしておりますので、実際に曳山の上でやったら大変なことになって、全部柱にぶつけるということになってしまって、残念ながらなかなかそこではできないです。

高階部会長 2カ月間のけいこはどこでなさっているのですか。

関戸昌郎氏 各町内によって違いますが、私のところは公民館でやりますし、公民館が狭いところはお寺さんをお借りするとか、料亭の一部を借りるとかということでやっております。振りつけにつきましては、小松に1人いる振り付け師の方と愛知県とか松竹座にお願いするとか、そういうふうにして考えながらやっています。

津田委員 これは、当初は4年に1度とおっしゃっていたのが、今は毎年やっていらっしゃるのですか。

関戸昌郎氏 すみません。毎年ですが、当番ということで8つありまして、8つのものを2基ずつ当番で4年になるんですね。2基ずつ順番でやります。毎年やっております。

津田委員 毎年3,000万円要るわけですね。

関戸昌郎氏 そうです。それで、なぜ2基になったかといいますと、費用の問題と振りつけの問題、三味線、浄瑠璃の問題がございます。それだけのものを全部やるというのは大変なことになりますので、それだけの指導をしていただく方もないということで、今のところは2基がもちまわりで4年に1回になります。それで、4年ごとのローテーションだということで、ちょうど1回しか、一生に1度しかできないと、そういうめぐり合わせになっております。

根木委員 1つだけですが、先ほど若い衆といいますか、若者が減少傾向にあるとおっしゃいましたけれども、その伝承といいますか、保存・継承に関して特に問題というようなことは、今のところはございませんでしょうか。

関戸昌郎氏 大変問題がございます。特に銀行がオンラインになりましてから、企業がお祭りだといって休まなくなってしまって、それは大変なんです。ここのところリストラで、企業の方が少しも休めない。少し今晩練習したいんだということでも、残業があるからできない、残業をしないと明日から来なくていいと言われそうだということで、なかなか皆が全員揃って出席してくれません。ですから、通しの稽古もなかなかできないので、振りつけがなかなかうまくいきません。そういうことで本当に難しいです。
 私が見るに見かねてつけ打ちをやっているような次第です。本番は私はやりませんけれども、休みがとれないときには私がやるというようなことをやっております。

高階部会長 大変ですね、いかがでしょう。はいどうぞ、都築委員。

都築委員 祇園祭りでも町の人の負担がかなり厳しくなっていて、あの祇園祭りでさえかなり苦しんでいます。この伝統を貫いていく自信はありますか。

関戸昌郎氏 はい、自信はございます。ただ、若い人がだんだんと少なくなってきておりますので、年寄りが中心になってきており心配です。ただ、伝統を守ろうということで、30代の方でも一生懸命に取り組んできてくれております。

高階部会長 連絡協議会には、公務員の方が入っておられるわけではないのですか。

関戸昌郎氏 会長さんは私の隣の町内の町内会長さんです。私は去年やっと町内会長になったという状況でございますが、ずっと連絡協議会に参加させていただいているということでございます。ちなみに、息子も今、つけうちに一生懸命になっております。

高階部会長 たのもしい。ほかにいかがですか。
 それでは、意見交換はこのあたりにして、関戸副会長、どうもいろいろとありがとうございました。
 3団体からの事例発表等がございましたが、これからあと残った時間で、それも踏まえてで結構でございますが、自由討議に移りたいと思います。これまで出た問題やさらに広げて地域文化の振興と発信について、どなたからでもどうぞご自由に皆さんのご意見を伺いたいと思いますが、いかがでございましょう。はい、山野委員。

山野委員 それぞれのところでそれぞれ特色ある活動をなさっているわけなのですが、自分のところの地域だけということになりますと、テーマなども限りがございまして、かなり広域的なものでそれぞれうちはこういう特色ということでうまく担当を分け合って、いろいろなものが見られたり参加できたりというふうになっていくのが望ましいのではないかと思います。例えば、滋賀県でしたらオペラを見たかったら琵琶湖ホールへ行けばいいとか、そういうそれぞれのすみ分けのコントロールをどこかでうまくするところが必要なんじゃないかなという気がいたします。

高階部会長 しかし、それはどのような形がいいんでしょう。やっぱり相談をするということでしょうか、どこかで決めるというわけにはいかないでしょうね。

山野委員 自発的に交流をして、うちはこういうところが得意で、そうじゃないところはおたくにまかせますというような、相互の話し合いみたいなものが自発的にできることが望ましいですね。

高階部会長 ほかにいかがでございましょうか。はい、津田委員。

津田委員 以前、いろいろな文化を社員に見に行かせる会社といって表彰したことがございます。関戸さんのお話のように、全国で伝統芸能の維持に熱心に活動をされている方というのは地域地域にいらっしゃいます。例えば、こういう子供歌舞伎というと長浜とか小松とか、あるいはお神楽なら高千穂というようなことで、そういう伝統芸能に非常に貢献している地域に、やはり文化財の指定ではなくて、文化庁としてそういうところに感謝状というのか、表彰状というのかを出してはどうでしょうか。先ほどのように文化のために休むとリストラに遭うというような話を聞くと、地域の文化活動に協力して人を出している企業の経営者の人たちに対して、ありがとう、地域文化の功労に貢献していただいてという、国のお墨つきのようなものがあると非常に説得しやすいのではないかと思いました。お金を出さないで紙だけ出すというのは申しわけないのですけれども。

高階部会長 リストラしにくくなるわけですね。

津田委員 そうなんですよ。何かそのようなことをしないと、例えば諏訪の御柱祭り、あれは7年に1度ですけれども、本当に困っているようですね。だから、そのようなことを何かやらないと、こんなに全国一律にITが普及して、地方格差がなくなって、お祭りに対する思い入れがなくなってくると、本当に困るのではないかと思います。何かありがたみのある、そういうことを考えて、地方の応援をしていただいている方を元気づけるというようなことも要るのではないかなと一つは思いますね。そうしないと持たないのではないでしょうか。
 それと関戸さん、例えば私は長浜の曳山祭りに時々行くのですが、やはりすごいですね。何台ですか、10台以上ありますよね。

関戸昌郎氏 12台です。

津田委員 12台ですか。あの境内での最後の総ぞろえというのは、やはりわざわざ足を運んで見に行こうかなと思います。小松の場合2台とおっしゃいましたが、いっそ8台で4年に1回の方が、観光客の集客にはなるのかなとおもいます。費用の回収も少し考えたほうがいいように思いますが、いかがでしょうか。

村井喜一氏 少し変な言い方ですけれども、文化というのは波があります。

津田委員 波ありますね。

村井喜一氏 これは間違いないことです。

津田委員 そうですね。

村井喜一氏 それで、小松曳山を次の世代に残すのは非常に今難しいところです。普通の人からこうしたほうがいいと言われても、それに対する打つ手がないのです。というのは、曳山はいわゆる各町内の町のもの、何々町の所有、そしてそれはあくまでも神社のお祭りに供物をお供えして、神様に対してお祈りするというのが原点です。結果としてうまくまちおこしになれば非常にいいのですが、それをまちおこしに利用するということ自体にやはり抵抗があります。

津田委員 そう言われるともう謝るしかないですね。

村井喜一氏 その辺が非常に難しいと思います。しかし、町としては、それを続けたいというのはやまやまです。現実問題として、続けることに対して町内としても抵抗がないということではございませんので、そういうことに対して何かよい方法があれば、ぜひ教えていただきたい。特に、お宮さんが2つあって、それぞれの町、そしてエリアもある。小さい川を挟んで道路を渡ると、そのお宮さん同士の考え方が微妙に違う。

津田委員 昔からの住民は非常にそういう思い入れがあると思うのですが、新しく移ってきた人たちからは問題が出てきますよね。

村井喜一氏 そうです。だから、小松市内においても曳山というものをまず知ってほしいのです。皆さんに知っていただくことによって伝統を引きついでもらい、その応援が必要なのです。まちづくりの考え方、行動自体も、我々だけの力では到底難しいということになりつつあるような気がいたします。

高階部会長 関戸さん、いかがですか。

関戸昌郎氏 会長さんの町内では、40軒で1,500万の事業をしなければならないのです。本当に大変です。一番多いところで110軒です。本当に家も人も少ないのです。今までは若い人がやるもので、年寄りはさわるなという不文律があったのですが、今はそうではなくて、女の人もみんなどうぞ一緒になってやってくださいというようなことに変わってきております。大変なのです。
 町民の意識は高いのですが、4年に1度ひとつ協力をお願いしますといっても、またか、またやっているのかというようなことで、だんだん意識が薄れてきているということは確かです。
 あとは、先ほど津田先生から表彰のお話がございましたけれども、そういうことにしていただければ大変心強いのではないかと思います。一時、文化に対する貢献だということでメセナということが流行しましたが、それは本当に絵に描いたもちなのです。文化に対する貢献をしていただくということは、人的な問題もあると思いますし、金銭的な問題もあると思います。あるいは、あのときチャンスだと思ってやってみたんですが、なかなか定着しません。特にバブルがはじけた後は本当に難しくなりました。

吉本委員 今日の3つの事例は、それぞれに少しずつ違っていたと思うのですけれども、最初の2つの事例は行政がある意味で主体になっていますので、例えば国の助成金を取るとか、そういう仕組みなどもできていくと思うのですが、一番最後の協議会というある種の市民組織でやっている活動の場合、行政からの助成もあるということでしたが、例えばこういうものに国の助成金が出る枠組みというのはあるのでしょうか。例えば、芸文基金の中で地域文化の振興に助成する事業がありますよね。そこに例えば協議会が助成申請をするということはできるのでしょうか。今は多分前提条件で入らないと思うのですが、その辺はいかがでしょうか。
 つまり、こういう行政が主体になっていないものも国の助成の枠組みの中で対象にできるような工夫がないと、維持していくのが本当に大変なのではないかなと思って聞いたのですが、その辺はいかがでしょうか。

津田委員 芸文基金の中で地域文化の振興に対する支援があるので、そういう支援をした例もあるんじゃないかと私は思うのですが。ただ、金額がそんな大きい額ではないです。

吉本委員 でも、国の何か助成が出るということになれば、それは地元にとってもある種の励みにはなると思うのです。たしか、要件はNPOとかだったと思います。

津田委員 私の前職のサントリー文化財団で地域文化賞というものを行っていました。例えば長浜は1回200万円、毎年各地で5つを奨励して、年間1,000万円を指定していました。恐らくこの活動も大体地方新聞、あるいはNHKの支局からの推薦で、審査員がいて選んでいるので、そういう対象の可能性はあると思うのですが、国で支援するというと、先ほどおっしゃった神事などがあるとこの点は非常に難しい点になります。

村井喜一氏 支援が毎年あると非常にありがたい。

関戸昌郎氏 定期的にいただけるものですといいのですが、1年だけもらうと持ち回りですので、えこひいきになります。そういうこともございますので、できれば定期的に毎年100万円200万円ということでいただければ、大変結構なんです。確かに、いただくことについてはいささかも遠慮しないのですが、そういうようなえこひいきという矛盾点もございますので、できれば考えていただきたい。
 それから、もう一つ申しおくれましたが、本体の修理につきまして大変お金がかかるのです。漆塗り1回、あれは5月に20日間ほど日中にさらしておりますので、三、四十年に1度塗り直さなければなりません。大体これに2,000万円ほどかかるのです。そういうこともございますし、毎年組み立て・解体していますので、小さい部分でも修理代が大変かかる上に、だんだんその技術者も少なくなって、金額も高くなっていくのです。そういうところも大変苦労しております。

高階部会長 ほかにどうぞ。米屋委員、根木委員の順序で、はい。

米屋委員 解決法をとおっしゃっても、むしろ冷たい言い方かもしれませんが、そもそも日本の文化はかなり共同体の人々がたしなむ文化で支えられてきていると思います。祭りというのは本当にその象徴だと思うのですが、共同体がお金を出し合って共同体のためにするという活動です。ですから、苦しくなったので国から支援をというのは、実は原則からいくと理屈が合わないと思うのです。
 ただ、今日ご質問もさせていただきましたし、各ご発表の方々にもきっと共通することだと思うのですが、それが地域の共同体を越えて効果があるということを皆様自身がどれだけアピールできるか、証明できるか、そういったところで初めて、地域を越えてこれだけの効果があるのだから、ほかの地域の税金を回そうというお話になっていくのだと思います。ですから、その文化を楽しんでいる人が地域の中だけでとどまっているということであれば、その中で支え合うというのが原則なのかなと思います。
 ただ、先ほどから市町村合併の話とか出ておりまして、共同体のあり方自体が変わりつつありますので、そこは政策の課題として考えなければならないポイントだと思います。
 また、お3方の発表で課題として共通していたのが、やはり後継者ということなのかなと思います。どのようにして次の世代に伝えていくか、そのときに昔だったら町の祭りしか華やかなものはなかった時代なのでしょうけれども、今きっと子供歌舞伎を演じるお子さんも、その2カ月以外はアニメに夢中になったりゲームに夢中になったりという、あるいは受験だったりということで、いろいろなことをしようとしているお子さんだと思います。関心が多様化している、好みもいろいろある、またそういういろいろな好みにチャレンジできる権利があるのだというような世代に対して、これだけをやっていけということは多分できないと思います。
 その後継者にどのような選択肢を与えて、多様性を保証しながら、しかも地域の特性というものをどのように続けていきたいという気にさせるかという、町の誇り、村の誇り、市の誇り、郷土の誇りというものをどう伝えるかということなのではないかと思います。今日は感想めいたことで申しわけないのですが、その辺がキーワードになるんじゃないかなと思って拝聴いたしました。

高階部会長 ありがとうございます。それでは、根木委員。

根木委員 今の米屋さんの発言と関連しているのですが、私の大学の学生で伝統芸能の保存継承をテーマにしている学生がいまして、結局あちこちのそういった無形の民俗文化財などをいろいろ調べておりますと、現在、保存伝承に関しても非常に重要な場面に立ち至っていると思います。つまり、後継者がいないということもありまして、結局地元の人たちだけでそれを継承するのはなかなか難しい。一度は文化財に指定されても何となくマンネリ化してしまって、どこかで壁に突き当たってしまうということがあるようです。その場合、外からだれかほかの人の目で見てもらう、外の刺激に触れるといいますか、そういったことも必要なのではないかといったようなことも感じておりまして、要は内発的な動機と外発的な刺激、それが絡み合った上で保存継承というものも少なくとも気持ちの上では図られる一つの基盤ができるのではなかろうかと感じているところです。
 そのこととはちょっと別ですけれども、日立の河井さんにお尋ねしたいのですが、日立の場合は私は過分にして市民オペラ一色なのかなと思っていたのですけれども、いろんな諸事業をやっておられるということを今日伺いました。
 例えば、地域住民からしてみますと、やっぱりいろいろなニーズがあると思うのですが、そのニーズに基本的には満遍なくこたえるということが、地域文化振興の第一義的な必要性なのか、それともオペラならオペラだけに特化して、そこで市町村の特色を全国に訴えるという方向性がベターなのか、日立市としてはどのようにお考えでしょうか、ちょっとご参考までに伺いたいです。

高階部会長 どうぞ簡潔にお願いいたします。

河井章夫氏 私どもの考えは、多様性を保証するという考えでございます。先ほど申し上げましたように、住民の方々はいろいろな関心をお待ちですので、様々なものを提供したいと思っております。逆に絞ったらどうかというご意見もございますが、やはりそれは時間をかけていろいろなものを提供していく中で、時間の中で残るもの、消えていくもの、あるいはその中から新しく芽生えてくるものがあると思います。時間のスクリーニングというか、そういうものにまかせたいと思っています。そういうものを行政や、あるいは一部の市民が、あるいは今の世代の人が日立の文化はこれだと絞り込むのはちょっと僭越かなと個人的には思っています。

高階部会長 はい、ありがとうございました。
 それでは、そろそろ時間となりましたので、本日の討議はこのぐらいにしたいと思います。河井様、山本様、村井様、関戸様、どうもいろいろと貴重な事例、ありがとうございました。委員の皆様もいろいろとご発表、ご意見、ありがとうございました。では、事務局から次回日程等についてご説明をお願いします。

吉田政策課長 次回、第10回も今回に引き続きまして、団体からのヒアリングを考えております。次回は文化芸術関係のNPO、それに文化施設、さらには文化財等を活用した団体の取り組みを考えております。日程といたしましては、9月の上旬を予定しておりますけれども、このあたりはヒアリングさせていただく団体とも連絡調整の上で、また改めてご連絡をさせていただきたいと思っております。以上でございます。

高階部会長 はい、わかりました。それでは、3団体の方、改めて本当にありがとうございました。本日はこれで閉会とさせていただきます。どうもありがとうございました。


(文化庁長官官房政策課)

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