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文化審議会

2003/04/22議事録
国語分科会国語教育等小委員会(第1回)議事要旨

国語分科会国語教育等小委員会(第1回)議事要旨

平成15年4月22日(火)
10時30分〜13時
霞山会館「霞山の間」

〔出席者〕
    (委員)水谷主査,小林副主査,青木,阿つじ,井出,沖山,川島,五味,藤田,藤原,松岡,手納各委員(計12名)
  (文部科学省・文化庁)寺脇文化部長,山口国語課長,氏原主任国語調査官ほか関係官

〔配布資料〕
       文化審議会国語分科会国語教育等小委員会委員名簿
     文化審議会国語分科会国語教育等小委員会の議事の公開について(案)
     国語教育等小委員会の進め方について(案)
     「これからの時代に求められる国語力について−審議経過の概要−」の要約
     これまでの世論調査の結果について
〔参考〕
       文化審議会国語分科会運営規則
     文化審議会国語分科会の議事の公開について

〔経過概要〕
       事務局から,出席者(委員及び文化庁関係者)の紹介があった。

     委員の互選により,水谷委員が国語教育等小委員会の主査に選出された。また,水谷主査から「文化審議会国語分科会運営規則」に基づき,主査の代理者として,小林委員が副主査に指名された。

     配布資料を確認した後,配布資料2及び3について事務局から説明があり,それぞれ了承された。

     文化部長からのあいさつの後,事務局から,配布資料4及び5について説明があった。

     今期から新しく委員となった藤田委員,川島委員から意見開陳があった。それを受けて,その後自由に意見交換をした。

     第2回の小委員会は,5月9日(金)の午後開催することが確認された。

     協議における主な意見は次のとおり。

       母親は子供にとって何でも話せる対象であり,子供が言葉を覚えコミュニケーション能力を獲得していく上で,両親,特に母親との関係は重要である。子供の言葉を大切にし,子供の言葉が人間関係の裏付けを持てるように配慮する必要がある。また,家庭で行われる本の読み聞かせやお話も子供の言語獲得に結び付くもので,家庭は子供の言語習得において極めて大切なものである。その家庭を支えていくのが学校の役割であろう。
   子供の言語活動の触発ということに関連して,日記指導を行った。ただ日記を付けさせるだけだと,次第に書くことがないと言ってくる子供が出てくる。そういう子供には様々な題材を与えた。例えば,家に帰るまでに見たこと,テレビで見たこと,食事の内容などを書いて,それについての自分の気持ちを書いてみなさいというようなアドバイスをした。こういう指導を通して,物を書くことに慣れ,文章を書く力を付けたり物を見る目を養ったりすることになる。コラムの視写や読書会の実施,言葉ノートの作成なども行った。
   地域との関連で言うと,例えば,その土地の歴史や特徴をまとめさせたり,新聞作りをさせたりする。その中で,地域の人にインタビューしたり,地域の人に来て話をしてもらう。このように地域の人材や施設を活用しながら,地域との交流を進め,学校と地域との双方向の活動を生かすことが国語力を付けることにつながる。どのように学校が地域や家庭に働き掛けていくかが大切だと思う。

     学校教育をどうするかが基盤になると思うが,家庭や地域における国語教育のこともきちんと押さえて全体を構想していかないとしっかりした答申にならないと感じた。

     審議経過の概要では,マスコミの影響について余り触れられていない。資料5の世論調査の結果を見てもマスコミの影響の大きさを感じる。今後の検討の中では,このことを念頭に置いて進める必要があると思う。

     テレビは世の中を映す鏡であり,自分が出会ったことのない場面における言葉遣いを知ることのできるメディアでもある。テレビを利用して正しい日本語を普及することを提案したい。例えば,民放やNHKで言葉遣いに関する15秒のスポットを流すというようなことも考えられるのではないか。国としてもそのような働き掛けを考えるべきである。言葉遣いを正していく道具として,テレビを使っていくという視点も大切ではないか。

     脳のどの場所が言葉の使用や理解とかかわっているのかということは,既に100年も前から明らかにされている。さらに最近の研究からは,前頭前野・運動前野という場所もかかわっていることが明らかになっている。
   国語力を育てるという場合,スポーツで必要な筋肉を鍛えるのと同じで,言葉にかかわる脳の場所を鍛えればいいのではないかという仮説を立て,どうすれば言葉にかかわる脳の場所を鍛えられるのかということを考えながら,実験を行ってきた。その結果,読み・書き・計算の基礎的なトレーニングによって国語力とかかわる脳の場所が活性化することが分かった。特に音読が効果的である。また,創造力やコミュニケーション能力という,より高度な能力を発揮する部分も活性化される。しかし,これらのトレーニングは国語力を発揮するための必要条件であって,十分条件ではない。
   家庭内や地域でのコミュニケーションを増やす努力が,国語力を育てることに直結するのではないかと考えている。そのために,家庭においてはテレビを消す時間を作る,地域においては高齢者と幼児が一緒に行う音読会のような社会システムを作るといったことを提案したい。
   なお,ITやテレビを使って国語力を育てるということには疑問を感じる。テレビの画面を見ているときには,言葉の概念とかかわる前頭前野の血流が下がるというデータもあり,ITやテレビなどのマスメディアは必ずしも国語力を鍛えることに効果があるとは言えないのではないかというのが,その理由である。

     資料の最後のページに「データを逆に読めば」とあるが,これは具体的には資料前半のどのデータを逆に読むということなのか。

     「読み・書き・計算が創造力やコミュニケーション能力も育てる!」のデータを逆に読むということである。コミュニケーションを行う際に活性化する脳の場所は,国語力ともかかわる部分である。したがって,コミュニケーション能力を鍛えれば,国語力を支える脳の部分も鍛えられるのではないかということである。

     歌を歌うとか,意味の分からない難しい漢文を読むといった場合は,脳のどの部分が活性化しているのか。

     歌を歌っているときの脳の動きは,現在の実験環境では観察しにくく画像が取れないので,まだ分かっていない。来週,ピアノを弾いているときの脳の画像を取る予定はある。
   それから,意味不明な文章を読むときの脳の活動については調べたことがある。全く意味不明な文章を読んでいるときも,その本当の理由は分かっていないが,普通の文章を読むのと同じように同じ場所が活性化している。

     資料の「じっと考えている時の脳活動」とは,何を考えている時か。また,何を考えるかによって脳の活性化する場所も変わってくるのか。

     ここは翌日の予定を考えてもらっている時である。何を考えるかによって活性化する場所も変わる。例えば,明日しゃべる内容を考えている場合は言葉にかかわる場所が活性化する。

     資料の「字を書いている時の脳活動」とは,具体的にどういうことをしている時か。

     漢字を書いて覚えている時である。

     実験では,コミュニケーションをどのようなものとして考えているのか。

     相手のことを思っている場面ということでとらえている。話し手と聞き手の双方向性ということまでは,ここでは考えていない。

     先ほどテレビの利用を提案したのは小学生が言葉を習得するためということではなく,テレビは乳幼児から老人まで影響を与えるので,日本人全体を対象として「ら抜きをやめよう」といったようなスポットを流したらどうかということである。

     このような脳の研究は,外国ではなされていなかったのか。また,この研究成果を受けて,外国でも取り組み始めているというようなことはあるのか。

     脳科学の研究では,例えば目を動かすときに脳のどこが活動するのかといったような細かい差を見るところに目が向いていて,この種の脳の動き全体を見るという研究はなかった。アメリカでは既に始まっている。

     何歳から何歳の間に,脳に刺激を与えると良いというようなことは分かっていないのか。

     今後の課題である。文部科学省でも脳の研究に取り組み始めている。

     この小委員会から,こういう実証性を伴った研究を進めていくべきだ,体制を整えるべきだという提言をしてもいいのではないか。

     読み聞かせは教育効果が高いと言われているが,話を聞いているときの脳の活動はどのようになっているのか。

     前頭前野が活性化している。しかし,言葉の概念を扱っているところとは少し異なる場所が活性化するというデータが出ている。

     最初のお話に関連することだが,若い母親が子供の言語形成に関心がない,あるいは関心があったとしても仕事を持っているためにうまくできないという問題がある。そういう問題に対して,施策の面で母親を助けていくということを考えてもいいのではないか。

     ここで取り上げるべき国語力の問題というのは,コミュニケーション能力の不足,正しい日本語を使えないといったようなことではない。人心や政治・経済などが荒れ果てている状況の中で,それを立て直すための国語力ということが問題となっているのであり,国家プロジェクトという観点から考えるべきものである。敬語やコミュニケーション能力などについて議論し始めると,議論が拡散してしまい,問題が矮小化してしまう。総花的にあれもこれもというのではなく,最も大事な「初等教育段階における国語教育の在り方」に絞る必要がある。
   一般に読み・書き・聞く・話すということが同列に扱われるが,この四つは決して対等なものではなく,重要度は,読みが20,書きが5,話す・聞くが各1といったものである。母語の場合はこの順である。日本人としての情緒力,すなわち「もののあはれ」や庶民の哀感が大切であり,これがないと大局観が育たない。そのためには読書文化,教養が重要である。
   もう一つの小委員会は読書に関するものであるが,この小委員会でも,読書に手が伸びるような子供を育てる国語教育を考えていくべきである。読書を通じて日本を再生しないといけない。コミュニケーション能力の育成というようなことでは,国語教育の本当の重要性が明らかにならない。国語が国家の基軸であるという認識に立って検討していきたいと考えている。

     今の御意見はこれまでにも何度か聞いているが,そのような国語力はどうすれば育てられるのかということを考えている。今までの国語教育ではだめだと言えるのは,この小委員会だけではないか。根本的な学習指導要領の改訂を迫るアイデアを出すのがここであろう。
   英語教育が変わってきたのは,これだけやっているのに英語の力が付いていないという外からの強いプレッシャーによる。こういう点にも留意して,ここで学習指導要領を変えるような具体的な提言をしていきたいと思う。

     我々に与えられている課題を解決するためには,テーマを立てて,こういうことをやっていく必要があるという形で検討していくべきである。この小委員会で何を打ち出すかということについて,効率よく意見を積み上げていきたい。そのための設計図が必要であろう。

     先ほどの「読みが20,書きが5,話す・聞くが各1」という御意見は,分かりにくいし,見方が少し片寄っていると思う。子供の発達段階を考えると,「話す・聞く」から「読む・書く」へという流れの方が分かりやすい。やはり,「話す・聞く」を重視すべきではないか。

     どこから手を着けるかということが教育論では重要である。今や,親や教師も教育する能力を失いかけている。その中で,とにかく初等教育から中等教育の間に国語をしっかりとやる。読書による体験を通じて,文化・伝統・情緒をきちんと受け取った子供たちを育てていく。時空を超えた体験を与えるためには読書によるしかない。そのようにして育てられた子供たちが親や教師になった時に,初めて教えられるようになる。即効薬はない。あがきながら,中心部分である国語をしっかりやっていく。もちろん,現在のような国語教育でなく質の転換も必要であり,そのことを提言していくのはこの委員会しかできない。

     コミュニケーション能力をどこに位置付けるかという問題がある。国語力を考えるときにはコミュニケーション(人とのやり取り)を通じてしか育たないという視点も大切である。その意味で,双方向の交流としてのコミュニケーションという視点を残してもらいたい。
   国語力を育てるというとき,だれが担うのかという問題もある。世論調査の結果を見ると,地域の中で国語力を育てるということがなくなってきているように思う。地域のコミュニケーションがなくなっていることの問題点についても考える必要がある。

     国語が文化の中核というときには,国語を学校教育から開放することも必要であろう。

     横浜のインターナショナルスクールでは論理を教えるのは言葉であるという考えに立って,算数も言葉で教えるということが行われているようだ。質の転換とはこういうことであろう。

     学校の教師も国語科教育と国語教育の区別が付いていない人が多いし,国語科教育では読解と読書が大きな比重を占めている。話す・聞くといったようなことは,工夫の仕方や方法論が手薄であるという問題がある。時代の流れの中での要請により,表現力・コミュニケーション力ということを意識する方向へと行ってはいるが,実際には,やはり読解・読書が中心という状況がある。力点の置き方をしっかり考えていく必要がある。


(文化庁文化部国語課)

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