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文化審議会

2003年7月22日議事録
国語分科会読書活動等小委員会(第7回)議事要旨


国語分科会読書活動等小委員会(第7回)議事要旨

平成15年   7月22日(火)
14時00分〜16時30分
霞山会館      「霞山の間」

〔出席者〕
   (委員) 甲斐主査,舘野副主査,阿刀田,臼井,岡部,勝方,工藤,齋藤,手納,山根,小林各委員(計11名)
   (文部科学省・文化庁) 山口国語課長,氏原主任国語調査官,鈴木国語調査官,中神国語調査官,小椋専門職ほか関係官

〔配布資料〕
   1    国語分科会読書活動等小委員会(第6回)議事要旨(案)
   2−1    読書活動等小委員会の意見のまとめ(案)
2−2    読書活動等小委員会の意見のまとめ(案)資料編

〔経過概要〕
   1    事務局から配布資料の確認があった。

   前回の議事要旨について確認した。

   配布資料2−1,2−2について事務局の説明があり,その後,配布資料2−1の内容について意見交換を行った。

   第15回分科審議会国語分科会総会は,9月9日(火)の午後から開催することが確認された。

   次回の総会における読書活動等小委員会のまとめの報告については,具体的な報告案の作成も含めて,主査,副主査に一任することが了承された。

   協議における主な意見は次のとおり。(○は委員,△は事務局を示す。)

   資料2−1は分かりやすく出来上がっている。「読書活動以外の国語力向上のための方策」のところについては,具体的な方策の案を9月の総会までに提案したい。

   国語力向上のためには,学校のカリキュラム以外の生活の場での言葉の教育や習得は避けて通れないものなので,目安のところで「必要とされるあいさつのできる人間」のようなものを入れてはどうか。

   資料について異論はないが,「読書活動以外の国語力向上のための方策について」はこの委員会の報告としては,付属として付けておく程度で良いのではないか。

   「読書活動以外の国語力向上のための方策について」は読書活動をサポートする活動が含まれているので必要である。

   国語教育等と読書活動等の二つの委員会に分けた際に,読書活動以外の国語力向上についてもこの小委員会で扱うことに決まったので,この部分は削除できない。

   「長」に対する啓発活動は余り実効力がなく意味がないのではないか。

   「長」の意識が変わってほしいからこそ載せているのである。

   「今後検討すべきではないか」という表現は弱いので,削除したらどうか。また,何をすべきかについて絞り込んで載せたらどうか。例えば国語力向上に貢献しているテレビ番組等に賞を与えることなどは励みになるのではないか。

   目指すべき目安の中で話し言葉について是非触れてほしい。話し言葉で相手にきちんと伝えられること,意見の違う人と話し合えることを入れたい。自分自身の言葉で相手を傷つけず論理的に思いを伝えることが大事ではないか。幼いころから,他者と言葉でコミュニケーションできる力を身に付けさせる必要があり,最低限そういうことは目指すべきである。

   話し言葉も重要ではあるが,手紙を書いたり,論理的に文章を書いたりするということが重要である。手紙を書けることが目指すべき目安としては必要である。

   漫画を読むことにより,読書の能力が落ちるのではないかという心配がある。

   この小委員会では,以前,漫画と読書の問題について話題になり,漫画も読書と区別しなくても良いという暗黙の了解ができている。

   読書の時間を奪っているのはテレビやゲームで,漫画を読む行為は読書に近いと考えている。

   漫画は絵だけでなく文字もあり,漫画から読書に入る子供がいてもよいのではないか。

   漫画から勉強できる漢字や表現もあり,良さを認める方向で考えてはどうか。

   読書をする子供で漫画を読まない子供はいない。また,漫画も読まない子供が読書をすることはない。漫画は読書に近い世界であると思う。

   漫画の世界に共感する人もおり,何が良くて何が悪いと決め付けることは問題がある。

   人の話を「聞く」ことができない子供が増えており,目指すべき目安の中には「聞く」力も入れるべきである。

   「読む」には音読も含まれており,最近,素読・音読が見直されている。音読のことも入れておいた方が良い。

   根本は大人の国語力向上だと私は考えているが,今の焦点は児童に向かっているようだ。大人に焦点を当てた提言も必要である。

   1ページの「一生の財産として生きる力ともなる」の部分に「楽しみの基となる」という意の言葉を入れたい。読書の原動力は「楽しみ」であり,「生きる力」だけでは弱い。「読書なしに教養等を形成することはあり得ない」の部分は言い切って強く表現した方が良い。

   1ページの下から2行目は「それゆえに受験などの…」など関連付けた方が良い。読書は学校教育で位置付けられていないために受験の時におろそかになるという図式があるのではないか。

   「それゆえに」を入れると,直前の「や」が浮くように感じるので難しいのではないか。

   「読書離れ」については,大人に問題があるということをもっと強く打ち出すべきである。

   「べきである」という表現は,他人事のように考えているようで気になる。断定的にはっきり言った方が良いのではないか。

   今の段階では全部が提案であるので,腰を低くした表現をする必要はなく,「〜する」という表現で良いのではないか。

   行政としては慎重にならざるを得ない部分もあるので,このような表現になっているのではないか。

   10歳前後までに読書が「楽しみ」であることを身に付けさせることが重要だ。「自ら本に手を伸ばす子供を育てる」ことの重要性の説明の中に「読書の喜びを知る」や「好奇心を満たす手段である」ということなども書いてはどうか。

   文化庁や国がやることは「する」という表現で良いが,地方自治体や個人等がやっているものについては表現を工夫すべきである。

   それぞれの提案がだれに向かって言っているのかが微妙に違うので,普通の人が違和感を感じないように丁寧に書くべきである。

   文化庁のホームページをプロの意見などを参考にし,多くの人が見たくなるような魅力的なものに変えてはどうか。

   通知表に読書欄を設けることには反対である。理由は,通知表は学校や教師,保護者によって取扱いが一定ではないからだ。また,読書を評価することは,1ページの読書の重要性にある「楽しく」読むということに反する。

   通知表のことは,家庭との連絡に主眼を置いている項目のところではなく,学校教育への位置付けを述べている部分に入れるべきである。子供の読書量は家庭にある本の冊数に比例するというデータもあり,家庭の差により読書力の階層差ができかねない。読書は公教育でやるべきことである。中学1年生になると小学生と大きなギャップができており,中学生になって本を楽しく読むためには本を一定量読み込む必要がある。教師に読書は大事であるという意識を喚起し,子供にも読書について考えてもらうためには,指導要録の所見欄に読書活動を記入するようなことも進めてよいのではないか。

   通知表に読書欄を設けることについては,本を読む子供を育てたいという強い願いがあるのならば入れるべきであり,実施は各学校の判断でよいと考えている。「楽しみ」が根本にある美術や体育なども学校教育では評価の対象になっており,読書欄を設けると読書の楽しみを奪うと言うのであれば,美術や体育についても同様のことが言えるのではないか。学校教育の中で位置付けるのであれば,入れるべきである。

   通知表に読書欄を設けるという意見は削除すべきである。読書欄を設けても,将来にわたって本を手に取る子供が育つとは思えない。さらに,自己申告では本当かどうか分からない。美術や体育は教師が教えたことについての達成度を成績にしており,読書とは違う。通知表に読書欄を設けることは乱暴で安直な方法だ。

   通知表に読書欄を設けることの目的である家庭との連絡については,他の連絡帳等の項目の中に既に含まれており。わざわざ通知表の項目を立てる必要はない。また,読書活動を通知表に入れて評定を付けるのは無理である。

   通知表については人によって理解が違う。また,「学習指導要領の総則に書く」というのは,保護者や国民にはよく分からない。読書については持続し,かつ即効性を求めるのではない方法を考えるべきである。読書の評価の点数化は反対である。

   通知表の読書欄には記述式で励ます内容を書くことを考えている。通知表というとなぜすぐに点数化と考えるのか理解できない。

   通知表の件では点数化をしろという意見は出ていない。もっと柔らかな評価をするということで議論を行っているはずだ。それでもだめなのかを議論すべきである。

   国の答申で「通知表」という言葉が出た場合,点数化するというふうに考える教師や保護者が出てきて混乱を招くのではないか。

   学校は自己実現を援助していくところであり,現状を踏まえて読書を考えるのであれば,所見欄に言葉で書くことで良いのではないか。

   通知表に点数化するというイメージがあるのであれば,「通知表」という言葉をやめたらどうか。

   現在ほとんどの小学校では緩やかな評価を行っており,「通知表」という言葉をなくすところまで腰を引く必要はない。

   「通知表」をやめると「連絡帳」と同等になる。総会の時に主査がまとめたが,まず成績表に入れて受験に活用すること,次に通知表に入れて評価すること,最後に連絡帳等に記入することという3段階のどこにするかで議論されていた。私は2番目の段階が良いと考えている。

   「通知表」という言葉が力を持っているので議論になるのである。「いわゆる「通信簿・通知表」に励まし評価する欄を設ける」と明確に書いてはどうか。

   私たちは子供たちに読書をする人になってほしいということで議論をしている。学校教育の現場において,通知表の方法以外で効果がある方法があれば知りたい。評価することについては,読書が好きな子供には何の問題もないと思う。   

   友人の例だが,年に100〜200校程度の学校を回り,体育館に低学年用・中学年用・高学年用と分けて新刊本を並べ,子供の投票によって図書館に入れる本を選ぶということを行っている例がある。最初の4,5年は理解されないこともあるが地道な活動によって成果をあげている。

   本が嫌いな子には読めと言っても絶対読まない。しかし,先生が楽しそうに本を読んでいる姿を見せると自然とよく読むようになった例もある。教員採用試験で本が好きかどうかを重視することも考えるべきであろう。

   通知表の件は連絡帳に含むとしてしまうのか,このままで国語分科会総会に上げる方が良いのか。

   通知表の件を連絡帳等のところに入れても,連絡帳は双方向のもので通知表や評価は一方向のものであるから趣旨が通らなくなる。通知表を残すとすれば,両論あったと報告すべきである。

   まず,通知表の件は連絡のためとは考えていない。また,読書の評価は点数や分量で行うものではないと考えている。子供が読書によってどれだけ変わったかを見ることは教師の仕事であり,その意味で通知表の読書欄を考えたい。

   通知表の件は,学校教育に読書を位置付けるものとして入れてほしい。国として読書をどう位置付けるかを示すべきで,学習指導要領の総則に入れ,学校教育に位置付けることを示してほしい。

   物事に対する見方の違いがあるので通知表の件は決着が付かない。この文言のままで総会に上げてはどうか。

   通知表については「読書の時間」の設定なら評価を伴うことになり,学校教育に位置付ける項目に出すことになろうが,現段階では家庭と連携した読書指導の部分に入れたままでいくべきである。

   通知表の件はこのままの形で残すことで行きたい。

   丸で囲んだ数字で載せている主張の部分はできるだけ短くした方が印象に残るのではないか。

   「学校週5日制」という言葉は入れておいた方が良い。休日の活用をしなければいけないという意識が生まれるはずだ。

   「時程」という言葉は学校でしか使われていない業界用語ではないか。

   保護者や子供たちにも本を選定できる工夫が必要である。

   作家が読書経験を書くことなどはいろいろな形でよく行われていることだが,まだインパクトが足りないのだろうか。どのように活性化させるか考え,もっとやることが意味があるということなのだと思う。

   「巻き込んで」という表現は「協力を得て」などにしてはどうか。

   3点確認したい。1点目は漫画の重要性は認めるということで,漫画の問題点は入れない形でよいか。2点目は通知表の件は両論あったということで,今後検討を続けるということでよいか。3点目は目安に「話す」,「書く」,「聞く」についても意見があったことについて触れる必要があるということでよいか。

   そのように確認している。

   2点確認したい。まず今後の小委員会のまとめは主査・副主査預かりでよいか。次に小委員会のまとめをホームページに載せてよいか。

   異論がないようなので,今後は主査・副主査で預からせていただく。9月には報告としてまとまった形にする。

   委員会自体がもともと公開であるので,ホームページに載せることは全く問題がないだろう。


(文化庁文化部国語課)

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