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文化審議会

2003年6月24日議事録
国語分科会読書活動等小委員会(第5回)議事要旨


国語分科会読書活動等小委員会(第5回)議事要旨

平成15年   6月24日(火)
14時00分〜16時30分
霞山会館      「2階会議室」

〔出席者〕
   (委員) 甲斐主査,舘野副主査,阿刀田,臼井,岡部,勝方,齋藤,沖山,田村,藤田各委員(計10名)
   (文部科学省・文化庁) 山口国語課長,氏原主任国語調査官,鈴木国語調査官,中神国語調査官,小椋専門職ほか関係官

〔配布資料〕
   1    国語分科会読書活動等小委員会(第4回)議事要旨(案)
   読書活動等小委員会において出された意見の整理
   参考資料    1    読書活動以外の国語力向上にかかわる取組事例について
     文化審議会国語分科会懇談会(第1回)の概要

〔経過概要〕
   1    事務局から配布資料の確認があった。

   前回の議事要旨について確認した。

   配布資料2,参考資料1について事務局から説明があり,その後,読書活動を定着・発展させるための取組について協議を行った。

   次回の総会における読書活動等小委員会の報告については,具体的な報告案の作成も含めて,主査,副主査に一任することが了承された。

   国語分科会総会は,7月10日(木)の午後1時から3時まで,第6回読書活動等小委員会は,7月16日(水)の午後2時から4時30分まで,それぞれ開催することが確認された。

   協議における主な意見は次のとおり。

   読書活動をめぐる問題点については,「数字等で明確に分かるもの」と「そうでないもの」があり,現状を知る人に聞いたりして,今のありようを踏まえて報告をすべきだろう。

   小・中・高の発達段階,学校段階に応じた読書力の内実と目指すところを明らかにしないといけないのではないか。
   学習指導要領の総則に位置付けることは,学校教育全体でやってくださいという意味があり,事例の紹介や研究開発と同時に進めるべきである。そうすると学校としても組織的に取り組めるようになるだろう。課題探求の読書も中高では位置付けが必要だろう。

   小学校では絵本をはじめ幅広い本をそろえる必要があり,同じ本を相当数用意する必要もあるので,本の数が足りないのが現状だ。また,小学生は学年に応じて読む本の程度が相当異なるので,学校種別でなく発達段階に応じて考えていく必要がある。学校での読書指導については,具体的な方法等を示して取組を進める必要がある。
   学校の授業や国語の授業で読書活動を取り入れると,子供も本が好きになる。その助けになるよう,教科書を厚くしたり,別冊の副読本を用意すれば良いのではないか。また,蔵書と施設などの環境整備の問題も子供が本を読むようになるには重要な要素である。

   中学校でも学校図書館では古い本が多く,総合的な学習の時間を考えてももっと本が必要である。今年度から配置された司書教諭がもっと自由に活動できる時間を作るなどの環境整備も必要だ。また,国語の教師でも図書館部会に入っている教師は読書指導にも熱心だが人数は多くない。さらに読書指導は地域・自治体によって力の入れようが違う。
   オープンスペースを活用するなど,身近なところに本をそろえるという環境整備も大事だ。さらに学校教育において読書の時間を保証することを考えても良いのではないか。総合的な学習の時間で読書の時間を確保することは可能だろうが,学校の時程を工夫するなどして教師が常に付いた形で朝の10分間読書を行うことができればもっと読書も広まるのではないか。

   教える教師が本好きで,子供に読む姿を見せないと子供は本を好きにはならない。小学生は読書をして母親に喜ばれると本を読むようになるが,中高生ではそうはいかない。中学2年生が一番難しく,自分に関係のある本しか読まないようになる。
   ある私立の学校の場合,図書購入費は公立学校より多く使い,新古書などを買うなどの工夫もしているが,それでも本が足りない。また,中高生用の本が少ないが,それは中高生が読まないからという原因もある。
   発達段階別に読書を考えることには賛成である。知的な面では小学校4,5年で変化があるが,人間性の面では中学2年で劇的に変化し大学1,2年までは同じである。学校教育に位置付けるにはそういうことも考慮する必要がある。とにかくやらせるということは大事である。

   中高生が本を読まなくなっている点,図書の整備が不十分である点,教師の読書指導が不十分である点などの問題点については,はっきりと書いておくべきである。何を採用するかは「長」によるだろうが,読書マラソンや成績表に読書欄を作るなどの具体的なことを示して学校教育に反映されるようにした方が良い。中高生が読む本がないことについては,出版社の問題だけでなく,書き手の問題もある。子供たちのレベルにこたえる文筆力を持つ書き手が出てくるためには,読む中高生が少しでも増えて需要が生まれる必要がある。そうすれば,出版社も関心を持ち,書き手も出てくるはずだ。答申には具体的なものを出して,その中から選んで実行してくれとはっきり示すべきだ。

   何よりも大事なのは,子供たちの読もうという意識の問題である。子供たちに読まなければ困るという意識があれば読むようになるはずである。また,学力向上には読書は欠くべからざるものだと明確に出す必要がある。国民の意識を「読まなければ困る」という方向に高めるべきで,読む楽しさを感じる前に読まないと困るという認識を先に植え付けるようにすることが必要である。

   量を読めば良いというだけでは解決にならず,中高生が一生本を読んでいくようにはならないだろう。なぜ読む必要があるのか,なぜ読んだ方が生きる力になるのかについて考えさせる必要がある。

   考えないから本を読まないのか,本を読まないから考えないのかについては両方のベクトルがあると考えられる。中高生が本を読まないという問題は,小学生が読むものと中学生が読むものの内容に大きな差があり,その差を乗り越えられないまま本を読まなくなってしまうということにある。中高生レベルの本を読める読書力を付ける教育が必要である。また,「押し付けはだめで自主性で」というスローガンばかりで研究・実践がないので,自発性・自主性だけでなくきちんと教えることも必要である。
   読むことは情報化社会の中ではますます必要になってくる。情報化が進むと断片的な情報を受け取るだけの受け身の人間になってしまい,自分でものを考えなくなる。自分でものを考える必要があるからこそ読書が重要なのである。

   私は成績表に読書欄を設けるという一点に絞りたい。成績表がないところでは成績表に準じたものでもよいと考えている。子供には読書の動機付けが必要で,さらにPTAや親を巻き込むと効果がある。高校入試でも今まで読んだ本をブックリストにして提出させると,動機付けがなされて中学生も本を読むようになるのではないか。

   地域によっては成績表がないところもあり,その場合,学級通信の中に入れる形なども考えられるだろう。学校と家庭の結び付きは大切であるし,また子供の励みにもなる。

   学校によっては1万ページ読むことを目標にするところがあってもよいが,そのような目標を読書に限る必要はなく,物差しにはいろいろなものがあってよい。読書だけを問題にするのはどうか。

   成績表は学校独自で作るもので,成績表に読書欄を入れたらどうかという提案の形で出し,後は各学校が考えればよいのではないか。

   読書活動は人それぞれで好む本が違うもので,発達段階に応じて読む本を決めたりして規制すると,規制を受ける子供たちは読書が嫌いになるのではないか。

   毎日新聞の調査などで,高校生の8割以上が「読書は大切である。」と答えており,大切であることは高校生も分かっている。しかし,実態としては,大切さを分かっていながら本を読まなくなるということがあり,このギャップが問題である。

   読書は人類が獲得した文化で,楽しく,知識が付き,ものを考える事ができ,あらゆるジャンルが用意され,簡単に享受でき,しかも安いものだ。欠点は少しおっくうなところだけだ。そのおっくうなところを乗り越えて読書習慣を若いうちに身に付けさせることが大切で,それは一生の財産として生きる力となるものだ。

   読書の習慣を付けるためにはある時期苦しい期間があるが,それを乗り越えれば身に付くものである。その時期は小中学生の時である。この時期の成績表に読書欄を設けることは,保護者の意識改革や教師の意識改革につながる。そこがポイントである。発達段階別には,この時期にはこんな感じの本を読めば良いというようなリストのようなものがあれば進めやすい。

   成績表に欄を作る案はインパクトがあるが,どのように評価するのかには問題がある。成績とは別に,教師が授業や総合学習,進路指導など様々な場面で本を紹介するという読書指導で良いのではないか。
   賛成,反対両論あるだろうが,そもそも成績表の件は小委員会の提言のレベルでは書けるだろうが,答申に出せるような意見なのか疑問である。

   成績表の件は読ませる側からは効率的であろうが,子供にとってはむしろ逆効果なのではないか。とにかく本を読まされること,何でもかんでも評価されるようなことはうっとうしい。

   成績表の件については,質と量の評価が本当にできるのかという面で疑問がある。12冊読んだ者が1冊読んだ者より必ず優れているとは思えない。

   量だけで評価するわけではなく,ブックリストを提出させれば質も分かるはずだ。また,評価を入れることによって読書嫌いが増えるとは考えていない。

   成績表で読書について評価することについて異論が出ているが,評価はどの教科でもやってる問題で,子供の努力を評価するためには,何らかの達成度を使っているのではないか。達成度を求めることはある意味過酷であるが,達成度を問うとともに,一方で世の中は達成度だけではないということを教えるのも学校であろう。

   学校現場は保護者の意見や世論に影響されやすい。成績表の件は良い案かもしれないが,同時に保護者に何らかの方法で読書活動を促す必要がある。PTAが毎年行っているアンケートに子供の読書についての問いを加えて保護者に促すだけでも意識が変わるはずだ。

   「読書マラソン」は動機付けの工夫の一つかもしれない。評価については,私は読んだ本の感想を1行だけ書かせ点数に上乗せしたことがある。推薦図書も読む指針になるので作ってもよいと考えている。意欲を育てる工夫をいろいろと示すことも良いだろう。高校入試では自己PRというものもあるので,自己PRの中に読書のことを自分で書くということはできるのではないか。

   成績表に読書欄を設ける意見は,その問題点を併記する形で出し,後は各学校が判断すればよい。

   成績表に読書欄を作ることは安直であり,危険性もあり,評価の仕方も難しいので賛成できない。

   事務局のまとめる資料でも,「成績表に読書欄を設ける」ということを一つの自立した意見にした案として出してほしい。今のまとめ方では様々な意見の中の一つとなってしまい,実際の議論を反映していない。PTAを巻き込むだけでなく,学校に対して力のあるメッセージを出す責任もあるので,この委員会の意見として出すことを検討してほしい。

   成績表の件は「明確な評価を出す」という形で書いてはどうか。

   明確な評価ということには反対である。


(文化庁文化部国語課)

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