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文化審議会

2003年11月12日 議事録
文化審議会著作権分科会司法救済制度小委員会(第8回)議事要旨

第8回文化審議会著作権分科会司法救済制度小委員会議事要旨

日  時     平成15年11月12日(水)   14:00〜16:00
場  所   文部科学省分館201・202特別会議室

出席者   (委員) 
蘆立、大渕、潮見、高杉、細川、前田、松田、三村、山口、山本、吉田の各委員
(文化庁)
素川文化庁次長、森口長官官房審議官、吉川著作権課長、川瀬著作物流通推進室長、俵著作権調査官ほか関係者

議題
   1. 司法制度改革推進本部における検討事項
裁判外紛争解決等の在り方  
 
2. 文化審議会著作権分科会司法救済制度小委員会報告書(案)  

配付資料
資料1     文化審議会著作権分科会司法救済制度小委員会(第7回)議事要旨(案)  
資料2   裁判外紛争解決等の在り方  
資料3   司法制度改革推進計画(平成14年3月19日閣議決定   抄)  
資料4   司法制度改革推進本部ADR検討会メンバー  
資料5   文化審議会著作権分科会司法救済制度小委員会報告書(平成15年1月)(抜粋)  
資料6   文化審議会著作権分科会司法救済制度小委員会報告書(案)  
参考資料   総合的なADR制度基盤の整備について  

(俵調査官より裁判外紛争解決等の在り方について資料に基づき説明)

   まず、ADRについて、著作権事件に特有の問題はあまりない。考えられるとしたら、一般の事件の場合には、例えば不法行為なり契約違反なりについて金額をいくらにするかという過去に係る紛争だが、著作権事件は現在行っている活動をどうするかという紛争がある点が違うのかもしれない。著作権の場合、特許権などよりも権利自体の価値が、短期間のうちになくなってしまう。紛争のために売れなくなってしまうと誰も得する人がいない。利用者の側からいっても、権利者関係の紛争によって、有益な著作物を享受できなくなるというのは問題なので、ADRの活用の必要性というのはあるのではないか。
       時効中断効を認める必要性は高いと思う。理由は、不法行為だと3年という短期間で時効が完成してしまうということが一つと、時効が開始するのは不法行為があったことを知った時であるが、権利侵害されて作成された著作物が商品として出回っている場合には、それを知らなかったということは普通はないので、事実上侵害者が販売してから3年の間に何らかのアクションを起こさないと時効が完成してしまう。これらのことから必要性は高いだろうと思う。
       一方、訴訟手続の中止の方は、訴訟を起こした後でADRで話し合うということであれば、例えば3カ月に1回とか半年に1回ぐらい、事情をご説明をいただくということで期日を設けるなど、ゆっくりと進めることは実務上可能である。この訴訟の中止を司法制度改革推進本部の方で検討している背景には、一般論として訴訟を短期間で終わらせなければならないとか、訴訟が中止できる旨が外から見ても解るべきであるとか、そういう議論があるのであろう。
       そういう要請が裁判所に対してあるのであれば、訴訟の中止は必要なのかもしれないが、利用者の側から言えば、必ずしも必要ではないのではないか。
   
   ADRの利用に関する著作権事件に対する特殊性としては、著作物の利用の許諾するか否か自体には争いがないが、その使用料が相場としていくらぐらいかという争い、すなわち将来の利用に関する争いがあり得る。過去の利用に対する対価を決定することは裁判所の範疇だが、将来の利用に係る使用料に係るような争いは、ADRの方がより適切な場ではないかという気がする。
       それから、時効の中断効も必要だと思う。実際、私の経験でもADRとまではいかないが、当事者間で話合いをしている例があり、時効が成立しないよう、「当事者間で話し合っている間は、時効が成立したという主張はしない」という約束をして話し合っていることがある。
       ただ、いつ時効の中断効が生じるのかについては、ADRの申立てをした時点で生じるということになると、時効中断項が生じるADRとして認められるというものをあらかじめ決めるのか、それともどんなものであってもおよそADRの範疇に入るものは受理の時点で時効中断が生じるという立法にするのか、その辺ちょっと詰める必要があるのだろう。
       また、除斥期間の方はどうなるのか。時効の中断といった場合に除斥期間の中断というのはおかしいかもしれないが、民事調停法の規定を参考にしていく必要があるのではないか。
       訴訟手続の中止については、当事者間が両方とも中止してよいというのであれば、中止を認めてもよいのではないか。
   時効中断の時期は、申立時と相手方がADRに応じた時とが考えられる。仲裁合意が初めからあるとか、応諾義務などが法令上ある場合は申立時でよいのではないか。
   中断の時期は、ADRの時効中断効を認める理由に関連する。当事者が交渉しているから、だから時効の中断を認めるべきという観点なのか、それとも現行制度だと裁判上の請求と裁判外の催告の2つしかないから、ADRであれば裁判上の請求になぞらえた形で時効中断を認めるという観点なのか、これにより若干考え方が違ってくる。
       仮に前者であれば、相手方の応諾がかなり大きな要素を占めるだろうし、後者であれば、ADRというある特定の機関を利用したことに観点があるわけで、申立時をした時点という方に決定的なウエートが置かれるのではないかと思う。
       除斥期間の件は、除斥期間が「中断」するという主張は一部の学者を除きあまり主張されないから、それと同じで、ADRでは中断しないのだと思う。
   基本的には著作権事件特有の問題というのはあまりないと思う。ただ、時効の中断については、仲裁と調停で分けて考える必要があるのではないか。仲裁の場合は、最終的にその仲裁でもって紛争を解決しようとしているわけですから、仲裁を提示した段階で時効の中断を認めていいと思うが、調停の場合、要はとりあえず話をしようという制度なので、相手方の方は調停に入りたがらなくなるから、応諾時とすべきである。
   仲裁合意がない仲裁申立てなされた場合における中断の効力はどう考えるか。
   相手方がそれに応諾したのであれば、合意がその時点でできるわけであるから、その時点で時効が中断すると考えていいのではないか。
   民法上、なぜ裁判上の請求などにより時効が中断するのかというと、権利者が権利の上に眠ってないでそれを行使しようという態度が表明されるからである。そういう意味では仲裁の申し立てをした場合に相手が応じないから時効が中断しないというのはおかしい。申立てがあれば時効の中断を認めていく方がいい。ただし、その場合の時効の中断を裁判と同等に認めるのか、それとも手続をやっている最中だけにするのかと、その辺はもう少し詳しく考えるべきだと思う。
   個人的には、仲裁合意がなくて一方的に申し立てられて、それで時効中断効があっていいのだろうかという疑問はある。それでも権利行使なんだろうか。
   理屈の問題はあるのかもしれないが、民事調停法も調停をやっている間には時効は中断する。それと同じでよいのではないか。
       それと、主目的か副次的目的なのかは解らないが、ADRの活用促進には、裁判所の負担を減らすというメリットも考えられていると思う。そういう意味で、確かに調停を申し立てたからといって中断するのは、被告側が負担に思うこともあるが、いきなり訴えられて訴状が送られてくるのに比べれば良いのではないかと思う。
       基本的には中断効を認めればよいと思うが、すべてのADRについて対象とするということは実情からいって非常識だと思うので、しっかりした物として指定されたADRであれば申立時に認める、という方向がいいのではないか。
       もう一つ、実務的な問題としては、日本における侵害行為でも、相手方が外国企業とか外国人という場合が著作権の場合は少なからずあるが、ひどいときには相手方に呼出状が着くのが半年ぐらい遅れてしまうということがある。
       しっかりしたADR機関で裁判所の送達に準ずるような形で呼出状なりを出しているにもかかわらず、相手方の郵便事情などで時間がかかった場合に、その間に時効が中断してしまうというのは、ちょっと実務的には使いにくい。そういう意味で、申立時でいいのではないか
   本件に関して、著作権法上の特殊性というのは、多少の事実上のものはあるが、法律的にはあまりないようであるので、これまでの議論のようなことは司法制度改革推進本部における検討結果を聞いた上で、検討した方がいいのではないか。
   確かに今の議論を聞いていると、著作権法上格別この2点について特異な問題はそうないだろうということは出てきたように思う。
       例えば、先に著作権訴訟特有の事情として挙げられた、使用料相場の確定のような新しい権利関係をつくるための形成判決を求めるような紛争について、特に問題があるとすれば何か考える必要があるのかもしれない。管理事業者の使用料については、著作権等管理事業法において事前の協議が定められているが、別途ADRを設けるという必要性はないと考えてよいのか。よいとすれば、格別著作権法上特異な問題はないのかなというふうに思う。他に著作権法上の特異性があるとすれば、経済的な紛争というよりは名誉的な紛争が多いという点もある。こういうのは訴訟じゃなくて、第三者が協議の仲裁というよりは間を取り持つADRで解決をできるのかもしれない。
   
罰則の強化について)
   続いて、前々回議論した罰金刑と懲役刑の引き上げについてもう一度議論をしていただきたいと思っている。前々回の議論を大別すると、抑止効果を高めるために引き上げるべき、それから営利目的に限定して引き上げるべき、引き上げても実質的に効果がないのではないか、現状を維持すべきではないかという3つの意見があった。特に営利目的に限定した引き上げというようなこれまでの議論に出てこなかった論点も出てきたため、もう少し議論をしようということである。
   前回、最初に引き上げても実質的に効果がないのではないかという意見の後に、では例えば営利目的に限定すればその部分については重要であるということで、実質的に引き上がる効果があるのではないかということだった。ただ、現行規定に営利目的か否かで、例えば 300万円と 100万円というふうに分けているものはなく、また、全体に係る引き上げに効果がないとすれば、営利目的に限定して引き上げたからといって実質的な効果が上がるのか疑問であると思っている。営利目的の場合に量刑をどうするのかは裁判官の判断に委ねればよいのではないか。
       したがって、実質的に効果がないということであれば、引き上げる必要はないだろうし、抑止効果を高めるために引き上げが必要だということであれば、今の3年・300万円という基本を特許並みに引き上げるという、どちらかなのかと考えているが、どうだろうか。
   特許や商標であれば、侵害は営利目的以外というのは恐らくはない。しかし、著作権の場合にはそれがある。そういう場合について、特許等と同じでよいのか、また、できれば「営利」の範囲についても少し議論をして頂きたい。
   権利者団体の立場としては、5年・500万円に引き上げていただきたいと強く思っている。やはりインターネットの出現によって著作権侵害事件の内容が随分変わってきている。それは侵害の主体が今まで業として行っている人だけにほぼ限定されたものが、一般の人に広がっているという側面もあるが、それだけではなくて、事件が複雑化し、また特に大規模に拡散する可能性が出てきていると思う。そういう中で、3年から5年、あるいは 300万円から 500万円に引き上げるということで、具体的な量刑については適切に裁判で判断してもらうのが一番妥当ではないかと思う。
       それから、特にインターネットによる著作権侵害事件について、損害賠償額の立証が困難で、民事救済にある程度限定がかかる中では、刑事罰による一般的な予防措置、抑止効果が極めて重要である。我々は著作権侵害があった場合に、警告書等をよく出すが、その中に必ず3年以下の懲役または 300万円以下の罰金に処される可能性があるということを文言として入れている。上限規定を引き上げれば、一般的な抑止効果という面ではかなり高くなるのではないか。
   全体を引き上げることに反対はしないが、問題は、前々回指摘されたように、悪質な事案であっても罰金刑で終わってしまうので、引き上げても実質的な意味での抑止効果が上がらないのではないかという点である。それを踏まえると、新たに営利著作権侵害というような罰則をつくって、例えば罰金刑なし、懲役刑だけにするというようなことをすれば、罰金刑に処せられる場合であってもよっぽどの情状がある場合に限られるというようなことで、指摘されたような問題は改善されるのではないか。
   著作権が非営利の目的で侵害される場合があるのは、かなりの部数を私信に使うとか、ホームページに使うというような場合で、特に対価が入らないという利用形態があるからである。その範囲内においては刑を重くしないのかもしれないが、別に対価が入らなくても営利の目的がある場合はある。例えば宣伝目的で使うというような場合は、直接は対価が入らなくても、これは営利の目的となるのだろう。
   自分の技能を試したいとか愉快犯的に著作権を侵害すること、あるいは政治的な目的や嫌がらせの目的で著作物を改ざんしたり、無断でアップロードしたりというのはかなりあると思う。被害の重大性ということを考えると、これらの方がかえって被害は大きい場合はあるわけであるから、営利目的の場合に限定しないで、刑罰を引き上げるなら限定なしに引き上げた方が将来想定されるいろいろな危険を防ぐためには実効性があると考える。
   学生のファイル交換などはまさにそういうところで抑止効果を高めた方がいいのではないかということであろうか。
   私も今の意見に賛成である。当人自身が営利を目的としていない、あるいは結果として営利性がないといっても、その被害を受けた権利者の方の被害の範囲というのは予測もつかないぐらいに大きくなる可能性は多分に考えられる。事例に応じて裁判所の裁量で判断できるよう、一般的な刑罰の引き上げという形をとるべきである。
   問題提起という意味で申し上げるが、軽い気持ちの侵害で被害が甚大ということはあるが、こういう類型に対する抑止力という観点からは、引き上げの効果に疑問がある。また、場合によっては学術論文などの場合においても著作権侵害として民事的に訴えられるケースがあるが、こういうものも含めて一般的な形で刑を加重すると、個人の自由な表現についても萎縮効果があるのではないか。
       これに対し、営利目的というのは最初から営利が目的ですので、罰金が引き上げられれば抑止効果があるだろうし、営利でやっている侵害はパターンとしては大体が海賊版であり、こういうものについてであれば、表現の自由に対する萎縮効果に留意することなく、効果的に抑止力を与えることができる。
       立法上の形としても、営利であれば特許権などと同じ形のレベルでの処罰が横並びとして適切ではないかという意味で共感を得やすい。これらのことから、営利という理由に限って引き上げるというのも十分考え得る。
   軽い気持ちに効果がないというが、学生などであれば子どもではないのだから重大な結果をもちろん知るだけの頭はあるし、むしろ知っていて重大な結果を起こしてみんなを困らせようと、要するに自分の力を誇示したいわけであるから、抑止効果はあると思う。それに刑罰の適用に当たっては厳格な解釈をする。故意の認定も必要あるから萎縮効果も問題はないと思う。著作権侵害には営利以外にも様々な目的がある。営利目的に狭く限定することは大反対である。
   例えば違法サイトの運営も、趣味の範囲内でというか、あるいは好きなアーティストのものを集めて、供給したいという気持ちで運営しているケースは結構ある。以前も桑田さんの違法サイトはざっと引いてみると30個もあったとかというデータがあったが、確かにこういうものにも目的があるのは間違いないが、海賊版で逃げてやろうというよりはいささかかわいいような気がするがどうか。
   そういうのは罰金10万円などで対応できる。いきなり刑務所に放り込むわけではない。裁判所の裁量がある。
   刑罰の場合には被害の甚大さのような結果の重大性とともに、個人の責任、けしからんかどうかというところと掛け合わせて刑罰は決まってくる。こういう観点からは営利目的について刑罰を重くする根拠はある。今指摘のあった営利目的ではない愉快犯でどれだけ被害が重大でも、重い罰は科されない。例え引き上げたとしても、彼らに効果があるとは決して思えない。それよりも、少なくとも営利目的による侵害を抑えるために、罰金しか加えられてないという状況を何とか改善しないといけないという問題意識だとしたら、営利目的という類型に限る方がよいと思う。
   
著作権分科会司法救済制度小委員会報告書(案)について俵調査官より説明)
   まず、一番大きいテーマであります損害賠償制度の見直しについて、いかがか。
   4ページ目の一番上だが、法定賠償制度が求められている根拠は、損害の回数ないし損害額の立証が困難であることではなく、損害額が極めて軽微であっても、訴えを起こせるようにしたいというところではないか。つまり損害額が3万円だという立証ができたとしても、訴訟を起こすために最低10万円は欲しいというのが趣旨だと思う。4つ目のパラグラフも同じ理由から理解が違うと思う。
       それから、5ページ目の侵害数量の推定規定のところなんですが、「例えば損害額が明確に立証できる場合にはふさわしくなく、少なくとも立証された部分を上回る損害があるのではないかと疑わしい状況で云々」とあるが、こういう議論があっただろうか。
   法定賠償制度の提案は、損害額の立証が困難、特に送信可能化権侵害では、損害の回数というか、侵害の回数ないし損害額の立証が困難であることから、法定賠償額の提案があったように私は理解しているが。
       また、「上回る損害があるのではないかと疑わしい状況であることが必要である」との点は、私がこういう趣旨のことを申し上げた記憶がある。私が申し上げたのは、例えば原告が被告の行為を1万個を製造して売ったという主張をして、被告がそのとおりであると自白した場合に、2万個の推定が働くとすれば、その2万個がなかったことについて、被告の方はどのように反証するのか。少なくとも、1万 5,000個か1万 6,000個か解らないが、1万個は超える何かが疑わしい状況が必要なのではないかという趣旨である。
   「損害額が明確に立証できる場合にはふさわしくなく」というところだが、要するに侵害数量がいくらかについて、立証責任が尽くされたと判断された場合に、2倍の数量を推定するというのは理論的におかしいのではないかということを申し上げた記憶がある。そのこともここで受けられているのであれば、申し上げたような記載にしていただけるとありがたい。
       また、「2倍の数量を推定するということが公平と言えるのか」というより、「その根拠が何なのか」という発言があったと思うのでご考慮いただきたい。
   2倍の推定については、立証責任を無条件に転嫁するものではなく、立証した分があって、さらにそれと同じだけの損害があるというかなり疑わしいところまで原告が立証した場合に、それを覆すという点において被告に立証責任を転嫁したら公平ではないか、そうでなければ公平ではないのではないかという指摘であったと思う。
       法定賠償制度については、結局いろいろな小さい事件があっても、それを追及する側としては日ごろからのモニタリングの費用だとか弁護士費用とか、莫大な費用がかかって引き合わないという意見も出たと思う。それに対してモニタリングの費用なんていうのはどの事件だって必要なので、それを著作権についてだけ法定賠償に入れるのはおかしいという反論があった。いずれにせよなぜ法定賠償制度を導入しようかというその根拠についてもいろいろな意見が出て、議論が錯綜していたと記憶している。趣旨は1個だけではなかったと思う。
   それについては反証を許すべきという意見もあった。
   確かに、法定額の点についてはいろいろと議論があったが、ある程度一般的な形で共感を得られるようなものだけを書いたという趣旨であれば、事務局の整理にも一定の理由があるのではないか。全部が全部出たものを書かなければならないということはないと思う。
   文書にまとめるときには、多少そういう配慮も必要であろう。
   損害額の立証が困難というのは極めて理論的なアプローチではあるが、提案者である権利者団体の方たちの意見としては、今までいろいろなところで聞いているのを含め、そういう理論的なアプローチではなく、零細な侵害を何とか抑止したいというのがあくまでも素直な動機だと思う。それを理論的に整理してしまうと、提案の趣旨が異なってしまう。
   最初の提案の趣旨は、ネット上の侵害についてはそのダウンロードの回数は解らないので、現行規定では不十分な部分を補うために法定賠償制度が必要であるというものだった。ただ、その後にいろいろな意見があって、根拠は何にするのかとかという中でいろいろな意見が出されたのではないか。
   提案以外のところに本音が出ているように思う。
   懲罰的賠償について、何らかの抑止的効果を何らかの制度によって担保すべき必要はあるということについては、かなり意見の一致があって、ただそれを損害賠償制度の枠組みで行うことについては無理があるのではないかというご指摘が多かった。
       もし損害賠償制度の枠内でできないとした場合に、どのように抑止的効果を働かせるか、という点については、本報告書案では、罰則の強化と立証の容易化ということが具体的に挙げられているが、もう一つ 114条の新3項、旧2項の受けるべき金銭の額を高く認定することによって問題の解決が図れるのではないかというご指摘もあったかと思うので、記載した方がよいのではないか。
   
   罰則強化の点については本日の議論を踏まえると、営利性の問題については両論を書いておくということになる。また、司法制度改革推進本部における検討事項についてのインカメラ審理の部分と、弁護士報酬の敗訴者負担の件。それから本日議論した裁判外紛争処理手続については次回記入した後でもいいかもしれない。
    (特に異議なし)
   
   それでは、最後の部分ですが、権利侵害行為の見直しについての間接規定等について、必要性が乏しいというふうに結論づけているがどうか。
   
   これまでの議論では、損害賠償請求については間接侵害者にも共同不法行為責任として認められるが、差止請求については、「侵害をする者、あるいはおそれのある者」に含まれるという規定が確認的にでもあった方がいいのではないかという意見も結構あったように認識している。その場合に差止請求権の条文だけに確認的に規定を入れると、逆に他の部分には間接侵害者は入らないと反対解釈されるのではないか、という指摘もあったので、規定ぶりなどについては今後検討する必要があるとは思うが、賛成意見もあったと思う。
   ここで引用されている差止請求についての事例は、下級審の裁判であるのみならず、個人的にはどこまで維持されるか解らないと思っている。こういう書きぶりだと、これが通説であるかのような前提で議論されたというのも少し心外である。認容する例も見受けられるが、今後検討すべきなどという表現の方がよい。
   私もこの大阪地裁の判例の考え方が一般的とはあまり思わない。少なくとも間接侵害制度を導入する必要性は乏しいという意見は決してここでの主流ではないと思う。少し断定的過ぎるかなと思うのが1点。
       また、2点目だが、侵害と見なす行為の見直しの点だが、11ページの検討結果のところで「現行の主観要件については維持すべき」と書かれている。この提案に対する反対意見が多かったという認識はしているが、私は反対意見に賛成していない。それは皆さんのご理解を得られるための私の努力が足らなかっただけだと思っているので、これからも努力を続けていきたいと思っている。
       維持すべきであるということについての反対意見も存在するため、少数的な形でも両論併記にしていただきたい。
   間接侵害規定のところの書き方について、最高裁のビデオメイツ事件と大阪地裁のヒットワン事件のこの2つは、これは検討結果というより「問題の所在」の中に書くべきではないか。これらの判決を一つのきっかけとしてこういう間接侵害の規定について議論をしているという形になるのではないか。検討結果のところに書くべきなのは、要するにこういう間接侵害制度というものを一般的に導入することについての肯定論と、裁判における運用や現行規定の適用によって適切な対応をすることができるのではないかという反対論。個人的にはどちらかといえば後の方の考え方が少し多かったように思うが、その意見も、決していわゆる間接侵害的なものすべてに差止めを否定すべきという意見では決してなかった。検討結果のところはそうした議論の構図を記載し、将来の展開に委ねていく方がいいと思う。
   報告書の案については、本日の議論を踏まえて事務局で修正するが、間接侵害の部分の修正について、要すれば、立法措置をとるという意見ととる必要がないという意見がある、それから差止請求を認めるべきケースがあるが、提案のあったケースすべてについて認めるべきというわけではないと。   また、損害賠償請求については判例もあるので、差止請求について立法措置の場合には幇助、間接侵害者が含まれる旨明確にすべきと、このような記載になるのか。もうちょっと漠と書いた方がよいのか、それとも細かく意見のいろいろ違いのところも出るように書くのか、ご指示いただきたい。
   立場によって違うのかもしれない。賛成者の立場であれば、損害賠償請求についてもその範囲を明確にするために規定して欲しいという意見になるだろうと思う。
   権利者としては、当然そういう希望をするが、一般的な間接侵害の規定の導入というのは、今までは日本の法制にはないものを持ってくることなので、かなり困難で時間を要するのではないかと思う。
       ただ、この大阪地裁のヒットワン事件で差し止めが認められたのは、直接の侵害者と同視し得る程度まで関与しているという事実認定の結果であって事例判決の典型的なものではないかと思う。そういう意味で、せめて差止請求の部分については間接侵害者を含むということを確認的に入れていただきたい。
   幇助者に差し止めを認める規定は民法においてもないということからも困難ではないかと思う。また、特許権なども間接侵害者に対する一般的な差し止めを認める規定はない。ただ、絶対にできないというのは非常に不都合な場合があるというのは私も理解できるが、特許権の間接侵害規定のように、ある一定の客観的要件と主観的要件のもと、類型的に限定した形で導入するということは検討の余地がある、という程度であれば、記載できるのではないか。
   いわゆる間接侵害者に対しても差止請求権を認めることが必要な場合があることについては、意見の一致を見たが、それを立法によって明確にするのが適切なのか、もしくは判例の解釈に委ねた方がいいのかについては両論があるということではないか。
   議論を振り返ってみると、それでもまとめ切れていない気がするので、引き続き検討すべきという記載がよいのではないか。
   余分なことだが、判例等の評価を立法に結びつけるというのは大変難しい。判例で認められなかったから立法しろという人もいれば、判例で判断されたんだから立法の必要はないという人もいる。必ず両面あって難しい。そういう意味でも、これは引き続き検討ということを加えるべきであると思っている。


(文化庁長官官房著作権課)

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