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文化審議会

2003年9月4日 議事録
文化審議会著作権分科会司法救済制度小委員会(第4回)議事要旨

文化審議会著作権分科会司法救済制度小委員会(第4回)議事要旨

  日  時   平成15年9月4日(木)10:30〜13:00
場  所 文部科学省別館10階第5・6会議室

出席者 (委員) 
蘆立、大渕、久保田、後藤、潮見、高杉、橋元、細川、松田、前田、光主、山口、山本、吉田の各委員
(文化庁)
森口長官官房審議官、岡本著作権課長、川瀬著作物流通推進室長、俵著作権調査官ほか関係者

配付資料

資料     文化審議会著作権分科会司法救済制度小委員会(第3回)議事要旨(案)  
資料   法定賠償制度の必要性―導入に向けた検討継続の要望―(後藤委員提出資料)  
資料   損害賠償制度の見直しに係る論点の整理  
資料   「司法救済制度小委員会」平成15年度審議スケジュール(案)  

概  要
(事務局よりこれまでの議論について資料3に基づき説明)
(後藤委員より法定賠償制度について資料2に基づき説明)

   質問が3つある。1つは、無断インターネットの場合には無償であるから、不当利得で返還請求することは無理があるということだが、逆に言えば、有償で行われた場合には不当利得制度は使えるということか。2つ目は、法定賠償制度をつくる場合には、無断インターネット通信、ファイル交換等々という場面で法定賠償制度をつくるというが、無断インターネット通信の場面に限って法定賠償制度をつくっておれば、当面は現在直面する問題は回避でき、それ以外については考えなくてもいいのか。それともこういう著作権侵害の場面で何か法定賠償に関する一般ルールをつくるという方向で問題をとらえているのか。3番目は、法定額の10万円の根拠は何か。以上の3点である。

   1点目については、有償であれば侵害者は回数で把握しているため、金額も出る。したがって不当利益の返還が成立する。2番目については、現況においては、ファイル交換など本当に侵害の回数がわからないものについて、現行法内では対応できないことから、これに絞った形で法定賠償の導入が必要だと思う。3つ目の10万円の根拠だが、侵害者を確定するための調査やISP法に基づく発信者情報の開示請求など侵害者を特定するための費用として、最低は10万円はかかると考えている。

   当面無断インターネット通信に限るというが、ほかの委員もそのように考えているのか。それとも、一般ルールをつくるのか、あるいは侵害が把握できない個々の部分について法定賠償制度で補うのか。

   一般ルールとするならば、侵害行為一般について、いわゆる市場を奪われて損害が生じたという逸失利益をどのように法定するかという議論になる。送信可能化権だけの固有の問題として捉えるならば、必ずしも逸失利益ではなくて、一定の調査費用を10万円と見て、これを法定賠償として認めるという方向になっていくと思う。

   ファイル交換等の分野だけに限るかどうかは、その趣旨と算定根拠によると思う。まず、10万円という根拠が調査費用というのはおかしいと思う。なぜなら、普通の訴訟でも調査費用は経常費用であって損害賠償の額の算定根拠にはできないからである。
       やはり弁護士費用というアプローチにすべきである。この場合、送信可能化権だけの問題ではなく、あらゆる種類の著作権侵害の対応についても、10万円の法定賠償という制度はあり得るのだが、現実問題として、侵害が安易に行われ、抑止が難しいという観点から、送信可能化権、ファイル交換等について導入する必要性があるのだと思う。

   損害賠償額が100万円以上でないと現実問題として訴訟は起こせず、侵害者の側も、無料で他人の著作物をアップロードしても責任追及されないと思い、安易にやってしまうという環境がある中で、具体的な数字を出せばそれなりの抑止効果を発揮できると思うが、一方で、故意で侵害しているわけだから刑事制裁だってあり得るのだが、侵害者に対して懲役何年以下、罰金幾らの刑事制裁があるという警告まで送っても余り効果がないことから考えると、最低10万円の損害賠償と言っても効果には疑問がある。
       抑止効果を発揮するためには、実際に10万円であっても、それに基づいて権利行使をするという実績がなければならない。

   調査費用と言ったが、弁護士費用も含めて全体で最低10万円はかかるという趣旨である。また、1著作物について10万円なので、10作品あればもう100万円で計算できる。1ファイル交換を1人で30も40もやっている人間はいるので、権利行使もしやすいと考えている。

   損害賠償額の10万円の算定根拠が弁護士費用にあるとしたら、1著作物ごとに10万円ではなく1訴訟に10万円となる。何種類もの著作物をアップロードしているから金額が大きくなるなら、現行制度でも損害賠償訴訟を起こせるはずである。

   送信可能化権、公衆送信権だけに限定して制度を設けるのか、一般ルールとするかについては、まず特に必要性の高いと思われる送信可能化権、公衆送信権に限定して検討した方が現実的である。いっぺんにこれから100年続けられる制度をつくるより、まず目の前にある早急の問題に対処する制度をつくり、その運用状況を見ながら、さらに他の分野にも拡大するべきか検討を進めていくことが適切ではないか。
       法定賠償額については、この10万円というのは固定的で、ずっと10万円でいくというご提案ではなく、数年ごとに適宜見直していくという提案だったと思う。額をどうするかは非常に重要な問題だが、まずある程度ざっくりと制度をスタートさせて、運用状況や世論を再検討することが重要ではないか。

   法定賠償制度については、ダウンロードの回数が把握できないというところから、やむを得ず導入すべきという提言と受けとめている。では、本当にそうなのか。つまり、技術的保護措置など技術的手段の活用がインターネット時代に必要だということが96年の新条約でも提言されている。現実にネット社会において、それぞれ何が送信され、何がダウンロードされ、何がアップロードされているか、技術的に把握できないという状況がいつまでも続くのであれば、かなり深刻な問題である。これは、法定賠償制度を導入する程度では解決できない問題である。送信状態や端末段階で把握することは、多分eコマースのレベルでは実際に商売として検討されている。ダウンロードの回数が把握できないから法定賠償制度を導入すべきだということ自体が、かなり危険ではないかと思う。

   eコマースと今回問題になっている状況とは全く違う。今回問題となるのは、侵害行為者自身ではなく、第三者である権利者が侵害回数を把握できるかという問題で、どんなに技術が発達しても極めて困難であると思う。

   侵害者は、金儲けでやっていないため少なくとも絶対に回数をカウントしない。自分の持っているものを自慢したいがために出しているようなもの。したがって、それを把握することは現況においては不可能である。

   よくわかったが、権利者が把握できないという状態で音楽配信とか映像配信とかというビジネスを展開すること自体が異常である。権利者が把握できるマーケットをつくらなければ意味がない。不可能だと言ってあきらめるのではなく、どうしたらよいか並行して追求すべきある。法定賠償制度については、過渡的な措置だと思う。

   そもそも、損害自体をどう考えるか難しいから法定賠償を考えているのだから、送信可能化状態に着目して、それ自体の損害を法定賠償させるというのでいい。額についても、確かに根拠は必要だが、法定賠償であれば、結局「1件につきこのぐらい」程度の感覚で決めるのだから弁護士費用とか調査費用、もろもろの回収コストを根拠にしつつ、大ざっぱでいいのではないか。そうでないと決められないと思う。
       それと、1著作物につき10万円か、1訴訟につき10万円かだが、1つの訴訟について法定賠償10万円という考えはちょっとなじまないのではないか。著作権侵害に対して、根拠はともかく10万円とするならば、著作物1個について10万円としなければおかしい。訴訟の回数は、その人が幾つ訴えるかだけの問題である。
       送信可能化権を認めたのであれば、送信可能化に着目して法定賠償を認めるべきであって、現実の送信回数については、別の立証の問題になってくるのではないか。

   自動公衆送信権侵害は、回数が把握しにくいということが議論の前提なのだから、一応何が損害であるのかをある程度決めてから、その立証の困難さをどうしていくべきかを議論すべきである。

   ダウンロードの回数は把握できないが、権利者は1回だけは把握できる。自分が侵害されているのを確認すればいいからである。これを自動公衆送信権侵害として構成した場合、通常はこの1回をもとに訴えを起こすのではなく、回数は解らないがたくさん侵害されているだろうと訴えを起こすので、10万円なりの推定などをすべきという流れになる。
       ところが、送信可能化権の侵害だと構成して訴える場合には、送信されていなくても侵害があるわけだから、市場にどういう損害を与えたかということについては、要証事実ではない。そのため、送信可能化状態に置いたらその損害額は10万円であると決めざるを得ない。結論としては、損害の逸失利益の「推定規定」ではなくて、「(反証を認めない)法定損害」にせざるを得ないのである。

   送信行為の侵害は回数の問題だが、送信可能化はアップロードするだけで権利侵害になる。この場合に損害なりロイヤリティーなりというものはある。例えば実演家等には送信可能化権しかないが、実演家でも送信可能化の許諾について、定額にするなり、送信回数に応じてロイヤリティーレートを決めるなり、計算することができる。したがって、単純なロイヤリティーを取れなかったという逸失利益の問題となり、別に法定賠償でないといけないという論理にはならない。
       別のアプローチの仕方として、送信可能化権のロイヤリティー分を推定規定とするというやり方がある。つまり、損害賠償ではなく、1カ月分の送信可能化の許諾料は10万円と推定するというのはどうか。

   送信可能化権侵害で10万円と推定すると、被告側の抗弁としてはどういう抗弁が可能でしょうか。抗弁が理論的にあり得るのか。

   「その著作物については、送信可能化権の許諾として、例えば1カ月5万円で許諾しています」ということを立証すれば、10万円の推定を逃れることができる。

   ロイヤリティーの推定は無理がある。ロイヤリティーというのはあくまで経済原則に基づく金額であるから、曲によって千差万別であり、そもそも「送信可能化権のライセンス」というのも一般的には考えられないのではないか。

   送信可能化権侵害の損害量については、これは侵害者が勝手に送信可能化権を得たような状態をつくっているのだから、送信可能化しても通常は大した利益は得られないということをもって必ずしも損害を低く査定すべきということはないと思う。
       また、賠償額を法定する場合に、余り性格を明確にしなくても、金額だけ定めればいいのではないかという発言もあったが、法定額の「性格」は、法律をつくる上では一定の根拠に基づいて説明できなければならない。その場合に、「送信可能化権の推定」とするのは、一つの制度の立て方としてあり得るのではないか。弁護士費用として10万円と法定してしまうと、別枠で弁護士費用がかかった場合の請求を認めるのかどうかという問題があるが、これについても説明が可能になる。

   世の中に損害論というのはいろいろあるが、これまでの「実損主義」に基づいて考えた場合には、送信可能化権侵害に損害があるというのはなかなか無理がある。
       この場合に、懲罰的な損害という考え方をとらないのであれば、投下費用的な、違法行為を回避するためのコストの一部を具体的な侵害行為者に負担させるという形で損害論を立てていくか、一定額を定め、これに抑止効果を期待するという損害論という形でいくか、弁護士費用をここで賠償させるという形でいくか、この決断をして、この法定賠償は今までの民法における実損主義ではないのだという形で説明するのが、恐らく一番筋が通るのではないかと思う。
       ただ、どの考え方をとるにしても、それ金額自体がまさに損害なのだから、推定や反証という考え方にはなじまない。

   今まであるような実損主義を前提にして、その立証の困難性を推定等で救っていくという路線であれば、哲学的に非常に違うものを導入したという感じはないが、懲罰ではないけれども抑止のための民事的なものなどと言い出すと、細かい技術的な違いではなく、もはや思想自体が変わっていると思う。法定賠償というものはそういうものを念頭に置いているのか。
       法定賠償の議論は、哲学的な問題ではなく、実利的な観点から始まっているはずである。従前のような実損主義を前提にしつつ立証上の困難をいろいろ推定等である程度賄っていくという路線でないと現実味が余りない。この観点から送信可能化権侵害の損害をどう捉えるかというと、送信可能化のライセンスが一応理論的にはあるとすれば、これを損害として捉えれば、一番解りやすい。
       少なくとも基本の思想のところをある程度固めずに10万というのはおかしい。抑止のためだというのであれば、抑止に必要なのはいくらか考える必要があるし、あくまでも損害賠償だというのであれば、何が損害なのかをある程度固める必要がある。数だけ10万だ何だと言っても、後で説明もつかないし、制度全体としてゆがみが出てきてしまうのではないか。

   損害賠償制度自体が「抑止効果」を有しているということがどうも理解できないが、もう少し具体的にお話しいただけないか。

   損害賠償制度自体が持っている「抑止」というのは、損害賠償制度がありながらそれが行使できなければ、侵害はやり得で、幾らでも発生する。逆に言えば、損害賠償制度が機能すれば、損害賠償が機能しない場合に比べて、侵害は減る。それを損害賠償制度自体が持つ「抑止効果」と申し上げたものである。したがって、懲罰的損害賠償とは発想が全然異なる。

   この件については、まだまだ議論が必要であると思うが、何を損害として捉えるか、送信可能化権に固有の損害概念が必要かどうか、ダウンロードの回数の不明性から推定規定が必要かどうかなど、いろいろな検討が必要である。このため、本件については、報告書をつくる段階でかなり吟味した文章をつくらなければいけない。
       最後の段階でもう一度文書化したところで議論したいと思うがどうか。
    (異議なし)

   では次に、3倍賠償の導入について自由に発言を頂きたい。これまでの議論に少し加えさせて頂くと、本件は、司法的救済を検討すると必ず出てくる議論であり、10年間審議会では議論し続けていると言っても過言ではない。従前は「その他の法制の状況を見ながら、さらに検討する」と締めくくっているが、今年については、3倍賠償の導入が必要なのか、一定の意見を文書化すべきと考える。
  (異議なし)

事務局   主査からもあったとおり、この議論はずっと行われている。この件で常に議論になるのが、今の法制度の中では刑事制度と民事制度が区分されていて、いわゆる3倍賠償というのは刑事の方でやらせるべきものではないかという議論である。今の段階ではまだ早過ぎるとか、あるいは3倍賠償というのはどうしても必要であるという結論が得られればと思う。もちろん、今後全体の法制度あるいは知的財産制度の中で動きが出てくれば、それに合わせたものも考えるということになるとは思うが、現時点の著作権制度について、この小委員会としての結論を出してもらえればと事務局としても思っている。

   私は何らかの制度が必要性であると思っている。善良なライセンシーであれば10万円でライセンス契約を受けられる場合に、侵害行為者についてもそれと同じだけを賠償すればすべて事足りるというのは公平ではない、ということがこの問題の出発点だと思う。
       その上、侵害行為をしても必ず発見されて損害賠償を払わざるを得ないとは限らないわけで、侵害行為をする方が得になってしまうという事態が発生してしまう。これを回避する必要性は極めて強い。
       懲罰は刑事法の役割であるという整理は否定しないが、事前にライセンスを受けて利用する人と、侵害行為をして事後的に損害賠償として払う人との間での公平を図らなければいけない。侵害行為をして後から損害賠償として払う方が条件として不利になるということは必要であるということを確保する必要性は非常に大きなものがある。

   これについて、既にはっきり意思を表明している委員以外の方も、現段階での考えを発言しておいた方がいいのではないかと思う。

   さんざん申し上げてきたが、導入すべきではないと考えている。
       今、ご指摘のあった点について、まずライセンスを受けた人と受けない人で不公平が生ずるというのは、実はいろいろな局面があり、ライセンスを受けた人には実際の販売数量などを報告する義務があったり、権利者に販売数量の監査権限があったりするため、把握できる数量が多い。侵害者の場合、権利者が侵害数量を立証しないといけないという点でアンバランスであり、立証の問題で不公正が発生しているというのは事実だと思う。
       そのための手段として、侵害数量の2倍推定が必要だと考えているわけであるが、では今度は同じ数量なり金額で正確に把握できたとして、侵害者については、損害賠償として払うが、それ以外に刑事制裁のリスクを負っている。この点で、最初からライセンスを得た者と、侵害者とで公平を欠くことはないと思う。このようにバランスをとるのが日本の制度である。また、侵害の態様にはいろいろあり、故意に侵害している場合には刑事制裁があるが、過失で侵害してしまったような場合にまで損害賠償額を増やした方がいいとは思えない。やはり懲罰的損害賠償を持ち出すべき根拠というのは余りないのではないか。

   基本的には導入すべきではないという結論である。アメリカの3倍賠償請求は、特許の場合の裁判所請求も重過失で、会社ぐるみで行われていたという状況で一番よく使われるということである。今回のケースは、故意と過失の関係をどうやって区分けするのかわからないこと、もう一つは、権利者に権利侵害の立証責任があるが、故意・過失の立証と3倍賠償の関係をどう考えていくのか。これらを考えると、もう少し議論をするべきではないかと思う。

   私も、3倍賠償制度の導入については、民事と刑事の基本的な切り分けの問題であり、法体系上の大変革を伴う話なので、慎重にすべきではないかと考えている。ただ、「侵害のやり得ではないか、ライセンスをとった善良な人が損ではないか」という先の懸念は非常によくわかる。それについては、一つあり得るのは、ライセンスという観点から言うと、善良に事前に友好的な当事者間でやっているライセンスのレートと、訴訟になっている場合のような敵対的な当事者間でのライセンスフィーというのは必ずしも同じではないのではないか。このあたりをうまく使っていけば、表明されていた懸念には対応できるのではないか。
       民事だったら払えばいいのに対して刑事の場合は、前科がついたり、民事とは全く違う不利益をこうむるのであって、やはり最後は刑事の威嚇というのがある。現在の我が国の法体系に乗った形で「やり得」を抑えていくということを考えるべきである。

   私も懲罰的損害賠償制度の導入に反対である。理由は資料3の3ページ目に書かれていることに全面的に合意である。先ほどの公平感というのは解るが、懲罰的損害賠償の最大の問題は、そういう不公平の調整を一定額の懲罰的なプラスを与えるという形で処理するところである。抑止効果にターゲットを絞って議論をするのであれば、実損主義を修正あるいはそれに付加するような形で制度構築をすることで対処すべきではないか。

   私はぜひ導入すべきと思っている。通常の損害賠償によって補てんされる額というのは、すべての権利者側で負担した費用を賄っていないという実態がまずある。これまで議論してきた案は、一定の主観的要件に絞って、一定のものについてだけ通常の額より多い損害賠償を請求できるということにしている案であるが、これで初めて権利者側の負担している額とほぼ同等のところまで費用が補てんできるのではないかと考えている。

   私も導入に賛成であり、通常の使用料の3倍の額とするのが良いと思う。JASRACについては応諾義務があって、使用料を払えば誰でもライセンスがもらえるから、無断に使用した人についてどうするかという議論があるが、通常の場合には権利者に応諾義務はない。したがって、信用できない者に対しては、そもそもライセンスしない、すなわち使用料などというものは存在しない。しかし、信用できない者について、仮にどうしてもライセンスをやらなければならないとすれば、3倍ぐらいのレートでライセンスするのではないかと考える。つまり、通常の使用料の3倍、というよりは侵害者に対しては3倍が通常の使用料なのだと考えてもいいのではないか。

   今、権利者団体の委員は導入に賛成しているが、典型的な、あるいはむしろひどい侵害事案、海賊版をつくっているような事案を念頭に置けば、ある程度納得がつく。しかし、権利の強弱を決めるときに強くし過ぎると、特に著作権の場合には、著作物の利用ないしは新たな著作物を創作する場面に影響を与える可能性がある。これが最も危険なところだろうと思う。それがないように立法化が図られるのであれば、私は賛成したい。ただ、最も実質的な反対理由は、そもそも著作権の侵害をする人に懲罰的な心理的プレッシャーなど、経験上全くないのではないかと思うことである。

   私は賛成であるが、本当の意味での公平性を実現したいというのが一番強い理由であり、もう一つは管理経費の回収という理由もある。しかし、3倍という数字に根拠やこだわりはない。確かに通常の使用料よりも高いものを負担させるという観点からは、懲罰的な意味合いがないとは言わないが、侵害者の賠償額が通常のライセンシーが負担する使用料と同額で本当に公平であろうかという観点からの議論をお願いしたい。この議論が刑事罰の分野であるということについては十分承知しているつもりだが、例えば鉄道法における運賃の3倍負担を認めているのはどういう考え方から認められているのだろうかといったことも含め、実現に向けての議論をお願いしたい。

   私は前から申しているように、懲罰賠償導入は反対である。理由は民事と刑事の区別である。警察がなかなか動いてくれないというのは、実際の運用上の問題であって、それは大いに警察に働きかけるべきだと思いますが、日本の法体系上、懲罰的なものはやはり刑事に任せるべきである。
       それと「やり得」という点だが、勝手な人間にはできるだけ実際の裁判でロイヤリティーの3倍でも5倍でも、侵害者によっては10倍というように、運用の面でもっと裁判所が厳しくしてくれればいい。

   私も、3倍賠償の導入については慎重に考えるべきと考えている。理由としては、抑止力という観点から検討すると、ほかの損害賠償の分野においても、著作権侵害あるいは工業所有権の損害賠償だけ特出しする根拠が弱い。
       被害者、権利者との公平確保のために実損主義を多少踏み出すという話だが、実損主義の枠内でも、推定規定なり、損害算定の方法等について、さらにもう少し検討することで、公平確保ということはまだ拡充する余地があると考えている。

   私も、3倍賠償の制度の導入については見送るべきだという立場である。理由は、刑事と民事の問題をクリアするのは難しいのではないかということと、その3倍の額を権利者の方にどうして取得させなければいけないのかという問題の2点である。事前の許諾と事後の許諾の公平性の問題については、使用料の算定のところで考慮するということが可能であり、この検討を行った上で、それでも問題があるということが明らかになった場合に初めて考えた方がいいのではないか。

   では、次に侵害数量の推定規定について議論をしておきたい。

   法定賠償のかわりにはならないが、懲罰的な賠償でターゲットにされている「公平性の観点」はこれでカバーできていると考える。

   本件については、損害賠償規定の強化の一つの方法論としての提示であるので、報告書には、これまで議論した法定賠償、3倍賠償とあわせて記載しようと思う。場合によっては、「3倍賠償は導入すべきでないが、代わりにこの推定規定の導入を考えるべき」という結論になるかもしれない。この問題についても、文書化した後、委員の意見を再度聴取したいと思っている。

   私はこの提案に賛成である。ただ、2倍と推定するときに、被告の方が反証として何ができるのかという点に配慮が必要であり、例えば、少なくとも立証された部分を上回る損害があるのではないかと疑わしい状況であることを要するではないか。それから、権利者が侵害者に対する販売数量の報告徴収権や帳簿閲覧請求権がないことを問題意識としており、推定賠償はこの問題の解決策として提案されているが、この点については現行法でも、裁判所による侵害者に対する文書提出命令や、釈明処分等で対応できるのではないか。

   ライセンスを受けた場合には、権利者はライセンシーに対して、販売数量の報告義務や帳簿の閲覧請求権を取得できるため、把握率が極めて高いが、侵害者に対してはこのような権利がないので、把握率がずっと落ちる。そういう意味での不公平が発生するという意味である。

   今回の提案については、例えば権利者が1,000万円の損害の立証責任を果たした場合、反対に損害をさらに1,000万円推定して、今度は侵害者がそのような損害がなかったということを反証するという点で公平である、という点が根拠であると理解していたが、この点についてはどのように考えているのか。

   原告側が1,000万円を立証した場合、仮に3倍賠償とすると、被告側は2倍の2,000万円を反証しなければならないのは不公平である。被告側も1,000万円について、数量的に同じ立証責任を負うのが公平であるというのが2倍推定の根拠である。

   この提案を最初に見たとき、暗数的な侵害が立証できている部分とほぼ同じぐらいはあるのが普通だから、2倍を推定するものと思っていた。そういうことではなく、3と2の立証負担のバランスということか。

   そうである。ちなみに、実際の統計的な関係では、知的財産研究所が出した調査研究の中に原告が請求した金額と実際に裁判所が認めた金額との比較があり、それでは認容額は約50%ぐらいというのがある。それとも一脈通じるものがあるが、2倍推定という根拠としては、あくまでも抽象的な両者の立証責任の負担の公平という観点から提案している。

   今の説明だと、原告の請求額が正しく、裁判所が認定したのがその50%であるということが前提となっていて、真の損害というのはその隠れた損害であるという理屈であるようだが、その隠れた損害のデータを示して欲しい。法定賠償にも関連するが、これを一般ルールとして導入することは、かなり影響が大きいし、従来の立証責任の考え方とは異なるルールを導入することになるという危惧がある。

   私は原告の請求額が正しいとは全く考えていない。統計を申し上げたが、参考に申し上げただけであって「根拠」としてではない。ただ、隠れた存在のデータを示すことは、原告が立証できないのに、誰が立証できるのかということであって不可能だと思う。

   そもそも販売数量は、侵害者の側に正確にデータとしてあるはずであって、これを権利者が挙証責任を負うことに妥当性の問題があって、これを解決するために、2倍という規定を設けるというのがこの提案の趣旨であると思う。本件については、3倍賠償と異なり、委員から格別の反対意見はなかった。おそらく3倍賠償に賛成の委員も、3倍賠償が導入されない場合にはこういう提案については賛成だと思う。

   では不当利得の議論に。

   侵害が無償で行われた場合には不当利得裁判は簡単にできないが、有償で行われた場合であれば、著作権侵害について、不当利得返還請求権を使えば、侵害者が手に入れた「利得」というものを全部吐き出させて真の権利者に帰属させることができると理解でよろしいか。民法の世界でいうと、問題のある考え方なのであるが。

   少なくとも、損失との因果関係は立証しなければならない。

   不当利得の考え方と著作権法第114条第2項によって権利者がその行使につき受けるべき額を損害額として請求できるという考え方との関係について確認したい。第114条第2項にいう受けるべき額は、「純利益」であり、いわゆる限界費用を経費として差し引くものとするのが一般的な考え方であると思うが、不当利得で考える場合の考え方と異なるのか。そのため、現2項で請求するもの以外の制度として不当利得を活用していくということが提案内容なのか。

   不当利得で利得の吐き出しを認めることには無理があると思う。不当利得と言っても、損失内の因果関係が要求されていて使えないから、結局損害賠償という枠組みの中で問題を処理するという方向に行き着かざるを得ない。だからこそ、第114条第2項のように損害賠償という形で規定されている。
       ただ、損害賠償の方は、法定賠償や懲罰的損害賠償、侵害数量の推定など非常に大胆な試みを検討しているが、この議論が、従来の非常に伝統的な枠の中で、この不当利得制度だとここまでしかできないというあきらめを前提に議論しているような気がする。
       ところが、不当利得論においても、いわゆる侵害利得と言われている分野では、損失の要件は不要ではないか、というような議論も出ている。このような中で、不法行為とはまた別に不当利得制度を使うという可能性を考えてみる。それによって、現在の損害賠償の不法行為の現行規定についても見直しをしてみるべきではないか、というのが私の考えであった。将来の検討課題として考えておいていただけないか。

   その方向性を立法的に導入する可能性というのはあるのか。

   あり得るのではないか。ただ、導入したときに、他の部分で従来の伝統的な不当利得論を維持する場合には、当然齟齬が生じことになると思う。

   不当利得の理論でいけば、今までの問題は何が消えるのか、何を克服できるのかというのがまだ解らない。ここで議論しているのは立法論であるから、立法論としてどうすべきなのかも解らない。何かペーパーにまとめて提案頂けないか。

   損害賠償制度を中心に議論するということだったので、そこで不当利得的なものまで組み込んで議論していいのか、議論自体が錯綜しないか懸念があったが、ここまでを議論の対象として頂いて構わないか。

   そうさせて頂く。
       損害賠償制度の見直しについては一応終了させて頂き、次回以降の審議日程や、ここまでの議論の扱いについて、一応主査にお任せ願えないかと思う。もちろん、極めて表現が重要かつ難しい議論をしているので、文章化する段階で何度か事前にでも委員の方に送って調整をするという努力をするつもりである。


(文化庁長官官房著作権課)

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