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文化審議会

2003年7月23日 議事録
文化審議会著作権分科会司法救済制度小委員会(第3回)議事要旨

文化審議会著作権分科会司法救済制度小委員会(第3回)議事要旨

  日  時   平成15年7月23日(水)10:30〜13:00

場  所 三田共用会議所   3階   A・B会議室

出席者 (委員)
蘆立、大渕、久保田、潮見、高杉、橋元、細川、松田、前田、光主、山口、山本、吉田の各委員、齊藤分科会長
(文化庁)
森口長官官房審議官、岡本著作権課長、川瀬著作物流通推進室長、俵著作権調査官ほか関係者
配付資料

資料       文化審議会著作権分科会司法救済制度小委員会(第2回)議事要旨(案)      
資料   法定賠償制度に関する前回の議論の整理    
資料   法定賠償制度(損害額の法定条項)(案)の骨子(後藤委員提出資料)   (PDF:20KB)
資料   「三倍賠償制度」の導入について(細川委員提出資料)   (PDF:1,639KB)
資料   いわゆる「三倍賠償制度」の導入について(久保田委員提出資料)   (PDF:718KB)
資料   損害賠償制度の強化について(山本委員提出資料)   (PDF:590KB)

【参考資料】
参考資料 1−1     知的財産戦略本部について  
参考資料 −2   知的財産の創造、保護及び活用に関する推進計画  
  −3   知的財産の創造、保護及び活用に関する推進計画  

概  要

   損害賠償制度の強化について、前回の議論の整理として事務局より説明が行われた。その後、「法定賠償制度」について、前回出された意見に関わる事項を中心に、以下の通り意見交換が行われた。

   10万円の法定賠償以外の考え方、例えば、侵害者の側が得た利得というものを全部はきださせるという「利得のはきだし」という考え方については検討しないのか。また、懲罰的な損害賠償や損害額の推定の考え方とは異なる「客観的な最小限の損害額」を法定するということは検討しないのか。
   また、一般的な法定賠償制度創設の検討とともに、その金額の提案まで具体的に検討していくということか。
   それから、本日配布された資料2において、ダウンロード回数の把握が困難なため、現行規定では、十分な損害賠償を請求できないから法定賠償制度が必要とされているが、これは法定賠償制度の中でその賠償額だけではなくて、個々の侵害行為の立証まで不要にするということか。

   議論の対象は損害賠償全般に及ぶことは当然考えているが、ただ今日は特にインターネット送信についての損害賠償について議論しようということである。賠償制度の理論については、今日に限らず、審議しようとは思っているが、具体的にそれに対するご提言があれば、できれば1枚ペーパー程度で私ないしは、事務局当てに出していただいて進行の整理をさせていただければと思う。
   それから、資料2に示された提案については、損害賠償額の法定ないしは推定規定の問題を超えているのではないか、侵害についても推定効を働かせることになるのではないか、というご意見についてはここで今から議論してみたらいいのではないか。

   前回の議論では、送信可能化権に対する侵害行為の存在は大前提であったと思う。ただ、送信可能化権の侵害行為があっても、送信可能化状態があっただけで、一度もダウンロードがなかった場合には、損害額がゼロになってしまったり、ダウンロードはされたが、それが立証できなかったために損害賠償が請求出来なくなることになる、という問題点から、この法定賠償の制度の提案があったということではないか。

   送信可能化ということと、その後引き続く具体的な公衆送信というのを複数の侵害行為として、それぞれ賠償額を算定する考え方もあるのかもしれないが、送信可能化という行為を前提に、ダウンロード回数については損害賠償の算定の方の問題に組み入れてしまうという考え方ではないか。

   問題点は2つある。1つは、送信可能化の状態だけで公衆送信をしなかった場合、これが損害の発生があるのかないのか、もし損害が発生していないというのであれば、法定賠償制度をつくるかどうかを議論しなければならない。もう1つは、公衆送信権の侵害はあったが、損害の立証ができないという場合に送信可能化の状態だけで損害賠償規定を適用できるかという問題である。この場合は推定規定にして、公衆送信がないということを立証したら抗弁が立つという条文の作り方もあるのかもしれない。

   私は必ずしも法定賠償に賛成しているわけではないが、送信可能化だけに限定する必要はないと思う。
   法定賠償について、1著作物につき「10万円」の損害額を認めるという提案であるが、この「10万円」という数字は、訴訟をやった場合に最小限度かかる金額として弁護士費用が10万円くらいかかるということであったと思うが、このアプローチだと、著作物の数はあまり関係ないのではないか。
   被告の反証についてこれを認めると、最小限の賠償を認めるという趣旨には反してくるのではないか。
   さらに、自ら販売する者に限定するということについては、公衆送信されることによる権利者の販売機会の喪失が問題で、有償か無償かについては関係ないので、限定することに意味はないのではないか。
   これらのことから、損害賠償額の推定というアプローチより、訴訟になったときの最低限弁護士費用を賄うものとして、損害額を10万円とみなすというアプローチの方が解りやすく、かつ権利者の側にとって使いやすい制度ではないか。
   損害額を算定するために必要な事実を立証することが当該事実の性質上極めて困難である場合、というような要件を定めると、この規定が使えなくなってしまうのではないか。

   侵害行為そのものは立証されているが、損害額についての立証が難しいから損害額を推定するということと、侵害行為の立証が難しいから侵害行為そのものを推定してしまうというのは、問題が別であり、侵害行為そのものまで推定する特則を設けるのはまずい。侵害行為があるが損害額を立証できない場合に絞った方がいいと思う。
   侵害者の利益額を被侵害者の損害額と推定するという規定は既にあるが、送信可能化の場合には利益額を定めるのは難しいし、損害額も立証が難しいのであるから、送信可能化という行為は立証されたことを前提に、損害額を決めてしまった方がいい。被告側の反証も認める必要はないのではないか。
   実際に公衆送信があった場合に、これが何回あったかについては、それが難しいからこそ送信可能化の段階で推定規定を設けるのだと思う。
   それともう一つ、法定賠償を損害額の推定と考えるならば10万円というのはあまりに安いから、推定ではなくて10万円とはっきり決めてしまうべきである。
   現行法制からは成り立たないと思うので2倍賠償、懲罰的賠償については反対であるが、推定規定を設けるとしたら、公衆送信の推定とはどういう関係になるかを議論した方がいい。

   資料3においては、公衆送信権とそれから送信可能化権の2つをパラレル的に並べてあるが、この場面では非常に性質が違う。要するに送信可能化権というのは、そういう状態に置いたことで、ダウンロードの回数は解らなくても損害を推定するということになるが、公衆送信権の場合、公衆送信を行ったという具体的な立証を前提として損害額を推定するということになる。

   著作隣接権者は送信可能化権のみを持っていて、著作者の方は公衆送信権と両方を持っているが、どちらも送信可能化を侵害された場合に、そこから先の損害は不明である点については共通ではないか。ただ、著作者については公衆送信権について単独の議論がもう1個あるという整理となるのではないか。

   送信可能化権だけが侵害された場合に権利者はどういう請求ができるかについては、大変難しい問題を含んでいて、実は送信可能化権が侵害された場合には、送信可能化権に基づく差止請求は出来ないのではないかという議論もある。損害賠償についても市場に公衆送信してなかった場合には逸失利益というのはないのではないかという議論がある。
   こうした場合に送信可能化権というのは実際上差止めも損害賠償もできない権利なんではないかという可能性がある。
   そうであれば、法定賠償額を定めて、権利の実効性をいささか高めるという可能性もあるのではないかという議論もある。

   ネット社会で重要なのは送信可能化権である。これを条約レベルでも規定しているというのはかなりのメリットである。
   送信可能化権については、差し止めには使えないという話があったが、妨害排除とかそういう面でもまだ十分使える。損害賠償の面については、送信可能化の段階でどういう損害が発生するのかをきちんと議論しておく必要がある。算定の仕方によっては規模の大きい数にもなりうる。10万円の額についてはそのあとの話じゃないかと思う。

   法定賠償の中に抑止力を求めているのか。懲罰的な制度を入れるための理由と似たような理由でこの法定賠償を検討しているのか、それとも実質的な損害の賠償ということなのか。

   (事務局)後藤委員からは、懲罰的賠償ではなく、あくまで損害を補填することを目的としていると聞いている。

   現在の損害賠償のルールで対処できないものがあった場合の対処方法として、考えられる1つ目の方法は実損主義というものを前提とした上で立証について転換をはかる方法。2つ目は懲罰的な損害賠償という方法。3つ目は懲罰とまでは言わないまでも、何らかの形で抑止力というものを考えて制度化する方法。4つ目は、何を基準にするのかが大問題だが、最小限の損害額、あるいは客観的損害というものを、何らかの根拠に基づいて入れるという方法。
   そうした基本的な考え方を含めて、言わば、横軸にいろいろな権利があり、縦軸にいろいろな考え方があり、その中で、権利侵害は立証できたが、実損ということになると主査が言ったように問題がある場合がある、その時にどう考えていったらいいいか、その一つの場面が無断インターネット送信をどうしたらいいか、そういうことかと思う。

   「利得のはきだし」というものは損害賠償枠の外で検討するべきものではないか。
   「賠償額=損害額」という基本的な考え方のもとで検討するか、それを超えた懲罰、抑止力という考え方で検討するかを固める。そして、懲罰については、後ほど議論することにして、今は、「賠償額=損害額」という枠の中で、「送信可能化権の侵害」とはどういうことなのか根本自体のところをまず検討したい。

   今までの侵害形態というのは、実際に販売したとか、そういった実損が目に見える形での侵害形態であったため、「実損」を立証することができたが、インターネットによる形態になってくると、下流の段階での侵害それ自体を実損と捉えるのではなく、送信可能化権みたいなものの設定契約の対価をどう捉えるのかということで、問題が解決していたと思う。ただ、こういったものを仮に逸失利益というレベルで捉えるとしたら、侵害者のような人に権利設定するという契約というのがおよそ考えられないので、その対価とか、逸失利益ということを今までのルールだとなかなか考えにくい面があるのではないか。ただ、方法としてはそういう損害の算定のルールというか、しかもそれを実損というレベルで説明するのが不可能ではないのではないか。

   なんらかの権利設定の対価のようなものを想定して、それを損害と捉えると、それは一つの逸失利益の説明がつくのではないか。

   送信可能化した場合の損害は送信可能化する許諾料だと思う。例えば複製権の侵害の場合、複製行為があって、複製されたものの販売数量で損害を捉えたりすることがあるが、実際には損害が発生しているのは、例えば、複製時2000部複製し、実際に販売したのは、1000部しかないという場合に、ロイヤリティが本来発生すべきは販売数量じゃなく、その前の権利が発生するのは複製なので、複製部数についてロイヤリティがかかっていくべきである。裁判実務では、販売数量で捉えられたり、複製部数の観点で捉えられたりする裁判例もあり、議論が分かれているが、送信可能化権の場合であれば、もっとはっきりしていて、送信可能化にするという許諾の対価が損害だと思う。その場合に、じゃあ、どういうロイヤリティなのかというのは、実務慣行でいろいろな場合があるから、それによって損害額というのは決まってくる。その中には、例えば1ヶ月送信可能化においたらいくら、2ヶ月だったらいくらとか、実際にそこから送信された回数が何回であるかなど、いろいろある。何よりも送信可能化するという点について、ロイヤリティをとれるということが損害だと思う。

   送信可能化の許諾料を損害とするということだが、これを設定する際には、今後公衆送信がどのくらいあって、どのくらい儲かるかというということを念頭において許諾権を決めると思う。実際に送信した場合の立証ができないからこそ送信可能化しただけで損害額を決めてしまおうとしているわけであって、それは法定賠償のように決めてしまうのでないと、推定規定であれば覆すことができてしまうことになる。
   その場合の賠償額については、侵害を放っておくとどれだけ損害が発生するか解らないから止めてしまいたいというのが権利者の気持ちだと思うから、実際に止めるための弁護士料とするのがいいかと思う。送信可能化の損害については、例えばダウンロードによる利益は低いけれども、そこのサイトの運営者は、たくさんのアクセスによる広告量が莫大の利益を生むということもあるので、損害の捉え方も、単純にアクセスとかダウンロードとかに限定して考えないほうがいい場合もある。これは、実損の捉え方をもっと広く考えたほうがいいという考え方なのだが、そうすると算定の方法が非常に難しく、そのサイトを運営することによる付随的な利益が大きいが、その相当因果関係はどうなのか、損害の範囲をどこにするというのは難しい。
   そこで、いっそ実損の考え方も捨てて、法定賠償にして、その金額については、送信可能化という状況を止めるためのコストということで、決めたらいいのではないか。

   送信可能化権の侵害による損害について、送信可能化を許諾なく行っているということで「送信可能化権を設定してもらうための対価」として捉えると解りやすいが、許諾料ということであれば、新たに特則を設ける必要はない。新しく設ける意味は何かというと、送信化を止めたいわけである。それができるかどうかはともかく法廷賠償を設けるというのは、裁判にして許諾料をいくらかを争っているよりは、10万円ということで、直ちに抑止したいと思うからではないのか。

   今の指摘は、第114条第2項により受けるべき利益の額を請求できることになっているのだから、送信可能化権の侵害があれば、受けるべき金銭の額を立証すればいいのではないかということ。
   しかし、公衆送信権を前提として公衆送信するならロイヤルティを設定することはできるが、送信可能化だけ設定して、公衆送信権について設定しない計算方法というのは実はないのではないか。すると第114条第2項を適用して送信可能化権の侵害で損害賠償を請求するということは実務上不可能ではないか。だとしたら、同項の特則として、送信可能化権だけの侵害について一定額の請求ができるという議論があってもよい。

   これはネット社会の中における新しい課題だが、かなりラフな対応をする慣行ができるのは好ましくない。議論の中には、例えば不法行為の成立要件の因果関係を外すことなども含まれていると思うが、もう少しきめ細かい議論をしたほうがよい。送信可能化状態での損害は、送信の時の損害よりももっと大きいはずであり、「損害」をどう把握していくのかという問題は考えてみると生易しい問題ではない。サイト運営者の利益というものもあるだろう。
   ビジネスで1万曲のデータベースを作成する場合にはかなりの対価を支払う必要があるだろうし、対価を決める際には、アウトプットに応じて対価を決めていくが、許諾の対価だけではなく、出来上がったものがビジネスの世界で持つ固有の価値というものは損害額の算定には含まれてくるような気がする。また、一時的な複製も、ネット社会で様子が変わってきた。一時的な複製であっても、外部からコンタクトができる状態に置くと、経済的な価値を持つようになる。ネット社会にかなり柔軟に対応できるようにするべきである。すぐに法定賠償とか、懲罰的とか走るということは適切でない。


(2)     「三倍賠償制度の導入」について、細川、久保田、山本各委員から説明が行われた後、以下の通り意見交換が行われた。

   「利益ははきだす」ということについては、ファイル交換ソフトなどネット上でかなり高度な違法行為は、実際の被害が大きい割に、学生などの暇な人が営利的にやっていない場合が多く、利益をもって損害と推定するという規定が使えない。また、実損の部分の立証が難しいということであれば、立証できた損害額の2倍であろうが10倍であろうがあまり抑止力にはならないと思う。

   インターネットにおける話だけではなくて、企業内の違法コピーについても視野に入れれば、効果は非常に上がるのではないか。

   私は懲罰賠償そのものについて反対であるが、仮に認めるにしても、基本のところの立証が困難であると、「実効性」という一番の前提のところが崩れてしまうのではないか。

   送信可能化権侵害についても許諾料みたいなものをベースに訴訟を展開することができれば、抑止力になると考えている。

   侵害の数量の推定規定については、かなりの部分賛成である。ただし、複製権侵害のような事案については、権利者が立証した数量の倍の数量として推定するということで、ピタリいけると思うが、例えばコンサートのような演奏権の侵害ということになると、そのコンサートで使われた曲目・曲数は決まっており、権利者は明確に立証できるため、それを倍と推定するというのはなじまないと思う。

   コンサートで演奏するためのライセンスを取った場合、使用料規定上は1回当たり5万円から10万円だが、事後にJASRACから言われて手続を取るという場合でも同額で済むなら、事前に届出をしなくても同じなのだから、ということになってしまう。それが例えば使用料規定上10万円だとして、30万円取られるということになったら、先にライセンスを取るということになると思う。
   コンサートの場合であれば、主催者に、JASRACが必ず調査に来る、という認識があるから手続を取ってくれる。ところが、JASRACは単に窓口だけで、申請に来られた方に対してだけライセンスを出せばいいという程度の管理体制しか持っていないとすれば、見つかったのはむしろ運が悪いというぐらいの意識で気軽に使ってしまわれるのではないか。そのため調査・監視を常時行うための費用がかなり莫大な金額となっているということを申し上げたかった。

   損害賠償を2倍とか3倍とする規定を設けると、監視機構体制に投資する費用が削減されるということか。

   管理に要する経費が補填されれば、権利者に対する分配額が増える、権利者分配額を増やさなければ、使用料をもう少し安くすることができるだろう。

   3倍賠償制度は、懲罰的賠償制度ではなく実際にかかる経費の回収であるという話だが、それは違うのではないか。我々は決して性善説ではなく性悪説で動かざるを得ない。3倍賠償としても、侵害者が出てくることを予測して管理体制を敷かざるを得ない。ということは管理経費というのは権利者が権利を行使するための恒常的な経常的な費用であって、損害賠償で別に取ろうとかという話ではなく、そもそも使用料に乗せるべき経費の問題である。
   故意または重大な過失があった場合に3倍にするというが、管理経費の回収であれば、故意であろうと重大な過失であろうと全部回収しないといけない。発想としては、やっぱり懲罰的損害賠償の発想そのものだと思う。したがって、その考え方というものは受け入れられない。

   懲罰的制度を取った場合に社会的弊害が起きるのか否かを議論する必要がある。

   少なくとも著作権の問題としては懲罰的制度というのはなじまないだろうと思う。通常の犯罪行為であれば、犯罪になりそうな行為も含め抑止する必要性があるが、著作権侵害の場合には、著作権侵害にならない限り、著作物の使用は自由である。そのせめぎ合いに懲罰的損害賠償を加えて、刑罰的な抑止効果を加えるということになれば、本来自由であるべき行為の部分に対して萎縮効果を与え、行為者の自由が奪われるという問題が発生すると思う。著作権の問題に限って言えば懲罰的損害賠償というのは刑事的な要素は適切ではない。

   刑事罰だけでは侵害の予防や抑止力にはならないから3倍賠償、というのは結局、懲罰的損害賠償というのを認めるということに他ならない。さらに、権利者の投下費用を侵害行為者に負担させることを認めるということは、両者に因果関係を認めることになる。これは不法行為論の問題だが、無理があると思う。それから懲罰的損害賠償だが、損害賠償の基本的な考え方として、単に損害の補填としてだけではなく、一般的な抑止力というものはあると思う。ただ、民事の中に懲罰的刑罰的要素を含めて「制裁」的なものをもたらすということであれば、それなりの理由が必要である。刑事罰を予定した法制が法秩序として用意されている中で、それが機能しないから民事で処理するというのは、単純な説明では済まないと思う。
   もう1つは、もしこの分野で懲罰的な損害賠償を日本で採用するということを認めると、国際的な訴訟の中で実際にわが国が損害賠償制度を導入したということになるため、今度は外国判決の承認・執行の問題が出てくる。そういうことまで視野に入れておかないと、予期しない問題が起こってくる可能性があると思う。

   無体財産というのは非常に権利が侵害されやすい、逆に考えれば、心理的にこういう損害賠償のようなものが抑止力になっていくと考えている。故意、過失についても損害額の認定についても勘案してバランスはとっているつもりである。これ以外の方法で民事上の法秩序の中で著作権が守られる方法が考えられるならば、さらに具体的な案もいただきたい。

   刑事的責任であれば刑事訴訟法で厳しい手続にして、立証の程度も非常に高いものを要求しているが、これと同じようなことを民事でやることが可能なのか、法体系全体で民事と刑事で役割分担しているところに正面から触れていくのだろうか、というのが1点、それから、著作権侵害に3倍賠償を認めてしまうと、著作権どころか知的財産権をも越えてしまい、損害が立証しにくい侵害事案すべてに広がってしまう可能性がある。訴訟に諸々の費用が掛かるのであれば、因果関係の範囲で柔軟に取り込んでいくとか、もう少し現実的な方法で対応した方が問題点を実際上スムーズに実現していけると思う。

   どうしたらネット上のファイル交換による被害が縮小するかという提案に対して反論した方は、具体的にどのように訴訟制度を変えればいいのか。裁判官の意識を変えればいいのか、ディスカバリーの制度を導入すればいいのか。しかし、はっきり言って、著作権法を改正するよりディスカバリー制度を採用する方が改正としては困難ではないか。そういう点を具体的にご提言をしてもらえないか。

   損害賠償がダメなら、不当利得でやればいいと思う。刑法でダメなら民事でというのは本末転倒で、刑事に実効性がないなら、実効性があるように刑事罰規定というのを変えるなり、運用するなりするのが素直である。実際に現場に携わっている方から、どういった額の損害で良しとすべきかご示唆いただきたい。

   久保田委員の提案については、侵害の数量の2倍の推定の規定を設けることでほぼ同じ効果を得られると思う。それから刑事罰の問題についても、機能していない理由を調査して、その上で問題解決を図るべきだと思う。それを抜きにして、罰金刑上げろとか、懲役刑5年にしろというのは早いのではないか。

   こういう審議会の中で、刑事制度の実情について、罰則の適用、訴訟手続などについて問題があるという意見も出たということを報告書に留めるということは可能であるか。

   (事務局)例えば刑事罰の適用が不十分だとか、そういった意見が出たということを、報告書に書き込むことは可能である。

   踊る大捜査線だけで34件ヒットするというのは確かにすごい。どれくらいの損害になっているかということをJASRACやACCSから可能であれば資料を出して欲しい。被害の状況に対する認識は共通であって、議論の基盤は同じところにあると思うので、抑止の方法の可能性を示すというまとめ方もあるかもしれない。

   「懲罰的」というようにあえて挑戦的な資料としたが「抑止」ということで十分であって、それを担保する方法を条文案にしたつもりである。要するに、損害の2倍の賠償を取れるという規定によって、刑事のみならず民事の方でもコスト的に見合わないと、言わば「コスト的」な観点から著作権侵害はしないということをイメージしている。学生等に説明するときも規範だから守るべきであると説明するより、民事や刑事でお金がかかるならDVDを買ってきた方が安いではないかという社会的コスト論で説明する方が理解をする。

   2倍推定規定については、昨年度からの議論を重ねており、格別大きな反対意見がないのであれば、こういう意見もあるということは報告書に示したいと思っている。





(文化庁長官官房著作権課)

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