審議会情報へ

文化審議会

2003年9月29日 議事録
文化審議会著作権分科会司法救済制度小委員会(第5回)議事要旨

文化審議会著作権分科会司法救済制度小委員会(第5回)議事要旨

  日  時   平成15年9月29日(月)14:00〜16:00
場  所 文部科学省分館第201・202特別会議室

出席者 (委員) 
蘆立、大渕、久保田、後藤、潮見、細川、松田、前田、光主、三村、山口、山本、吉田の各委員、齊藤分科会長
(文化庁)
森口長官官房審議官、吉川著作権課長、吉尾国際課長、川瀬著作物流通推進室長、俵著作権調査官ほか関係者

配付資料

資料     文化審議会著作権分科会司法救済制度小委員会(第4回)議事要旨(案)  
資料   不当利得制度の利用可能性について(潮見委員提出資料)(PDF:248KB)  
資料   間接侵害規定導入の必要性について(細川委員提出資料)  
資料   みなし侵害規定の見直しについて(山本委員提出資料)  
資料   差止請求権制度の見直しについて(山本委員提出資料)  

概  要 (○:委員   △:事務局)

1.    議事に先立ち、「不当利得制度の利用可能性」について、潮見委員から説明が行われた後、以下の通り意見交換が行われた。

   不当利得請求と不法行為に基づく損害賠償請求の違いは、過失を要件とするかどうかにある。例えば書籍の出版の場合に、作家の侵害行為を出版社が知らずに出版したようなケースで、不当利得請求を受けた場合には、出版社は過失がなくても利益を返還しなくてはならず、出版社にとっては厳しいのではないか。

   不当利得規定を強化し、利得を得た者の利得をそのまま損失とみなす条文を作った場合に、現行の侵害者の得た利益を損害額とみなすという規定との関係はどうなるのか。

   確かに、出版社にとっては過失無く利益を返還することになり厳しいかもしれないが、その時には、過失の考量というようなルールについて考えるかどうかという問題がある。例えば、原告側の行為対応や態度、主観を考慮して返還額を定めることができなければ、利得の吐き出しということになる。
   また、現行の規定が実質的に不当利得の規定だとすれば、一種の注意規定的なものとして取り上げられるべきものとなる。

   自分の著作物以外の著作物を有しているという意識があれば、何らかの過失があると言えるのではないか。実務的には出版社にも厳しく過失を認めており、過失がないと免責した事案はほとんどない。
   また、第114条第2項については、不当利得とほとんど同じような形での運用がされており、これを正面から不当利得という形にするならば理論的には筋が通ると思うが、結局、民法との関係で疑問が残る。

   仮に第114条第2項を不当利得と構成した場合には、抽象的な概念として民法上の損失を補填する考え方との関係で矛盾がある。例えば、出版社が作家に無断で出版してしまった場合、出版社でもない作家が、出版社が得た利益まで請求できるのはおかしいのではないか。単なる複製ではなく翻案されて付加価値がついた場合には請求できるのか、という問題がある。例えば映画化されてしまったとき、映画の配給利益などを原作者にすべて帰属させていいことにはならないと思う。

   この問題は、民法709条の損害賠償のラインから提起がなされたという位置づけを考えると、悪意重過失の場合、超過利得をどう位置づけるのか。これは損失を軸にした考えではない。利得者に才覚があって、本来の権利者の3倍も10倍も利得を上げてしまう場合、やはりそのまま保持させるのは正義に反する。そうなると、従来の民法の発想から一つ飛び越えないといけない。そこには、制裁的な要素も入れ込むという腹を決めればできる。懲罰賠償も損害賠償も腹を決めるなら同じ軸である。

   いかに才覚があったとしても、利益を保持するのは妥当でないという考え方には、同感である。権利者は確かに出版社ではないが、そもそも人の著作物を出版する許諾を得なければ、才覚のもととなるものがなければ利益を上げられない。ロイヤリティーもそもそも発生し得ない。出版の場合、初めに出した出版社の利益は大きく、通常のロイヤリティーによる損害賠償だけで済むのか、という点も考えれば不当利得について、もっと考えていい。その場合、114条でカバーできるのか、できないのかという問題は考えるべきである。

   賠償額を固めるという目的を達成し得る手段が複数あれば、いろいろ検討することは悪くない。場合によっては、不当利得の方が無理が少ないということもあり得ると思う。いろいろバリエーションがあるかと思うので、今後も検討していく必要がある。

   今後、この問題を検討していかなければならないというのは、皆の共通の意見だと思う。主査としては、この議論を重要な課題の一つとして検討を継続してもらうということを今回の報告書に残すという扱いにしたい。

   権利侵害行為の見直しについて
(1) 「間接侵害規定の導入の必要性」について、細川委員から説明が行われた後、以下の通り意見交換が行われた。

   出版社と印刷会社を比較すれば、著作権侵害の書籍を出版した場合、責任を負うのは出版社だと思う。プレス事業者を侵害者とみなしたいというが、出版社は、プレス事業者よりもさらに強い差止請求権の主体になるということか。

   線引きが難しいが、私としては、プレス事業者とは、音盤、CD、DVD等という著作物が利用される支持物のようなものを扱っている点で印刷業者とは違うと思っている。また、もし侵害があった場合には、プレス事業者にも侵害者についての情報を事前に通知をするはずで、その上での共同不法行為となると思う。いきなりプレス事業者の責任を追求するということではないと思う。

   プレス事業者は印刷業者に対応するとは思うが、従来の印刷業者は、出版社の手足のように必ずしも印刷するものの内容を把握した上でやっているわけではない。そのような立場の人を共同主体、行為主体ととらえることができるかという問題がある。
   ただ、民法の共同不法行為で処理できるものについては、現行法でも幇助のような形で、損害賠償を命じることは可能である。例えばプレス事業者について、海賊版であるという情報を事前に通告していれば、共同不法行為による損害賠償の可能性はあると思う。

   「著作権者以外の者に対して当該著作物を利用するための手段を供給・提供する行為は著作権を侵害するものとみなす」という案文は、対象が広くなり過ぎる。そういう形で規定するのであれば、今の民法の共同不法行為の適用について、もっと厳しく実務的に適用すれば足りる。したがって、現行規定で足りると思う。

   共同不法行為の規定で、現在の状況では対応できないようなケースとはどのようなケースが想定されるのか。例えば共同不法行為の規定だけでは、裁判上、または裁判外での解決の際にコスト等が莫大となるなどの問題があるのか。

   実務的に、間接侵害規定がないと、権利を管理できないということはない。ただ、今は協議をしつつ何とかやっているが、侵害が起こらないようにするための協力をして欲しいということである。判例の積み重ねによって、全般的な協力が得られている部分があるが、まだまだ十分ではないので確認的に間接侵害規定を設けたい。

   間接侵害としては、教唆、幇助の類型を想定しているのか、あるいは、行為者と同視すべきような立場の人を対象としているのか。例えば、教唆、幇助であれば主観的要件は必要だが、ビデオメイツ事件の事案のような場合であれば、行為者としてみなされるような場合で主観的要件はなく、管理支配と利益要件があればいい。
   問題は、共同不法行為によって損害賠償をするならば、いずれの類型でも賠償を受けることは可能だが、差止請求をしたい場合に教唆、幇助の類型についてはあまり積極的な裁判例がないというところにあるのではないか。教唆、幇助の類型について差止請求権を認める規定が欲しいということか。

   確かに教唆、幇助については、差止請求の規定がないことから、確認的にでも間接侵害の責任といったものを明定して欲しい。例えば、イギリス法では会場の提供あるいは装置の提供は間接侵害として列挙されている。

   現在の法制度の中でも、具体的な侵害の蓋然性や、主観面における認識といった要件を取り入れることで、損害賠償については共同不法行為で対処できている。
   問題は、大阪地裁のこのヒットワン事件で、「侵害主体に準じると評価できる幇助者」に対する差止請求が認められたが、この「侵害主体に準じる」という縛りを、幇助当事者であることに加えて、侵害主体に準じる者という縛りを加えないと差止請求ができないのか、という点にある。私は、「侵害主体に準じる」者であるとまではいえなくても、幇助者に対しては差止請求ができるということを明らかにすべきだと思う。

   差し止めの必要がある場合があるということや、一般論としては、不法行為に基づく差止請求権というものが民法上認められていないので、なかなか差し止めが難しいという点はよくわかる。ただ、書き方としては、やはり相当限定した形でしか書けないだろう。
   もう1つは、会場の提供のように表現手段の提供を奪うという形になると、憲法上の表現の自由の関係や検閲の問題などがあり、侵害予防として機能させるのは非常に難しいのではないか。仮に可能であっても、現にその幇助者なりの行為によって侵害が行われている場合に、そのものを止めるという限度でなければ、難しいのではないか。

   差し止めまでして欲しいとなると、我が国の不法行為法理だと難しいし、仮に認めるにあたっても、要件とか絞った適切な形で、考えた方が良い。

   教唆・幇助の場合には主観的要件が必要であり、映像会場提供者への場合には、教唆・幇助の意思がないと該当しない可能性がある。教唆・幇助の概念で適切に縛れるような案件ではないのではないか。

   教唆・幇助について全部差止請求権を認めるのか、当該差止めによって侵害行為自身が止まる場合に限定するのか、など検討が必要だが、教唆・幇助一般に対して差止請求権を認める旨を明確に規定すべきではあると思う。

   少なくとも確認的な規定は入れるべきだと思う。侵害される権利自身が排他的な権利ですから、教唆・幇助自体に、つまり教唆・幇助の差し止めによって侵害行為自体が止まるかどうかにかかわらず、全部について差止請求を認めてもいいのではないか。

 
(2) 「侵害とみなす行為の見直し」について山本委員より委員から説明が行われた後、以下の通り意見交換が行われた。)

   流通に置かれている物を購入するにあたり、自ら正規品か非正規品か、権利侵害がないものかどうかを調べる必要があるとなると、あまりにも流通の阻害になるのではないか。

   盗まれたものを取得した場合と同じで、善意取得が成立しない限り、真の所有者の所有権が残っており、返さざるを得ないというリスクは常にあるものであり、社会生活をしている上で甘受しないといけないリスクである。

   ということは、「情を知って」とか、「頒布の目的」という要件を、故意・過失の要件に引き下げるという趣旨か。

   必ずしも盗品と同様に規定する必要はなく、故意・過失であれば許されるとする必要はないと思う。

   また、動産の善意取得の議論は民法上の返還請求権の議論であって、差止請求や損害賠償、刑事罰との関係などとは別の議論である。

   警察がとりあわないという事例や、「情を知って」が認定されなかった例など、特別な例を前提とすべきでない。実務上は、少なくとも警告を受けた後であれば情を知らないという判断はされないと思う。

   特許や商標の場合には一応公示制度があるので、少なくともそういう権利あるいは権利者が存在することについては、調べようと思えば調べられる。著作権の場合には、これがわからないこともあるわけで、情を知らない流通に関与する者にまで侵害とみなすということについては、取引の安全性の面での弊害が十分考えられると思う。

   流通市場を妨げるかどうかという点に関しては、既に間接侵害が規定されているアメリカやフランスについては十分に健全な資本主義が成立している。それほど問題ないのではないか。

   諸外国の立法例については、著作権の侵害、ないし差止請求についての一般的な規定なのではないか。今議論している「侵害行為とみなす」ことに主観的な要件を入れ込まないというのは、同じ話ではない。こういう主観的要件というのはやはり入らざるを得ないと思う。

   第113条については、3つの問題があるので指摘したい。1点目は、輸入時には頒布の目的がないが、輸入後に頒布の目的をもって頒布・所持を行った者については侵害とならない可能性があること。2点目は、頒布ではなく公の上映の目的での所持を侵害とみなす必要があるのではないかということ。3点目は、コンピュータソフトウエアについてよくあるケースだが、著作物自体を頒布する目的ではなく、そのコピーを販売する目的である場合に、みなし侵害が成立するかという問題である。これについては、わいせつ物のビデオに関して既に判例があり、実務もそれに従っているが、そのことを明確にすべきではないか。

(事務局)頒布目的の要件を削除すべき理由として、この規定が、学術研究を目的とする輸入の許容のために設けられたものである点が指摘されている。著作権法立法時のコンメンタールを見るとご指摘の記載があるが、ここでいう「学術研究を目的としての輸入」というのはあくまでも例示の1つであって、私的使用のための複製と同一視すべきものについては対象とすべきではないというのがこの規定の趣旨である。

   私的複製目的であれば輸入できるというのは、私的な輸入がどんどん行われている現在の状況から考えると、許されないという状況に変わっているのではないか。学術研究目的にとどめられるべきではないか。

   「差止請求制度の見直し」について、山本委員から説明が行われた後、以下の通り意見交換が行われた。

   この問題は、知的財産固有の問題ではないのではないか。

   「訴訟提起時あるいは一定の時点から事情が変わった」ということを一般化して、すべて「みなす」というのは困難である。

   「おそれ」がないのに認められた請求権は、法的にどのような位置づけになるのかが不明である。

   差止請求の可否を判断するにあたって非常に詳しく認定しているのは、差し止めの利益がなくなったことをなかなか認めないということに他ならない。例えば、在庫が存在するような場合には、差し止めの利益がなくなったと認定されることはなく、裁判の実態としては、侵害を停止したとしても、本案訴訟で差止めの利益が認められないということはない。
   また、明らかに差し止めの必要がなくなったような場合であれば、権利者の側から損害賠償に訴えを変更すればよい。完全に敗訴するような例は絶無といってもよい。
   ご提案は、理論上も問題があり、実務面からの必要性もないのではないか。

   つい最近まで、侵害をやっていたにもかかわらず、もしも侵害のおそれがないと認定された場合には、それによって将来侵害されるかもしれないというリスクを、原告の側が負担することになるのが適切なのかどうか。被告に対して差し止めの命令を出したとしても、要は侵害しなければいいのであって何の不利益もない。ならば原告に差止命令を与える方がよいのではないか。

   権利者の立場からだけでなく、被告の側の立場からも考えなければいけないのではないか。

   侵害のおそれの有無について、丁寧な認定判断を経たのであれば、侵害されるリスクを原告が負担するのはおかしくないと思う。また、このような一般的・抽象的な予防的差し止め規定を設けるということになると、被告側の営業の自由や行動の自由に対する過剰な介入にならないのか。憲法上の基本権にかかわってくる問題であるから慎重に検討すべきである。

   ソフトウェアやデジタルコンテンツなど流通の早い著作物のことを考えると、いち早く差し止めてもらえることは有意義である。

以上


(文化庁長官官房著作権課)

ページの先頭へ