○ |
文化芸術活動を行う者の自主性の確立と行政の支援を求めることとの兼ね合いをどのように考えているのか。 |
◎ |
民間で現実に行われている活動とそれを支援する施策の内容がずれたり,新しい施策に適応するために民間で今までやってきた活動の内容を変えなくてはならない場合があるので,芸術関係者を施策の形成段階で参加させてほしい。 |
○ |
国が文化芸術の水準向上について重点的に取り組むための手法は多いだろう。また,参加機会の拡充の責務を担う地方自治体の役割は非常に大きいが,地方自治体がそれを認識し,積極的かつ具体的に施策に取組むために,条例あるいはマスタープランを作るべきだとの考え方はどのように考えたらよいか。厳しい財政事情等により地方自治体の取組は十分ではないようだ。 |
◎ |
条例を作る過程で地方自治体内で議論が活発化するのではないか。地方自治体でも施策の重点あるいは資源配分を変えようとする議論が起こることを期待している。 |
○ |
国の支援は不要との意見と,必要との意見は,文化芸術の場合は双方に一理ある。ただし,「国の支援は不要」という芸術家も文化芸術への支援の広がりには努めるべきである。現場での安全確保,事故への対応については,法律的な理論,ルールが整理されてきているので,その枠で考えてはどうか。また,ISOのように安全確保のあり方とそれに向けたステップを考えてはどうか。 |
◎ |
税制や投資組合の税制優遇のような制度的取組に加え,多様な芸術を作っていくためには財政的支援も必要ではないか。また,安全確保の問題ではフリーの芸術家を中心に,事故の際,現在は対応外となる方々について解決を図っていきたい。 |
◎ |
芸術家の側面と技術者の側面の二つの側面があることを踏まえて,今後整備が図られないか。 |
○ |
商業主義・営利目的の文化活動と純粋芸術の文化活動はニュアンスが異なるものとして議論すべきである。技術者の社会的地位の低さや生活保障の不備は,雇用者の意識向上に関わる問題ではないか。 |
◎ |
制度的あるいは実態的な問題として,現場には下請け会社の者などが混在しており,事故の際,下請け会社のスタッフに労災が適用されないことがあるので,事故の際の対応について考えていくべきではないか。 |
○ |
芸術と技術はしばしば融合するので,技術者をあえて自ら「裏方」と捉えなくてもよいのではないか。 |
○ |
公立文化会館の活動への支援について,これからは大いに地域格差を作るとよい。知恵のないところには支援すべきでないのではないか。 |
◎ |
現在もまず,アイディアがあって支援との形をとっているが,支援しきれていない部分があるのでチャンスは与えて欲しい。 |
○ |
地方毎に特色ある文化施設を作るべきであり,全国統一的に行うべきでないのではないか。 |
○ |
地方の文化施設の職員が奮起するような取組をお願いしたい。 |
○ |
アートマネージャーを育成し,活発に活動できる環境をつくるべきである。 |
○ |
自治体の文化行政と文化施設との関係をどのように整備するのか。 |
○ |
文化施設は決して多すぎるのでなく,活動の内容が不十分であることが問題である。 |
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他文化共生社会の実現とは,公用語は日本語であっても,多言語が許容される社会ということか。 |
◎ |
来日まもない外国人には多言語的な情報提供が必要である。日本社会の中で彼らの文化,アイデンティティーを保ちつつ,日本人とのコミュニケーションを成立させるためには,日本語の支援を行いながら生活してもらうのがよい。他文化社会の実現に向けて総合的にサポートをすることが必要ではないか。 |
○ |
ドイツの場合はゲーテ・インスティテュートが世界に展開しており,各国で留学前の教育を受けられるメリットがあるが,このような点はどうか。 |
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海外における日本語学習者は年々増加している。国際交流教育基金やJAICA等の支援で日本語教師を送り込み,各国で日本語教師を育成する構想はあるが,人数が少なく,十分な教育のない教師もいる。 |
◎ |
海外においてもきちんとしたカリキュラムで教育の専門家から手ごろな料金で日本語や日本の文化を学べる仕組をつくるべきだと考える。 |
○ |
外国人への日本語教育への公的支援は圧倒的に不足している。国全体で支援体制を考えなくてはならないだろう。横断的に国の文化政策を考えることも必要ではないか。 |