審議会情報へ

文化審議会

2001/11/27 議事録

文化審議会第16回総会議事要旨

文化審議会第16回総会議事要旨

1.日時

平成13年11月27日(火)10時00分〜13時00分

2.場所

霞が関東京會舘  シルバースタールーム

3.出席者

(委員)

高階会長、北原副会長、市川、井出、岡田、北川、齊藤、関口、津田、乳井、野村、藤原、脇田、渡邊、の各委員

(文部科学省・文化庁)

池坊大臣政務官、佐々木文化庁長官、銭谷文化庁次長、天野文化庁審議官、遠藤文化部長、木谷文化財部長、鈴木文化財鑑査官、高塩政策課長ほか関係者

4.概要

(1)配付資料についての確認があり、前回議事要旨については、意見がある場合は1週間以内に事務局に連絡することとされた。

(2)事務局より、文化審議会中間まとめ(素案)について説明があった。

(3)その後、次のような意見交換が行われた。

  •   学校教育はこれまで知識を一方的に教え込む教育に偏っていたとの記述があるが、いまや、ゆとり教育が行き過ぎ、知識を軽視する風潮がある中では、あえてそのことを指摘しなくてもいいのではないか。
      一方、「個性を尊重した」ではなく、「能力に応じた」教育という表現を用いたことはよい。
  •   知識偏重教育の弊害については、他方で子供、学生の基礎学力の低下が言われており、その記述には工夫が必要である。また、学校教育だけではなく、家庭でのしつけの問題も大きいと考える。
  •   我が国は戦後、文化立国を目指して出発したといえるのであろうか。むしろ経済に重きを置き、暗記中心の詰め込み教育を行い、心にゆとりのない子供を育ててきたのではないか。経済大国になる過程で大切なものを置き忘れてきたと言え、だからこそ、個の確立が求められるのである。
  •   日本は理念としては文化国家を目指したが、その割には言葉だけで、未だ文化国家の体をなしていない。大切にすべきものを有しているのだが、それを生かしきれていないのである。
      また、戦後の教育が日本の経済発展の原動力となったことも事実であり、一定の役割を果たしてきたといえる。
  •   「人間がその理想を実現をしていくための精神の活動」と文化が定義されているが、美しい田園や古い町並みも含まれるよう、「・・・精神の活動及びその基盤」とした方がよい。
  •   片仮名言葉が氾濫しているが、一度片仮名として広まってしまうと取り返しがつかなくなることから、可能な限り日本語に置き換え、止むを得ない場合は注釈を付けるなどの配慮が必要である。
      また、情報化時代には、書ける漢字よりも読める漢字の方が多く必要であり、情報化時代に応じた漢字についての再検討が望まれる。
      国語教育の充実方策としては、学校教育活動全般においてというよりも、まず国語科における質量の充実が求められる。
      文化の機能・役割(1頁)は芸術文化に偏り過ぎているので、文学や真理の探究なども例示として加えるとよいのではないか。
  •   著作権制度の整備については、例えば追求権の問題など、文化の創造者の保護についても考えていく必要がある。
  •   著作権制度の整備も重要だが、同時に、その制度が社会に受容され、浸透していくことが必要である。
  •   日本の歴史や伝統を大切にしていくためには、まず日本人としての誇りを持つことが大切である。
      また、文化は一人一人によって価値の異なるものであり、一概に「粗悪なもの」や「伝承すべき価値のあるもの」とは判断できないものである。
  •   文化を担うのは民間であり、民間、地方、国の役割分担として、まず最初に民間についての記述があることは良いことである。
      また、文化の振興に政府の果たすべき役割に比しその文化予算はまだ不十分であり、今後更に強化すべきと、はっきり記述したほうがよい。
      負の文化について盛り込む場所は検討の余地がある。
  •   地域文化は宗教的な行事と密接に結び付いていることが多く、行政としては支援しにくい分野である。これらは大いに民間にゆだねるべきであり、民間による文化の顕彰の意義について、より強調してもいいのではないか。
  •   負の部分が豊かな文化を生み出してきたということは、歌舞伎に限らず、人間の生き方そのものにも言えることである。
  •   悪に対するあこがれや、性への欲望は、人間の本質的な部分であり、一概に「負」のエネルギーとしては捉えられない。
      また、芸術文化は人のイマジネーションや感覚に訴えるという面を有しており、現実と仮想現実の区別が付かないということは悪いこととは言えない。
  •   反社会性も文化の創造につながっていく。文化にとっては、むしろ全体主義に陥ってしまうことのほうが問題である。
  •   国際文化交流については、海外からの多様な要請を踏まえ、芸術家のみならず、作家、学識経験者についても機動的に派遣していくことが必要である。
      また、日本語の積極的な普及と同時に、日本文化の普及が大切である。日本文化を海外に発信することは、世界の文化を豊かにすることに資すると同時に、国益にもかなうものである。そのためには、良い翻訳者を育成すると同時に、翻訳活動を官民で支援していくことが大切である。
  •   日本語や日本文化の発信と同時に、日本の歴史や文化に関する研究への支援も大切である。
      美術館・博物館における学芸員の配置など体制の整備が求められる。
  •   国際文化交流については、様々な分野で多様な活動が行われており、特定の機関の固有名詞を出さないほうがよい。
  •   グローバル社会では他の文化を学ぶことによって相対的に自分の文化の位置を知ることが必要である。日本語の普及は単なる日本文化を知る道具ではなく、日本語の教育を通じて日本の文化を学んでもらうものとして重要である。
      また、外国語教育の基盤として、日本語でしっかりと論理的に考えることのできる能力を身に付けることが必要である。
  •   グローバル時代にあっては、外国語の習得は不可欠とも言える。
  •   文化の多様性の重要さと同時に、他文化を理解することの大切さについても盛り込んだほうがいいのではないか。
      また、文化における学問の重要性についてもう少し強調すべきである。
  •   人間が美しいものとして存在していることが文化の出発点であり、そのような人間が豊かな文化を創造し、それが社会へ還元され、人の心を癒していくのである。文化を単にモノとしてではなく、このような循環として捉える視点が必要である。
      そのためにも、まず、個の確立が必要である。
  •   文化遺産は国民的財産であると同時に、人類全体の遺産として大切にしていくことが大切である。
      また、史跡、歴史的な建造物の保存・活用も大切であり、そのつながりの中で、棚田・里山のような文化的景観が生きてくるのである。
      特に提言したい事項については、国語教育の充実よりも、日本の歴史や伝統への理解を前にした方がよい。
  •   文化的な感性を育てるためには、大学教育において、卒業してすぐ役立つ知識や技能の習得のみに目を奪われないことが大切である。
  •   大学教育の役割は重要であり、世界水準の教育研究の推進などの視点も必要である。また、我が国の文化的拠点としても大きな役割を果たしている。
  •   文化について考えると、大学教育においては、人文科学と他の分野とのバランスが重要である。
  •   大学教育だけでなく、高校教育においても、文理のバランスは大切であり、受験に必要な科目だけを勉強することには疑問を感じる。
  •   地方の文化や大学の学問研究などには、市場原理にゆだねると潰れてしまうものもあり、実用的ではないことも守っていく必要がある。文化は市場原理になじまないと国民に訴えることが大切である。
  •   学問研究は市場にはなじまないが、芸術文化には、より多くの人に伝え、楽しんでもらうために世の移り変わりとともに変化していくという視点は大切である。
  •   文化を市場原理にゆだねるべきではないというのは、拝金主義的な経済原理から文化を考えていては、心も貧しくなり、文化が守れないということではないか。
  •   文化を市場にゆだねてしまえば、需要がないものは市場によって淘汰されてしまう。需要がなくても大切なものは政府、地方公共団体が手を出して守らなければならない。一方、競争原理は文化にも必要であり、芸術家等がより工夫して人々に受け入れられるようにすることは大切である。
  •   大方の文化は市場になじむと思われ、市場の厳しい目に晒されて、文化がより進歩するという側面は大切である。
  •   入場者が多いことや、視聴率が高いことと、文化的に優れていることとは同一の場合も、異なる場合もある。採算性や経済効率という観点は文化にはなじまないのではないか。
  •   文化の市場性は否定できないが、採算性や、目先の投資効果に流されてしまうことへの用心が必要である。
  •   多くの人に喜ばれるものを創り出すことは必要だが、現在は、市場のニーズに応えるべきということが強く出過ぎているのではないか。
  •   文化と経済を対立構造として捉えることには限界がある。文化は経済の中で育っていくし、また、文化が経済を育てる。両者は密接につながっており、相互に関係を持ちながら、複雑に絡まっているものである。
  •   多くの客の目に晒されることで、客との相互効果が生じ、より良い作品が生み出されていくのである。
      文化に関する施策の窓口を明確化することが求められる。
  •   言葉を通じて人は喜びや悲しみ、癒しを得る。また、言葉が感情や感性を育むのである。言葉の創造性は重要であり、マスメディアには、きれいな言葉を使うことへの配慮よりも、豊かな言葉を使い、質的に高いコミュニケーションを図るための工夫が望まれる。
  •   言葉は社会とともに動いていくものであり、それ抑え込まないように豊かなことばを支援していくことが大切である。
  •   文化を大切にする心は大人にも必要なことであり、リーダーの文化性の涵養とともに、大人一人一人の意識改革が必要である。
      学校における国語教育の充実方策として、副読本に古典を掲載するだけでなく、授業の中できちんと古典を取り上げていくことが大切である。
      いきなり文化は一人一人のものと断定するのはどうか。
      サブタイルについては、「一人一人が創造性を持つ」ことまでは難しいのではないか。
  •   文化審議会としては、国のやるべきことを答申すると同時に、社会に対して文化の重要性を訴えていくという役割がある。
      また、社会全体で文化を大切にするためには総合的な政策が必要であり、国全体としてどう文化を考えていくかが大切である。

(4)事務局より、次回総会の日程についての説明があり、閉会した。

(文化庁政策課)

ページの先頭へ