文化審議会
2001/07/10 議事録
平成13年7月10日(火)14時00分〜16時30分
霞が関東京會舘ゴールドスタールーム
高階会長、北原副会長、井出、岡田、川村、齊藤、関口、津田、中村、野村、藤原、黛、脇田、渡邊の各委員
佐々木文化庁長官、銭谷文化庁次長、天野文化庁審議官、遠藤文化部長、木谷文化財部長、鈴木文化財鑑査官、高塩文化庁政策課長 ほか関係者
【委員】
先生は、我が国の縄文文明を共生の文明として高く評価されているが、この優れた文明を引き継いだ日本が、なぜ現在そこから最も遠いところにあるのか。
【意見発表者】
中国は農耕が早くから発達し、都市も整備されてきた。その一方、日本では非常に長い時期、狩猟採集の時代である縄文文明が続いた。これが日本の基礎文明である。その後、中国から1万年以上遅れて弥生時代に農耕が渡来するが、稲作は小麦農業、牧畜と違い、自然の破壊度が弱いものであった。根幹に縄文文明があり、稲作文明とマッチしながら日本文化は形作られてきたのである。神道はもともと縄文文明の自然宗教であり、諏訪の御柱、伊勢神宮の遷宮などには、縄文文明以来の自然と人間の共存という思想が表れている。
しかし、明治時代にこのような文化では西洋に追いつけないと言うことで、西洋の文化を輸入し、近代化を図ってきた。日本には素晴らしい伝統があるのだから、これを生かした国づくりをすれば、世界からも尊敬されるはずである。これは政治家のみならず、文化人が頑張らなければならない問題である。
【委員】
モダニズム、ポストモダニズムとよく対比されるが、一神教と多神教については、世界文明の行方の横軸と考えられるのか。
【意見発表者】
ハンチントンの指摘は一神教に基づいており、正しいのは一つという考えかたである。これは危ういものであり、相互に善があるという、相手の立場も認める考え方でなくてはいけない。キリスト教は正義感が強いが寛容さが足りず、一方、日本人(仏教)は寛容だが、正義感に欠けるきらいがある。しかし、キリスト教でも近頃では他宗教を認めるようになってきてはいる。文明の対立を考えた場合、日本は世界を和解させる国家としての役割を担うべきである。
【委員】
文明の対立を和らげると言う場合、伝統あるいはその上層部の文明の部分で尊重し合っていくという、いい意味での相対主義についてどのようにお考えか。
【意見発表者】
ハンチントンの理論に影響を与えたトインビーは、文明は対立するが、その文明が新しいものを生んでいくことによって、対立ではなく文明の調和が得られるという考えを持っていたと思われる。非西洋文明を取り入れることで新しい文明が生まれると、彼は非西洋文明に期待をかけていた。これは、非西洋文化に住む人間の使命について示唆を与えるものである。
【意見発表者】
縄文時代の宗教も、例えば法然も、人間は死ぬとあの世へ行き、そしてまた帰ってくるという無限の生命の循環という考え方が思想の根底にある。この永劫回帰の考えかたをもう一度哲学の中に生かせないかと考えている。
【委員】
なぜ日本では文化の面で模倣から脱却した独創性が育たなかったのか。
【意見発表者】
我が国は、明治以降、西洋に追いつき追い越すことを目標とし、近代化を進めてきた。その中で、大学教育は、創造的なものを生み出す人材よりも、西洋から輸入し、それを効率よく消化し、応用することができる人材の養成を行ってきた。厳しい競争意識と独創性への信頼のもとにこれを打破していかないと優れたものは出てこない。そのためには、大学の組織を変えていかなければならない。
【委員】
伝統や芸能はどのような形で可能性を将来に求めるべきか。
【意見発表者】
例えば現代に歌舞伎の新しい作品が生まれるということは、歌舞伎という芸術の命が現代によみがえり新たな作品になるということであり、これは素晴らしいことである。新しく芸術が生まれ変わることが大事である。
【委員】
かつては自然と人間の間に、歌や俳句などが大きく介在していたが、これからの歌や俳句の役割について伺いたい。
【意見発表者】
言葉で表現し、真実を語っていくことは非常に大事なことである。最後に勝ち抜くのは、やはりペンではないだろうか。
【意見発表者】
今の日本では、例えば作家でも、優れた作家は女性に多い。男性は組織などに縛られているが、女性はそのようなこだわりがなく、生き生きしている。女性が活躍する時代がきているのではと感じさせられる。
【委員】
独創的な文化は自国の伝統に深く根ざすということでは、数学はまさにそのとおりである。数学は、和算の伝統、日本人の美的感受性の鋭さ、五七五から宇宙を想像する俳句の存在など自国の伝統に深く根ざしており、その結果、世界のトップの水準にある。また、日本語は数学をするのに非常に有利である。それは、日本語は、ぼんやりとして、漠然とした言語であり、論理的に表現しにくいが、独創するには非常に便利であることによる。
【意見発表者】
数式もそうだと思うが、美しいものが真理である。
日本人は創造性についても潜在的な能力はあるのだが、教育に問題がある。可能性としては日本人は世界に冠たる芸術や学問を作り出すことができると考えている。
【委員】
明治の日本人は漢文などの素養もあって、新しい言語を数多く創り出せた。日本人の日本語教育、特に漢字教育も非常に重要である。
【意見発表者】
外国人が、日本語を身につけていく段階に変化が起こっている。例えば、日本で暮らすために支障がないように、まずは聞いてわかるということから教育している。本来、言語を体系的に学習するには読み書きが必要だが、学習には段階を持たせている。
【委員】
少子化が進む一方で、生産人口を維持するためにわずか100年の間で人口の半分が外国人に入れ代わると言われている。その中で、日本語の構造自体が変わってしまったり、共通語として英語が非常に大きな比重を占めるようになるのではないか。
【意見発表者】
国際化すればするほど固有文化に対し光が当たっており、民族的な問題も含め、例えば世界が英語などの一つの言語文化に合流してしまうとは考えられない。
ただし、世界で通用する日本語というものを考えたときに、日本語の意識を変えていくことは必要である。日本人には、暗黙の了解のうちに意思疎通していたような状態があり、今までは聞き手が話し手の本意を察して会話が成り立っていたが、今後は聞き手に理解してもらいやすいように、話し手が的確で簡潔な日本語を発信するというように変わっていくことが重要になると思われる。
また、同時に、多文化共生の時代にあっては、何かに同化していくのではなく、アイデンティティを尊重しながら多民族多文化国家を形成していくという方向で社会を形成していくべきである。日本国内でも異文化の接触があるのだということを日本人が気づいた上で外国人を受け入れていかなければならない。
【委員】
ドイツで外国人の流入が大きな問題となったが、異文化を受け入れるということ自体がどういうことか、もっと真剣に考える必要があるのではないか。
【意見発表者】
異文化を受け入れることの意味については、日本の社会ではまだよく認識されていない。日本人の意識が変わり、宗教も含め、異文化を許す社会を日本流につくりあげていくほかはないと考える。
【委員】
世界で350万人が日本語を学んでいること、そして、日本語は文化であるということから、我々は日本語を通じて日本文化の輸出が行われているということを認識しなければならない。
また、以前、言葉には情報を伝える部分(インフォメーション)と気持ちを伝える部分(アフォーダンス)があるという話を伺ったが、より文化と密接につながっているアフォーダンスの部分を重視しなければならない。
【意見発表者】
確かにそのとおりであり、日本語を学ぶ人が日本の理解者になるということ、また、日本語の使用者が日本語で文化を発信できるのだという自意識を持つ必要がある。そのことを日本人自身が気づかないでいるということが一番の問題点である。全く無意識に使っている日本語に一つの文化としての価値を見出すこと、つまり、日本人が日本語、日本文化を意識化することから始める必要がある。
【委員】
例えば、外国人の子どもたちを受け入れるような場合など、受け入れる子どもたちに少数者へのいたわりの心が欠けるなど、課題が多いのではないか。
【意見発表者】
識者のシンポジウム等で、異文化適応や、多文化共存の必要性が言われているが、現実には、例えば地方の農村の日常生活の中や零細企業の生産現場など社会の末端で現実に異文化接触が起こっている。そこでは人間同士の付き合いができていて、理想的な歩みが始まっているものである。このような現場を支援することで共存の優れた事例も出てきて、全体的にもよい方向へ向かっていくと思われる。
【委員】
日本語を大学で体系的に学んでも、日本語教師としての就職先が現状としてはあまりに少ない。
【委員】
国家政策的に、国内あるいは国外に日本語を教える場所を確保しながら日本語教師を養成していかないと続かない。
【意見発表者】
大学で日本語を学んだ人が、卒業後、すぐにその専門で職を得なくても、異文化の問題も含めて日本語を身につけたということは、日本語が我々の文化である以上、いつかどこかで必ず役に立つものであり、意義があるといえる。
【委員】
ドイツでは組織的に世界に国語教育を展開しているゲーテ・インスティチュートという組織があり、国語教師の活躍の場が多い。
【意見発表者】
ドイツ・フランスの場合には、言語体系としてドイツ語やフランス語を学んだ後に、それを教える世界的な極めて広い活躍の場があり、そこへ国家的に教師を派遣するというシステムが構築されている。日本の場合にも、国際交流基金の専門家派遣などがあるが、余り世界的な規模では行われてこなかった。大戦後の配慮として、日本語という言語を持ち出すことについては、特にアジアに対して慎重であったということが背景にあったと考える。
【委員】
ドイツ・フランスは国家政策として国語教育の世界への展開を行っていた。これは文化としての言語という意識が強かったということであろう。我が国でもこれから国家政策として考えるべき問題である。
【委員】
外国人に対する日本語教育と同時に、日本語教師だけではなく全教員が、言葉をもっと意識し、きれいな正しい言葉を使うようにしていくことが重要である。それが日本文化の認識、自覚にもなり、ひいては異文化を相対的に捉えることにもつながっていく。
また、日本文化センターを日本人向けに設置し、大人も教育する必要があるのではないか。講座を開くなりして、国民総力を挙げて言葉に自覚的になるような動きをつくっていくべきである。
【意見発表者】
日本人に対して日本語教育を行うことについては、全く賛成である。基本的には、国家政策として言語をどうとらえ、これからの21世紀の日本語なり文化の発信というものをどう考えていくかということであり、言語政策を確立することが肝要である。
【委員】
日本語教育の問題は、外国人に日本語を教えるということだけではなくて、日本人が日本語をどう考えるか、さらには教育一般の問題でもある。
【委員】
インターネットとか電子メディアが発達すれば、共通語が出てくるが、逆に固有語も出てくる。単にコミュニケーション、つまりインフォメーションツールであれば、共通語でもいいが、しかし、文化ということになると、それぞれの固有言語の重要性というものを認識しなければいけない。
(文化庁政策課)