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文化審議会

2001/05/30 議事録

文化審議会第5回総会議事要旨

文化審議会第4回総会議事要旨

1.日時

平成13年5月30日(水)13時00分〜16時30分

2.場所

KKRホテル東京孔雀の間

3.出席者

(委員)

高階会長、北原副会長、市川、井出、岡田、川村、関口、津田、中村、乳井、野村、藤原、黛、脇田、渡邊の各委員

(文部科学省・文化庁)

青山文部科学副大臣、佐々木文化庁長官、銭谷文化庁次長、遠藤文化部長、長谷川文化財部長、鈴木文化財鑑査官、高塩文化庁政策課長ほか関係者

4.概要

(1)配付資料についての確認があり、前回議事要旨については、意見がある場合は1週間以内に事務局に連絡することとされた。

(2)池上惇氏(京都橘女子大学文化政策学部長)より意見発表があり、その後、意見交換が行われた。

【池上惇氏の意見発表の概要】
(文化と経済を考える基本的な視点)

□  文化経済学という学問は、大体1960年代くらいからアメリカで発生したが、日本では文化と経済との間に何の関係があるのかというのが常識であり、世の中に出るまでにはいたらなかった。当時は、まず生存と福祉だと言われており、文化は贅沢とされ、行政改革となると真っ先に文化が削られた時代であった。
  しかしながら、1990年以降、急激に世論が変化し始めた。直接のきっかけは、豊かさというものに対する考え方が変わり、物の豊かさより心の豊かさを求める国民が、1980年ごろを境に逆転して以降、圧倒的多数となっていったことである。生存条件についての見通しがほぼでき、その基盤の上により自由な世界を拓こうと人間が考え始めたときに、文化経済学が定着してきたのである。官庁等においても着目され、特に通産省は環境産業とともに新しい生活文化産業が、これからのリーディング産業であり、雇用が最も大きく伸びる分野だと予測していた。しかし、行政の体制というのはすぐに変わるものではなく、行政改革というと文化予算が減っていく状態がかなり長く続いたが、最近、ようやく、歯止めがかかりはじめ、各自治体も文化資源に注目して、「文化によるまちおこし」という考え方が定着してきた。
  文化経済学では、芸術の世界や文化の世界は、非日常の世界で、それに触れることによって新しい世界を開き、生きがいや人生の価値を考えるきっかけとなるものと考えている。つまり、生きがいや生活の向上を求める消費者のニーズや消費者の需要に応えて、生産者が、より質の高いものを供給するということである。質の高い完成品をつくるということは、生産者のやりがい、生きがいもあり、他と比べても生産性が高くなっていくのである。
  今、生産現場は画期的な変化を見せ始めており、これは恐らく日本の経済を根底から変えていくだろう。情報化社会とともに、情報を付加価値に変えながら、絶えず新しい付加価値を付けた製品開発を行っていくような生産のシステムへと大きく変わりつつある。この相互作用が、市場や産業や雇用の発展につながることは明らかであり、この流れをどうサポートするかが、特に今、大学人に問われている。
  このような考え方の原点は、工芸を中心にデザインによって産業を変えていこうという19世紀の装飾芸術論である。今日ではこの考え方が発展し、アーバンデザインという発想が支配的になってきており、芸術を公共的な生活の中、市場の中、産業の中に入れるという考え方がほぼ定着した。
  同時に舞台芸術をはじめとするもう一方の生の芸術サービスも、情報化社会とともに著作物との密接な連携を持って大きく発展し、芸術の公共化、市場化、産業化が画期的な規模で展開してきた。
  その中で、ボーモルは、芸術の生産体制というものを初めて考察し、芸術への公的支援の必要性を論証した。舞台芸術は高い質を求められるから当然発展せざるを得ないが、残念ながら一般の産業に比べて生産性を上げての対応は難しく、公共性の高い芸術サービスを提供しているのにもかかわらず、経営が成り立たない。しかし、芸術は外部性を有しており、直接に鑑賞する以外の多くの人に便益が及ぶのであるから、公的支援は正当化されるのである。
  産業として確立される芸術が、あらゆる製造業を初めとして、サービス業、都市産業等々の中に入り込んでいくとすると、これは付加価値を生み出すだけではない。文化に対する投資や支出をするということは新たな需要を喚起してこれを創出することであり、まさに社会を活性化させることなのである。

(文化の享受能力と創造能力)

□  このような中で、物の価値をどのように考えるべきかが大きな問題になってくる。従来、効用(ユースフルネス)というのが物の価値であるといわれていたが、現代厚生経済学から、「かけがえのない」パンの存在について問題が提起された。つまり、例えば恋人と2人で食卓を囲むときのパンは、単にパンがあればいいというのではなく、かけがえのない香りと、味、そして雰囲気を伴っていなければ意味がないのであり、そのようなパンを作るということを念頭に置いた需要と供給の関係を考えるべきだということである。
  そこで人間固有の自然及び伝統から様々なものを生かし、創造性のある新しいものを作り出すという概念が出てくる。これを享受する力のある人々を育てながら、その力によって芸術家、職人を支えてはどうかという考え方も出てくることになり、享受能力を高める投資、人的投資が非常に大きな意味を持ってくるということになる。芸術家や職人と固有価値を享受する能力のある人、この両者を支える共通項は、伝統の評価、教育投資、文化投資の三者である。
  生活の知恵の結晶であって、国民の共有財産である伝統を高く評価しながら、さらに新しい教育投資と文化投資によって享受能力と創造能力をともに社会が支えて行く必要がある。これを支えるのは大学であり、さらにどのように高めていくかということが問われているのである。

(文化と経済の関係)

□  現在の文化と経済の関係において主要な点の第一は、芸術文化の産業化とその基盤である。最近の地域発展における文化によるまちづくりの構造を考察すると、日本全国で町のリニューアルが進んでおり、様々な芸術を創造空間として作り出していくという考え方が地域において出てきているが、都心での産業、商業の衰退のシンボル、空き屋から芸術文化を発信し、情報技術やネットワークと結合するというのが原点になっている。
  また、地域における創造空間は、企業文化あっての地域文化という側面が非常に強く、地域文化に関心を持つメセナ活動を生かすことが非常に重要である。
  第二は、情報発信による産業の成立である。創造空間ができると、そこから情報が発信され観光事業とも結び付いた一つの産業が成立する。文化によるまちおこしは、本物であれば、古典的なものにせよ、現代的なものにせよ、リピーターを確保することができるため、単なる観光イベントから創造支援へとどのように位置付けるかが非常に大きな問題になる。
  第三には、情報サービス産業の質である。創造したものを編集したり、複製したりして全国、あるいは世界に配信するということが、新しい産業領域の決定的に重要な点であるが、情報の内容は本物でなければならず、この質は、芸術の質とかかわっている。そして、そこから導き出されるのは、情報サービス産業を地域でサポートするシステムの必要性である。アメリカの場合はそれはほとんど大学が担っているが、地域で産業が起こってきたら、その仕事をサポートする人材を絶えず再教育・再訓練していく組織を持っており、我が国においてもこういうシステムを作るということが不可欠である。
  第四は、公共文化施設の質である。欧米の場合は、伝統的に芸術団体の拠点があり、芸術団体が公共施設そのものと一体となって情報を発信するというケースが非常に多く、現在、日本でも公共文化施設の再生を目指すという方向を打ち出してきているところである。
  結論を申し上げると、「かけがえのない」生活の質の高まりというものを社会的な規模で作り出すための、インフラストラクチャーが強く求められているということであり、その機能を果たすのは大学である。そのシステムは、絶えざる再教育、再訓練、教育投資、文化投資でなければならない。しかも、大学というところは、ある意味では最も伝統を重要視して、過去の学芸の水準を絶えず吸収することによって、それを後世に伝える組織である。大学が地域社会で産業や企業を支えてこそ、文化と経済の新たな関係が持続的に発展するのであろうと考えられる。
  そして、ここへ資源を配分するということが、恐らく日本の今後の経済発展を保障する鍵になるのではないか。

【池上惇氏と委員との意見交換】

【委員】

  今の総合舞台芸術において世界一流のものを発信しようと思ったら、国民の享受能力を上げるだけではとても追い付かない。公共投資の必要性について、どう説得すればいいのか。

【意見発表者】

  質を下げれば採算はとれるが、質を上げようとすると、待遇を度外視して情熱だけで支えざるを得ない。それでは長続きせず、そこで公共投資が必要になってくる。
  本当に地域を発展させるためには、その地域から創造的情報を発信するしか方法がなく、当然そこに優先順位を付けることになる。その際には、どれだけ市民が合意するかということが重要であるが、合意を達成するために芸術団体は積極的に市民にアピールしきれていない。芸術のためにやっているのであって、市民のためにやっているのではない、という意識がまだ強い。壁は二つあり、一つは芸術家の意識、もう一つは日本の産業界の意識である。このギャップをどういう形で今後埋めていくかということが大きな課題である。
  優先順位を付ける場合には選択肢として多々あるが、「創造」に優先順位をつけないと、全体の活性化は難しい。それは芸術文化がその地域の人々にとって新しい世界を開くことにより福祉であれ、製造業であれ、教育事業であれ、その質を変えるからである。

【委員】

  芸術と言っても、アートというよりもエンターテインメント、マスを対象にした文化の場合は、競争原理にも合う面があると考えるが、作り手も受け手も比較的数の少ない文化、特に伝統文化などは、そうではないのではないか。

【意見発表者】

  そのとおりである。今後の市場では競争原理のみではなく、この方式が支配的になり、創造という要素の入った財やサービスを取引するというときには、取引の前の対話や戦略が重要になってくる、というのが文化経済学の議論である。

【委員】

  公的資金投入は大変喜ばしいことだが、同時に、長い時間をかけて一生の仕事でやろうとする芸術家と、それを支援する側の連結は重要と考えるが、どうすべきか。

【意見発表者】

  芸術家とそれを鑑賞する人たちの間に立ち、コーディネートするアートマネージャーの育成は非常に重要なことである。相当に高度な専門性がないと務まらない仕事であり、アートマネージメントの専門家を系統的に育て、資格を与えるような制度を作って、芸術活動をサポートするという体制が、芸術分野の持続的発展のためには必要である。国家政策としてそういう領域に投資をしながら、積極的に育てる体制を緊急にとることが必要である。

【委員】

  創造環境の質を高めることは大学の使命だと言うが、言うはやすく仕込むのは非常に難しいものである。

【委員】

  伝統芸術というのは、御当地劇を作って、各市町村の共同体の要求にこたえて作っていくことで流行っていったものだが、現在どのような形で再び盛り上げられるのだろうか。

【意見発表者】

  地元の青年団や芸能の保存団体の方々がさらに次の世代へと伝えていくのを公的にサポートした場合にそれが実現している。
  また、地域のそれぞれの固有の文化と結びついた日本の普遍的な文化、言い換えれば日本の文化がそれぞれの地域の顔を持ちながら発展していくという方向性はこれからも出てくるし、出てこざるを得ない。そうでなければ地方も中央も発展しない。

【委員】

  日本の場合には特定公益増進法人を通さないと免税措置が得られないが、その範囲が狭いのが実態。公的な資金が国からも出る、自治体からも出る。同時に、メセナなり企業なり個人からも出ることが重要ではないか。

【意見発表者】

  寄付は、市民の数多くの人から集めるのが基本だが、日本の税法というものは、個人寄付を奨励するシステムとしては限界のあるシステムであり、寄付を支払う側にも、受け入れる側にも制約が多い。市民寄付を奨励するシステムを作る必要がある。

【委員】

  特定公益増進法人の指定が厳しく、その規制を少し緩和すべきだという意見が相当出てきており、税制全体の中で優遇措置は考えていく必要がある。また、もっと社会全体で芸術文化を振興していきたいし、振興していかなければならないという機運を作っていくことが大事。

【委員】

  理詰めで管理できないものが文化においては一番大切なものなのではないか。

【意見発表者】

  全くそのとおりであり、多様性とか固有性というものは、近代合理的な意味の、科学論のベースにそのまま乗るものでは決してない。文化的現象というものがそれぞれの地域の固有性を前提とした上で、その相互の対話と交流や翻訳によってのみ理解し得るという考え方は重要であり、文化経済学的な物事の理解というのは、そういう発想に基づいて整理されたものである。

【委員】

  政策としても、国、地方、地域、あるいは民間の資源をどう配分し、かつ連絡・連携していくかが大切であり、そのためには全体として戦略的に考えることが重要であろう。

(3)三善晃氏(作曲家、東京文化会館館長)より意見発表があり、その後、意見交換が行われた。

【三善晃氏の意見発表の概要】
(文化振興と世紀末の状況の諸相)

□  文化振興の問題は、文化固有の領域で論ずるだけでなく、20世紀、とりわけその四半世紀から今日に続く世界的状況の俯瞰図の中で考えたい。

世紀末の状況の諸相を四つにまとめると、次のようになる。

  • 1国際政治の力学は、単一国家よりも目的、機能、地域によって構成される国家連合機構単位で動かされるようになった。
  • 2国家よりも民族ないし宗教(またはイデオロギー)単位の力学が重要となり民族間の対立ないし衝突が文化に波及している。
  • 3自然環境・人権・経済など広範な諸問題に対して、国家・国際機構はNGOとかNPOなどの超国境民間組織との連携なくしては対応できなくなった。
  • 4情報技術の急速な発達に伴い、英語を情報伝達言語のスタンダードとするネットワークが定着するなど、グローバリゼーション(スタンダード化)が進んでいる。
(文化と言語)

□  文化は、それぞれの民族の母語の体系上に成り立っている。人は言葉により世界を発見し、認識しており、言葉を使う中で生活、風土、文化が生まれ育ち、それが歴史として紡がれていく。つまり、言語は文化の根源であり、また文化を表象するものである。  言語には、潜在的な体系としてのラング(Langue)と顕在的な言葉としてのパロール(Parole)があって、潜在的な体系の方は、民族や地域固有の地下水脈のようなもので、そこにこそ民族や地域の固有性の根源が流れており、言葉が違っていれば、そこに文化の違いも出てくるのである。
  このような観点で文化を見ると、例えば2,500あったと言われる言語のうち、1,500は既に120年の間になくなっており、「文化」という人間が自然から学んだものは、人々が気づかないうちに、つまり気づく人自身が消える形で消滅しかかっているということも事実である。
  言語のコミュニケーション機能には二つあり、一つはインフォメーション機能であり、もう一つは働きかけとしてのアフォーダンス(Affodance)機能である。
  文化においても、インフォメーションできる部分はあるが、文化の固有な真髄というのは、アフォーダンス機能の方に属しているのではないか。
  言葉のコミュニケーション機能と関連させて考えると、インフォメーションは、客観的で、視ることができ、さらに合理的で構造化が可能である。したがって、相互互換性があって、データの形で蓄積もできるし、更新したり共有したりすることができる。スタンダード化しても一向に差し支えないので、マニュアルや芸術の基礎技術のようなものはそうすべきである。
  もう一方で、アフォーダンスは、ネイティブの言葉に内在する語感のような、文化における民族の固有性と考えるべきものが連動している。それは論理的なものではなく、非常に感性的である。そして個人やその地域の特定の集団に依拠し、人々の中に育成され、深化し、そこから表現され、伝承されていくものである。
  文化の実質は、本来移転できないものであり、逆に人間の方がNomade(遊牧民)として異文化を渡り歩いて体験していくことで理解できるものである。ロンドンの人が日本に来て、日本の薪能を夕闇迫るときに体験することで初めて文化の交流が可能になるのである。

(文化振興に関する提言)

□  文化振興に関する提言として第一は、文化施策の分野を弁別し、分野ごとの方法論を全体的・有機的に連動させるということであり、それは次の三つに弁別が可能である。

  • 1情報化の促進:文化活動や芸術教育にもマニュアルや基礎技術などデータ化可能なソフトがあり、これらのデータの作成、整備、蓄積、更新、公開を図る必要がある。
  • 2実体験の拡大:伝統的な行事の復活、継承、活性化を図るとともに、学校教育、生涯教育の場に多様な参加・実践の機会を立ち上げ、継続的に発展させることが必要である。そのためにも、プロとアマ、ジャンルが異なるもの、地域が異なるものなどの相互交流を図る。これらはアフォーダンスの領域であり、人が育てるべきものである。
  • 3モノの手当:施設の新設よりも、伝統行事や地域の芸能、オーケストラなどのプロの活動に必要な器具や備品、用具、材料の手当が必要であり、施設の機能向上や情報ネットワークなど機構の整備が重要である。

  第二の提言としては、省庁連携と予算対応(税制措置)と国民意識の涵養があげられる。

  • 1文化政策についての各省庁の統合的なプランとともに、各省庁が共同し、それぞれに役割を分担するということが必要である。
  • 2国民一人一人が自分たちのお金で文化を守り、育て、伝えていくという気持ちが重要であり、国民意識の涵養が必要である。そのためには、文化施設などで、入場者の一定割合を子どもや高齢者に開放したり、プロの芸術家や芸術団体がボランティア活動や教育活動をすることに対する奨励が制度化されている必要がある。

  第三には、自治体・マスコミ・企業・教育機関・文化施設・マネージメント・芸術団体などとの連携と協働を国のイニシアティブで図ることである。学校、文化施設などが一つになって連動し、なおかつ分担し合いながら一つのムーブメントを起こせば、それは潮流となり、あらゆる国民がそこに浸ることができるようになる。実際に出会い、目と目を交わしながら情報交換することが重要であり、そのような国主導の共同企画・情報交換機構が求められる。一つの例として、ある地域の学校と隣の文化施設、そして地域の人たちがいるところにプロの人たちを呼んで、それらが連動する仕組みを全国的に展開することがあげられる。子どもたちに対する体験教育は、現在一番重要な文化施策であることを付け加えておきたい。
  人間にはアフォードされたものを受け取るレセプターのようなものがあり、体験を通して何かを自分の言葉で自分の中に蓄積する、芽生えさせることが重要である。
  大家族構成の喪失や地域社会の疲弊が、伝統文化の希薄化と関連があるように思われる。地方・地域と密着した体験教室は、日本への「気づき」やボランティア志向の契機にもなるのではないか。
  第四は、流動的・相対的な座標軸の中で、日本の文化について考えないといけなということである。
  異文化間を移動する遊牧民(Nomade)志向は、現在本当に増えている。その一方で、他民族(の言語環境)の中で生まれ育つ人々も増えている。文化の相互浸透が、今や個人・民間レベルで進みつつあり、そこで新たな価値生産が行われてもいる。その中で、改めて日本文化のアイデンティティを主体的に発見し直すこともあれば、一方、過去からの伝統と切断された故郷喪失の無国籍文化を形成することもある。今後の日本の文化の固有性と継続性は、このような流動と混淆を取り込む相対的な座標軸の中で考えなければならない。

【三善晃氏と委員との意見交換】

【委員】

  日本の文化、民族固有性の感性的・不可視的なものを大事にしていくためには、教育の面や活動などにおいて、どのようなことが考えられるか。

【意見発表者】

  日本文化の固有性というのは、一人一人の中に作られ積み上げられていくリアリティという形でしか継承できないのではないか。体験というのは、目に見えないが、彼が生きていくことの何かに必ず表れるものであり、体験によって一人一人の人間の中に形成され続けていく内部構造といったもの、リアルなものといった形で日本文化は担われていくと考える。

【委員】

  現代は情報社会であり、バーチャルなものが大変に盛んになってきている。これはインフォメーションの面では大変重要なことである。その一方で体験、つまりリアルなものを忘れてはならず、これは教育にも関わってくる問題である。

【委員】

  俳句の英訳をしているが、インフォメーションとしての言葉を訳すのは簡単だが、やはりアフォーダンスの方は難しい。俳句の国際化についてはどのようにお考えか。

【意見発表者】

  例えばドイツ人がドイツ語で作る俳句は、新しいドイツ文化になる。外国人の母語である以上、それは「俳句」ではなく「ハイク」という創造であり、新たな文化として意味を持つものである。

【委員】

  情報交換だけでなく、お互いの発信の場として様々な共同企画・研究・フォーラム・情報の総合センターのような機構が必要であり、そこでお互いの体験を積み重ねていくことが重要である。

【委員】

  日本は「無国籍の文化」的なところが多いが、そういう中から固有な文化が出てくるのであろう。

【委員】

  学校では知識だけで実物を見ないで教育するところが多いが、太鼓でも実際にボンと鳴らすのと鳴らさないのとではリアリティが全く違ってくる。そういう点で、体験学習というのは非常に重要である。

【委員】

  文化、特に音楽というのは生存するためには必要ないが、人生を楽しく過ごすために、あるいは生きる価値のためには非常に効果があるものである。そういう無用の用に対しては、国は自由裁量の大きい支援のやり方を行わないとうまくいかないのではないか。特に、先ほどの三つの弁別のうち、物の手当には予算がつきやすいが、子どもたちに体験させるための予算はなかなか付きにくく、文化を育てるためにはこの部分への支援が必要であると思う。

【意見発表者】

  子どものときからの体験という面では、家庭の生活の中に音があふれているなどの、ともかく豊かな環境というのが必要である。この時期までに、私たち大人の生活そのものが無用の用に満ちていることが最も重要なことである。

【委員】

  行政や文化施設、民間との連帯は重要であり、今後一層推進していくべきである。連帯と協働ということを推し進めていくべきだと思う。

【意見発表者】

  学校と連帯し、学校行事などは文化会館で行えば、地域社会の連帯感の中で子どもたちの教育や文化ということを考える契機にもなる。

【委員】

  政策を実現するには税法と経済的インセンティブというのが有効な手段として使われており、寄付も重要な意味を持っている。日本と欧米では違いがあり、金を出すからには口も出す、あるいはお金の行方が分からないとお金をなかなか出したがらないというのが日本人である。そうすると金を出す側の意識の改革と同時に、受け手の側の説明努力というのも必要なのではないか。

【委員】

  文化というのは必ず発展していかなければいけないというものではなくて、今までの歴史を見ると滅びることもあったと思われるが、どのようにお考えか。

【意見発表者】

  私自身が関わっている音楽で言うと、新しいものへの道筋というのは、今はまだ分かっていない。現在の混迷状態というか、それ自身が一つの意味を持っている。共同して一つの潮流を起こしていくようなことは、今後だんだん不可能になっていくのではないか。

【委員】

  日本の場合も、かなり限定的であるが、文化の多様な側面を持って歴史を作ってきたという経緯がある。民族の多様性ということを意識せずに来ているという限界が、今表れてきているのではないか。これからの日本の文化のありようについて、どうお考えか。

【意見発表者】

  言語体系としての日本語という地下水脈の上に私たちは生まれ、生きている。これからの日本文化というものは、伝統文化にしても現代に生きているわけなので、そういう現代の形の相対的な変化としてしか捕捉できないのではないか。

【委員】

  日本文化を大切にするという観点から、日本語をどうすべきかということについてお考えをお聞かせいただきたい。

【意見発表者】

  「文化振興(のための体験教室)=国語教育」ではないが、両者は深く関連しており、一人の子どもの「体験という内的リアリティ」のなかで、言葉への心遣いやセンシビリティが育まれることは、最も大事なことであり、そこにこそNativeの母国語の奥深さが育つのであろう。私は方法論としての国語教育を語ったのではないが、体験という内部構造の中で「文化⇔言語」の関係が一人一人の中に育つことは文化の根幹に関わっており、重要であると考える。

【委員】

  省庁連携と同時に、行政だけではなく民間も企業も入って、お互いにそれぞれ違う分野のものが体験なりノウハウなり問題を論じ合う、一種ヘッドクオーターみたいなものが必要であると考えている。

(4)渡邊文化財文化会長より、文化財分科会の審議状況について報告があった。

(5)事務局より、次回総会の日程についての説明があり、閉会した。

(文化庁政策課)

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