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文化審議会

2001/05/14 議事録

文化審議会第4回総会議事要旨

文化審議会第4回総会議事要旨

1.日時

平成13年5月14日(月)10時00分〜13時00分

2.場所

霞が関東京會舘シルバースタールーム

3.出席者

(委員)

高階会長、北原副会長、井出、岡田、川村、北川、齊藤、中村、乳井野村、藤原、黛、森、渡邊の各委員

(文部科学省・文化庁)

青山文部科学副大臣、佐々木文化庁長官、銭谷文化庁次長、林長官官房審議官、遠藤文化部長、長谷川文化財部長、鈴木文化財鑑査官、高塩文化庁政策課長ほか関係者

4.概要

(1)青山文部科学副大臣から、挨拶が行われた。

  文化を大切にする社会を構築していくことは非常に重要なことだと受けとめている。我が国は豊かになったが、精神文化は決してまだ豊かとはいえず、むしろ貧しくなってきているかもしれない。真に活力があり、豊かで、強さと優しさのバランスがとれた社会にしていくためには、文化が果たす役割は非常に大きい。ぜひ活発な議論をお願いしたい。

(2)配付資料についての確認があり、前回議事要旨については、意見がある場合は1週間以内に事務局に連絡することとされた。

(3)河合隼雄氏(国際日本文化研究センター所長)より意見発表があり、その後、意見交換が行われた。

【河合隼雄氏の意見発表の概要】
(人間と自然)

□  「人間と自然」から考えてみたいが、その際には神ということをはずしては考えられず、神も含めた人間と自然の関係は次の3類型がある。

  • 1一神教の神が絶対的にあり、人と自然もほとんど変わりがないほど神が強い。(イスラム教)
  • 2神と自然の間に人が入る。(キリスト教)
  • 3住んでいる世界に人も神も同居しており、人対自然、神対自然ではなく、そもそも「自然」という概念がない。(日本、ネイティブ・アメリカン)

  この中で、2の神と人、人と自然を区分するという考え方は、観察者と現象を区別することで普遍性を持った法則を見出してきた。それがテクノロジーと結びつくことによって自然を操作し、支配することを可能にし、近代を生み出した。そして、人間個人がだんだん強くなるにつれ、例えば、病気を治すには神に頼んで護符をもらうより医者に頼んだほうが治るというようなことになり、神という言葉は後退していった(神の死)。
  しかし、そのことは現代人のよりどころを失わせることにもなった。個人が強くなったが、その個人を何が支えているのかわからない。これが現代人の不安を非常に大きくしている。それが顕著なのは死の問題で、いかに科学が進歩しても死だけは避けられず、また死ぬということに関しては答えが分からない。

(関係性の喪失)

□  それと同時に、「関係性の喪失」がおきている。自然科学というのは、対象との関係を切り、客観的に観察することによって成立する。そして客観的に観察したことをもとにして機械を操作すると、答えが全部出てくるが、これを人間と人間の関係にまで広げられると錯覚してしまっている。典型的な例だが、息子が登校拒否になっている父親が「科学が発達し、上手にボタンを押せば人間が月へ行って帰ってくる時代なのだから、息子を学校に行かせるボタンはありませんか」と私のところへ相談に来た。操作次第で息子が学校へ行く方法が科学的にあるはずだと考えているのである。本来父と息子の関係の中で考えていくほかないことなのだが、このような「関係性の喪失」があらゆるところで出てきている。「関係」は、言い方を変えると「しがらみ」でもあり、それを我々はできるだけ断ち切ろうとしているが、人間の生きる意味を考えてみれば、しがらみをもっと正面から考えていく必要がある。

(全体性の回復)

□  最後に「全体性の回復」について考えたい。近代の考え方では体と心を分けて考えているが、人間全体ということを考えると、人種や文化や時代を超えたさらに深いレベルがあって、そのような全体性を回復していく必要があるのではないか。(そのような深いレベルのものを「たましい」と呼ぼうと思ったが、ここでは「全体性の回復」としておく。)
  アメリカにおいて、自らが生きている意味や死について、自分の心と体だけではなくて全体性の中に悠々と生き、悠々と死んでいく、ネイティブ・アメリカンの知恵に学ぼうとする態度が出てきている。皮肉なことにキリスト教文化から出てきた自然科学が発達したために、キリスト教の教えを信じることが難しくなっている。
  我々の現在の文化は、西洋からの影響を受けている限り2から出てきているが、今や3も無視できないのではないか。社会を保っていくために、自然を操作していくことは必要なことであるが、同時に、自然も人も神もみんな一緒ではないかという、ある意味では非常に未熟、そしてある意味では非常に深い知恵を持っているというような、両立しがたいものを両立させるところに文化の意義が出てくる。
  特に、芸術と言われている分野は、論理的にはなかなか整合的に存しないものでも、絵画で表現したり、音楽で表現したり、あるいはドラマで表現したりすることで、人間の「たましい」に訴えてくる限りにおいて、全体性についても訴えることができるものである。
  文化ということを広く考えるならば、工業、産業が発達するとか、経済が豊かになるとかということと、全体性という観点の両方を含んで考える必要がある。そうでなければ非常に不安な状態になり、ひずみが起こったりする。難しいことではあるが、その両面を全体として考えるのが、まさに文化ではないか。

【河合隼雄氏と委員との意見交換】

【委員】

  ネイティブ・アメリカンの人たち、ナヴァホの人たちにとって、死というのはどのように受けとめられているのか。

【意見発表者】

  基本的には人間が人間に生まれ変わってくる輪廻転生としてとらえている。例えばヘヤー・インディアンにとっては、一生の目的は見事に死ぬことであり、そのために生きているというカルチャーがある。
  日本人の場合は、自然に包まれて生きていたのが、西洋のものを受け入れいく過程で無意識のうちに大事な心の中の自然というようなものが死んでいったといえるのではないか。

【意見発表者】

  全体性の回復にあたっては、伝統的なものを見直すことが必要だが、日本の方が素晴らしいというわけではないことが難しいところである。西洋にも日本にも素晴らしいものがある。

【委員】

  特に人間を対象にする自然科学に対する制約、コントロールについてどうお考えか。

【意見発表者】

  例えば神が人間の限界はここだと決めていれば答えはすぐ出るが、現代はそれができない。人間が苦しみながらお互いに話し合い、みんなが納得するところで限界を設定するより仕方がない。ナヴァホの人にきくと、美や調和といった感覚で判断している。神からの命令がない現代は、このようにプリンシプルを作っていく上で各人の調和の感覚を前面に出していってもいいのではないか。
  また、アメリカでは、宗教の自由によって、神の判断によって物事を決めることが難しくなっており、そのために法律の重要性が増している。しかし、それが重要になり過ぎて、操作し、支配する一つの道具になりかねないという問題を抱えている。日本においても難しい問題になると思う。

【委員】

  人工生殖の問題など従来の法律の枠では扱えない問題が増えてきている。そこで、人工生殖では、例えば遺伝子ゲノムの実験等について研究者が研究するに当たって守るべき倫理を日本が初めて作り、世界に投げかけた。こういう流れは、もう少し我々は自覚してやるべきと考えている。

【委員】

  ネイティブ・アメリカンが現代のアメリカ人に教えることがあるように、日本のふるさとを見つめれば、そこには同じものがある。日本には神、プリンシプルがないから西洋文化から遅れているとこれまではネガティブに見ていたものを、もっとポジティブに出してもいいのではないか。
  また、西洋の言葉はプロポジションだけで成立するが、日本の言葉はプロポジションとモダリティが必要。それを前面に出した、国際化の中での日本人のアイデンティティ教育を考え、世界に教えていく必要がある。

【意見発表者】

  古い日本は確かにネイティブ・アメリカンとよく似ている。ただ、日本の場合は西洋化にもある意味ではすごく成功している。そうではあるが、3を今でも保持しているという非常に面白い国である。そういう点で、日本のものをいろいろ外国に輸出することは非常に大事だと考えている。その際にはそれを彼らに理解できる言葉で言うことが必要である。

【委員】

  時間を文化として考察した書物の中で、ネイティブ・アメリカンの時間と日本人の時間は同じだということが書かれていた。アメリカはアメリカ、日本は日本であるということではなく、人間として何か深いところでつながっているいうことが言えるのだろうか。

【意見発表者】

  全体性という言い方をすると、ネイティブ・アメリカンであれ、日本であれ、ヨーロッパであれ、みんな底の底へ行けば絶対共通している。例えばバッハが作曲したものを我々が聞いて感激できるというのは、一番底で我々を揺り動かす共通のものがあるということである。芸術の場合には、日本的かつ普遍的という普遍性とのつながりが重要になると考える。これからは常に普遍性とのつながりを意識して表現することで、他の国とつながっていくのではないか。

【委員】

  ヨーロッパの文明なり文化は今問題を抱えているから東洋の心でという発想が根強くあるが、そうではなく、日本的であれ、他にないというものをとことん突き詰めると普遍的なものが存在しているのであり、その作業をやることが今必要ではないか。

【委員】

  比較的若い人たちの間で、精神世界、ニューエイジという言葉がにわかに出てきているが、その現象についてどう考えるか。

【意見発表者】

  近代科学一辺倒に対して何か一矢報いたいというのがムーブメントの底にあるのだろう。ただ、報い方がどこかでおかしくなっていく傾向がある。そこの判断をしっかりしていくことが必要。

【委員】

  社会の中でどこに人が拠りどころを見つけていくかというのは大きな問題。拠りどころとしての地域社会をどう再生できるのかについてどのようにお考えか。

【意見発表者】

  我々は面倒な関係を余りにも切り捨てて、関係性が喪失し、どこともつながりがなくなって困り果てている。関係の回復にもっとエネルギーを使うべき。そういうことの意味をいっていけば、だんだんみんな分かってくるのではないか。音楽や、演劇、絵など、文化は心のつながりを回復するための運動といえる。それらを切り詰めて能率的にやるのが近代という概念で、その近代を引きずり過ぎているので、現代は、もう一度効率ということを全体的な観点から見直すことを主張すればいい。
  ただ、昔の日本的共同体の復活ではなく、共同体を新しく作ることが重要であり、それが文化である。

【委員】

  共同体の中での調和というとき、個々の構成員の心というものをどこまで信頼できるものなのか。

【意見発表者】

  特に共同体の中で先端を走っている人は、全体との関係において、自分のやっていることの意味を考えることが必要。全体への配慮ということを忘れてはならない。教育においては、先端的な研究を行う人は相当幅広いことを行ってから先端に行くことが必要。

【委員】

  先端の自然科学分野などは、専門家だけの閉鎖的な情報空間ができているのではないかと危惧している。

【意見発表者】

  現在、専門性というのは鋭くなってきており、ある限られた範囲の専門性でぎりぎりに出来上がっている。そこを突き破る努力が必要。

【委員】

  確かに専門分化は進み過ぎている。教養教育をしっかり行い、理系の人間も文系のことを知るべきという機運を文化政策の一つとして取り上げるべき。

【委員】

  現代人と文化についてどのようにお考えか。

【意見発表者】

  例えば、昔の文化財は、ピラミッドのように集団の力、コレクティブな力だが、だんだん近代になるほど個人というものが出てきて個人が作品を作る。その両方を我々は今持っており、この両方を文化として、全体として考えねばならないという難しさがある。

【委員】

  現代人は、死への問題の不安に加え、今存在していることの不安を抱えている。それを打開するためには何が必要か。

【意見発表者】

  日本人は元来つながっていることを好んできたが、今の若者はそのつながりを切ることに一生懸命になっている。そしてつながりが切れて急に不安になっている。

  それを回復するために年長者とつながるというのが重要であり、そのためにはまず若者の話を聞くということが大切である。ただし、若者はつながることを敗北だと思っていることに留意しなければならない。

【委員】

  関係性の創造にあたって、しがらみをどう包含していくべきなのか。

【意見発表者】

  自分個人の主体性をしがらみで束縛されると感じ、関係を切ったあげくに、孤独になってしまって、結局、何もできない。つながっていることも非常に大事なことなんだということを言っていくより仕方がないのではないか。

(4)坂村健氏(東京大学大学院情報学環教授)より意見発表があった後、意見交換が行われた。

【坂村健氏の意見発表】
(コンピュータの発展)

□  コンピュータは20世紀最大の発明であるが、米国の陸軍弾道研究所というところで1946年に作られたコンピュータが世界で一番最初のものだと言われている。コンピュータの一番の特徴は汎用的な機械ということであり、軍事をはじめ、経済、商業活動、医学、文化などあらゆるものに使うことができ、その結果あらゆるものに影響を与える。最初のうちは、科学技術に特化する機械だったので、数字だけを扱っていたが、文字、写真、動画とか、取り扱うデータの範囲をやがて広げていった。その中でも一番重要なのは、やはり文字だが、欧米諸国では幸いなことにアルファベット26文字しかないので計算機の中に文字を入れるのは比較的楽にできた。
  一方、日本の場合、何万、何十万という漢字をコンピュータの中で扱わなければいけないということで、1980年ぐらいまではほぼ絶望的であったが、コンピュータの技術的発展により、それが可能となってきた。しかし、コンピュータがここまで進展してきた一番大きな理由は、実は世の中の経済活動に則って、コンピュータそのものが産業になったからである。コンピュータそのものが経済活動である。そうなってくると、アメリカの経済活動に則ってできたコンピュータで文化が守れるのかということになるが、残念なことにそうではない。それがユニコード方式である。彼らが漢字用のコンピュータを作るときに、全ての漢字を扱えるようにするのはいくら技術が発展したとはいえ、コストがかかるので、彼らから見て似たような漢字を全て一つにしてしまったのである。中国と韓国と日本の漢字を混合して、包摂したコンピュータを送ってきた。

(文化戦略の欠如)

□  なぜそのようなことになったのか。一つは日本の戦略のなさ。通産省や文化庁がまとまりなくそれぞれ動いているうちに国際標準でうまくイニシアチブが取れなくなってしまう。もう一つの理由は、日本のコンピュータの産業というのは、米国のコンピュータ企業に完全に支配されており、彼らがもうからないと思うことに関しては誰もやらなくなっている。また、文化的なものに対する意識が低く、一方で文化に関係している人たちは技術は別のものと考えている。これではアメリカの戦略に従っていくしかない。グローバルスタンダードという名の下に、アメリカの方式や英語に全てそろえるべきだという主張があるが、そうすると、日本の文化だけデジタル・アーカイブ化されず、日本語が正しくコンピュータとリンクしなくなり、ひいてはそれがあらゆる弊害につながっていく。
  米国はあらゆる面で戦略国家であり、コンピュータ、経済、文化と全部戦略を持って動いており、しかもその戦略が国益の下にリンクしている。アメリカは、世界のリーダーとなるために、英語を世界に広めるということも、アメリカの文化を広げることも重要と考えており、実際にそれを同時に行っている。さらにアメリカの力があるところは、学際的であるということ。例えば科学をやっている方の人も文化的なことは重要だと思っている人がいるし、文化をやっている人も科学は重要だと思う人がいる。大学に何度も入って、両方を学んでいる人物も多い。日本は残念ながらその対極にあるといわざるを得ない。
  日本は世界で2番目にインターネットにアクセスしている国であり、コンピュータの世界で遅れているわけではなく、大きい影響力を持っている。しかしながら文化的な面でうまくいかなくなっている。そこで、これは私がやるしかないということで、例えば韓国と中国と日本の漢字を含めアジアの文字が全部入ったコンピュータのOSを作ろうということで作ったのが「超漢字BTRON」である。コンピュータはどんどん進展しているが、戦略なく放っておくと、手の打ちようがなくなってしまう。アメリカの産業政策のなすがままになっていては、日本の文化保存はできない。言葉そのものが文化であり、その言葉がITとかコンピュータで守れなくなったら、それはまさに文化破壊である。

(今後の方向性)

□  日本は米国と切磋琢磨して競争すべきである。アジア諸国にしてみると、日本はやはりハイテクノロジーを持っている国で唯一多文字の国である。コンピュータが文化をはじめあらゆるものに影響を与えるということならば、日本が率先してそういう多文字国家を援助するというぐらいのことはやってもいいのではないか。
  インターネットとか、IT化とか、デジタル化というのは、世の中の世界的な流れであり、文化はこういうものと関係を持った方がいいか、持たない方がいいかではなく、持たざるを得ない状況になっていて、そのときの基準とか戦略とかをぜひ考えるべきである。

【坂村健氏と委員との意見交換】

【委員】

  我々は情報技術を使っていわゆる文化の情報化を図るとともに、文化に活力をつけていくべき。そのためには、文化の側で戦略をもつべき。また、財産権の問題を早く解決していく必要がある。

【委員】

  ITビジネスという枠で考えると、まずアメリカに先発組で走ってもらい、それを日本がフォローアップしていくというのが日本のIT戦略ではないか。文化と技術という枠で考えると、文化についてIT技術をどう受けとめるか、日本としてどうやっていくかという戦略もしくは政策が残念だが見えてこない。
  文化が基点になってIT技術が発達、IT産業が育つという面をもう少し自覚する必要がある。建国以来のあらゆる情報をデジタルアーカイブ化するというアメリカンメモリーのようなナショナルプロジェクトがあると、技術が影響を受けていく。

【意見発表者】

  アメリカではADA法により、聴覚障害者のためにテレビにクローズド・キャプションを付けることが義務付けられている。これは技術界からでた話ではない。このように、文化的なことは市場経済にまかせるのではなく、文化の側が主導権を持つべきである。博物館で電子化しようといったときに間違ってもやっていけないのが、産業界やコンピュータ業界に主導権を与えることである。今あるシステムにお金を使われるだけであってシステムに文化を合わせることになってしまう。文化をやる方が必ず主導権をとって、要求を出せば、技術も進歩する。

【委員】

  アメリカはまずはじめに法律を作って、動かしていくハードアプローチだが、日本はソフトアプローチで成功した国である。その限界もあるが、ソフトアプローチをフルに生かすことは大いにやるべき。

【委員】

  例えばデジタルアーカイブとかミュージアムを本質的に効果的に作動するには、国だけではなくて、地方とか自治体、民間の持っている収蔵品を網羅的に入れられないとうまく作動しないと考えるが、自治体等の認識はどのようなものか。

【意見発表者】

  かなり提言や運動をしてきているので、意識は高まってきているが、残念なことに人材、予算が不足している。文化はどうやって維持されるべきか、その費用は誰が負担するのかという議論が必要。マーケットだけに任せると、知的所有権やデジタル化権が高騰し、広く情報を共有できるというインターネットのメリットが生かせなくなる。
  私が提唱しているデジタルミュージアムは、バーチャルな世界のものだけをやろうとしているのではなく、これをきっかけに本物に対しての重要性をみんなに認識してもらうことである。本物の持つ美しさ、本物から受ける感動にはデジタルはとてもかなわないが、本物に出会うためには情報が必要であるし、こんなにいいものがあるということを分かってもらうためにも、デジタル化は重要。

【意見発表者】

  文化政策を考える際に、NPOをうまく使えないか。諸外国でも、国家も一生懸命やっているが、個人の果たす役割は大きい。例えば、税制など国はそのための方策を構じる必要がある。幾ら国家が文化は重要といっても、やはり最後は個人が文化を大切だと認識しない限りうまくいかない。

【委員】

  コンピュータが普及していくと、人間がコンピュータの画面に向かい合っている時間が長くなり、感情が非常に希薄になってくるということが懸念される。

【意見発表者】

  ハイテクが人間の心を変えていくのは間違いないが、自動車もそうだし、飛行機やあらゆるテクノロジーが人間の考え方とか思考方法を変えており、人間というのは変わることによって、ほかの動物と違って長く生きているというふうに思わざるを得ない。そうであるならば、考えることは、いい方向に変えていきたいということ。

【委員】

  いわゆる「おたく」になっていく人が増えるなど、情報化の負の側面も念頭に置かなければならない。

【委員】

  バーチャルだけでは物足りないというのは明らかであり、そのとおりで、バーチャルとリアルは違うと強くはっきり言うことなどが必要。教育の問題にもかかわってくる。音楽でも、生の演奏会へ行って、「CDみたいによかった」と言う人がいるぐらいであり、そうではないんだということをはっきりいう必要があり、それはまた文化政策の問題としても大事である。

【委員】

  あらゆる面で、生の本物に接するということは、人間にとって大きな魅力がある。

【委員】

  コンピュータの能力は英語でやらなければいけないのか、お考えを伺いたい。

【意見発表者】

  英語は、ビジネス・プロトコルとしては重要だが、今まで以上に取り組む必要があるか疑問である。これからの教育で大切なのは、平均点的な人間を作ることから脱却し、英語やITはできないが、音楽的センスは抜群だとか、洋服のデザインに関しては力があるといった人材を育てることである。そういう違いのある人たちが、例えばインターネットを使って緩やかにネットワークされていて、協調分散しながら世の中を作っていくことが21世紀の社会に求められることではないか。みんが英語を話し、IT操作に長けている社会というものは何か違和感がある。文化というのは、すべてを同じにしていくこととは著しく反するものだと思う

(5)渡邊文化財文化会長より、文化財分科会の審議状況について報告があった。

(6)事務局より、次回総会の日程についての説明があり、閉会した。

(文化庁政策課)

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