教育改革フォーラム(新潟)の概要


1   日   時:平成15年5月25日(日)13:30~16:00

2   会   場:ホテル新潟「芙蓉の間」

3   次   第:

   (1) 主催者挨拶       大野   松茂    文部科学大臣政務官
(2) 基調講演 鳥居   泰彦 中央教育審議会会長
   (3) パネルディスカッション(敬称略・五十音順)
       コーディネーター    大槻   奈美    フリーアナウンサー
    河崎   順昭 株式会社新潟エヌテーエヌ代表取締役社長
    古賀   一博 上越教育大学学校教育学部教授
    鳥居   泰彦 中央教育審議会会長
    藤田   英典 国際基督教大学教養学部教授

4   概   要:
(1)大野松茂文部科学大臣政務官挨拶

   皆様には、御多忙のところ、「教育改革フォーラム」にお集まりいただき、感謝申し上げる。
   人づくりを重視する、「米百俵」の精神の息づく新潟において、教育改革フォーラムを開催するに当たり、一言御挨拶申し上げる。
   21世紀に入り、世界も日本も、将来を見通すことが難しい時代に入っており、このような中で、我が国が幾多の課題を乗り越えて発展し、心豊かで活力ある国民が希望をもてる社会を築いていくためには、教育が重要である。また、青少年の規範意識や道徳心、自律心の低下、いじめ、不登校や学ぶ意欲の低下など深刻な教育課題は残念ながら依然として存在している。このような状況を踏まえ、文部科学省としては、近年、21世紀教育新生プランや人間力戦略ビジョンを策定し、広範多岐にわたる教育改革の取組を推進してきている。
   しかしながら、現在直面している状況を打破して、新しい時代にふさわしい教育を実現するためには、このような具体的な改革の取組を引き続き推進するだけでなく、今日的な視点から教育の在り方を根本にまでさかのぼり、今後重視すべき理念を明確にした上で、各分野にわたる改革を進めていくことが必要である。
   さる3月20日に中央教育審議会から答申いただいた「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」は、このような視点に立って、我が国の教育を根本から見直し、新しい時代にふさわしく再構築するため、21世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成を目指す観点から、教育基本法を改正し、教育振興基本計画を策定することについて提言されたものである。
   文部科学省としては、答申の趣旨を踏まえ、教育基本法の改正について、様々な観点から研究・準備を進めており、速やかに国会において審議されることを強く期待している。
   また、教育は国家百年の計であり、その根本を定める教育基本法の在り方については、国民の皆様に幅広く議論いただくことが重要である。このため、このフォーラムなど、様々な広報活動を展開しており、教育改革や教育基本法の改正ついての皆様の御理解が一層深まることを期待している。
   最後に、本日の「教育改革フォーラム」が実り多いものとなることを心から期待して、私の挨拶とさせていただく。

(2)基調講演
   中央教育審議会では、教育基本法の改正と教育振興基本計画の策定のもとになる議論を平成13年11月から平成15年3月まで、1年4月をかけて行った。
   終戦直後の55年以上前にできた教育基本法の、わずか11条の中に日本の教育の遠い未来を見据えて必要なことがすべて書かれていたかといえば決してそうではなかったし、諸外国にはもっと丁寧につくっている国もあるところである。
   全部御破算にして新しい法律をつくるのも一つの方法であったが、一つずつ直すべきところを直していくという方法をとったため、大改正ではないが必要な改正は行いたい。本当の意味で教育を根本から見直す時代を迎えるには、まだまだ議論を深めて、長い時間が必要かもしれないが、今回の答申がその引き金になってくれればと思っている。

○教育改革について
   戦後58年で、家庭、学校、社会と教育を取り巻く環境は大きく変わった。
   家庭については、1世帯あたりの人数が5人から2.75人になり、核家族化が進んでいる。親子の関係、子育ての仕方など中身も変わってきている。学校については、大学進学率が1割から5割へと変化している。社会については、第三次産業の就業率が大きく増大している。人づき合いが下手でも、ものづくりがうまければいいという産業と、どんなに腹が立とうが相手に深々とお辞儀をしなければならない産業とでは、職業人として生きていく上で必要な素養が変わってくる。このように社会の変化に伴い、次の世代に譲り渡すべき事柄が変わってきていることは認めざるを得ない。
   また、現実に、規範意識の低下、道徳心、自律心の低下、いじめ、不登校、中途退学、学ぶ意欲の低下、家庭や地域の教育力の低下など、教育は多くの課題を抱えている。
   これらの教育問題は、日本だけの問題ではなく、先進各国でも共通のものであり、諸外国でも教育改革が進められている。
   イギリスでは、1980年からのサッチャー首相の教育改革で、1944年制定の教育基本法が改正され、1988年教育法ができた。サッチャーの教育改革については、現在の労働党政権にもその教育改革の理念が受け継がれている。
   アメリカでは、1983年にレーガン大統領のもとで、「A Nation at Risk」という報告書が出され、教育能力の低下や、子どもたちの学力の低下、国家を支えようとする意志の低下が指摘された。原因として、教職員の社会的地位と収入を低い水準に保ち続けていたこと、男女の教員の比率が著しく変わったことが挙げられている。
   日本でも、1984年に発足した臨時教育審議会の答申には、今考えなければならないことがほとんど網羅されていたが、十分には実行されないできてしまったものがあった。

○教育基本法について
   教育基本法は、昭和22年3月31日に、憲法施行に約1ヶ月先立って公布、施行されている。教育の目的、方針、教育の機会均等や義務教育など、教育の基本理念や重要な原則について規定しており、学校教育法や社会教育法などすべての教育法規の根本法と位置づけられている。制定から56年間一度も改正されていない。

○答申の概要
   日本の教育を根本から見直し、新しい時代にふさわしく再構築する観点から審議を行い、「個人の尊厳」、「人格の完成」、「平和的な国家及び社会の形成者」などの現行法の基本理念に加えて、新しく5つの目標を挙げた。5つの目標とは、「豊かな心、健やかな体」、「自己実現を目指す」、「知の世紀をリードする」、「伝統・文化の尊重、国際社会についての教養」、「新しい公共の創造」であり、これらを包含するものとして、「21世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成」という言葉を挙げている。

○条文ごとの改正の方向
前文
     教育基本法制定の目的、教育基本法を貫く教育の理念など、現行法の前文に定めてある基本的な考え方は、引き続き継続し、新たに規定する理念の趣旨を、前文又は各条文に簡潔に規定する。
第1条、第2条
     現行法は、第1条は教育の目的、第2条は教育の方針となっているが、あまりすっきりと分けられていないので、一体として考え、整理をする必要がある。その上で、個人の自己実現と個性・能力の伸長、創造性の涵養等の8つを基本理念として規定する。
   このうち、「公共の精神」の「公共」については、従来の「官」と「民」という分け方でない、地域社会や国全体をみんなで支えていくという考え方がないといけないのではないかということをあらわしている。
   「伝統・文化の尊重」や「郷土や国を愛する心」については、学習指導要領で明確にうたわれていることを教育基本法にも書こうということである。
   「職業生活との関連」については、イギリス、フランス、韓国の教育基本法では、学校の責務として、教育、学習の仕方の次に書かれているものである。今後、日本においても、職業人としての人生の設計や心の準備に対する支援も学校の重要な役割になると考えられる。
第3条(教育の機会均等)、第4条(義務教育)は引き続き規定する。
第5条(男女共学)
     56年前と異なり、今や男女共学は当たりまえの社会通念になっている。このため、「男女共学が行われなければならない」と書くのではなく、男女共同参画社会の理念をうたうべきである。
第6条(学校教育)
     学校の基本的な役割について、知育、徳育、体育の調和のとれた教育を行うなどの観点から規定し、その際、今まで触れられていなかった大学・大学院の役割や私立学校の役割の重要性についても書く。
第7条(社会教育)
     国や地方公共団体による社会教育の振興について規定する。家庭教育の役割や、学校・家庭・地域社会の連携・協力の重要性について新たに規定する。
第8条(政治教育)
     自由で公正な社会の形成者として、国家・社会の諸問題の解決に主体的にかかわっていく意識、態度を涵養することが重要であることを適切に規定する。見出しにある政治教育という呼び方は適当ではないと考えている。
第9条(宗教教育)
     宗教に関する寛容の態度に加えて、宗教についての知識、宗教の持つ意義を尊重することが重要であり、その旨を適切に規定する。
第10条(教育行政)
     「教育は、不当な支配に服することなく」という現行の規定は引き続き規定し、第二項に関して、国と地方公共団体の適切な役割分担を踏まえて、それぞれの責務について規定すべきである。また、教育振興基本計画の根拠についても規定することとされている。

(3)パネルディスカッション
○教育改革の推進や教育基本法の改正について

古賀氏)    地方分権的な方向性を有する現在の教育改革の流れは、現場サイドからすれば、ついてゆくのに必死といった感もあるが、基本的には今後も維持すべきである。ただし、先進地域と地方の学校で格差が増幅しないよう、文部科学省や都道府県教育委員会などは、この点については積極的に介入すべきである。地方分権と中央集権のバランスが重要である。
   教育基本法の改正のうち、教員の資質向上については、現状の研修、特に管理職の研修がいまだ十分でないことから、早期に実現すべきである。
   愛国心、公共心、伝統・文化の尊重についての教育は、諸外国と比較しても我が国は弱いものがあり、一定の理解は有するが、国家至上主義、全体主義に回帰させないための特段の配慮と保障がなくては、国民的な合意の形成は困難であると考える。

河崎氏)    10数年来、失業、離婚、インターネットによる情報量の増大などにより、家庭や地域社会が壊れ始めており、このような状況から学校教育も遊離したものではない。
   教育基本法については、変える必要のない崇高な理念はそのまま堅持すればいいと思うが、半世紀を過ぎてこれだけ社会環境が変わった以上、変えるべきところは、変えるべきではないか。企業経営と教育は違うが、企業については、変化に対応し、変わらないものは残れない。
   最近一番気になるのは、「ありがとうございます」「すみません」など、当たり前のことが教えられていない若者が増えていることである。義務教育の時の基礎学力、特に国語力が不足しているのではないか。
   国際交流においても、自分のアイデンティティーをしっかり持ち、自分の国の文化、歴史、社会を相手にプレゼンテーションすることから始まるのに、何もわからないうちに出るため、米国に行った場合、10人中8人は米国一辺倒になって帰ってきている。
   経済は効率主義であるが、教育は失敗体験の積み重ねであるから、あまりギチギチした形の教育ではなくて、無駄なところや余分なところを持っていてほしい。
   最後に、マイノリティーに対する優しさとマジョリティにおける競争社会の厳しさをバランスをもって教えていただきたい。

藤田氏)    教育基本法を変える必要があるならば変えても構わないと思うが、中教審答申に基づいて教育基本法が改正されれば、日本の学校教育は現状よりもゆがんだものになると考えている。
   「豊かな心」「自己実現」「公共」が重要だということに異存はないが、教育基本法に書き込まれた時に、どういう形で具体化されるかが問題である。
   例えば、「豊かな心」といいつつ、学力テストの結果を公表するなど、テスト主義・点数競争主義になっている。また、「自己実現」といいながら、「個性や能力に応じた教育」が中教審答申では強調されており、学校選択制、小学校の入学年齢の弾力化など、強い者が有利になる方向で改革が進みつつある。「公共」についても、学校選択制のように地域とのきずなは崩れても構わないという制度改革が進んでいる。
   さらに、中教審答申で重要であるとされた様々な項目はどれも、既に現行の教育基本法のもとでも実施されているものである。
   伝統・文化の尊重や国や郷土を愛する心は、既に学習指導要領の中に書き込まれているし、「奉仕活動」も、「社会体験活動」というかたちで、学校教育法や社会教育法等が改正されて実行可能になっている。男女共同参画や生涯学習も、男女共同参画社会基本法や生涯学習振興法という法律のもとで推進されている。
   問題は、どのように具体的に、適切な改革を進めていくかであり、現行の法体系のもとでも可能なのに、教育基本法をあえて変えるとするならば、その意図は何なのか、改正された場合にどのような影響が及ぶのか、もっと責任をもってきちんと検討する必要がある。

鳥居氏)    サッチャーの教育改革について補足したい。改革のポイントは、学力と規律の回復、伝統的な道徳価値の尊重、イデオロギー教育からの脱皮、地方分権と言い続けたために起こった様々な弊害の是正であった。今、日本が直面している問題はこれと同じだと思う。
   地方分権について、各地方が自らの力に応じて学校の財政を賄うところまで行き着けば問題があり得るし、学校選択制にしても、同時に様々な角度からの改革もしなければ学校そのものがよくならないことは、十分に認識して議論を進めてきている。弱肉強食などにならない教育システムを考えるために議論してきている。
   中教審は、初等中等教育、高等教育についての総合的な見直し・点検について諮問を受けており、お三方から御指摘のあった問題は、今後、取り上げられることになると思う。
   最後に、日本中の教育関係者に、教育とは何かについて共通認識を確認してもらいたい。教育は、「エデュケーション」の訳語であるが、最初は、「教化」、「教育」あるいは「能力の開発」・「啓発」などの訳語があてられた。教える側からは、このような側面がある。
   一方、教育を受ける側からは、教育は自分を探し求める旅である。このため、全員が同じ教育を受けるのではなく、一人一人の才能を伸ばしてあげることができる柔軟性のある教育を進めるべきではないか。

○教育基本法改正の必要性について
藤田氏)    今回の答申は、問題のとらえ方がゆがんでいるうえに、理念・理想と現実との矛盾・乖離が無視されている。教育基本法をはじめ法律の規定が現実の政策や実践にどのような影響を及ぼしていくかについての洞察を欠いている。そのため答申の中の善意に基づく理想も、そのとおり実現するという保証はない。
   また、校内暴力、いじめ、不登校、学級崩壊、少年の凶悪犯罪等の問題を抱えているから教育基本法を変える必要があるということだが、ゆとり教育や学校5日制が始まってから何年もたつが、不登校は一貫して増えつづけるなど、これまでの一連の政策は問題の解決には成功していない。
   さらに、少年の凶悪犯罪の発生率や校内暴力については、欧米先進諸国は日本よりも非常に厳しい実態にある。だからこそ、サッチャーの教育改革などが行われたのである。その際には、日本の教育はむしろ一つの参考にすべきモデルとして言及されている。日本の学校教育が、今問題を抱えているのは確かであるが、これまでのシステムは、世界が注目するようなものであったことを今一度確認する必要がある。
   さらに、これらの問題が、答申のいうように、家庭や地域社会、社会の在り方にあるとするならば、学校教育の在り方を定めた教育基本法を改正する必要性は見えてこない。

鳥居氏)    現行の教育基本法が学校教育を中心にしか書いてないからこそ、家庭教育の重要性について、新しい規定を設けることを提案しているのである。家庭教育について規定することも教育基本法改正の必要性の大きな理由の一つである。

藤田氏)    家庭の問題について国が法律で何かを定めることは、教育改革国民会議でも反対の委員が何人かいたところ。家庭は極めて重要だとは思うが、必要な支援施策は、「家庭教育ノート」など様々な形で行われており、やろうと思えば法律に書かなくてもできる。教育基本法に書き込むことによって様々な財源を確保できるのであれば、多少は考えてもいいかとも思うが、むしろそれ以上に、自己決定・自己責任という方向で改革が進んでいる状況では、家庭で十分にケアされない子どもたちの問題が家庭の責任として処理されていくのではないかということを危惧する。

鳥居氏)    中教審でも、心の中で決めるべきことは法律に書くべきでないという議論はあった。しかし、それは、事柄や程度によると思う。例えば、現行法においても既に、「真理と正義を愛すること」、「個人の価値をたつとぶこと」、「勤労と責任を重んずること」などの、心の中で大切にすべきことが書かれている。今書いてあることは法律に書いてあってよくて、これから付け加えようとしていることは心の中で自分で決めればいいというのは、論理として成り立たないのではないかと思う。

○教育基本法に盛り込むべき理念について
古賀氏)    かなり多くの方が敏感な反応を示しているは、「国を愛する心」や「新しい公共」であると思う。日本は、諸外国に比べてこれらが弱く、一面寂しいと感じることもあるが、教育基本法に書くにあたっては、戦前・戦中のように国家至上主義や全体主義に流れないよう、この1点だけは、是非ともこのようなフォーラムで十分な国民的議論をしていただきたい。

鳥居氏)    この議論は戦後58年かけて繰り返されてきた議論である。戦前の問題は御指摘のとおりであるが、戦前、そのような方向に引っ張っていったのはいわゆる軍部である。
   二度と繰り返したくないとうのは誰もが同じことを考えており、今軍部はない。もし、軍部のようなものがあらわれたならば、それを繰り返させないよう、私たちがしっかりすればいいのであって、教育基本法を改正することに対する反対論にすり替えるのは間違いであると思う。

藤田氏)    そうはいっても、教育基本法の改正について、繰り返しやるべきだと主張してきた政治勢力があり、その勢力が、有事法制、国旗・国歌法の制定を進めてきているなど、他の法律改正の動きや様々な問題と重なり合っている事実もきちんと押さえる必要があると思う。
   教育基本法に書き込まれることによって強制が起こらないという保障があるのか。
   例えば、「心のノート」は法的根拠もないから、どのように使うかは現在各学校の裁量にまかされているが、使用を強制されることはないのか。我々自身の態度の問題であるというならば、これらを確認した上で、事を運ぶべきであると思う。

河崎氏)    現在は親も子もファーストフードのマニュアル世代になっている。理念を書くと不必要な理念まで含めてそれに集約化されていくし、書かないと何をやってもいいというようになる。教育基本法に理念を書くことと、書かないことの両方の怖さがある。

鳥居氏)    刑法のように法律をマニュアルとして与えなさ過ぎた側面もあるのではないか。
   マニュアルを与えすぎたらおかしくなる面と、当然知ってなければならないマニュアルが誰も知らない状態で放置されている面がある。

藤田氏)    伝統・文化の尊重や郷土や国を愛する心の強調も問題だが、それ以上に、個性・能力を重視する方向は問題であると思っている。高校や大学の多様化や柔軟化は大いに進めるべきであるが、小・中学校の段階から学校選択を進めるのは極めて重大な問題である。個性は、制度によって保障すべき価値ではなく、実践の場において保障すべき価値である。

○学校の役割・教員の資質向上について
古賀氏)    教員の研修と修養ということを、教育基本法に載せることは見識の高い発想なのではないかと思う。教員の資質向上がなければ、今後展開するであろう教育政策は成功しないことの強い認識のあらわれであろうと考える。
   これに関連して、教員の10年経験者の研修が義務化されたことは一歩前進と考えるが、さらに教員免許の更新制についても議論を進めるべきではないか。
   また、地方分権が進むことにより、今後、学校経営の中核である学校管理職の資質・能力が一層重要になると考えられるので、管理職の研修をもっと充実すべきではないか。

鳥居氏)    教員免許の更新制については、車の免許証のように国家試験をして免許を出しているものではないことから、今の制度全体から考えると難しい。10年研修は、現実のシステムとの妥協である。そのかわり、10年研修だけでなく、もっと様々な研修を教員が自発的にできるようにできなかという議論は大いに行った。教員の役割は多岐にわたるので、学習の仕方をどう教えるかなど多様な研修を用意して、研修ごとにライセンスを与えていくのも一つの方法であり、今後の宿題であると思う。

藤田氏)    教育基本法を変えるよりも、教員養成制度や採用制度、人事の在り方についての仕組みを見直すほうがはるかに先にやるべきことである。第6条につけ加えても、仕組みや研修の在り方が変わらなければ意味がない。
   言われているのはそのとおりなので、この教員の資質向上のような項目を何らかの形で付け加えることは問題ないかもしれないが、これを入れるかわりに、もっと重大で危険な影響を及ぼすような項目を入れて教育をゆがめることにならないか、きちんと見極める必要がある。

河崎氏)    反面教師ということもあるので、多様な先生がいても構わないのではないか。
   ただし、反面教師ということを理解するためには、家庭教育とか社会教育とかのベーシックな部分を重視すべきである。
   また、学校は閉鎖社会過ぎる。PTAの会長を1年やったが、主役の生徒と話したこともなかった。学校の先生は前例踏襲の繰り返しが多いので、もう少し世の中の当たり前のことを感じていただきたい。

○会場からの意見
(国を愛する心)

   ・ 国を愛する心は非常に大切であると思うが、これは国民一人一人がおのずと抱くべきものであり、愛国心を持てるような国をつくることが政治家の責任であって、それをしないで法律で押しつけるというのは全く順序が逆である。
日本の伝統・文化の尊重、郷土や国を愛する心と国際社会の一員としての意識の涵養に共感を覚える。外国で7年間子どもを現地の学校へ行かせた経験がある者として、このことの大切さを痛感している。
(宗教教育)
宗教的情操の涵養とあるが、特定の宗派に偏らず、宗教的な心のセンスを身につけさせることは急務である。
なぜ今回、教育基本法において、宗教教育の実施を盛り込まなかったのか。
(男女共同参画)
新たな教育基本法に男女共同参画の理念を明記することは、ジェンダーフリー教育に一層の拍車をかける恐れがあり、望ましくない。仮に明記するのであれば、男女がおのおのその特性を理解し、互いに尊重し、協力する観点を明記すべきである。
男女別学が依然として根強く残っている県がある。真の男女平等を考えたら、この条文は残すべき。

藤田氏)    国を愛する心は、特定の考え方を持って教え込むようなものでもないし、法律で規定して教えるという性質のものでもない。守るに値する国であればおのずと育っていくものである。何か特定の考え方を植え付ければいいという考え方が教育基本法改正を進めようとしている政治勢力の中には極めて強いように見受けられてしょうがない。中教審答申や鳥居さんが先ほど言われたような理想論だけで片づけるわけにはいかない。

(公共)
   ・ 新しい「公共」とは具体的にどんなことか。新しいというからには今までになかったことを指すのか。
教育基本法の中で、個と公の関係を明確に記すべき。
戦後の日本の教育は自由、平等、個性、権利のみが強調され、競争、集団、義務といった反対の価値観がややもするとかるくみられてきた。その結果として、人に迷惑をかけなければ何をしても構わないとか、集団への貢献を冷めた目で見る若者が増えてしまった。
(家庭教育)
憲法は、近代法の体系であり、個人と国の関係を決めており、その中で家庭というものを規制するのはいかがか。法人のような人格を家庭に持たせるのも無理があると思う。だから、家庭教育を支援するという別の法律をつくるべき。
今回の改正で家庭の教育力の回復が最も重要だと感じた。
国民一人一人が家庭教育の重要性、しっかりとした家庭教育を行うことを自覚するためにも、その根本法である教育基本法に盛り込むことが大事である。
(総論)
教育基本法の改正がいろいろ議論されているが、それらを聞いても、あえて改正をする必然性がもう一つ実感できない。教育基本法の理念、内容は、現在も将来的にも普遍的に通用するものだと思う。議論は大いに結構だが、強権的に形式的に改正の手続きを進めるのは慎んでほしい。
教育基本法の改正の方向については賛成であり、必要性も感じている。しかし、国民的議論を深めるべきではないか。一般国民の理解をもっと深めるべきである。
鳥居会長の講演内容を聞いて、基本法改正の趣旨が理解できた。必ずしも抜本的改正とは言えないが、長期にわたって継続的に改革を進める必要がある。

鳥居氏)    教育基本法を改正しなくてもやれることが多くあるのは事実であるが、教育基本法を改正して、基本的な理念をきちんと掲げて、それに基づいて次の施策を考えていく段取りを取った方がはっきりすることがたくさんあるから改正するのである。
   教育振興基本計画だけを制定すればいいという意見もあるが、法律に基づく計画でなければ財政措置がついてこない。科学技術については、科学技術基本法で科学技術基本計画を定めるように書いてあり、計画により5年間で24兆円の予算がついている。そういうことができるようにする必要があると思う。
   また、教育基本法を改正しても現在の教育の問題点は直らないという議論もあるが、教育基本法を改正することによって、改革の方向、教育のあるべき方向をはっきりさせることによって、問題に対する対処法が出てくると思う。
   今回の改正は抜本的な改正ではなく、長い時間を要する教育改革の第一歩であると思う。