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第二〇期国語審議会 新しい時代に応じた国語施策について(審議経過報告)

平成七年一一月

文化庁





第二〇期国語審議会 新しい時代に応じた国語施策について(審議経過報告)

はじめに

平成五年一一月に発足した第二〇期国語審議会は、その第一回総会において文部大臣から「新しい時代に応じた国語施策の在り方について」が諮問され、第一九期国語審議会報告「現代の国語をめぐる諸問題について」に掲げる「言葉遣いに関すること」「情報化への対応に関すること」「国際社会への対応に関すること」「国語の教育・研究に関すること」「表記に関すること」について遂次審議することが求められた。

そこで、当面は社会の各方面で要請されている問題から取り上げることとし、第一委員会及び第二委員会の二つの委員会を設置して、「言葉遣いに関すること」、「情報化への対応に関すること」及び「国際社会への対応に関すること」について審議することとした。国語審議会がこれらの問題について諮問を受け、審議に臨むことは、六〇年に及ぶ同審議会の歴史の中で初めてのことである。

本審議会は、前記の課題について、総会、第一委員会、第二委員会など合計四四回の会議を開いて検討を行い、また、特に重要な事柄については、全委員を対象とするアンケート調査によって意見の収集を行うなど慎重な審議を重ね、ここにこれまでの審議経過報告をまとめた。

[Roman1 ] 言葉遣いに関すること

一 基本的な認識

(一) 平明、的確で、美しく、豊かな言葉の重要性

国語はその時代、その時代に生きる人々の日々の言語生活の総体である。それは永い歴史の中で、脈々と引き継がれて現在の我が国の文化の基礎を成し、さらに次代へと伝えられていく。

国語審議会は、昭和四七年、「国語の教育の振興について」を建議し、「国語が平明で、的確で、美しく、豊かであることを望み、この際、国民全体が国語に対する意識を高め、国語を大切にする精神を養うことが極めて重要である」と掲げた。以来、国語審議会は、「平明、的確で、美しく、豊かな言葉」を言葉遣い全体の理想的なイメージとして求めることを基本姿勢とし、これに基づいて様々な施策が行われてきたところである。

現代社会の特色として、価値観の多様化という傾向や、情報化、国際化の進展に伴う様々な問題が指摘されているが、このような社会状況の変化は、言葉の在り方や人間関係の在り方にも少なからぬ影響を及ぼしている。すなわち、言葉の変化のうち語彙に関するものの大部分は、新語、流行語や、外来語、外国語、専門用語等の増加であり、また、そのことが語法等の変化とあいまって世代間の言葉の差を広げる結果ともなっている。言葉が伝達手段として十分に機能するには、相手や場面に適切でなければならず、不適切である場合には伝達機能ばかりか人間関係の阻害にさえつながりかねない。実際、主として若い世代においては、言葉を適切に用いて人間関係を築き維持していく力が衰えており、ともすれば言葉の本質を見失いさえする傾向があるとの指摘もある。

世間一般では今の国語の状況を「言葉の乱れ」ととらえることが多く、世論調査(平成四年総理府、同七年文化庁)においても「今の言葉は乱れている」と考えている人はおおむね七割を超えた。「言葉の乱れ」は、ある価値判断を伴ったとらえ方である。一人一人が自らの考える国語のあるべき姿に照らせば、そこから逸脱するものを「乱れ」ととることも率直な態度であり、言葉に対する関心の高さゆえのことと思われる。

ただ、国語審議会としては、言語の変化を客観的にとらえ、変化の過程で、ある語について新たに生じた別語形が従来の語形と並存する状態については、これを基本的には言葉の「ゆれ」としてとらえた上で、現時点でのより適正な言葉遣いを考えていきたいと考える。

今日、国語を愛護する精神を養うことの重要性は、従来にも増して切実なものとなっている。国語を愛護するということは、国民一人一人が言葉に関心を持ち、毎日の言葉遣いを大切にし、言語生活を充実させていくことにほかならない。また、国語審議会としても、現代社会における国語の多様な様相を把握しつつ、言葉遣いについてどのような認識を持つべきかについて検討し、見解を示すことが必要であろう。

国語審議会がその審議対象とすべき言葉遣いには、話し言葉・書き言葉、共通語・方言などにおける言葉遣いがあろう。それらを音韻、語彙、語法その他種々の問題としてとらえるとともに、言語表現の問題あるいはコミュニケーションの問題として考えることも大切である。

言葉遣いについては、一般に話し言葉における問題を取り上げることが多い。しかし、話し言葉と書き言葉には、語法、文体、語の選択の適否など重なる部分も大きいので、むしろ両者の重なる部分を中心に、「現代語のあるべき姿」についての共通理念を目指すという態度が妥当であろう。国語審議会はこのような見解から、言葉遣いについて全体的に論議することとした。

付 「言葉のゆれ」について

ある語が変化する過程で、その語形等について、本来の形に対して拮抗する形が別に生じ、両者が並存する状態になったとき、これを言葉の「ゆれ」と言う。語形のゆれ(アタタカイ/アッタカイ、感ずる/感じるなど)のほか、アクセントのゆれや表記のゆれもある。また、ある語に新しい意味・用法が生じ、本来のそれと並存する状態をも「ゆれ」と言うことがある。

「ゆれ」は、当初はごく少数の誤用から生ずることも多い。本来の語形、意味・用法が大多数に支持され安定しているとき、新たに別語形等を用いることは、誤用とされる。その別語形等の使用者が増加し、ある程度支持されるようになった状態が、いわゆる「ゆれ」であると考えられる。

共通語の可能表現において従来の「見られる」に並んで、いわゆる「ら抜き言葉」の「見れる」も使われることは、「見る」の可能表現の「ゆれ」である。ところが、「見られる」を本来の正しい形と見、「見れる」を否定する立場からは、この両形並存の状態は「乱れ」ととらえられる。すなわち、「ゆれ」は客観的な認識、「乱れ」は価値判断を伴った認識ということになる。

「ゆれ」の多くは言語変化の過程における一時期の状態であり、一方に淘汰されて解消することが多い。一つの意味に複数の形が対応することは伝達の効率上好ましくない場合もある。

(二) 言葉遣いの標準の在り方

国が言葉遣いの問題にかかわることについて、一般の人々はどのように考えているのであろうか。

世論調査(平成七年文化庁)によれば、「国が言葉遣いについてゆるやかな基準を示すことが必要だ」について、「そう思う(四六・五%)」人は半数に達してはいないものの、「そうは思わない(四〇・二%)」人よりは多く、また、「言葉は時代とともに変わるものであり、自然に任せた方がよい」についても、「そうは思わない(四八・六%)」人の方が、「そう思う(三八・七%)」人より高い割合になっている。しかも、「国が日本語の正しさや美しさの保持に努めることが必要だ」や「国は言葉遣いの大切さについて国民の意識が高まるよう努めることが必要だ」について「そう思う」とした人が約七割という数字もある。これらのことから、多くの国民が国に期待を寄せていると考えられる。このような期待にこたえるため、国語審議会は言葉遣いに関する今期の審議の成果をどのような形で生かすことができるのであろうか。

一つには、国が美しく豊かな言葉の普及のための施策を更に推進するよう、また、新聞・放送、学校教育等の分野における取組や、民間の出版物としての手引書の類の作成が一層活発に行われるよう、提言を行うことであろう。また、国語が「平明、的確で、美しく、豊か」であるためには、一人一人がそれぞれ言葉の美しさや豊かさを判断する言語感覚を持つことが基本であり、国語審議会としても、それを支援するための方策を考える必要があろう。その一つとして考えられるのが、後述する「言語環境の整備」である。

今一つには、国語を大切にしようという提言や、言語環境の整備を効果的に行う上で、言葉遣いについての何らかの標準を示すということである。言葉遣いの問題は、その対象となる範囲が広く、多面的かつ多分に流動的であるため、緩やかであるにせよその全体を覆うような標準の類をまとめることは非常に難しいが、その中にも適否の判断が比較的可能な分野がないわけではない。しかも、教育界などではそのような判断を求める声が高まっていることも事実である。

世論調査等によって問題の実態を把握しつつ、慎重かつ十分に審議を重ねた上で、言葉遣いの理念を示し、具体的な事柄についてはそれぞれ本来の語形・用法、変化の方向性を示すことが国語審議会の責務とも言える。さらに、将来はその見識に基づいて、言葉遣いに関する、強制力のない緩やかな標準を示すことに取り組んでいく必要もあろう。ただし、標準を示すとしても、その性格は、緩やかな目安・よりどころという程度であり、なおかつそれを必要とする人の参考に供することを旨とするにとどまるべきであろう。

付 言葉遣いの標準の現状等

ア 言葉遣いについて何らかの標準を示すものとして、従来国語審議会によって示された建議等のうち、今期国語審議会の検討にかかわるものとしては、次のようなものがあるが、今期は特に「これからの敬語」の再検討を中心に論議を行った。なお、新聞・放送、書籍・雑誌等の分野においても、それぞれ「用字用語集」「発音アクセント辞典」の類を定めるといったことが行われている。

[cir1 ] 「これからの敬語」(建議 昭和二七年)

[cir2 ] 「標準語のために」(標準語部会から総会に対する報告 昭和二九年)

[cir3 ] 「話しことばの改善について」(建議 昭和三一年)

[cir4 ] 「語形の「ゆれ」について」(第二部会から総会に対する報告 昭和三六年)

[cir5 ] 「発音の「ゆれ」について」(同前 昭和四〇年)

イ 言葉遣いの標準についての判断基準としては、国立国語研究所の「語形確定のための基礎調査」(同研究所年報七 昭和三二年所収)に掲げられた、ゆれのある語について標準的なものを選ぶ場合の判断基準三〇項目などが参考になろう。例えば、一般的/特殊的、共通語的/地方語的、使用地域が広い/狭い、規範に合う/合わない、増加の傾向にある/減少の傾向にある、口頭語的/文章語的、語感が良い/悪い、言いやすい/言いにくい、/聞き分けやすい/聞き分けにくい、などである。

二 言語環境の重要性

(一) 言語環境の整備

「言語環境」とは、言語生活や言語発達にかかわる、文化的、社会的、教育的等の環境を言う。特に言語形成期・発達期の子供たちにとって、学校、家庭、地域社会、新聞・放送等の言語環境が及ぼす影響は大きいと思われる。

ア 学校における言語環境の整備

学校教育においては、国語科はもとより各教科その他の教育活動全体の中で、適切で効果的な国語の指導が十分に行われるよう、指導方法の改善などを図る必要があろう。すなわち、国語科担当の教員だけでなく学校教育に携わるすべての教員が、美しく豊かな言葉について関心を持ち、児童生徒の言語環境の整備について更に積極的にかかわることが望ましい。

大学では、教員を志望する者の基礎的教養として国語に関する知識・能力を重視することが望ましい。また、大学の教員が言葉について関心を持ち、学生が表現や伝達を的確に行うための言語能力を拡充するよう支援することが望ましい。

イ 家庭における言語環境の整備

子供の言葉の習得と発達にとって、家庭が果たす役割は重要である。したがって、家庭においては、家族間のコミュニケーションが十分に行われるよう心掛け、子供の発達段階に応じた言葉遣いの指導に留意することが望ましい。また、学校教育や社会教育との関連を考慮することも大切であろう。

ウ 地域社会等における言語環境の整備

言語環境の整備は、個々の学校、家庭等が努力するだけでなく、地域社会全体として取り組むべき課題である。このため、学校、社会教育機関・団体、新聞・放送等が連携し、総合的に言語環境を整備する体制を整え、これを推進することは生涯学習の面からも望ましい。具体的には、例えば、青少年期における読書の意義について認識が深められ、読書の習慣が普及するよう、地域や学校の図書館の整備充実を一層推進することが必要であろう。

エ 新聞・放送等の役割

世論調査(平成七年文化庁)において、「新聞や放送などは、そこでの言葉遣いが子供などに与える影響を自覚することが必要だ」について、「そう思う」と答えた人の率は九割近かった。

テレビ・ラジオ等の放送、新聞・雑誌等の出版物など様々な媒体は人々の言語生活に対して大きなかかわりを持っており、特にテレビの娯楽番組等や広告・宣伝の言葉遣いが幼児や青少年に与える影響は大きいと言われている。

したがって、新聞・放送等においては、言葉遣いについて更に配慮するとともに、その活動を通じて国語に関する国民の意識が高められるよう努めることが期待される。

オ 国の役割

言語環境を整備し、美しく豊かな言葉の普及を図ることは国の重要な役割の一つである。このことを推進するには、まず、言語環境と言語発達の相関についての調査・研究が急務であろう。それらの成果に基づいて、学校、家庭、地域社会や新聞・放送等にも言語環境の整備・改善を要望しつつ、国民全体が国語に対する意識を高め、国語を大切にする精神が養われるよう、次のような方策に努めることが必要である。

[cir1 ] 学校、家庭、地域社会等を通じた言語環境の整備の重要性を提言すること。

[cir2 ] 文化庁の「ことば」シリーズやビデオテープ「美しく豊かな言葉をめざして」は、多くの国民が言葉について関心を持ち、日常生活の中で言葉について話し合う機会を広げるためのきっかけ・参考となることを意図しているが、これらの事業の一層の充実発展を図ること。

[cir3 ] 国語問題研究協議会、国語施策懇談会等を一層発展充実させるなどして、多くの国民から幅広く言葉に関する意見を収集し、それらが施策に反映されるよう図ること。

カ 国語研究の振興

国語研究はそれ自体重要な価値を有するとともに、国語施策の立案や国語教育の基礎ともなるものであり、更なる振興を図る必要がある。

特に、国立国語研究所は我が国の国語研究の中核を成す機関であり、一層整備充実されることが期待される。

言葉は時代とともに変わるものであるが、それぞれの時代ごとの十分な用例を収録した国語の大辞典を編集することは、国語の歴史を明らかにし、国語の伝統を継承するために極めて有意義である。また、このことは言葉を大切にする心を養い、国民の国語に対する意識を高めることにもつながるものである。現在、国立国語研究所で編集の準備作業が行われているが、このような事業を更に積極的に進めるよう、体制の整備を図る必要がある。

(二) 方言の尊重

方言は地域の文化を伝え、地域の豊かな人間関係を担うものであり、美しく豊かな言葉の一要素として位置付けることができる。「方言の尊重」とは、国民が全国の方言それぞれの価値を認識し、これらを尊重することにほかならない。

方言は地域の言語生活を生き生きとさせる豊かな言葉ではあるが、全国的なコミュニケーションの基本は共通語である。従来の教育成果やテレビの普及等によって全国的に共通語が広まっているが、今後も両者が役割を分担しつつ共存していくことが望ましい姿であろう。

「方言の尊重」のための方策としては、例えば、児童生徒が地域に伝わる民話や芸能、あるいは高齢者とのコミュニケーションによって方言に触れること、さらに他の地域の方言についても知識や理解を深めることなどが考えられる。これらは、言語感覚を養い、豊かな心を育てる上でも有益であろう。

学校教育においても従来、地域の現実に即して、共通語と方言との共存を図りつつ、適切な指導がなされているところであるが、今後も学校、家庭、地域社会等がこのような認識の下に更に方言に親しむための工夫をすることが望ましい。

また、方言の学術研究も大切である。国立国語研究所では、日本全国の方言について言語地理学的調査を行っており、語彙・文法等の調査結果を地図化して逐次刊行している。また、各大学等においても様々な角度から方言研究が行われている。これらが国語研究の重要な分野として、今後ますます発展・充実することが望ましい。

三 敬語の問題

(一) 現代の敬語

基本的には同じ内容を述べるのに、話題の人物・聞き手・場面等への配慮から、それらにふさわしい特定の表現を用いるとき、それらの表現は総称して待遇表現と言われる。敬語とは、待遇表現のうち、敬意あるいは丁寧さを表すものの称であるととらえることができよう。

敬語は上代以来連綿と続いてきた日本語の大きな要素である。今日の敬語は、おおむね一九世紀の江戸で行われたものが基礎になっており、また、敬語使用に関する意識上の大きな変革が生じたのは第二次大戦後であると言われている。

現代の敬語については、次のような特徴が指摘されている。

[cir1 ] 表現形式の簡素化

立場等の上下に応じて複雑に使い分けられていた多くの表現形式のうち、一般的にはより簡素で単純な形が用いられるようになった。

[cir2 ] 親疎の関係の重視

様々な上下関係による敬語の使い分けが弱まり、代わって相互の親疎の関係に基づいた敬語使用(部外者や初対面の人に対しては、仲間内や親しい人よりも丁寧に、など)が重視されるようになった。

もちろん、年齢や社会的な立場からくる上下関係に伴った敬語使用も依然として存在している。

[cir3 ] 聞き手への配慮が中心

話題に登場する人物より、聞き手への配慮が敬語表現の中心になった。

[cir4 ] 場面に応じた対人関係調整のための敬語

例えば、商業関係の分野において、顧客に対する売り手の敬語使用がきわめて丁重なものとなる類である。このような場合は本来の「尊敬」や「謙譲」の念が必ずしも十分に伴わない場合もあり得る。

(二) 国語審議会における敬語の取り上げ方

世論調査(平成四年総理府、平成七年文化庁)によれば、国民の九割以上が今後とも敬語が必要であると考え、敬語を使うことに肯定的であると見ることができる。国語施策懇談会等においても、敬語に関する何らかのよりどころを求める声が、特に教育関係者の間で多かった。

国語審議会がかつて建議した「これからの敬語」(昭和二七年)は、敬語に関する唯一のよりどころとして各方面に影響を与えてきたが、四〇余年を経た現在の社会状況は建議当時とは大いに異なっている。

今期国語審議会は、言葉遣いにおける主要な問題として敬語の問題を取り上げ、語彙・語法等言語的要素を主たる対象として、共通語における敬語について検討を行うこととした。そのために、まず、「これからの敬語」の見直しを中心に論議を行って、問題点を明らかにすることに努めた。

(三) 敬語の理念及び具体的な語法

ア 敬語の理念

「これからの敬語」では、「基本の方針」として、「行きすぎをいましめ、誤用を正し、できるだけ平明・簡素にありたいものである。」としているが、この考え方は継承してよいと考えられる。ただし、必要に応じて様々な敬語を用いることは、現実に要請されることでもあり、豊かな言葉遣いのためにもあながち否定できない。

女性の言葉遣いには、かつては過剰な敬語や美称が多用されるという傾向があったため、同建議ではこれを戒めるよう指摘している。しかし、今日ではむしろ、男性と女性との言葉遣いに差がなくなりつつあることが話題になっている。言葉遣いにおける自然な性差は豊かさとして認めつつも、それを固定的にとらえることなく、むしろ、両性とも一人の人間としてそれぞれの個性を表現していくこと、場面や相手にふさわしい言葉遣いをするということが大切なのではないか。

商業方面における敬語は、極端に過剰にならないよう、当事者がその分野での対人関係や場面における適切な敬語使用を考えていくことが望ましい。

さらに、今後の論議に必要な観点としては、コミュニケーションを円滑にするという観点、場面による適否という観点、主語・述語の呼応をも含め、単語の問題としてだけでなく、表現全体としての適切さを重視する観点なども必要であろう。

イ 敬語の語法

「これからの敬語」が取り上げた敬語の具体例を中心に検討した結果、次のような共通理解を得た。

[cir1 ] 人称代名詞

一人称代名詞については、世論調査(平成七年文化庁)においても、改まった場合における「自分の呼び方」として約六割の人が「わたし」を挙げたように、現在「わたし」は最も一般的な語となっている。これは「これからの敬語」で「「わたし」を標準の形とする。」としたことの影響によるものでもあろう。しかしながら一方では、男性の「ぼく」や女性の「あたし」もうちとけた場面などで広く使われており、また、若者などの間では「自分」も使われている。

二人称代名詞については、同建議では、「「あなた」を標準の形とする。」としたが、現実には、相手を「あなた」を呼ぶことは一般的とは言えないようである。このことは、日常の表現では人称代名詞を使わないことが多く、特に二人称の使用は避ける傾向があることとも関連すると思われる。

世論調査(同上)でも、改まった場では「名字+さん、さま(三七・七%)」など、代名詞によらない言い方の方がむしろ多く使われているという結果であった。

[cir2 ] 敬称

「これからの敬語」では、「「さん」を標準の形とする」、また、「「さま(様)」はあらたまった場合の形、また慣用語に見られるが、主として手紙のあて名に使う。」としているが、現実もこのような使われ方が一般的であろう。公用文においても、最近、地方自治体等で「殿」を「様」に改める傾向が報告されている。

書き言葉では、「さん」のほか、同建議で「書きことば用」として掲げた「氏」も用いられる。時には男性には「氏」、女性には「さん」のように性によって敬称が使い分けられることがあるが、同一場面、同一資格においては、敬称をそろえることも考えられるよう。

「局長」「課長」「社長」等の役職名に「さん、様」を付けることの適否は、それぞれの分野での慣用もあり、一概には言えない。

[cir3 ] 接頭語、接尾語

接頭語の「お」「ご」について、同建議では、「省く方がよい場合」の例として、「(ご)芳名」「(ご)令息」等を掲げているが、これらの言い方は現実にはむしろ多い。

また、同建議では接尾語「ら」を「だれにも使ってよい」としているが、現実には「先生ら」のような言い方に違和感を持つ人も多く、一方では「先生方」や「私ども」のような言い方も使われている。

[cir4 ] 対話の基調

同建議にも、「これからの対話の基調は「です・ます」体としたい。」とあるが、現代の対話の基調は「です・ます」体が一般的であると思われる。その中でも、形容詞に「です」を付ける言い方は、同建議で「平明・簡素な形として認めてよい」としたためか、かなり定着しているようである。

また、「速いです」などの過去形としては、「形容詞連用形+たです(例:速かったです)」が、また、その否定形としては「形容詞連用形+ありませんでした(例:速くありませんでした)」及び「形容詞連用形+なかったです(例:速くなかったです)」が一般化しているが、「形容詞連体形+でした(例:速いでした)」や「形容詞連用形+ないでした(例:速くないでした)」のような言い方をどのように考えるかといった問題もあろう。

[cir5 ] 動作の言葉

「これからの敬語」で尊敬表現の形式として示した、いわゆる「れる敬語」及び「お~になる」のほか、「お~なさる」(尊敬表現)、「お~する」(謙譲表現)などの形式があり、また、「おっしゃる」「いらっしゃる」「伺う」等の特別な語形も一般的によく使われている。場面にふさわしい言い方を適宜選びつつ、豊かな表現を心掛けるべきであろう。

ただし、同建議で、「お~になられる」等の言い方をする必要はないとしているように、過剰な敬語使用は問題であろうし、「~(さ)せていただきます」のような言い方をむやみに使うのは適当でないとの指摘もある。

しかし、世論調査(平成七年文化庁)によれば、「お帰りになられた」のような言い方が「気になる」人の率は二割強に過ぎず、また、一方には、「先生、こちらでお待ちしてください」や「〇〇さん、おりましたら」、「お客様が申されました」のような、謙譲語を尊敬語のつもりで使う言い方について、「気にならない」人が四~五割という状況もある。

このような過剰な、あるいは本来とは異なった敬語の使い方に慣れてしまうと、適否の感覚が薄れるおそれもある。中には必ずしも否定する必要のないものもあろうが、やはり国語審議会としては適切な敬語使用について見解を示すことが必要であろう。

ウ 敬語については以上のほか、次のような意見があった。

[cir1 ] 世論調査(同上)によると、「植木に水をやる/あげる」のどちらを使うかでは、四人に三人が「やる」を使うとしている。この問題は、その対象(何に「やる/あげる」か)による差、地域差、性差などとかかわるところが大きい。また、「あげる」を使う人は「やる」という語をぞんざいな言い方と感じるようである。

[cir2 ] あいさつは言葉遣いの基本であり、コミュニケーションのきっかけとして大切なものである。適切なあいさつの在り方を考えることが必要であろうが、それぞれの地域で行われている様々な言い方の慣用には踏み込まない方がよいであろう。

また、日本人のあいさつは概して画一的であると言われているが、その時々の場面にふさわしいあいさつの表現を工夫をすることについても一層の関心を払うことが必要であろう。

[cir3 ] 現代にふさわしい配偶者の呼び方については、言葉以外の様々な問題がこれにかかわるので、一概に論ずることは困難であろう。

(四) 学校教育及び日本語教育における敬語の扱い

学校教育においては、発達段階に応じた敬語の指導が行われているところであるが、今後も一層の充実改善を図ることが望ましい。

特に、敬語の教育を適切なコミュニケーションの在り方という視点から行う必要があろう。家庭や地域とも連携し、敬語に触れる機会を増やす等のことについて、一層積極的に取り組むことが期待される。

日本語教育においては、外国人が現代日本語としての標準的な敬語をどの程度、何をよりどころとして学べばよいかという問題がある。また、教科書等に示す敬語表現を覚えても、それを実際の会話に生かして使うことは難しいといった指摘もある。

学習目的や段階に応じた教材や指導方法等の研究開発が望まれるとともに、敬語行動を裏打ちする文化的背景(例えば、依頼や拒否の場合、相手への配慮から単刀直入に言わず、婉曲表現を使う発想や習慣があることなど)についても十分な情報を提供することが必要であろう。

四 その他

(一) 語彙・語法等の問題

ア いわゆる「ら抜き言葉」

いわゆる「ら抜き言葉」とは可能の意味の「見られる」「来られる」等を「見れる」「来れる」のように言う言い方のことで、話し言葉の世界では昭和初期から現れ、戦後更に増加したものである。

「ら抜き言葉」(例:「見れる」)を専ら可能の意味に用い、受身・自発・尊敬(例:「見られる」)と区別することは合理的であり、五段活用の動詞(例:「読む」)における可能動詞(「読める」)と同様に可能動詞形と認めようとする考え方や、「ら抜き言葉」の増加は可能表現の体系的な変化であり、話し言葉では認めてもよいのではないかという考え方もある。書き言葉においても分野によってはその使用例が報告されている。

しかしながら、この言い方は現時点ではなお共通語においては誤りとされ、少なくとも新聞等ではほとんど用いられていない。世論調査(平成七年文化庁)においても、「食べられない/食べれない」「来られる/来れる」「考えられない/考えれない」についてどちらを使うかを聞いたところ、三例とも本来の言い方(「食べられない」「来られる」「考えられない」)を使うという答えが、平均七割を上回った。

国語審議会としては、本来の言い方や変化の事実を示し、共通語においては改まった場での「ら抜き言葉」の使用は現時点では認知しかねるとすべきであろう。さらに、「ら抜き言葉」については、次のような観点から今後の動向を見守っていく必要があろう。

[cir1 ] 話し言葉か書き言葉かによっても、違う面があること。

[cir2 ] 一段動詞全体のどこまで及ぶか。語形の長さや使用頻度、また、活用形によって、「ら抜き」化の程度が異なると思われること。

[cir3 ] 北陸から中部にかけての地域及び北海道など、従来「ら抜き言葉」を多く使う地域があるといった地域差の問題を考慮する必要があること。また、近年は東京語自体も様々な地域の言葉の流入によって変化しており、「ら抜き言葉」の方がリズムやスピード感があってよいとする声もあること。

イ いわゆる「若者言葉」

若い世代特有の言葉、いわゆる「若者言葉」は、新鮮で好感の持てるものもあるが、好ましくないものも多い。それらの多くは次々に現れては消えるものであり、仲間内で使われる分には特に問題はないと思われるが、仲間以外の相手や改まった場面で、適切な言葉遣いが無理なくできるよう、学校・家庭・地域社会等の言語環境を整備し、指導していくことが望ましい。

ウ 慣用的な表現や語法のゆれ

これらのことについては、次のような具体例が話題になった。

[cir1 ] 慣用句の意味・用法のゆれ(「気がおけない」を「信用できない」の意味で使うなど)

[cir2 ] 副詞の意味・用法のゆれ(「やおら」を「素早く」の意味で使うなど)。

[cir3 ] 五段活用動詞+使役の助動詞「せる」「させる」のゆれ(「行かせる/行かさせる」など)

[cir4 ] 形容詞の連用修飾のゆれ(「すごく速い/すごい速い」など)

[cir5 ] 形容動詞型の連用形の語形のゆれ(「きれいでない/きれくない」「~みたいに/~みたく」など)

[cir6 ] 連濁の有無のゆれ(「サンガイ/サンカイ(三階)」など)

[cir7 ] 並列表現の後の助詞を省略する傾向(「~たり~たり」「~なり~なり」「~とか~とか」などの後の「たり」「なり」「とか」を略すなど)

[cir8 ] 数字の読み方におけるイチニ系・ヒトフタ系のゆれ(「イチダンラク/ヒトダンラク(一段落)」「ミヘヤ/サンヘヤ(三部屋)」など)

[cir9 ] 「助動詞「ない」+すぎる」と「助動詞「ない」+さ+すぎる」のゆれ(「読まなすぎる/読まなさすぎる」など)

[cir10 ] 「形容詞語幹+め」と「形容詞終止・連体形+め」のゆれ(「熱め/熱いめ」など)

[cir11 ] 格助詞の使用のゆれ(「二〇〇メートル走る/二〇〇メートルを走る」「一週間が経った/一週間が経った」など)

[cir12 ] 動作性の名詞の動詞化(「段取りをする→段取る」など)

[cir13 ] 動作性のない語のサ変動詞化(「主婦する」「家族する」など)

[cir14 ] 「~べき」「~のでは」による文終止の増加

[cir15 ] 助数詞の使い分けが行われない傾向(「一歳上」を「一個上」など)

[cir1 ]~[cir5 ]について、国語審議会は安易に認める姿勢を取るべきではないと思われる。一人一人が言葉遣いについて関心を高め、できるだけ本来の意味・用法等を辞書などで確認する習慣を持つことが必要であろう。

[cir6 ]~[cir14 ]については、その適否の判断は個人の語感によるところが大きく、中でも[cir12 ]、[cir13 ]等は日本語の造語力の一端との見方もあって、どの程度まで認めていくかの判断が難しい。

[cir15 ]の助数詞の使い方については、現代の日本語として使い分ける語を整理して示すことが必要であろう。

エ 外来語・外国語・和製英語・省略語

外来語・外国語の使用は、避けられない場合もあろうが、新奇な片仮名言葉や和製英語、省略語(「アポ」「トラブる」など)は、安易に使わないようにすべきであろう。

特に、官公庁等においては、その公的、公共的性格から、新奇な片仮名言葉等の使用を避け、平明で的確な言葉遣いに努めるべきであろう。

(二) 発音・アクセントの問題

ア アクセントのゆれ・平板化

近年、主として東京語アクセントにおける平板化の傾向が見られ、アクセントにゆれのある語が増加している。東京語アクセントは共通語アクセントの基本とされるが、この傾向についてどのように考えるべきかを検討することが必要であろう。

一般にアクセントは地域によって違いがあり、国が全国民を対象とする規範の類を示すのは行き過ぎであろう。ただし、放送等ではその影響の大きさに配慮して、共通語アクセントを用いることが望ましいと思われる。

イ ガ行鼻濁音

最近、東京をはじめ従来ガ行鼻濁音を有した地域の多くで、若い人を中心にこの音を使用しない傾向が見られる。これは日本語の音韻の変化であり、また、ガ行鼻濁音がもともと存在しない地域もあることから、これを全国民に要求することは難しい。

放送関係では従来どおりガ行音とガ行鼻濁音の使い分けの指導を行うなど、保存に対する努力が見られる。

ウ サ行子音の発音等

主として若い人の発音において、「シ」が「スイ」に、「チ」が「ツイ」に聞こえるということが、しばしば指摘される。

「シ」が「スイ」になることは、かつて「シエ」が「セ」になったことと同様、サ行の子音の統一という点で音韻変化の方向に合っているとする見方もあるが、一方には、若年層の口腔内の構造に関係があるとの説もある。また、サ行の直音と拗音の区別も不明瞭になっており、シャショウ、サショウ、シャチョウを正確に発音できない人も多いようである。

正確な発音は円滑なコミュニケーションを図る上で大切であり、音声言語について人々が関心を高めること、新聞・放送等の分野や、学校教育においても、一層このことに意を用いていくことが望まれる。

エ イントネーション

従来しばしば問題にされてきた、尻上がり・語尾伸ばしのイントネーションは、ひところと比べると減少しているようである。

近年、若い人に多く見られる、文中のある語の語尾を上げ、相手に尋ねるように間をあけるイントネーションについては、煩わしいと感ずる向きもあるが、個々人の音声表現の問題であり、相手や場面によることであって、一概に否定できるものではない。

[Roman2 ] 情報化への対応に関すること

一 基本的な認識

近年の情報化はコンピュータと通信技術の進展に伴って推進され、今日では、情報ネットワークを通じて世界的な規模での情報の交換が、マルチメディア化された情報媒体を通して行えるようになってきている。

こうした結果、時間的・空間的な制約が著しく緩和されただけでなく、情報ネットワークを通じた新しい形のコミュニティーが数多く形成されつつある。このようなネットワーク上で展開される情報を的確に把握するためには、音声言語、文字言語の両面に通じた高度な言語能力が必要とされるが、このことの重要性は社会における情報化の進展を考えるとき、十分に認識されるべきである。

情報化社会への対応に当たっては、既に情報活用能力の養成ということが言われて久しいが、高度情報化の進展する今日、情報そのものの受信・発信能力の育成について、言語能力との関連から検討してみる必要があろう。さらに、国際的に広がっている情報ネットワーク上で、日本語を使用言語とする情報交換をどのように実現していくかといった国際化と密接にかかわる問題や、情報ネットワークの急速な普及が、日本語にどのような影響を与えていくかといった問題も生じており、早急な対応が不可欠となろう。

また、情報機器の発達と普及は、言語生活にかつてなかったような新生面を開きつつある。中でも、ワードプロセッサ(以下、ワープロという。)、パーソナルコンピュータ(以下、パソコンという。)の使用は今や日常化しており、その普及は文書の作成・加工や保存・再生の簡便化をもたらすなど、言語生活に大きな影響を与え続けている。

コンピュータへの言語の入力を音声で行ういわゆる音声入力、機械による自動翻訳、文字の自動読み取り等の技術も、今後種々の改善が加えられる余地はあるものの既に実用段階にあると考えられる。文字印刷の分野においても、従来の活字による組版は活字によらないコンピュータを駆使する組版方式に取って代わられている。これらの技術の発達により、日常の言語生活にも様々な利便がもたらされるものの、反面、言葉が規制されたり画一化されたりする傾向の生じてくることも考えられる。

情報化という概念で包括される分野は極めて広範囲にわたり、かつ、多様な情報機器をも含み得るが、今回は前記の基本認識を踏まえて、国語施策と密接にかかわる範囲を中心に、基本的な考え方や施策の方向性を提示する。

二 情報機器の発達とこれからの国語施策の在り方

(一) 情報機器の発達と国語の能力

ワープロ等の情報機器が急速に普及したのは近年のことであり、こうした機器が人々の国語の能力(書記能力、文章表現力、思考力等)にどのような影響を与えるかについては今のところ未知の部分が多い。

総務庁の「九四年全国消費実態調査報告」によれば、ワープロの家庭における普及率は四三・七%、パソコンは一六・六%となっており、ワープロの普及率は五年前に比較して二倍近くに増加している。また、文化庁が平成七年に行った世論調査では、ワープロやパソコンを使って文書を作成したことが「ある」人は三九・九%、「ない」人は六〇・一%となっているが、男性の二〇代、三〇代、女性の一〇代(一六~一九歳)、二〇代では、いずれも「ある」人が六割を超えており、今後ますますワープロやパソコンの使用が一般化することになると思われる。

ワープロを用いて文書の作成を行う場合、熟練者は自分流の表記スタイルを変えることなく書けるが、初心者はワープロに左右されることが多い。すなわち、送り仮名をどう送るか、漢字を使うか平仮名を使うかなどは、ワープロで最初に変換されたものをそのまま用いる傾向の強いことが指摘されている。このことはワープロと国語の能力との関連という意味で無視できない事実である。特に、書記能力・表現力の十分に確立していない子供たちは大きな影響を受けることになろう。

そこで情報機器の使用がもたらす影響については、社会人と子供たちとを分けて考えていく必要があろう。具体的には、社会人の場合は表現力・思考力が一応完成しており、その自分の思考内容を機器を用いて表現するにとどまるが、子供たちの場合には表現力・思考力の形成過程にあり、その過程に機器がどのような影響を与えるのか、という国語の能力の形成にかかわる本質的な問題が存在する。

現在、ワープロ等の情報機器が言語生活にどのような影響を与えるかについての調査・研究は極めて少ないのが実情であるが、前記の認識を踏まえて、言語生活に資するような調査・研究が積極的に行われるよう提言したい。なお、こうした機器は、今後一層、文字情報だけでなく音声や映像をも一体的に取り扱うことが可能になっていくと考えられるので、この点への配慮も必要となろう。

平成七年の文化庁の世論調査で、ワープロやパソコンを使って文書を作成した経験から、どのような感想を持ったかを聞いたところ、「漢字の書き方を忘れることが多くなった(三八・五%)」、「漢字の知識が増えた(三三・八%)」、また、文書作成の速さについては「速く作れるようになった(二二・一%)」と「時間がかかるようになった(一八・四%)」のように分かれている。

こうした調査結果からも明らかなように、同じ機器を用いながらもプラス、マイナス両面の影響が指摘されており、機器をどう利用していくか、機器の機能にどう習熟していくかの問題が大きいことを示唆している。マイナス面を最小限に抑えつつ、プラス面を最大限に引き出せるような情報機器の使用法が、科学的な研究に基づいて早急に確立されることが望まれる。しかし、総じて言えば、ワープロ等の情報機器は文章作成の上で、極めて利点の多いものと位置付けられるものである。

学校教育の中でも、指導の仕方によっては「漢字に対する意識が高まり、同音異義語などをよく覚える」「仮名漢字変換を行う過程で仮名遣いや漢字の読みなどの確認ができるので、運用面での確実性が増す」「加除訂正が簡単であるので、その繰り返しの作業(推敲)を通して文章表現力を高めることができる」などのプラス面が認められる。ただし、「情報機器の機能の理解が不十分なため、思考の流れが妨げられる場合もある」「手書きを一層重視し、書写能力の低下をくい止める必要がある」などマイナス面も、同時に、あることは認識しておく必要があろう。

また、情報機器に関連して、使用者の使用目的の多様化に伴い、それぞれの用途に応じた様々なソフト(縦書き用と横書き用の書体が使い分けられるものなど)の研究・開発が望まれる。さらに、最近の機種は多様な機能が開発され操作が複雑化する傾向にあるが、それよりも、基礎的な仮名漢字変換や表示装置に使われている文字(特に横書きに適した書体の開発など)等の面での進歩が期待される。このことは、使用する人間の書記能力、文章表現力、思考力等に及ぼす影響という意味からも大切な視点となろう。

(二) 交ぜ書きの問題

「補てん」「ばん回」「伴りょ」のように、漢語の一部を仮名書きにするいわゆる交ぜ書きは、文脈によっては読み取りにくかったり、語の意味を把握しにくくさせたりすることもある。これは、情報化の問題というより表記の問題として位置付けられるものであるが、ワープロ等の仮名漢字変換により漢字が簡単に打ち出される現在、情報機器の広範な普及という観点からも、検討されるべきであろう。

ア 交ぜ書きの現状

交ぜ書きは、戦後、「当用漢字表」(昭和二一年)が定められたことに伴い、表外字を含む漢語を書き表す一つの便法として行われてきたものである。

その後、「当用漢字表」に代わって「常用漢字表」(昭和五六年)が定められたが、これは字種の幅を広げるとともに「当用漢字表」の制限的な性格を改めて漢字使用の「目安」としたものであり、また、各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではないことも明記されている。

「常用漢字表」のこのような趣旨により、公用文等においては専門用語その他必要に応じて表外字を使用することが一般に多くなっており、その際、読みにくいと思われるような場合は振り仮名を用いる等の配慮がなされている。法令については、「法令用語改正要領」(昭和二九年内閣法制局、昭和五六年一部改正)において「常用漢字表にない漢字を用いた専門用語等であって、他にいいかえることばがなく、しかもかなで書くと理解することができないと認められるようなものについては、その漢字をそのまま用いてこれにふりがなをつける。」としている。

日常的に交ぜ書きが最も目に触れやすいのは新聞であるが、その新聞においても、現在の紙面に見える交ぜ書きは主として社内原稿(報道記事)に属するもので、社外からの寄稿については括弧内に読み仮名を添えたり、振り仮名を用いたりして元の漢字を残すことが多くなっていると見受けられる。

また、新聞各社とも表外字のうち「亀、舷、痕、挫、哨、狙」の六字を使用することにしており、社によっては更に「冤、腫、腎、拉」等を使用することとしているが、このような措置によって「き裂」「左げん」のような交ぜ書きは解消している。

一般の雑誌や書籍においては、交ぜ書きを見ることは少ない。

教科書においては、漢語の一部に未習字を含む場合に交ぜ書きが現れる。現行の教科書では、未習字に振り仮名を用いて、交ぜ書きを避ける配慮も見られる。

イ 交ぜ書きに対する考え方

交ぜ書きも一概に否定することはないが、交ぜ書きによって、読み取りが困難になったり、語の意味が把握しにくくなったりする場合には、言換えなどの工夫や必要に応じて振り仮名を用いて漢字で書くなどの配慮をする必要があろう。ただ、振り仮名を安易に使用することが、難しい漢字を多用する傾向につながっていくのは好ましくないと考えるべきであろう。

付 表外字を含む漢語については、現在、交ぜ書きのほかにも左記のような書換えや言換えの方法が行われている。

・同音の漢字で書き換える

臆測→憶測  蒐集→収集  抜萃→抜粋

・全体を仮名書きにする

斡旋→あっせん  石鹸→せっけん  澱粉→でんぷん

・別の語に言い換える

隠蔽→隠す  狭隘→狭い  湧出→わき出る

三 ワープロ等における漢字の字体の問題

(一) 混乱の現状

ワープロ等に使われている漢字は、次のような日本工業規格(以下、JISという。)に準拠している。

[cir1 ] 情報交換用漢字符号(JIS X 0208―1990)

〔漢字数〕 六三五五字

(第一水準二九六五字、第二水準三三九〇字)

[cir2 ] 情報交換用漢字符号―補助漢字(JIS X 0212―1990)

〔漢字数〕 五八〇一字

[cir1 ]は昭和五三年(昭和五八年、平成二年改正)、[cir2 ]は平成二年に制定され、現在に至っている。ワープロ等に使われる漢字の字体についての混乱は、主として、[cir1 ]の第一水準内の漢字について生じている。すなわち、昭和五八年の改正において、鴎(←



)、祷(←



)、涜(←



)のような略字を広く採用し、括弧内の字体(いわゆる康煕字典体)を排除したことが混乱を招いたものである。

したがって、前記改正を全面的に採用している機種においては、表外字について「鴎」や「涜」のように辞書や教科書と異なる字体(略体)だけが搭載され、使用者からも疑問や苦情の声が出されている。

JIS漢字表は元来「文字概念とその符号を定めることを本旨とし、その他、字形設計などのことは範囲としない。」(JIS解説)という性格の規格であるにしても、辞書等と異なる字体が載せられていることは、今後とも説明に苦しむところの事態であると思われる。

また、改正前の規格による機種と改正後の規格による機種とが世間に並び行われている結果、各種の情報交換の場において、送り手の意図した字体が受け手に正確に伝わらない等の支障が起こり得るという状況もある。

(二) 字体の問題についての考え方

今回の課題は、「ワープロ等における漢字の字体の問題」の現状を明らかにし、その対応策について検討することであったが、その前提として、ワープロ等に搭載されているJISの第一水準、第二水準と「常用漢字表」とは全く性格が異なる漢字表であるという理解が必要であると考える。すなわち、固有名詞を対象とせず、また各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない「常用漢字表」の性格と、逆に、そこをも対象とした情報交換のために作られているJIS漢字表の性格との違いを、十分認識しておくべきである。

まず、JIS規格の昭和五八年改正に際して行われた字体の変更によって、現在、ワープロ等で発生している字体の混乱、具体的には「



」が出ないというような状況の改善を図るという問題を考える必要がある。このような状況は、固有名詞の表記において用いたい字体が使えないなどの不自由をもたらしているとも考えられ、なるべく早急に解決することが期待されているからである。そういう意味では、固有名詞などの表記の多様性に応じた各種の方法、例えば、既にJIS規格として出されている「補助漢字」をワープロ等に搭載することで、解決を図るということも一つの方法となろう。なお、この問題については、今後、更に論議を進め国語審議会としての考えをまとめることとしたい。

ただ、今回の課題の背景には、表外字全般の字体をどう考えるかという問題が存在しているのも事実であり、根本的な解決には表外字の字体そのものの検討が必要となろう。しかし、表外字については一切字体の変更を認めるべきではないという意見と、常用漢字に準じた整理を及ぼすべきであるという意見が、以前から深く対立しており、今回の一連の「字体に関するワーキンググループ」における聞き取り調査でも、この二つの意見が鋭く対立する形で出されていたのが実情である。

また、文化庁が平成七年に行った世論調査でも表外字の字体については、ワープロから「鴎」のような漢字(略体)が出てくることは構わないとする人が四二・〇%、ワープロからも「



」のような漢字(いわゆる康煕字典体)が出てくる方がよいとする人が四一・三%、という結果が出ていて、現時点で表外字の字体を扱うことの困難さを示している。

表外字の字体については、手書き文字や低画素数(画素(がそ)…コンピュータのディスプレイなどの画面を構成する最小単位の点。単位面積当たりの画素数が多いほど精密な表示ができる。)の文字のことは一応別のこととして、社会一般における印刷文字の安定すなわち異体字をこれ以上増やさないという観点から、伝統に基づく標準性、略字的なものの現在の普及度、機械や技術の進歩による将来性などを総合的に検討しながら考えていく必要があろう。そういう意味での一つの考え方として、現在の社会生活での慣行に基づき、康煕字典体を本則としつつ、略体については現行のJIS規格や新聞などで用いられているものに限って許容していくという方向も考えられる。今後、表外字全般の字体の問題に取り組むことについて更に論議を続けることとしたい。

(三) 表外字の字体の問題の現状

今回の課題の背景にある表外字全般の字体問題、すなわち「常用漢字表における表外字の字体の扱い」及び「各方面における表外字の字体の扱い」について、その現状を以下にまとめておく。

ア 「常用漢字表」審議過程での表外字の字体についての考え方

昭和五二年「新漢字表試案」の説明資料では、「新漢字表は目安であるから、表に掲げていない字でも、字体を考える必要がある。「へん」「にょう」等は、新漢字表の字体に準じて統一することができよう。「つくり」については、機械的に安易に統一することはつつしむべきである。今後、十分時間をかけて具体的に検討する必要がある。また、同一字種に対して二つ以上の字体が生まれるようなことは避けるべきである。」としていた。

これに対して、出版・印刷方面から、「へん」「にょう」等にとどまるものであっても表外字の字体の変更は大きな混乱を招くとして、慎重な取扱いが求められた。一方、新聞関係者からは、新聞として自主的に表外字の字体について検討することまで禁止するような表現にはしないでほしいという要望が出された。

その結果、昭和五四年の中間答申及び昭和五六年の答申「常用漢字表」の前文では左記のように書かれた。

「常用漢字表に掲げていない漢字の字体に対して、新たに、表内の漢字の字体に準じた整理を及ぼすかどうかの問題については、当面、特定の方向を示さず、各分野における慎重な検討にまつこととした。」

イ 人名漢字の字体

戸籍法施行規則(法務省令)の「人名用漢字別表」(二八四字)に掲げる漢字の中には「尭」「弥」「遥」等、五〇字程度の略体が含まれている。

ウ 新聞における表外字の字体

朝日新聞は昭和三〇年代から略体をかなり大幅に採用している。読売新聞・毎日新聞は、現在、「しめすへん」「しんにゅう」「食へん」に限って略体を採用している。

エ 書籍出版における表外字の字体

表外字は伝統的ないわゆる康煕字典体とする考えが、出版界では定着している。

オ 辞書における表外字の字体

辞書の親字として、表外字は康煕字典体、ただし人名漢字で略体となっているものはその字体、で示されている。表外字の略体については俗字、略字等として参考的に示すものもある。

カ 教科書における表外字の字体

「教科用図書検定基準」には「常用漢字以外の漢字の字体については、慣用を尊重すること。」とある。この趣旨は、原則として康煕字典体を用いるものとし、これ以外の字体を用いるときは、例えば人名漢字で既に示されているような、なるべく慣用の熟したものを取り上げるということである。

キ JIS漢字における表外字の字体

昭和五三年制定のJIS漢字は、昭和五八年の改正の際に第一水準内の表外字の字体を「鴎」「涜」「屡」等の略体の形で示した。これは、第二水準内の文字の一部にも及んでいる。この措置は、同年に制定された「ドットプリンタ用二四ドット字形」のJISにおいて、低画素数用の見やすい字形を用意するという見地から略字が多く採り入れられたので、それとの整合を図ったためであると説明されている。

JIS漢字は、その後、平成二年の改正を経て、現在、五年ごとの見直しのための調査研究が行われている。また、世界中の文字・記号約三万四、〇〇〇をコード化した「国際符号化文字集合」(ISO/IEC 10646―1:1993)は、平成七年一月一日付けでJIS化(JIS X 0221―1995)されたが、この中には、既存のJIS漢字がすべて収められている。

ク ワープロ等(プリンタを含む)における表外字の字体の現状

パソコン系のワープロソフトにおいては、JIS漢字は昭和五三年の規格に基本的によっているものが多いので、表外字の字体の問題(略体しか出てこないという問題)は必ずしも顕在化していない。

ワープロ専用機においては、昭和五八年の改正規格(及び二四ドットJIS)を全面的に採り入れているものもあり、部分的にしか採り入れていないものもあり、メーカーや機種・製造年代により対応が異なっている。

なお、平成二年制定のJIS「補助漢字」の中にはJIS第一水準内の略体「鴎」「涜」「屡」等二八字に対応する康煕字典体が収められているが、現在、この[補助漢字」を搭載しているワープロはない。

ケ 学術用語における表外字の字体

既刊及び近刊予定の学術用語集三一編の中には約三六〇字の表外字が掲げられているが、その中には「



(←濾)」など若干の略体が用いられている。日本医学会医学用語委員会編「医学用語辞典」(昭和五〇年)では「頚」「躯」「弯」「



」等、十数字の略体を「強制的ではないが」として取り上げている。

コ 情報検索における表外字の字体

文字情報のデータベース検索は、漢字に割り当てられたコードで検索する。データベースはJIS漢字コード(第一水準・第二水準)を基本に作成されるため、表外字の康煕字典体と略体の扱いはJISでの対応に依存し、康煕字典体だけがJISにある場合は康煕字典体で、略体だけがJISにある場合は略体で処理されることになる。康煕字典体と略体(その他異体字)と共にJISにある場合はデータベース上でそれらが混在し得るので、それらを併せて検索する操作が必要になる。なお、データ作成時の処理やコード変換等により様々な状況が生じ得る。

付戸籍事務の電算化に伴う漢字の取扱いについて

法務省では平成六年一月の民事行政審議会の答申を受けて、戸籍事務の電算化を実施するため戸籍法等の一部改正を行った(平成六年六月二九日公布)。これにより、法務大臣の指定する市区町村長は、戸籍事務を電子情報処理組織(コンピュータシステム)によって取り扱うことができることとされた。

なお、電算化に際して戸籍の氏名における誤字・俗字を解消するという当初の方針は、改正法案の国会提出及び審議の過程で変更され、「漢和辞典に登載されている字は、それが俗字等とされているものであっても、コンピュータ対応をする」こととされた。

漢和辞典にも登載されていない書き癖等による表記(誤字)については、正しい表記をもって入力する。その場合には、事前に本人に通知するものとする。この場合に本人から苦情があり、極力理解を得るよう努めても納得が得られない場合には、本人の申出により、現在の戸籍(紙の戸籍)をもってその人に係る戸籍とする取扱いをする。

改正法の施行日(平成六年一二月一日)に先立ち、平成六年一一月一六日付けで関係諸通達が出された。その中で、俗字等の取扱いについては、平成三年一月一日から行われている新戸籍編製の場合の許容俗字等一五五字のほかに、漢和辞典に俗字として登載されている文字等八六五字を新たに例示し、これらが氏又は名の文字として従前の戸籍に記載されている場合は、磁気ディスクをもって調製する戸籍にそのまま移記するものとしている。

[Roman3 ] 国際社会への対応に関すること

一 基本的な認識

(一) 国際化と言語の問題

日本社会における国際化の進展に伴って、諸外国との交流が広範な分野にわたって日常化し、様々な場面での異文化接触が多くの国民にとっても次第に一般的なものとなりつつある。このような社会の変化は、日本に限らず世界的な現象として共通するものである。

こうした広い範囲にわたる国際化の現象は、互いに異なる言語・文化を持つ者がいかに意思疎通を図るか、という問題を切実なものにしてきている。このことは優れて言語の問題であると言うことができよう。なぜならば、言語は、異なる言語・文化を持つ他者を、理解するための最も基本的な手掛かりとして位置付けられるからである。

互いに異なる言語を持つ者がコミュニケーションを図る場合、自分の言語を使用するか、相手の言語を使用するか、あるいは、そのどちらでもない別の言語を使用するか、の三つの形態を取り得るが、現実には英語のような一つの言語を選んで、効率的な異言語文化圏間における共通媒介語とすることが行われてきた。こうした考え方は、今後も有力なものとして存在し続けるものと思われる。

しかし一方で、国際社会にあっては、それぞれの言語・文化を尊重し、異なった言語・文化の持つ固有の知見や可能性を互いに認め合うことが、当然の前提として求められている。こうした前提に立つことは、国際社会の中で尊重されるべきルールとして、将来にわたって重視されるものと思われる。したがって、国際社会の中で多様な言語の使われることが真に活発な交流と相互理解の前提であるという認識に立つことが必要であろう。

前記のことは今日の国際化という現象が、効率化と多様化という相反する二つの側面を持ちつつ進展していることを示していると考えられよう。日本語及び日本文化を愛し、その伝統を尊重するという精神を大切にしつつ、この二側面のバランスを考えながら、国際化の問題に取り組んでいくことが議論の大前提となろう。

以上を踏まえて、「国際社会への対応に関すること」というテーマを検討するには、国語を日本語としてとらえ、日本語を中心としつつ他の言語をも視野に入れた、総合的な言語政策という観点から考えていく必要がある。

(二) 日本人の言語意識

日本人が一般に持っている言語観や日本語に対して抱いている感覚として、従来、次のような点が指摘されてきた。[cir1 ]言葉を用いるよりも心の通い合いを大切にし、言葉を用いての伝達をどちらかと言うと軽視しがちであった。[cir2 ]世界の緒言語の中で、欧米圏の言語(特に英語)に高い価値を置いてきた。[cir3 ]日本語は、非論理的で特殊な言語であるので外国人には習得が難しい。[cir4 ]話し言葉よりも書き言葉が大切である。

しかし、言語学の研究成果や国際化の進展に伴って、こうした言語観や日本語に対する感覚は、既に見直されるべき部分が生じていると言えよう。特に、以下のような観点から日本語について再認識することは大切なことと思われる。

日本語は、和語、漢語、外来語など語種が複数あり、表記法が複雑で敬語の使い方も難しい、などど言われるが、音素の数が少なく、音節構造も「子音+母音」を基調とした単純な形式で、文法規則も比較的例外が少ない。また、日本語のように「主語+目的語+動詞(実際は主語が省略されることが多い)」の語順を持つ言語の数は、世界の言語の中では英語などの「主語+動詞+目的語」の語順を持つものよりも、むしろ多いとされる。

なお、ユネスコの統計によれば、一九九〇年現在、日本語はその言語を第一言語とする人口で見ると、世界諸言語の中で第一〇位である。さらに、ある言語が使用されている地域の国民総生産(GNP)との関連から、その言語の影響力を測るという見方もあり、そうした視点では、日本語は世界の言語の中でも無視できない大きな存在となっている。

2 日本人の言語運用能力の在り方

日本人の言語運用能力について検討していくに当たって、昭和四七年の国語審議会建議「国語の教育の振興について」の中で述べられている、「(一)国語は、我々にとって人間活動の中枢をなすものであり、人間の自己形成と充実、社会の成立と向上、文化の創造と進展に欠くことのできないものである。(二)国語は、我々が祖先から受け継ぎ、更に子孫に伝えていく歴史的伝統的なものであり、国民の思想・文化の基盤をなすものである。(三)国語は、教育の全体を貫く基本をなすものである。」という国語についての三つの基本的認識を前提としたい。なお、ここでの検討対象である言語運用能力とは音声言語・文字言語を問わず、相手や目的・場面に応じて自らの意思を言語によって適切に表現・伝達し、かつ言語を通して相手の意思を的確に理解し得る能力のことであり、端的には、聞くこと、話すこと、読むこと、書くことのすべてにわたって総合的に運用する能力として位置付けられる。

日本人同士の会話の中では、自分の意見や考えを最後まで言わなくても相手がそれを受けてくれたり、文末の判断部分を相手にゆだねてしまったりすることも可能である。可能であるばかりか、むしろ、そういうやりとりの方が気持ちの通じ合ったより望ましい会話であるというような印象を持つことが多いのではないだろうか。ここには、言葉を用いるよりも心の通い合いを大切にしようとする日本人の言語観の一端が、現れているとも考えられよう。

日本人の言語運用能力は、当然のことながら日本の社会や文化に深く根ざした日本人の言語観や言語習慣に適合する形で形成されてきている。自分の考えなり意見なりを言葉を尽くして述べることの不得手である日本人が多いのは、この日本人の言語運用能力の特質と密接にかかわっていると考えられる。日本あるいは日本人が国際社会において期待される役割を十分に果たすためには、多くの日本人が国際社会において必要とされる言語運用能力を高めることが不可欠である。こうした能力そのものは日本語、外国語を問わず要求されるものであるが、外国語を習得し運用する能力も日本語で獲得した言語運用能力(国語の能力)が総じて基本となっていることを十分認識する必要がある。

国際社会及び今後の社会生活において必要とされる言語運用能力を高めるためには、以下の基本認識に基づき、学校教育、社会教育、家庭教育などを通じて、適切な方策が総合的に講ぜられなければならない。

[cir1 ] 外国語能力は一般にその人の母語能力と密接にかかわっているという事実を踏まえて、日本語能力そのものを高めること。

[cir2 ] 特に、その人の外国語能力を支えている日本語の言語運用能力が、日本的な言語習慣の上に成り立っていることを認識した上で、論理的思考力・表現力を養成すること。

[cir3 ] 日本語の特質や文化的な背景に留意しながら、日本語についての知識や意識を高めること。

[cir4 ] 日本語以外の言語の背後にある、言語習慣や思考方法を把握・理解するように努めること。

[cir5 ] 同一の文化的背景を持つ人が、すべて同一の反応をするというような画一的な考え方ではなく柔軟な姿勢を持つようにすること。

なお、関連諸科学とも連携を図りながら、日本人の言語運用能力を更に伸長するための、理論的・実証的な研究(日本語及び外国語がどのような過程で習得されるのかなど)が推進される必要がある。

三 日本語の国際的な広がりへの対応

世界に広がっている日本語学習者への支援、国内における日本語学習者への支援については、これを強化する必要がある。その場合、相手及び相手国の立場を尊重しつつ相互の交流を通して、互いに恩恵がもたらされるような在り方が強く望まれる。

(一) 日本語の国際的な広がりについての考え方

海外及び国内において日本語を学ぶ外国人の数は、その増加率に若干の変動があるものの引き続き増加している。統計的に把握された海外の日本語学習者だけでも一六二万人(一九九三年現在 国際交流基金調べ、一九八八年と比較して二倍強)、実際は数一〇〇万人にも達している。こうした傾向は今後とも続くと考えられ、学習の目的や内容なども多様化してきている。日本語の永い歴史においても、このような事態は初めてのことである。

「日本語の国際的な広がり」あるいは「日本語の国際化」と言われる現象は次のような側面を持つと考えられる。

[cir1 ] 世界における外国人の日本語学習者が急増し、何らかの形で日本語を活用している者も相当数に上るようになったこと。また、極めて限られた特定の地域や分野・場面ではあるが、日本語も国際語としての性格を認められる過程にあること。

[cir2 ] 日本語の中への外来語・外国語の流入や外来音の定着といった日本語の変化が確実に進行していること。

[cir3 ] 数は少ないが、日本語の語彙が諸外国の言語の中に流入しつつあり、その数が確実に増加する傾向にあること。

さらに、日本語が世界に広がることで、「日本人の考え方や習慣を含む様々な情報が諸外国に伝達しやすくなり、我が国の文化がより深く理解されるようになること」「諸外国の文化や情報を日本人も外国語を通すことなく、日本語によって受け入れることが可能になること」「既に日本語に翻訳され、蓄積された古今東西の多様な文化的所産を諸外国にも容易に提供できるようになること」などが期待され、我が国と諸外国との相互交流が一段と進展することが予想される。

また、日本語には日本に在住する外国人の生活語という役割も生じている。彼らが日本社会によりよく適応していくためには、日本語の習得が大切であり日本における共通のコミュニケーション言語は、基本的には日本語であるという認識を踏まえつつ、日本で生活している外国人の出身国が多様化し様々な言語が使われている現状にも十分な配慮が必要であろう。

(二) 日本語の国際的な広がりを支援するための方策

日本語の国際的な広がりを支援する上で重要な視点として、「日本語教育の推進」及び「海外における日本語使用の支援の問題」がある。

ア 日本語教育の推進

日本語教育は、日本語と他の言語との一種の文化接触という側面を持つ。したがって、日本語教育を通じて相手(学習者)との間に言語や文化の対照が行われ、相互の言語や文化を理解する姿勢が生まれることにもなる。このことの意義については、十分に認識されるべきである。また、国語教育、外国語教育との関連についても改めて考えていく必要があろう。

今後、次の点に重点を置いた日本語教育の施策を推進すべきである。

[cir1 ] 日本語教育関連機関相互の連携促進と長期的・総合的な施策の推進

海外及び国内の日本語教育に対する需要の増大と多様化に応じて日本語教育に関係する機関も多様なものとなっているので、相互の連携を一層推進し、長期的・総合的な視野に立った施策を推進すべきである。また、そのための連絡・調整を図る体制を確立すべきである。

[cir2 ] 日本語教育に対する国民の理解の促進

日本語教育は今や一部の専門家のものではなく、多くの国民が、日本語に対する知識や異文化に対する理解を持つことが求められている。そのため、適切な教材・資料の作成・普及を図るとともに、教育の場など様々な機会を活用し、日本語教育に対する国民の理解を促進する必要がある。また、専門的知識を持つ日本語教師の重要性について、社会一般の認識を深める必要がある。

[cir3 ] 地域における日本語教育の推進

地域社会における外国人の研修生・留学生、外国人労働者、外国人子女、外国人配偶者、帰国子女等の増加に対応するため、地域の特性に合った日本語教育を推進する必要性が高まっている。そのため、地方自治体、企業、学校、ボランティア団体等と日本語教育専門機関が連携を取り、地域で生活する外国人の日本語学習を総合的に支援する体制を整備していく必要がある。

[cir4 ] 日本語教育を推進するための支援ネットワークの構築

海外及び国内における急速な日本語教育の広がりと多様化に対応するために、日本語教育に関する様々な情報を収集整理してデータベース化し、それを共有するための支援ネットワークを構築する必要がある。そのためには、中核となる国立国語研究所日本語教育センターの拡充整備が急務である。

[cir5 ] 高度情報化に対応した日本語教育の推進

海外及び国内で日本語学習を希望する外国人に対して、より多くの機会を提供するため高度情報化に対応した日本語教育を推進していく必要がある。そのため、コンピュータを利用した教材(CAI)やビデオ教材等を開発し、それをコンピュータネットワーク、ケーブルテレビ、通信衛星等に乗せて活用できる体制を確立する必要がある。

[cir6 ] その他、指導内容や指導方法、教材等の研究開発、外国人のための日本語辞典(母語別)の作成の支援、優れた指導者の養成等を積極的に推進すべきである。

イ 海外における日本語使用の支援の問題

我が国がその国際的影響力に見合った役割と責任を的確に果たすためには言語の問題はゆるがせにできないことであり、国際機関や国際会議(二国間を含む)での会議用語の問題は重要である。英語等が異言語文化圏間の媒介語となっている現状を踏まえつつ、国際機関や国際会議での会議用語としての日本語の役割の増大について検討する必要がある。文化庁が平成七年に行った世論調査では、「日本語が国際機関や国際会議などの場でもっと使われるように主張すべきである」という意見について、「そう思う」が四二・〇%、「そうは思わない」が三〇・一%、「どちらとも言えない」が一九・二%、「分からない」が八・七%という結果が出ている。

日本語を国連の公用語(現在は英語、フランス語、ロシア語、中国語、スペイン語、アラビア語)に加えることを、我が国として積極的に主張していくべきかどうかについては、今後、各方面で十分議論されることが期待される。

また、国際会議だけではなく、海外においては、観光関係、新聞・出版物、放送など様々な分野で日本語が使われつつある。こうした海外における日本語使用の実態について把握しておくことが大切であり、そのための総合的な調査を早急に実施する必要がある。

四 その他

(一) 外来語の増加や日本語の中での外国語の過度の使用の問題

日本社会の国際化に伴って外来語・外国語の使用が増加している。平成七年の文化庁の世論調査では、今以上に外来語や外国語が増えることについて、「多少は増えてもよい」が四四・八%と最も高く、以下、「今以上には、増えない方がよい(三〇・四%)」、「いくら増えてもよい(一三・一%)」、「減る方がよい(六・六%)」、「分からない(五・〇%)」と続いている。外来語の増加に対しては、それほど抵抗を感じていない人が多く、特に若い世代には増加容認の割合が高いという結果が出ている。

しかし、次のような観点から、日本語の中での外来語・外国語の過度の使用については何らかの歯止めが必要であるとする声も上がっている。

[cir1 ] 同じような言葉が日本語にあるにもかかわらず、外来語・外国語を使うのは日本語の軽視につながり、日本語の伝統を崩すことになる。

[cir2 ] 外来語・外国語を使う傾向は特に若い世代に多く、こうした語の多用が世代間のコミュニケーションにとって障害になる可能性がある。

[cir3 ] 原語の意味から外れた誤った外来語使用やいわゆる和製英語の濫用は避けるべきである。日本語を乱すだけではなく、日本人の外国語学習にとっても障害となる。

国際化の進展や新技術の開発などに伴って、新しい概念やニュアンスの提示など、外来語・外国語を使用せざるを得ない面があり、また、既に外来語・外国語を用いた方がその日本語訳よりも分かりやすい場合もある。そうした場合は別として、一般的には、相手や目的に応じて十分な配慮の下に、その外来語や外国語を使用するか否かの判断がなされる必要があろう。外来語・外国語は基本的にその語に対する知識がないと伝達不能になることが多い。そういう意味で、広く国民一般を対象にしている官公庁、新聞・放送等では、簡単に日本語に言い換えられる外来語・外国語や耳慣れない外来語・外国語などは安易に使わないようにすべきである。どうしても使わざるを得ない場合は注釈を付けて使うなどの配慮が必要であろう。

(二) 姓名のローマ字表記の問題

姓名を表記する場合、その国の伝統的習慣として日本のように姓を先にするのは、中国、韓国、ハンガリー等である。これらのうち、中国や韓国では、ローマ字表記する場合にも姓を先にすることが多く、また、日本においても最近は姓を先にする人や組織が出てきている。

姓名をローマ字表記する場合、姓と名のどちらを先にするか、という問題については、今後、各方面で十分議論されることが必要である。以下に、この問題についての論点をまとめておく。

ア これまでのような名を先にする習慣を是とする意見

[cir1 ] 特に、現在大きな問題がないのに、今までの習慣を変更することは無用の混乱を生じさせるだけではないか。それが心配である。

[cir2 ] 日本人が自分の姓名をローマ字で表記するのは、欧米圏の言語で姓名を書き表しているわけであり、そうだとすれば当然のこととしてその言語の習慣に合わせるべきである。

[cir3 ] こうした習慣は、相手の立場を尊重し相手の習慣に合わせていこうとする日本人的な思いやりの発想に基づくもので、伝統的な日本的行動様式として、これからも守っていくべきである。

イ これまでの習慣を見直すべきであるという意見

[cir1 ] 姓名というのは、その人の人格と深く結び付いており、それをひっくり返すということは自らの文化的アイデンティティーを否定することになる。むしろ、国際社会の中では自らの文化的アイデンティティーをきちんと主張していくべきである。

[cir2 ] 中国や韓国などは、姓を先にする自分たちの文化的な習慣を国際社会の中でもおおむね貫いているのだから、日本も無理に欧米圏に合わせる必要はない。

[cir3 ] 欧米的な習慣を持たない国々との交流も考えていくならば、欧米圏偏重の習慣は考え直すべきではないか。

なお、今期の国語審議会の論議においては、「姓―名」の順が望ましいという意見が多かった。

第二〇期国語審議会委員名簿

任期 平成五、一一、二二~平成七、一一、二一

※印は臨時委員


 

浅野 修

日本新聞協会専務理事

 

石井 英夫

産業経済新聞社論説委員・コラムニスト

 

石綿 敏雄

前日本女子大学教授

 

今泉 恂之介

日本経済新聞社編集委員兼論説委員

 

江藤 淳

慶應義塾大学教授・日本文芸家協会理事長

 

大森 政輔

内閣法制次長

 

沖野 剛

時事通信社解説委員長

副会長

沖原 豊

元広島大学長

 

押上 武文

前東京都世田谷区立八幡小学校長

 

片倉 もとこ

中央大学教授

 

加藤 秀俊

放送教育開発センター所長

 

神谷 不二

東洋英和女学院大学教授

 

菅野 謙

大正大学教授

 

北原 保雄

筑波大学教授

 

小池 民男

朝日新聞社論説委員

 

幸田 弘子

女優

 

輿水 優

東京外国語大学教授

 

斎賀 秀夫

大妻女子大学教授

 

阪田 雪子

杏林大学客員教授

会長

坂本 朝一

日本放送協会名誉顧問

 

杉本 苑子

作家

 

諏訪 正人

毎日新聞社論説顧問

 

谷口 隆

教育出版社長・教科書協会会長

 

俵 万智

歌人

 

寺島 アキ子

脚本家

 

中西 進

帝塚山学院大学教授

 

中村 和夫

元日本放送協会専務理事

 

永井 梓

読売新聞社論説副委員長

 

長尾 真

京都大学教授

 

西尾 珪子

国際日本語普及協会理事長

 

西田 實

日本民間放送連盟専務理事

第一委員会主査

野元 菊雄

神戸松蔭女子学院大学教授

 

林 巨樹

帝京大学教授

 

林 雄一郎

共同通信社常務理事兼編集局長

 

福岡 悟郎

共同印刷社長・元日本印刷産業連合会長

 

福原 義春

資生堂社長

第二委員会主査

水谷 修

国立国語研究所長

 

三次 衛

富士通顧問

 

森山 晴美

前東京都立三田高等学校長

 

山川 静夫

エッセイスト

 

山口 仲美

実践女子大学教授

 

山崎 誠也

前東京都板橋区立板橋第一中学校長

 

吉村 信亮

中日新聞社取締役論説担当

 

渡邊 隆男※

二玄社社長・日本書籍出版協会理事長

 

渡辺 富美雄

東京家政学院大学教授

 

市川 惇信

国立環境研究所長

 

(平成六・三・二九まで)

 

服部 敏幸※

講談社会長・日本書籍出版協会理事長

 

(平成六・五・二六まで)

 

松澤 經人

日本民間放送連盟専務理事

 

(平成六・五・二五まで)

 

村松 剛

筑波大学名誉教授

 

(平成六・五・一七まで)