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二 地方教育財政

 昭和三十年代、四十年代は、我が国の経済の高度成長期に当たり、地方教育財政も地方財政の中で、安定した地位を占めることとなり、また教育諸条件も各種国庫補助金の実施で整備・充実が進められた。

 四十八年、五十三年の二度にわたる石油危機を経て、我が国経済は、高度成長から安定成長へと移行していったが、国の財政も五十年度から多額の特例国債の発行が行われ、歳入における国債への依存度が高まり、国債発行残高が累積する一方で、高齢化社会への対応などの諸課題に直面するなど、我が国財政を取り巻く環境は極めて厳しいものとなってきた。

 これらの状況を背景にして、地方財政における教育費は次のような推移をたどっている。

 まず、都道府県の行政費に占める教育費の割合を見ると、四十年代にはおおむね二七%台を推移していた教育費は、五十年代には二九%台を推移し、六十年代になると低下傾向を示し、六十三年度には二七・一%となっている。また、市町村の行政費に占める教育費の割合を見ると、四十年代から五十年代前半まで二〇~二一%で推移してきた教育費は、五十年代後半から低下傾向を示し、六十三年度には一六・七%となっている。

 次に、公教育費総額の負担区分を国・都道府県・市町村の各財政主体別に見てみると、国の負担した教育費は、四十年代後半から五十年代前半まで四六~四七%の幅で推移してきたが、五十五年度以降漸減し、六十三年度で四二・○%となっている。

 一方、都道府県が負担した教育費は、四十年代、五十年代を通じて約三〇%で安定して推移し、六十年度以降漸増し、六十三年度で三三・七%となっている。又、市町村は四十年代後期から二四~二五%で安定した割合を占めてきている。

 このような地方教育財政の近年の推移は、第二次ベビーブーム出生者(四十六~四十九年生まれ)の影響や、人口の都市集中化等の我が国の人口動態の変化が重要な要因となっていると思われるが、もう一つの大きな要因は、国の財政事情の変化が挙げられる。

 我が国の公教育費の大きな部分を占める義務教育費国庫負担制度について見ると、四十七年児童手当法の制定に伴い、児童手当の支給に要する経費を国庫負担の対象とし、四十九年には、学校栄養職員を県費負担教職員とし、国庫負担の対象に含めることとなった。

 しかし、国の財政事情が一層の厳しさを増してくる中で、義務教育費国庫負担金についても見直しが行われ、六十年度には、「国の補助金等の整理合理化並びに臨時特例等に関する法律」により、教材費及び旅費については、地方交付税措置により財源確保を図ることとなった。なお、六十年度には、義務教育費国庫負担金以外にも、従来の定時制及び通信教育手当補助金及び特殊教育介助職員設置費補助金についても地方交付税により措置され、いわゆる一般財源化された。

 六十一年度には、恩給費及び共済費の追加費用について三年間の暫定措置として、国庫負担率を二分の一から三分の一へ引き下げた。翌六十二年度には、共済費の長期給付に係る経費の国庫負担率を二年間の暫定措置として二分の一から三分の一に引き下げた。平成元年度には、恩給費は国庫補助の対象から外し、地方財源によって措置することとされ、共済費の追加費用等の国庫負担率の暫定措置を二年度までの二年間延長するとともに、共済費長期給付については、負担率を二年度に復元することとし、元年度に負担率を八分の三とした。

 三年度には、共済費追加費用等については、国庫負担率の暫定措置(二分の一から三分の一)を継続することとしたが、四年度以降三年間で段階的に地方財源により財源の確保を図ることとなった。

 このように、義務教育費国庫負担制度については、その沿革、経緯、経費の性質等を考慮しつつ、見直しを行ってきたが、義務教育の機会均等とその水準の維持向上とを図るという制度の根幹は維持が図られている。

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-- 登録:平成21年以前 --