一 競技スポーツをめぐる状況

我が国スポーツの振興、普及

 我が国が高度成長を遂げていく中で、全国民的な支持協力の下に、東京オリンピック競技大会が昭和三十九年に開催され、次いで、四十七年に札幌冬季オリンピック競技大会が開催された。両大会の開催により、国際社会の中で我が国の存在が強くアピールされ、また、国際スポーツ界においても、我が国は大きな位置を占めることになった。国内でも両大会を契機として、スポーツ熱が高まり、競技人口が増加し、競技団体の組織整備が進み、各種の競技大会が盛んになった。

 このように、東京、札幌の両オリンピック競技大会は、一つのエポックを画するものであったが、その後、我が国で国際競技大会の開催が増加し、ユニバーシアード神戸大会が六十年に神戸市で、ユニバーシアード冬季大会が平成三年に札幌市で開催され、アジア競技大会の冬季大会の第一回が昭和六十一年に、第二回が平成二年に共に札幌市で開催された。今後は、第一二回アジア競技大会が六年に広島市で、ユニバーシアード福岡大会が七年に福岡市で、そして第一八回オリンピック冬季競技大会が十年に長野市で開催されることが決定しており、我が国スポーツの一層の発展のための絶好の機会として、各大会の成功が期待されている。

国際スポーツ界の動向

 国際社会の状況の変化に伴い、国際スポーツ界にも様々な変化が生じてきた。オリンピック競技大会は、スポーツを通じた世界平和、国際親善の推進を理想に掲げているが、ソ連のアフガニスタン侵攻に端を発した東西両陣営の対立を背景に、昭和五十五年のモスクワ大会には、アメリカを中心とする西側諸国が参加ボイコットを行って我が国も参加せず、五十九年のロサンゼルス大会には、逆にソ連を中心とする東側諸国が参加しなかった。スポーツの祭典も国際社会の動向に大きく左右されざるを得ないことが、如実に表れたと言うことができる。また、オリンピック競技大会の主催者である国際オリンピック委員会は、「ミスターアマチュア」と呼ばれたブランデージ第五代会長時代(四十七年まで)までは、スポーツのアマチュアリズムを徹底して擁護していたが、次のキラニン、現在のサマランチの両会長時代になると、オリンピック競技大会の開催運営に積極的に民間企業のスポンサーを導入し、さらに、プロスポーツ選手の大会参加を認めるようになってきており、大きな変化が起こっている。

我が国の競技水準

 我が国の国際競技力は、昭和三十九年の東京オリンピック競技大会、次のメキシコ大会での金メダル獲得数がアメリカ、ソ連に次ぐということで示されたように、諸外国から注目されるものであった。

 しかし、近年、各国が国を挙げて競技力向上に様々な取組を行う中で、我が国の競技力には相対的な低下が見られるようになった。端的な例として以前はアジア競技大会における我が国の成績は他国の追随を許さなかったが、近年は、中国に大きく差を付けられ、韓国にも及ばなくなっている。

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