一 共通第一次学力試験の導入

共通第一次学力試験

 大学入試の改善については、戦後、大学教育を受けるにふさわしい能力・適性等を有する者を合理的、客観的方法により選抜することを目指して、昭和二十年代の進学適性検査、三十年代後半から四十年代初頭にかけての能研テストの導入等が試みられたが、十分な活用が見られないなどの事情により廃止された。

 その後の入試では、ともすれば一回の学力検査に頼って合否を決定する傾向が見られ、また、各大学が独自に入試を行っていたこともあって、学力検査において、高等学校教育の程度や範囲を超えたいわゆる難問・奇問の出題が少なくなかったことから、高等学校教育への好ましくない影響が憂慮される状況にあった。

 このため、入試方法改善の検討を進めてきた国立大学協会における長年の調査研究や、文部省の大学入学者選抜方法改善会議の四十六年の報告に基づき、試行テストを行った上で、五十四年度の入学者選抜から、国公立大学において、共通第一次学力試験を取り入れた新しい選抜方法が実施された。

 この共通第一次学力試験は、国公立大学の入学志願者に対し、各大学が実施する試験に先立ち、全国同一期日に同一問題で行われる試験であり、これによって、高等学校の段階における一般的かつ基礎的な学習の達成程度を問う良質な問題を確保しつつ、各大学がそれぞれの大学、学部等の特性に応じて行う第二次試験との適切な組合せによって、受験生の能力・適性を多面的・総合的に評価しようとするものであって、一回の学力試験に偏った従来の方法を改め、きめ細かで、丁寧な入試の実現を目指したものであった。

 また、この試験を実施するため、五十二年五月の国立学校設置法の一部改正により、共通第一次学力試験の試験問題の作成、答案の採点などを一括して処理すること等を目的とした国の機関として大学入試センターが設置され、共通第一次学力試験は、各国公立大学が大学入試センターと協力して、共同で実施するものとされた。

 共通第一次学力試験は、すべての国公立大学が参加して、五十四年度から平成元年度まで実施され、志願者は、第一回目の昭和五十四年度入試では約三四万人であったが、その後、十八歳人口の増加等を背景に漸次増加し、平成元年度には約四〇万人となった。また、昭和五十七年度からは、私立の産業医科大学もこの試験に参加した。

 この共通第一次学力試験については様々な評価が行われているが、その本来の目的に関しては、難問・奇問を排した良質な出題により、高等学校教育の基礎的な到達度を判定することが可能になるとともに、この試験を利用する各大学が個別に実施する第二次試験について、学力検査の教科数が平均五教科から平均二教科程度に削減され、学力検査以外の面接、小論文の実施や推薦入学、帰国子女・社会人等の特別選抜の導入が増加するなど、選抜方法の多様化が図られた。

 しかし、その反面、共通第一次学力試験が、高等学校教育の実情等を考慮して、一律に五教科利用を原則としたこと等により、共通第一次学力試験の成績による大学の序列化やいわゆる輪切りによる進路指導の問題が顕在化したこと、国公立大学のみの入試改革にとどまったこと、各大学の第二次試験の改善が必ずしも十分でなく、受験生にとって過重な負担となったこと等の批判があった。

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