二 医学・歯学教育等の展開

無医大県解消計画の推進と入学定員の削減

 新制大学発足後、公立大学(医学部)の一部について国立への移管は行われたが、医学部の新設はなされてこなかった。昭和三十年代の後半から、医療需要の増大や医師の地域的偏在などによる全国的な医師不足の問題が生じ、四十年代に至り、六十年までに人口一〇万人当たり医師数を一五〇人程度確保することが提唱され、既設学部の入学定員増とともに、四十五年には国立秋田大学に医学部が新設され、以降、私立を中心に相次いで新設が行われた。さらに、過疎地域における深刻な医師不足を改善するための方策の一つとして、医学部の存在しない県を解消する方向での整備が提唱されるようになった。

 このような状況の中で、四十六年十二月の文部省の医科大学設置調査会報告において、医科大学が存在しない地域への国立医科大学(医学部)の設置が提言され、さらに、四十八年二月、政府の経済計画として閣議決定された経済社会基本計画に、無医大県の解消が盛り込まれた。

 このいわゆる無医大県解消計画を踏まえ、四十八年から五十四年までに一六の国立医科大学(医学部)が新設されたが、これらのうちの多くは、医学・医療の進展に柔軟に対応する上で、講座編成の弾力化、六年間一貫の教育、地域医療の中核としての活動等を容易にするため、単科の医科大学として設置され、その際、大学運営の上でも副学長制や参与を導入するなど新構想大学としての性格をも持つものとされた。また、これらの国立新設医科大学(医学部)においては、教育研究に必要な施設として、大学附属病院の整備が行われるとともに、地域の総合病院を関連病院として、大学と連携して学生の臨床実習の一部を行うことが制度化された。

 一方、歯学部についても、人口一〇万人当たり歯科医師数を五〇人程度確保することが提唱され、四十五年度以降の私立の新設等に続き、五十一年から五十四年までに四国立大学歯学部が新設された。

 なお、私立大学に対する国による経常費補助は医・歯学部を含め四十五年度に開始されたが、公立の医・歯学部についても、無医大県解消計画の一翼を担うものとして、その教育研究水準の維持向上に資するため、四十八年度から国による経常費補助が開始された。

 以上の結果、医・歯学部の新設が始まる前の四十四年度の入学定員が医学部四、〇四〇人、歯学部一、二六〇人であったものが、五十六年度には医学部八、二六〇人、歯学部三、三六〇人となり、人口一〇万人当たりの医師数の当面の目標は五十八年までに、歯科医師数についても五十五年までには達成された。しかしながら、五十九年より、厚生省において医師・歯科医師需給についての再検討が開始されたのと時期を同じくして、文部省においては、広く社会一般から医師・歯科医師の養成に大きな期待が寄せられるとともに、今後の医学教育・歯学教育の在り方について改善すべき多くの課題が生じていることにかんがみ、医学・歯学教育改善に関する調査研究協力者会議を発足させ、その審議の中で学生数の在り方についても検討が加えられた。その結果、この協力者会議から、六十二年九月、学生の臨床実習等教育条件の改善の観点及び医師・歯科医師需給の観点を総合し、平成七年に新たに医師となる者を一〇%程度、また歯科医師となる者を二〇%程度抑制することを目標として、国公私立を通じ入学者数の削減、入学定員の厳守等の措置を講ずべきであるとの提言を得た。この提言等に沿いながら、六十年度以降、入学定員や募集人員の削減が行われ、平成三年度までの削減数は、医学部六〇五人(削減率七・三%)、歯学部六五八人(同一九・五%)となっている。

医学・歯学教育の改善

 医学・歯学に係る設置基準については、専門教育科目の教員数や設備等についてそれまで大学設置基準上明文で規定されず、大学設置審議会の内規等が事実上基準として適用されていたが、医学・歯学教育の特性を踏まえた上で、その水準の向上及び基準の弾力化を図る観点から、昭和五十年七月に大学設置審議会としての建議が行われた。この建議で示された内容に従い、同年十二月大学設置基準の改正等が行われ、医学・歯学教育の基準が整備された。

 このように整備された基準の下で、医・歯学部の量的拡充を中心とした整備も一層進められることになったが、それも一段落し、医学・医療を取り巻く環境の大きな変化を踏まえた、医学・歯学教育の質的充実が強く求められるようになり、五十九年十二月、医学・歯学教育の改善に関する調査研究協力者会議が設けられ、六十二年九月、最終まとめが取りまとめられた。この最終まとめでは、近年の医学・医療の急速な発達に伴い、広く社会一般から、医師・歯科医師の養成に大きな期待が寄せられていることを踏まえ、カリキュラムや教育体制の改善等医学・歯学教育の当面する諸課題及び改善のための諸方策について提言を行った。

 また、医学・歯学教育は、それまで六年の修業年限を二年の進学課程と四年の専門課程に区分することとされていたが、四十八年九月の学校教育法の改正により、これらを区分しない六年間一貫教育も採り得るように制度が弾力化された。さらに、平成三年二月の大学審議会答申を踏まえた同年四月の学校教育法改正により、六年間を通じた各授業科目の有機的な連携をより一層促進する観点から、両課程の区分に関する法令上の規定が廃止された。

看護婦等医療技術者の養成

 看護婦、臨床検査技師、診療放射線技師等医療技術者については、各資格法令により、制度上、大学、短期大学、専修学校、各種学校等多様な種別の学校において養成することとなっており、従来は専修学校、各種学校での養成が中心であったが、医療需要の増大に伴いこれらの職種に対する需要が急増し、また、近年の医学・医療の急速な進歩発展に対応する上で幅広い知識と高度の技術を有する人材が必要とされるようになったことから、これらの職種を養成する医療系の短期大学の整備が進んだ。

 国立については、既設の医学部附属専修学校等の改組転換等により、昭和四十二年から平成三年までに二三の医療技術短期大学部が設置され、その一部には理学療法士、作業療法士養成の学科の新設も行われた。また公私立についても整備が進み、看護系の短期大学について見ると、昭和四十六年に国公私計一四校であったものが平成三年には六一校にまで増加している。なお、これら養成学科について、私立への経常費補助のほか、地域の要請に応じて公立の看護系学科についても整備を進め、昭和五十年度から国による経常費補助が開始された。

 以上のような短期大学レベルの整備による対応のほか、医療技術系の教育、研究において指導的役割を果たすことのできる人材の養成を図ることも重視されるようになり、それまでにも看護系大学の設置例はあったが、五十年には国立について医療技術系単独の学部として千葉大学に看護学部が新設され、その後も国私立を通じた四年制大学レベルにおける設置が行われており、平成三年現在、看護系大学数は一一校となっている。

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