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一 放送大学の創設

放送大学の構想

 新たにテレビのUHF及びラジオのFMの電波が実用化時代に入ったことに対応して、社会教育審議会は、昭和四十二年十一月、教育分野における放送利用を一層促進する観点から「映像放送及びFM放送による教育専門放送のあり方について」の審議を開始し、四十四年三月答申を行った。この答申においては、教育の機会拡大と放送利用の必要性、教育専門放送の充実等が提案されており、米国の大学における放送利用や英国における「公開大学」(オープン・ユニバーシティ)の開設計画に触れながら、大学教育への放送の活用についての期待が述べられていた。

 社会教育審議会の答申は、直接に放送大学の構想を打ち出したものではなかったが、その後、英国のオープン・ユニバーシティの構想が具体化してきたことなどから、広く社会人などに大学教育の機会を提供するとともに、放送を利用することによる既存の大学の教育内容・方法の改善に資することを期待して、放送を主たる教育手段とする独立の大学、すなわち放送大学の構想の機運が盛り上がってきた。

 政府として放送大学の検討を開始したのは、四十四年十月の閣議において、文部・郵政両大臣が、放送大学の検討を始めることについて報告を行ってからである。その後、文部省ばかりでなく、郵政省、自由民主党等にも放送大学について検討するための各種の会議が設けられ、放送大学構想の調査研究が進められた。五十年十二月には、文部省の「放送大学創設準備に関する調査研究会議」が従来の調査研究の成果の上に、「放送大学の基本計画に関する報告」を取りまとめたが、その後実際に進められた放送大学構想は、この報告書を基礎とするものである。

 放送大学構想は、当時としては、厳しい財政状況の中での大きなプロジェクトであり、また放送局の設置主体をめぐっても、紆(う)余曲折があった。五十三年に、国立大学の共同利用機関として放送教育開発センターが設置され、放送大学の実験番組を制作・放送し、学生を募り、予備的な調査を始めた。また、特殊法人の新設が抑制されたことから、日本学校安全会と日本学校給食会を発展的に統合して日本学校健康会の設立に踏み切るなどの経緯を経て、五十四年度予算において、放送大学の創設についての政府方針が決定された。

放送大学の創設

 放送大学の設置主体は、我が国においては国は自ら放送を行わないことを建前としているため、特殊法人によることとした。特殊法人放送大学学園を設立するための「放送大学学園法案」は、昭和五十四年に国会に提出されたが、五十六年六月の第九四国会において成立するまで、国会における法案審議は一三三時間と文教関係法案では最長の審議時間を要することになる。この理由は、放送法の改正が附則に盛り込まれていることから逓信委員会との調整に時間を要したほか、二度に及ぶ衆議院の解散により成立が遅れたことなどのためである。

 法律の成立により、放送大学学園は五十六年七月に発足した。放送大学は、必要な準備を整えて、教養学部を置く大学として五十八年四月、千葉市に設置され、六十年度から学生を受け入れ、電波割当ての制約から、主として南関東地域を対象に、UHFとFMによる授業番組の放送を開始した。

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