第八節 体育・学校保健・学校給食

学校体育の充実

 昭和二十八年十一月、学習指導要領一般編(二十六年版)に基づいた小学校学習指導要領体育科編(試案)が編成された。三十一年一月、高等学校学習指導要領保健体育科編によって、高等学校の保健体育科の内容が、また同年三月、「中学校保健体育科のうち保健の学習の目標及び内容について」の通達により中学校の保健の目標・内容が改められた。三十三年からの学習指導要領の全面改訂では、小学校・中学校及び高等学校の体育及び保健体育の目標・内容の一貫性が図られ、小・中学校では、初めて学年別に内容が明示された。また、小学校第五、第六学年の内容に保健の知識が加えられた。さらに、四十三年からの学習指導要領の全面改訂の際、総則に「体育」の項が設けられ、望ましい人間形成の上から調和と統一のある教育課程の実現を目指して、学校の教育活動全体を通じて体育に関する指導の充実を図る必要が強調された。

 次に、学校における体育館・水泳プール等の体育施設はこの時期に著しく整備された。特に水泳プールは三十六年から国の積極的助成に伴い急速に整備が促進された。

 二十四年、大学に正課体育が取り入れられたが、三十一年に授業科目の名称が「一般体育科目」から「保健体育科目」に改められた。

 児童生徒の対外競技の基準は、時代の推移に伴い、数次の改訂が行われた。特にオリンピック東京大会以後、学校以外の地域のスポーツ活動が活発になり、また、児童生徒の健康や体力の向上等に対応して、四十四年七月、児童生徒の参加する競技会を「学校教育活動としての対外競技」と「学校教育活動以外の運動競技会」とに分け、前者については、ほぼ従前どおりの基準とし、後者については、国は一般的留意事項を定め、これに基づいて、関係者が協議の上、具体的基準を設けて運営実施するように基準を改正した。

学校保健法の制定と学校保健の充実

 昭和三十三年四月、学校における保健管理制度全般にわたる基本的事項を定めた「学校保健法」が制定された。この法律においては、まず、第一章で学校保健計画と学校環境衛生について規定し、第二章以下では、健康診断と健康相談、伝染病の予防、学校保健技師並びに学校医など専門職員の設置などの具体的事項を規定している。

 学校の環境衛生については、学校薬剤師を二十九年から学校(大学を除く)に置くことができることになり、三十六年にはこれが必置制となった。また、三十九年六月、保健体育審議会から学校環境衛生の基準が答申された。

 さらに、へき地学校の保健管理の改善・充実を図るため、へき地学校児童生徒の健康診断、健康相談等に必要な経費や保健関係施設・設備整備のための経費についての国の助成が行われた。

 学校管理下における児童生徒の災害補償については、制度としては確立されないままになっていたが、三十四年十二月「日本学校安全会法」が制定された。これによって義務教育諸学校等における学校管理下の児童生徒等の災害(負傷・疾病・障害又は死亡)に関して必要な災害共済給付を行うとともに学校安全の普及・充実と学校教育の円滑な実施に資することを目的として、翌年三月特殊法人日本学校安全会が設立され、国、学校の設置者及び保護者がそれぞれ経費を負担することにより、学校管理下における災害に対する新しい災害共済給付制度が確立されるに至った。

 また、道路上の交通事故死者の三分の一が小・中学生や幼児である実情から、文部省は交通事故防止対策について指導を重ね、手引の作成等必要な措置を行った。

学校給食の振興

 昭和二十九年六月「学校給食法」が制定され、児童の心身の健全な発達と国民の食生活の改善に寄与する学校給食に明確な法的根拠が与えられた。三十一年三月同法の一部改正によって、学校給食は小学校から義務教育諸学校全域に拡大された。さらに、同年六月「夜間課程を置く高等学校における学校給食に関する法律」が、翌年五月「盲学校、聾学校及び養護学校の幼稚部及び高等部における学校給食に関する法律」がそれぞれ制定され、更にその範囲の拡大が図られた。なお、学校給食法の一部改正によって準要保護児童生徒の給食費補助の規定も設けられた。その後、国の栄養・食糧政策との関連において、学校給食制度の在り方を調査・審議した「学校給食制度調査会」は、三十六年八月の答申で、小学校は五年、中学校は十年の年次計画で学校給食の完全実施を図るべきであるとした。

 学校給食の指導については、三十三年に改訂された小・中学校の学習指導要領において、学校給食は初めて学校行事等の領域に含められ、教育課程における位置付けが明らかにされた。さらに、四十三年及び四十四年に改訂された小・中学校学習指導要領においては、学校給食は特別活動の中の「学級指導」の内容の一つとなり、食事の正しい在り方の体得、好ましい人間関係の育成などによって心身の健全な発達に資する指導方針が明示された。

 また「学校給食基準」及び「夜間学校給食基準」により食物の栄養内容、施設・設備等の具体的基準が定められ、時代の進展に伴い、これらの基準も数次にわたって改正され改善・充実が図られた。

 また、学校給食用物質の需給体制について見ると、三十年八月「日本学校給食会法」が制定され、学校給食用物質の適正・円滑な供給と学校給食の普及・充実の事業を行う特殊法人日本学校給食会が設立され、主として脱脂粉乳の需給業務を中心に運営されてきたが、四十六年度からは小麦粉の業務も行うようになった。

社会体育の振興

 我が国の体育スポーツの振興を図るため、昭和三十六年六月、「スポーツ振興法」が制定された。この法律は、社会体育のみならず学校体育をも包括するものであるが、国民の心身の健全な発達と明るく豊かな国民生活の形成に寄与することを目的とし、国及び地方公共団体の任務としてスポーツ振興の施策を実施しなければならないことを明確化した意義は極めて大きい。この法律を根拠として体育施設の整備や指導者の充実等が一層推進されるようになった。

 第三回アジア競技大会開催を機会に、国は旧明治神宮外苑競技場跡に国立競技場を建設したが、これを効率的に運営するため、三十三年三月「国立競技場法」を制定し、これに基づいて同年四月特殊法人国立競技場を設立した。さらに、オリンピック東京大会の女子選手村跡を青少年の宿泊研修施設として運営し、青少年の心身の健全な発達を図る目的で、四十年四月「オリンピック記念青少年総合センター法」を制定し、これに基づいて特殊法人オリンピック記念青少年総合センターを設立し、翌年から業務を開始した。

 なお、国民の一人一人が自己の体力・運動能力の現状を知り、それに基づいた適切な運動処方ができるようにするため、三十八年スポーツテスト、四十年小学校スポーツテスト、四十二年壮年体力テストを保健体育審議会の議を経て制定し、その普及・奨励に努めた。

 二十九年の第九回大会で全国九地区を一巡した国民体育大会は、三十年二月制定された「国民体育大会開催基準要項」によって、第一〇回大会から新たに全国を六地区に分け、地方持ち回りで開催されることになった。三十六年公布の「スポーツ振興法」には国民体育大会の性格、これに対する国の援助等の規定が明示され、三十七年三月改訂の「国民体育大会開催基準要項」では、全国を三地区に分け、三十八年から西・東・中の順に開催するように改められた。

オリンピックと国際交流

 オリンピック東京大会、札幌オリンピック冬季大会をはじめ、スポーツの国際交流が活発に行われ、スポーツの普及振興とスポーツを通じての国際親善と国際理解に大きな寄与をした。

 オリンピック東京大会は、昭和三十九年十月、国立競技場を主会場として開催された。この大会を契機に我が国の競技技術水準は飛躍的に向上し、スポーツの科学的研究も世界的水準に達した。また、四十一年この大会を記念して、十月十日が国民の祝日「体育の日」に制定された。

 札幌オリンピック冬季大会は、昭和四十七年二月札幌市を中心に開催された。また、三十三年には第三回アジア競技大会、四十二年にはユニバーシアード競技大会が国立競技場を中心に開催された。国外で開催された国際競技会への参加も、年々その数を増し、競技力の向上とスポーツを通じた国際親善・国際理解が進むこととなった。

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