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第五節 産業教育

科学技術の振興と産業教育

 科学技術の革新を基盤とする経済の高度成長とあいまって、産業構造の高度化や雇用構造の根本的な変革が予想され、また生産性向上の基盤となる科学技術の著しい進歩の趨(すう)勢とあいまって、大量の科学技術者の養成とともに一般に人的能力の向上が急務として認識されるに至り、政府においてもこのような情勢に対処すべく種々の施策を講じた。

 中央教育審議会では、昭和三十二年十一月、「科学技術教育の振興方策について」答申を行った。また、三十五年十一月の国民所得倍増計画においては、倍増計画期間(三十五年~四十五年)内においておよそ一七万人の科学技術者の不足が見込まれるので、理工学系大学の定員について早急に具体的な増加計画を確立すべきであると述べていた。三十五年十月、科学技術会議も内閣総理大臣に対する答申において同様の指摘を行った。

 文部省ではこれらの情勢を踏まえて、理工学系学生の増募計画を逐次立案し、実行に移した。また、このような著しい社会の進展に適切に対処するため、三十七年度から高等専門学校を創設した。

高等学校職業教育課程の充実と多様化

 高等学校の工業教育については、昭和三十年前後からの科学技術の振興、三十年の経済自立五か年計画、三十五年の国民所得倍増計画などに基づき、中堅産業人養成の観点から拡充され、特に、機械・電気・工業・化学・建築・土木等の学科の新・増設が国の財政的援助を伴って積極的に進められた。

 農業教育については、農業近代化を目指した三十六年の「農業基本法」の制定を契機として、新たに実験・実習に必要な施設・設備が充実された。さらに三十九年度からは、農業自営者の養成・確保のため、自営者養成農業高等学校拡充整備補助金が支出された。また水産教育については、技術革新の観点から大型実習船などの建造費及び「共同実習所」の施設・設備について補助金が支出された。

 中央教育審議会は、四十一年十月「後期中等教育の拡充整備について」答申し、その中で、生徒の適性・能力・進路に対応するとともに、職種の専門的分化と新しい分野の人材需要とに即応するよう教育内容の多様化を図ることの必要を述べた。これに基づき、理科教育及び産業教育審議会は、四十二年の八月と十月、四十三年の十一月と三次にわたって「高等学校における職業教育等の多様化について」答申した。

 職業教育の多様化のための一七の新しい学科及び理数科が新たに登場し、これらの学科は、地域社会の必要に応じて逐次設置されていった。その後、更に情報技術科や情報処理科が設けられた。またこれより先三十九年度から、準看護婦養成のための衛生看護科が設けられるなど、約二五〇種類もの様々な学科が設置を見た。

高等教育機関における産業教育

 昭和三十二年の新長期経済計画に関連して、同年度から理工学系学生八、〇〇〇人の増募計画が実施され、三十五年度までにその計画目標数をほぼ達成した。次いで前述のように、三十五年の国民所得倍増計画において、倍増計画期間内におよそ一七万人の科学技術者が不足することが見込まれるに及び、文部省では、三十六年度を初年度とする理工学系学生一万六、〇〇〇人の増募計画を立て、七年計画で達成することとしたが、更に早急に増員を図るため、計画に修正を加え、第一期増募計画として三十六年度から三十九年度までの四年間に二万人の増募を行うこととした。この計画は更に一年短縮され、三年間で完遂された。一方、戦後の急激な出生増により、大学入学志願者は、四十三年度をピークに増大することが予測され、その大学志願者急増対策の一環として、特に理工学系を重点に学生の増募、学部・学科の新設等が逐年実施された。

 また、新時代の要請にこたえ、工業技術者養成のための高等教育機関として三十七年度から発足した高等専門学校はその後も逐年、新設・学科増等が行われた。四十二年六月には、商船高等専門学校が創設され、従来の国立商船高等学校五校が昇格した。次いで、四十六年四月には、電波通信学科を置く工業高等専門学校が設置され、従来の国立電波高等学校三校が昇格した。

 高等専門学校は、中学校卒業後五年(商船高等専門学校は五年六か月)間に、一般教育を効果的に実施するとともに、充実した専門教育を行うこととし、学年制を採るものとした。教育課程は、五年間を通じて一貫した教育を行うという特色を生かすことにより、一般教育については、高等学校及び大学に見られるような一般科目の内容の重複を避けて効率的な履修を可能にする一方、技術者として必要な教養識見を持たせることに重点を置くこととした。また、専門科目については、その内容を特に充実し、高度の知識技術を修得させるとともに、専門教育を通じても人格形成を目指すことを目途とした。

各種学校における産業教育

 各種学校は、明治の初期から様々な分野において教育の普及と発展に貢献してきたが、戦後は主として職業、家政その他実際生活に必要な知識・技術を習得させることを目的とする実用的・専門的な教育機関として、社会の要請にこたえて大きな役割を果たすようになった。また戦後の各種学校は中学校又は高等学校卒業後の青年のための教育機関としても重要な地位を占めていた。

 教育内容について見ると第二次、第三次産業と密接な関連を持って職業に必要な知識・技術を教授する課程が、我が国産業の発展を反映して戦後急激に増加するなど、各種学校は産業教育においても重要な地位を占めるに至り、その社会的意義が広く認識されるに伴い、各種学校教育の振興を積極的に図るべきであるとする意見が次第に強くなり、制度改善の必要性が関係者から要望されるようになった。

 他方、このような状況を反映して、一部の都道府県においては融資、助成等の措置が講じられるようになり、国においても三十九年以降工業系・医療系等の一定の課程を有する各種学校について、私立学校振興会(現在は日本私学振興財団)による融資の道を開いた。

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