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第四節 教員及び教員養成

新しい教員養成制度と教育職員免許法

 終戦直後の学校教育は、学校施設や教材の欠乏だけでなく、教員の不足や無資格教員の増大という難問に直面していた。教員は、当時の制度下の有資格教員のほか、高年齢の退職教員の再採用によっても賄えず、教員免許状を所有しない中等学校卒業者等を助教として多数採用した。

 昭和二十二年十一月の教育刷新委員会の建議の趣旨に基づき、我が国の教員養成は、今後は大学教育により行うものとし、特に教員養成を主とする大学・学部のほか、国・公・私立のいずれの大学においてもできることとする「開放制」が採用された。

 新しい大学における教員養成の課程の編成に当たっては、まず教員の資格制度を定めることが必要であった。そこで「教育職員免許法」が二十四年五月に公布され、九月から施行された。

 この法律の主な内容は、1)大学以外の学校の校長、教員及び教育委員会の教育長、指導主事は、すべて免許法により授与された各相当の免許状が必要なこと、2)免許状の種類は普通・仮免・臨時の三種とし、普通免許状は一級及び二級とすることなどであった。

新しい教員養成機関

 文部省においては、国立大学設置十一原則に基づいて、各都道府県に置かれる国立大学には、必ず学芸学部又は教育学部を置き、単科の場合には学芸大学とする方針が採られ、従前の師範学校及び青年師範学校がその母体とされた。昭和二十四年五月国立学校設置法により、教員養成を主とする学芸大学、学芸学部、教育学部が設けられた。また、義務教育年限の延長に伴う教員需要の急増に対処して、教員資格取得の臨時的年限短縮のため、これらの大学・学部に二年修了の教員養成課程も設けられた。

 小・中学校の教員については、主として国立の教員養成大学・学部において計画養成が行われることとなり、その入学定員は各都道府県の教員需給関係を考慮して設定した。高等学校教員については、一般の大学・学部にその学科の専攻に即した教科についての教員の免許状を取得させる課程を設けその卒業者を充てるとした。

教員の現職教育

 終戦後直ちに文部省は教育の転換に即した教員の現職教育に着手した。

 教員の再教育にとって注目すべきものは教育指導者講習(IFEL)であった。これは、昭和二十三年教育委員会の設置に伴い、教育長・指導主事の養成及び教員養成諸学校の教職課程担当教員の現職教育を目的として開催された全国的な講習である。開設当初は「教育長等講習」と呼ばれ、CIEの賛助を得て文部省主催の下に開催地の各大学と協力して実施された。二十五年度からは「教育指導者講習」と改められ、さらに、二十六年度からは大学に委託して実施することとし、文部省には各開設大学間の連絡調整のための連絡室をおいてその処理に当たった。

 また、教育職員免許法の施行に伴い、免許法施行当時教職にあった高等学校以下の校長及び教員約五九万人に対し継続的、組織的に資質の向上と資格の上級化のための現職教育が行われることになり、二十五年度から三十三年度まで実施された。

教員の身分・処遇と団体活動

 昭和二十一年四月、「公立学校官制」が制定され、公立学校の教職員の身分は官立学校の教職員同様純然たる官吏とされた。しかし、戦後、教育行政の民主化・地方分権化に伴い、地方公共団体の行う教育は当該団体の事務とする考え方に変わり、これとともに、公立学校教職員の身分、取扱いも画期的に改革されることとなった。二十二年、教育刷新委員会は「教員身分法案」の立案を建議した。その後、既に進行していた全般的な公務員制度の改革との関連から、この建議の方針を変更し、教育職員の職務と責任の特殊性にかんがみ、国立学校の教員にあっては既に制定されていた国家公務員法の特例措置として、公立学校の教員にあっては制定が予定されていた地方公務員法の特例措置として「特例法」によって措置する構想に切り替えられた。政府は「教育公務員の任免等に関する法律案」を二十三年国会に提出したが、その後修正を加え名称も「教育公務員特例法案」と改めて国会に提出し、同法は二十四年一月公布された。

 二十三年三月「政府職員の俸給等に関する法律」が施行され、勤労の対価としての俸給の概念を作り出すこととなったが、その際教員はその勤務の特殊性から、一応一週四八時間以上勤務するものとして一般公務員より有利に切り替えられた。同年五月、「政府職員の新給与実施に関する法律」が制定され、職務級別俸給表による給与制度に移行した。この切替えに当たり、教員については調整号俸として一定の基礎号俸の上に一~二号俸(盲・聾(ろう)学校にあっては二~四号俸)の号俸を積み上げる方式がとられた。これは教員の勤務時間は単純に測定することは困難であり、内容的に密度が高いものであると認めた措置であった。したがって、このときから超過勤務手当は支給しないこととされた。公立学校の教員は、教育公務員特例法の施行以降地方公務員となったが、その給与については、「国立学校の教育公務員の例による」とする暫定措置がとられたので、実態においては前述の措置がそのまま適用された。また、公立義務教育諸学校教員の給与は、市町村立学校職員給与負担法により都道府県が負担し、その半額は国庫が負担することとなった。

 また、二十四年二月文部省告示により教員の勤務時間については、教育の特殊性にかんがみ、学校長がその割り振りを定めることができることとし、また、文部次官通達により原則として超過勤務は命じないこととした。

 終戦後における教員の団体は、研究会等の職能団体と教職員組合のような労働団体(職員団体)に二大別することができる。前者は、新教育制度の実施によって教員がそれぞれの分野と職能によって結合し、新しい教育上の問題について研究協議する組織である。後者は、戦後の混乱した社会・経済生活の中において教員の生活を守るために結成されたものであり、多くの職員団体を結集した全国的組織として二十二年六月に約五五万人を擁する「日本教職員組合(日教組)」が結成されるに至った。

 教員の福利厚生に関しては、二十三年七月施行の「国家公務員共済組合法」により、従前の共済組合は統合され、各職域ごとに再組織されて、文部省共済組合と公立学校共済組合となった。私立学校の教員については私立中等学校恩給財団により、国・公立学校教員の恩給に準じ退職給付を行う措置が講じられてきたが、共済制度による充実、拡大が懸案となっていた。

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