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第七節 社会教育

通俗教育から社会教育へ

 臨時教育会議の答申を受けて文部省は、大正十年六月普通学務局の主管事項中の「通俗教育」を「社会教育」と改称し、十三年十二月普通学務局に社会教育課を設置し、社会教育行政の展開を期した。翌十四年十二月には地方社会教育職員制を公布し府県に専任社会教育主事と専任社会教育主事補とを配置し、中央・地方を通じて社会教育行政機構の拡充を図った。昭和三年十月従前内務省も関与していた青少年団体に関する事務がすべて文部省の所管となったこともあって、四年七月文部省に社会教育局が新設され、強力に社会教育施策を展開することとした。

 文部省は、大正十五年図書認定規程、昭和五年図書推薦規程を定めて読み物指導に当たり、さらに新しいメディアについても大正九年優良映画推薦制、十二年活動写真「フィルム」幻燈映画及蓄音機「レコード」認定規程を制定し、健全なものを奨励して社会教育に資せしめようとした。

 成人に対してはまず、直轄学校の施設や教員を利用して公開講演会・成人教育講座などを開催し、昭和五年以降は婦人もその対象に組み入れ「母ノ講座」・家庭教育講座などが開設された。七年以後直轄学校のほか道府県・市などの諸機関にも委嘱して広く公民教育講座や農村講座・漁村講座・労務者講座などを開設した。

青少年教育の振興

 明治三十年代以降農村における農業補習学校が広範に普及して、実業補習学校制度が多くの農村青年にとって重要な教育の場となってきた。ところが、文政審議会の議を経て大正十五年四月、小学校修了後業務に従事する青少年大衆に対して軍事訓練の施設を設ける方策として、青年訓練所令及び青年訓練所規程が公布され、青年訓練所が発足することになった。青年訓練所は、ほぼ十六歳から二十歳までの男子に四年間にわたって修身及公民科・教練・普通学科・職業科から成る教授及び訓練を授ける施設で、その設置主体は市町村及び私人とした。修了者には徴兵の際在営年限の半年短縮が認められた。

 この青年訓練所と既存の実業補習学校とは同じ青年層を対象にしていたので、発足の当初から設置に当たる市町村当局者にかなりの当惑と困難とをもたらすことになった。全国の実業補習学校と青年訓練所とは、学校数・生徒数ともにほぼ同数であり、青年訓練所生徒のうち約半数は実業補習学校にも在籍していた。そこで、文部省は陸軍省と協議を重ね、文政審議会の議を経て、この両者を一本化することとし、昭和十年四月青年学校令を公布した。

 青年学校は、勤労青少年を対象とする教育機関として地域の状況に適応した構成をなし得るように配慮された。設置主体は道府県・市町村・市町村学校組合・商工会議所などの公共団体・私人とし、その編制は、尋常小学校卒業程度を入学資格とし修業年限二年の普通科、高等小学校卒業程度又は普通科修了者を入学させ修業年限は男子五年・女子三年の本科、本科修了程度の者を入学させ修業年限一年以上の研究科、及び特別の事項を習得させる専修科などとした。教授及び訓練科目は、普通科で修身及公民科・普通学科・職業科・体操科とし、女子には家事及び裁縫を加えた。本科では修身及公民科・普通学科・職業科・教練科とし、女子には教練科を省いて家事及裁縫科並びに体操科を授けるとした。同時に青年学校教員養成所を設置し、中等学校卒業程度を入学資格とする二~三年の課程をもって青年学校の教員を養成することとした。

 青少年団体は、この時期全国的な組織化が進められた。まず大正十三年十月大日本連合青年団が結成され、昭和二年四月には大日本連合女子青年団も結成された。三年からこれらの青年団体はすべて文部一省の所管に属することになり、内務行政から離れて、文部省社会教育行政の中に加えられた。少年団については、国際的なボーイ・スカウトの組織に倣って十一年四月少年団日本連盟が結成され、その後少年赤十字、海洋少年団など数多くの少年団体が組織されてきたので、昭和九年それらの連絡組織として帝国少年団協会が結成された。

戦時下の社会教育

 日中戦争の全面化とともに昭和十二年八月政府は、従来の教化総動員を更に強化して国民精神総動員を決定し、挙国一致・尽忠報国・堅忍持久のスローガンの下戦争に向けての国民生活の全面的組織化を推進した。十七年五月文部省は戦時家庭教育指導要綱を発表し、翌十八年高等女学校・国民学校などに母親学級の開設を奨励した。また、都道府県における図書館の普及を目指して中央図書館制による系統化を進める一方、日本図書館協会を中心として青少年への読書会の組織が奨励された。民心に深い影響力を与える新メディアとしての映画に関して、十四年四月映画法が公布され、それは全面的に政府の統制下に置かれることになった。

 男子青年に対する教育と訓練を強化するために、文部省は陸軍省と密接に連絡しつつ、青年学校教育の義務制化を計画し教育審議会の答申を得て十四年四月青年学校令を改正し、同年度から普通科男子第一学年より逐年実施することにした。十六年国民学校八年の義務制化が決定されたから、ここに近い将来男子にとっては満六歳から満十九歳に至るまでの十三年間に及ぶ義務就学制が実施されることになったのだが、戦局の激化により国民学校の八年義務制の実施が延期され、青年学校においても動員の強化により教育の事実上の空白が生ずることになり、完全な義務制の効果を見ることはできなかった。しかしこの義務制の施行により、青年学校教育は急速に普及した。

 戦時下の全体主義的動向の下、社会教育関係団体の全国的な統合が急速に進められた。文部省は、青年団・女子青年団・少年団等の関係者と協議の上、十六年一月これらの諸団体を一本化して大日本青少年団を結成させた。これは、文部大臣の統括の下地方長官を道府県青少年団長、青年学校長・小学校(国民学校)長をそれぞれ単位団長とし、団員は年齢二十歳までとした。それは、様々な戦時訓練と奉仕活動を実践したが、戦局の激化とともに学徒動員が恒常化される中では学校単位の学徒隊組織の方が有効であると判断され、二十年五月戦時教育令の公布により大日本青少年団は解散された。婦人組織は従来、文部省所管の大日本連合婦人会、内務省と厚生省の所管する愛国婦人会、及び陸海軍の指導する大日本国防婦人会の三連合体があり、構成員や活動に重複が見られたばかりでなく相互の対立抗争すら生じることがあった。そこで新体制運動の一環として政府の主導によりこれら三団体の合同を軸とした全国婦人団体の単一連合体化が進められ、十七年二月大日本婦人会が発足した。これは、青少年団や壮年団と同じく大政翼賛会の傘下に組み入れられ、家庭生活の統制や銃後の諸活動の展開に努めたのであった。学校卒業後の独身女性を工場・事業場に動員した女子挺(てい)身隊の組織化は、この婦人会の協力なくしては不可能であった。さらに、十八年十二月の閣議決定に基づき教化団体の統合による国民教化の徹底化を目指して、二十年一月文部大臣を会長とする大日本教化報国会が結成された。これには、当時の有力な二八の社会教育・教化団体が会員となったが、戦争末期の混乱の中で十分な活動を展開する余地は既になかった。

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