学習指導要領 一般編‐試案‐(抄)(昭和二十六年七月一日)

もくじ

まえがき

序論

1 学習指導要領の目的

2 学習指導要領の使い方

3 この書の内容

 1 教育の目標
  1 教育の目標を定める原理
  2 教育の一般目標
  3 小学校・中学校・高等学校の目標
  4 教科の目標

 2 教育課程
  1 小学校の教科と時間配当
  2 中学校の教科と時間配当
  3 高等学校の教科と時間配当および単位数
  4 各教科の発展的系統
  (1)国語科
  (2)社会科
  (3)算数、数学科
  (4)理科
  (5)音楽科
  (6)図画工作科
  (7)体育、保健体育科
  (8)家庭ならびに職業に関する教科
  (9)外国語(英語)

 3 学校における教育課程の構成
  1 教育課程とは何を意味しているか
  2 教育課程はどのように構成すべきであるか
  (1)目標の設定
  (2)児童・生徒の学習経験の構成
  3 年間計画と週計画
  (1)年間計画のたて方
  (2)月次計画と週計画のたて方
  (3)小学校・中学校・高等学校の年間計画および週計画

 4 教育課程の評価
  1 教育課程の評価はなぜ必要か
  2 教育課程の評価は誰が行なうか
  3 評価の着眼点

 5 学習指導法と学習成果の評価
  1 教育課程と学習指導法
  2 学習の指導を効果的に行うには、どんな問題を研究すべきであるか
  3 学習成果の評価まえがき(略)

序論(略)

1 教育の目標(略)

2 教育課程

 われわれは、前の章において、教育の一般目標について述べ、この目標に到達するに必要な教科の種類や教科以外の活動・特別教育活動について簡単に触れた。

 もちろん、どのような教科を設けるのが適切であるかということについては、歴史的にも、種々な変遷があったし、現在もいろいろな言論が行われている。われわれは、現在の社会の目的や生徒の経験の発展についての心理学的研究や、学習の難易の程度などの点から考えて、さきにあげたような教科が、現在のところ一応適当ではないかと考えているのである。

 ともかく、教育の一般目標に達するためには多面的な内容をもった指導が必要であり、この内容をその性質によって分類し、いくつかのまとまりをつくったものが教科であるといえる。だから、各教科は、それぞれの内容や学習活動を通じて、教育の一般目標を達成するために、責任を分ち合っているものである。

 しかし、教育の実際にとりかかろうとすると、これらの教科をただ児童や生徒にあてがいさえすればよいと考えることはできない。われわれは、児童や生徒の現実の生活やその発達を考えて、どの学年からどの教科を課するのが適当であるかを定めねばならない。そしてまた同一の教科であっても、その内容をどんなふうに学年を追って課するのが適当であるかという考慮も必要になる。また教科以外の教育的に有効な活動、あるいは特別教育活動も、児童や生徒の発達を考えて適切な選択が行われるようにしなければならない。このように児童や生徒がどの学年でどのような教科の学習や教科以外の活動に従事するのが適当であるかを定め、その教科や教科以外の活動の内容や種類を学年的に配当づけたものを教育課程といっている。

 教育課程は、現在の社会目的に照して、児童や生徒をその可能の最大限にまで発達させるために、児童や生徒に提供せられる環境であり、また手段であるから、社会の変化や文化の発展につれて変るべきものである。このことは、また同時に、教育課程は、児童や生徒の必要に適合するために変るともいい換えることもできる。だから厳密に考えていけば、教育課程は、その地域の社会の生活の特性により、その地域における児童や生徒の特性によって、それぞれ異なるといえるものである。教育がその地域の社会に適切なものとなるには、どうしてもそうならなくてはならないはずである。だから、教育課程は、それぞれの学校で、その地域の社会生活に即して教育の目標を考え、その地域の児童や生徒の生活を考えて、これを定めるべきであるといえる。

 しかし、そうはいっても、わが国の各地域で、教育の目標がさして異なるということもないし、また児童や生徒の生活やその発達過程も全々異なるともいえないから、わが国の教育として一応各学校が参考とすべき教育課程を示唆することはできる。ことに、どういう教科を課するかということについては、教育の骨組をなすものとして、その基準を示す必要がある。学校は、このような教育の大きな骨組を参考とし、基準として、自分の学校のある地域や、その地域の児童や生徒の生活を考えて指導計画をつくるならば、学校の計画を適切なものとすることが容易である。

 このような意味において文部省では教育課程について調査審議する委員会を設け、この委員会の研究に基いて、小学校・中学校・高等学校別に、指導されるべき教科の種類とその指導のために必要と考えられる一年間の総指導時数および特別教育活動の時間の例を、一から三までに述べるようにつくり、学校の参考に資することにした。

1 小学校の教科と時間配当

 教育についての考え方の進歩とともに、小学校の教科の取扱い方やそれについての考え方は以前と異なっている。さらに地域社会の必要やこどもの必要を考えて、教育課程をつくるべきであるという原則からいえば、各教科に全国一律の一定した動かしがたい時間を定めることは困難である。したがって下記の教科の表においては、教科を四つの大きな経験領域、すなわち、主として学習の技能を発達させるに必要な教科(国語・算数)、主として社会や自然についての問題解決の経験を発展させる教科(社会科・理科)、主として創造的表現活動を発達させる教科(音楽・図画工作・家庭)、主として健康の保持増進を助ける教科(体育科)に分ち、それぞれ四つの領域に対して、ほぼ適切と考えられる時間を全体の時間に対する比率をもって示した。この教科に対する時間配当表は、およその目安をつけるためにつくられたものであって、これを各学校が忠実に守ることを要求するものではない。これは各学校がそれぞれの事情に応じて、よくつりあいのとれたよい時間配当表をつくるための参考資料に過ぎない。

教科についての時間配当の例

教科についての時間配当の例

備考

 (a)この表は教科の指導に必要な時間の比率だけを示しているが、学校はここに掲げられた教科以外に教育的に有効な活動を行う時間を設けることがのぞましい。

 教科と教科以外の活動を指導するに必要な一年間の総時数は、基準として次のように定められる。

 第一学年および第二学年
 八七〇時間

 第三学年および第四学年
 九七〇時間

 第五学年および第六学年
 一、〇五〇時間

 次に、ここに示された「教科とその時間配当表」についての教師の理解を助けるために、いくつかの注意すべき点をあげてみると、およそ次のとおりである。

(1)教科内容について

(a)この表では、教科を四つのグループに分けてあるが、同じグループに集められた教科は、それを統合して扱うことを必ずしも意味しない。いくつかの教科の領域を統合して扱うかどうかは、学校の事情によって決定せられるべきことである。
(b)毛筆習字について

 従来小学校の書き方は、硬筆を用いてのものに限られていて、毛筆による習字は中学校で課することになっていた。しかも、もし毛筆習字の学習を児童もこれを必要とし、また同時に学校でもその必要を認めるならば、硬筆習字にある程度習熟した第四学年以上の適宜の学年でこれを指導するのがよいであろう。もちろん、この場合毛筆習字は国語学習の一部として課するのであって、小学校の段階では習字という教科を設けることは望ましくない。

(c)家庭科について

 家庭生活についての指導は、入学の当初より必要である。おそらく各教科の学習や教科以外の活動のあらゆる場合に、家庭生活についての指導が行われるであろうし、また行うように努めなければならないであろう。しかし小学校五・六年ころになれば、家庭生活についての理解も深まり、家庭的な実技に必要な児童の巧緻運動も相当に発達するし、児童もまたこれについて興味を持つようになる。したがって五・六年の段階においては、家庭生活についての指導のために特別な時間を設ける必要が起るであろう。そうはいっても五・六年に指導せられる家庭科においては、高度の技術や複雑な仕事を要求することは、適当ではない。これらの技能や経験は、すべて初歩的なものに限られるべきであろう。また小学校の段階においては、学習経験は男女に共通であることが望ましい。最初から男女を区別して指導しなければならないような高度の技能は中学校に譲るべきである。この意味からいって従来の家庭科の内容は、大いに改善される必要があろう。その詳細については近く文部省より発行される「児童の家庭生活指導の手びき」を参照されたい。

(d)道徳教育について

 健全な社会は、常に健全な道徳をもっている。民主的社会の建設を目ざして、新たに出発したわが国においては、学校教育においても、新しい立場にたって民主社会の建設にふさわしいじゅうぶんな道徳の指導が行われねばならない。一般編に示された教育の一般目標も児童生徒の道徳的な発達について、その望ましい方向がじゅうぶん強調されている。

 しかし、現在のわが国の教育の実情からみるときは、ただ目標としてこれを掲げるのみならず、どのようにしてこの方面の指導を行うかの具体的な方策を明らかにすることを必要としている。民主社会における望ましい道徳的態度の育成は、これまでのように、徳目の観念的理解にとどまったり、徳目の盲目的実行に走ることを排して、学校教育のあらゆる機会をとらえ、周到の計画のもとに、児童・生徒の道徳的発達を助け、判断力と実践力に富んだ自主的、自律的人間の形成を目ざすことによって、はじめて期待されるであろう。したがって道徳教育は、その性質上、教育のある部分でなく、教育の全面において計画的に実施される必要がある。教育の全体計画において、児童・生徒の道徳的発達を期しようとするならば、社会科を初め各教科の学習や特別教育活動が、道徳教育のためにどのような役割をもつべきであるかということが、明らかにされていなければならないであろう。そしてまた、学校教育の全面において、道徳的態度を形成するための指導を行うということは、各教科の学習や特別教育活動がそれぞれの役割をじゅうぶん果して、互に関連をもつて行われること、すなわち、全体計画に基いた教育が推進されるということでなくてはならない。そうでなくては、人格的統一が失われることになる。ただし、ここに考えておかなければならないことは、どの教科の学習においても、道徳的態度の形成のための指導は可能であるし、また必要でもあるが、そのために、その教科の主として目ざしているねらいが、おろそかにされるということがあってはならないということである。

 以上は、道徳教育の方法に関する一般的なことであるが、小学校としては、児童の発達段階からいって、深い道徳的理解や判断力を求めることは困難である。したがって、身近な日常生活を基礎として、道徳的態度や情操が形成されていくように指導することが必要である。このために小学校では、いわゆるしつけがたいせつであるともいえるが、しかし、しつけをただ上から与えようとするのでなく、児童の理解に基いたしつけが行われるようにしなければならないであろう。高学年になれば、道徳的情操はもとより、ある程度の道徳的理解や判断力もつくから、児童の発達に応じて、いろいろな学習や活動の機会を通じて、これらをも養って行くようにすることが望ましい。なお、道徳教育についての詳細は、近く文部省から発行される「児童生徒が道徳的に成長するためにはどんな指導が必要であるか」を参照されたい。(e)健康教育について

 こどもの健康の指導は、学校において重視されねばならない。小学校における健康教育は、ある特定の時間を設けて指導するよりも、教科の学習や教科以外の活動のすべてを含めて、あらゆる機会をとらえ、あらゆる活動を通じて行われることが望ましい。たとえば、毎日課業の始まる前に健康の検査をすることもよいであろうし、また昼食時における指導もたいせつであろう。またクレヨンその他の学用品や、いろいろな道具を使うときにも健康の指導についての配慮を忘れてはならない。すべての学習内容や教科以外の活動が健康教育に寄与することはもちろんである。ともかく指導計画の全体を通じて、こどもの身体的、精神的な健康についての強い配慮が必要である。そしてよい健康の習慣が形成されるようにしたければならない。

(2)自由研究の時間に代って、新たに教科以外の活動の時間を設けたことについてここに示唆された「教科とその時間配当表」には従来あった自由研究がなくなっている。昭和二二年度に発行された学習指導要領一般編には、自由研究の時間の用い方として、(1)個人の興味と能力に応じた教科の発展としての自由な学習、(2)クラブ組織による活動、(3)当番の仕事や、学級要員としての仕事をあげている。これらの活動は、すべて教育的に価値あるものであり、今後も続けられるべきであろうが、そのうち、自由研究として強調された個人の興味と能力に応じた自由な学習は、各教科の学習指導法の進歩とともにかなりにまで各教科の学習の時間内にその目的を果すことができるようになったし、またそのようにすることが教育的に健全な考え方であるといえる。そうだとすれば、このために特別な時間を設ける必要はなくなる。

 他方、特別な教科の学習と関係なく、現に学校が実施しており、また実施すべきであると思われる教育活動としては、児童全体の集会、児童の種々な委員会・遠足・学芸会・展覧会・音楽会・自由な読書・いろいろなクラブ活動等がある。これらは教育的に価値があり、こどもの社会的、情緒的、知的、身体的発達に寄与するものであるから、教育課程のうちに正当な位置をもつべきである。実際、教科の学習だけではじゅうぶん達せられない教育目標が、これらの活動によって満足に到達されるのである。

 このように考えてくると、自由研究というよりも、むしろ教科以外の教育的に有効な活動として、これらの活動を包括するほうが適当である。そこで自由研究という名まえのもとに実施していた、いくつかの活動と、さらに広く学校の指導のもとに行われる諸行動を合わせて、教科以外の活動の時間を設けたのである。(以下略)

2 中学校の教科と時間配当

 中学校の教科および特別教育活動とその時間配当については、昭和二四年五月および一二月、さらに昭和二六年四月に改正せられた。それは次の表のとおりである。

教科時間配当

教科時間配当

備考

(a)本表の時間数は一年間の最低および最高を示し、一単位時間を五〇分として表わしたものである。ただしこれには教室を移動する時間は含まれていない。
(b)教室移動および休息に要する時間は一〇分以内にとどめるのが望ましい。ただし昼食のための休憩は、五〇分までのばすことができる。これらの時間はこの表に計算されていない。
(c)必修教科についての年・学期・月・週および日の指導計画は最低九一〇時間、最高一、〇一五時間の範囲内で計画されなければならない。
(d)一年間の最低総時数を一、〇一五時間とする。この最低時数で授業をする学校では必修教科の時数は、年間のその最低時数たる九一〇時間にすることが望ましい。
(e)これまでの習字は国語の中に、日本史は社会の中に含まれている。その運営は各学校の生徒の必要に応じて適宜計画されるものとする。

 この改正された時間配当表で昭和二二年度の学習指導要領一般編と異なる点、および特に注意すべきことをあげてみると次のようである。

(1)教科について

(a)必修教科と選択教科

 必修教科は生徒全体の共通的必要を満たすために設けられているものであるから、どの生徒も必ず学習しなければならないものである。その時間数は各学校の事情に応じて表に示された範囲内で定めることができる。選択教科は生徒の個人的必要を満たすように考慮されているものであるから、各学校では事情の許す限りこの目的を果すように計画しなければならない。

(b)習字と日本史

 中学校ではこれまで習字は国語の一部として一年と二年とに、以前に国史とよばれていた日本史は、社会の一部として二年と三年とに課せられることになっていた。しかし教科とその時間配当表中に習字および日本史が掲げられていたことによって、これらが独立教科であるような誤解を与えやすかった上に、これらの時間配当がある学年に固定していたことは、各学校の実情に即した指導計画をたてるに当っても不便な点があった。そこでこれらに割り当てられていた時間は、それぞれ国語および社会に加えられ、表からは習字と日本史が消えることになった。しかしこれらの学習が必要であることは以前と変らない。各学校の生徒の必要に応じて、どの学年でこれらを適当な時間数授けてもよいし、あるいはこれらのために特定の時間を設けないで、国語あるいは社会に融合して学習させる計画をたててもよいことになったから、以前よりも弾力性が多くなったわけである。

(c)保健体育科

 従来の体育科は保健体育科と改められた。これまでの体育科も身体活動と保健衛生の両面を含むものであったが、ことを一そうはっきりさせるために教科の名まえが改められたのである。

(d)職業・家庭科

 この教科は以前、職業科と呼ばれ、農業・商業・水産・工業・家庭の五つの科目に分れていた。そして、学校はこのうちの一科、または数科を選んで生徒に学習させることになっていた。ところが、この組織では広い分野にわたる職業的、家庭的な経験を生徒に与えることは困難であった。そこで、職業科に含まれていた五つの科目の内容を分析して、実生活に役だつ一二項目の仕事に分け、これを中心として、家庭生活・職業生活に望ましい実践人を育成するための新たな組織がつくられた。この組織によれば、男女の生徒は、自分の興味と必要に応じてそれらの仕事のいくつかの分野を組み合わせ、学習することによって、広い仕事の経験をうることができるのである。これが改正された職業・家庭科の特質である。職業・家庭科の組織や内容についての詳しいことは、職業・家庭科の学習指導要領を参照されたい。

(e)その他の教科

 その他の教科とあるは、選択教科としてはっきり教科の名まえがあげられてある外国語および職業・家庭科を除いて、この表に掲げられたすべての教科と、この表に掲げられてはいないが、生徒の必要によって学校で教科として課するのが適当であると考えられるものとの両者を含むものである。学校は、生徒の希望によって、これらのうちから適切なものを選んで指導することが望まれる。

(f)道徳教育について

 道徳教育の一般的な考え方については、小学校のところで述べたからとれを参照されたい。ここでは、中学校として特に注意すべきことを簡単に述べておこう。中学校の生徒になると、高い道徳的理解や判断力を養う素地が、かなり発達してくる。ことに上学年になれば、自己について深く考えようとする芽ばえが現れてくる。だから道徳についての指導もこのような生徒の必要に応ずるように、社会科を初め各教科の指導においてじゅうぶんな考慮が払われねばならない。またこの年齢の生徒は、ややもすれば、行動に混乱をきたしやすいから、特別教育活動およびその他の機会に、生活指導をいっそう徹底させる必要があろう。なお、道徳教育についての詳細は、近く文部省から発行される「児童生徒が道徳的に成長するためにはどんな指導が必要であるか」を参照されたい。

(2)時間数について

 時間数については、さきにあげた表の「備考」によって、これをいかに解釈し、運営するかは理解できると思うが、なおいくらかの説明を加えておこう。

(a)各教科の時間数

 小学校の場合は、一時間を六〇分として、このなかに、小休憩の時間、教室移動の時間、次の学習の準備の時間を含めて計算することになっているが、中学校の場合は五〇分を一単位時間としている。これは生徒が純粋に学習する時間である。たとえば、国語の一四〇時間というのは、五〇分の一四〇倍、すなわち七、〇〇〇分を示すものであって一四〇時間という正確な時間を意味するものではない。そして教室の移動および休憩に要する時間は一単位時間について一〇分以内にとどめることが望ましい。しかしこのことは、必ずしも各授業時間を五〇分ごとにくぎることを意味しない。学校は課業の性質、生徒の興味や必要によって弾力ある時間割をつくることが望ましい。

 各教科および特別教育活動について、最低・最高の一年間の総時間数を示したのは、各地域や学校の事情と、生徒の必要とを考えて、地方または、学校が、それぞれの実情に応じて適切な一年間の指導計画をたてうるように、ということを考慮したためである。昭和二二年度の教科とその時間数の表を示されたものよりも、必修教科の最低総時数が減り、選択しうる教科の数とその時間数が増したことも、学校における弾力ある指導計画をたてうるようにしたためである。なお、外国語の最低時数は、従来三五時間であったが、今回は一四〇時間に増加されている。これは、外国語を選択して学習する以上は、この程度の時間はぜひ必要であると考えられたからである。また健康教育は、中学校三年間のうち、いずれかの学年において、年間七〇時間実施することになっている。

(b)一年間の総時数

 必修教科については、一年間の最低・最高の時間(九一〇時間-一、〇一五時間)が示されているが、選択教科および特別教育活動の時間を含めての一年間の総時間数はこの表に示されていない。しかし、一年を三五週、一週あたりの指導時数を三〇時間とみて、一、〇五〇時間を一年間の最低時数とすることが望ましい。年間最高総時数の制限はないが、地方の事情、学校の事情を考え、また、生徒の能力を考えて、過量負担にならないように、教育委員会や学校長が定めるべきである。

(3)特別教育活動

(a)特別教育活動の設けられた理由

 従来選択教科の時間のうちに、自由研究があったが、昭和二四年中学校の教育課程が改善されたとき、自由研究という名称は廃止され、新たに特別教育活動が設けられた。特別教育活動は、従来教科外活動とか、課外活動とかいわれた活動を含むが、しかし、それと同一のものと考えることはできない。ここに特別教育活動というのは、正課の外にあって、正課の次にくるもの、あるいは、正課に対する景品のようなものと考えてはならない。さきにも述べたように、教育の一般目標の完全な実現は、教科の学習だけでは足りないのであってそれ以外に重要な活動がいくつもある。教科の活動ではないが、一般目標の到達に寄与するこれらの活動をさして特別教育活動と呼ぶのである。したがって、これは単なる課外ではなくて、、教科を中心として組織された学習活動でないいっさいの正規の学校活動なのである。

 教科の学習においても、「なすことによって学ぶ」という原則は、きわめて重要であり、実際にそれが行われねばならないが、特に特別教育活動はこの原則を強く貫くものである。特別教育活動は、生徒たち自身の手で計画され、組織され、実行され、かつ評価されねばならない。もちろん、教師の指導も大いに必要であるが、それはいつも最小限度にとどめるべきである。このような種類の活動によって、生徒はみずから民主的生活の方法を学ぶことができ、公民としての資質を高めることができるのである。

(b)特別教育活動の領域

 特別教育活動の領域は、広範囲にわたっているが、ホーム・ルーム、生徒会、クラブ活動、生徒集会はその主要なものということができる。(以下略)3 学校における教育課程の構成(略)4 教育課程の評価(略)5 学習指導法と学習成果の評価(略)

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