一 ユネスコへの加盟

 昭和二十年十一月に、戦禍の跡も生々しいロンドンで、四四か国の代表が参加して国連憲章に従い教育・科学・文化の分野を担当する専門機関を設立するため、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)憲章を起草・採択し、翌年ユネスコは正式に発足した。

 ユネスコの誕生は、敗戦の荒廃と虚脱の中におかれていた日本国民に大きな希望の光を投げかけた。新憲法のもとに平和国家、文化国家として生まれ変わろうとする日本にとって、ユネスコはまさしくその進路を示すものであり、また、国際社会から孤立させられた日本にとって世界への窓を開くものとしてユネスコ加盟に大きな期待がよせられた。

 このような背景から、わが国のユネスコ活動は民間有志の間から起こり、全国各地にユネスコ協力会が結成され、二十二年十一月には第一回の日本ユネスコ運動全国大会が開催された。やがて、国会には「ユネスコ議員連盟」が結成され、ユネスコ加盟促進の決議を行ない、教育刷新委員会、日本学術会議等も、ユネスコ加盟促進と国内体制の整備を強調し、二十四年六月に、文部省大臣官房に渉外ユネスコ課が設置された。

 政府、民間が一体となって盛り上がったユネスコ加盟運動は、二十六年七月、わが国の独立回復に先がけて、ユネスコに正式に加盟することにより実を結んだ。

 次いで「ユネスコ憲章」が条約として公布され、二十七年六月には「ユネスコ活動に関する法律」が公布された。この法律は、わが国の政府および民間が、ユネスコに積極的に協力するため、わが国におけるユネスコ活動の目標・組織等について定めたものである。この法律に基づいて、二十七年八月わが国におけるユネスコ活動に関する助言・企画・連絡および調査のための機関として「日本ユネスコ国内委員会」が文部省の機関として設置された。ここに、日本ユネスコ国内委員会を中心として、国、地方公共団体、教育機関および民間団体等によるわが国のユネスコ活動の基本的体制ができあがったのである。

 ユネスコの事業計画等重要事項は、加盟各国が出席するユネスコ総会で決定されるが、わが国は加盟が承認された二十六年の第六回総会以来、毎回有力な代表団(第十五回総会には灘尾文相が出席)を派遣し、また、二十九年以降はユネスコ執行委員会委員に選出されている。

 このほか、ジュネーブにある国際教育局(四十四年にユネスコの附属機関となる。)が開催する国際公教育会議には、毎回文部省から代表を派遣し、教育情報の相互交換と国際的教育課題の討議に参加してきた。

 ユネスコの所在地パリには、日本政府のユネスコ常駐代表が置かれ、ユネスコとの緊密な連絡に当たっている。

 ユネスコの運営のために、わが国は、加盟国として応分の分担金を支出しているが、その額は四十六~四十七年度に約一五億円まで増加し、その分担率は全体の五・一〇%となり、世界で第六番目に当たる。

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