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第五節 宗教

宗教団体法の廃止

 戦前の宗教団体法は、宗教団体の法的地位を確立し、その成果をあげたが、その運営の面において信教の自由を妨げるものがないでもなかった。連合国の占領政策の重要なものの一つに宗教政策があったが、それは信教の自由、政教分離、軍国主義的ないし極端な国家主義的思想の除去の三大原則に基づいて行なわれたものであった。昭和二十年十月四日、「政治的、社会的及宗教的自由ニ対スル制限除去ノ件」の覚書が発せられ、治安維持法等とともに宗教団体法も廃止されることになった。

 廃止の指令を受けた諸法令の処置は、ほとんど同年十月半ばごろまでに行なわれたが、宗教団体法の廃止はかなり遅れた。それはこの法律の廃止により、宗教団体の財産保全上に遺憾な点があるなどで宗教界に混乱を起こすので、それに伴う措置を講ずる必要があったからである。こうして同年十二月二十八日、宗教団体法と四つの関係勅令が廃止され、同日、宗教法人令が公布、施行された。宗教法人令は、宗教団体法の認可主義を準則主義に改めたもので、これにより宗教法人の設立、規則変更、解散は自由になった。

 これより先、同年十二月十五日、「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(一般に神道指令といわれている)の覚書が発せられた。この指令の根本趣旨は、軍国主義的ないし極端な国家主義的思想の根絶、信教自由の確立、政教分離の徹底で、神社神道の国家からの分離にあった。

 神社が宗教であるか否かについては、これまでも種々議論のあったところであるが、連合国は当初から宗教として取り扱った。そこで、神社に対しても宗教法人となりうる道を開くため、翌二十一年二月二日、宗教法人令を改正すると同時に、神社関係諸法令の廃止、整備を行なった。これにより内務省神祇院は廃止され、神社神道は宗教法人となることとされ、その事務は文部省の所管するところとなった。

 二十一年十一月三日、日本国憲法が公布され、第二十条および第八十九条に、信教の自由、政教分離の原則が明示された。この際、政教分離の一措置として。二十二年四月の「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律」により、社寺の境内地、保管林の譲与または半額売り払いの処分が行なわれた。

宗教法人法の制定

 宗教法人令は準則主義を採用したので、所轄庁に対しては成立後において届け出るだけで宗教法人になることができた。そこで、既成教団からの分派、独立、新教団の設立にはめざましいものがあり、また、実態において宗教団体でないものまでが免税その他の保護を受けるために宗教法人になるものがあった。このような事態の発生に伴い、宗教法人令は批判を浴びるようになり、二十四年の半ばごろ宗教法人令に代わる新たな立法措置を考慮する必要があるという気運が生まれた。このようにして、準則主義を廃して所轄庁により規則等の認証を受ける制度を採り入れた「宗教法人法」が二十六年四月施行された。

 この法律は、第一に、信者その他の利害関係人に対する一定の事項についての公告、第二に、宗教法人の設立、規則の変更、合併、任意解散の場合の認証、第三に、従前の補助機関としての総代に代わる議決機関としての責任役員の設置の三つの点を制度の骨子としていて、これらは従前の宗教団体法や宗教法人令に見られなかった特色といえよう。

 三十一年、宗教団体の収益事業、課税、人権侵害、治療行為等の問題が社会的に取り上げられるようになった。そこで、同年十月六日、文部大臣は宗教法人審議会に、「宗教法人法における認証、認証の取消等の制度の改善方策について」諮問した。宗教法人審議会は三十三年四月、その答申を行なった。しかし、さらに慎重に検討することにし、宗教法人法の改正は行なわれなかった。

 この間、新教団の発生と興隆、既成教団の建て直し、宗教と学校教育、社会生活の近代化と宗教活動、宗教と政治の関係など、宗教をめぐる諸問題についての社会の関心が高まってきている。

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