五 地方における教育行財政制度の改革

教育委員会制度の改革

 昭和二十七年十一月一日、すべての都道府県および市町村に教育委員会が設置されたことにより、地方自治の理念に立脚した地方教育行政制度が外形的には実現され、地方公共団体の教育事務が教育委員会の手によって処理されることになった。

 しかし一方、地方教育委員会の全面設置により、従来から問題とされてきた設置単位や委員の選任方法、教育委員会の地位と性格など教育委員会制度をめぐる論議はいっそう活発になった。また、教育委員会制度に対する一般行政面からの批判も、このころから特に強く行なわれるようになり、地方行政の総合的・効率的運営の障害となっていること、地方財政窮乏化の一因となっていること等を理由として、全国市長会や全国町村会において教育委員会制度廃止の決議が行なわれた。さらに、二十七年設置された地方制度調査会も、二十八年十月の「地方制度の改革に関する答申」の中で市町村の教育委員会の廃止を勧告している。これに対して文部省は、全面設置後間もないという事情を考慮しつつ地方教育委員会の健全な育成に力を注ぐこととした。

 その後、地方制度調査会の答申に述べられた改革案は、「町村合併促進法」の制定等により着々と実現されつつあり、教育委員会制度についても、出るべき議論は出尽くした感があり、全面設置後三年を経てその実績も問題点もほぼ明らかとなるに及び地方教育行政の改善は日程に上ることが近づいた。

 文部省は、清瀬文部大臣のもとで制度改革の立案を進め、教育委員会制度に大幅な改革を加える「地方教育行政の組織及び運営に関する法律案」を作成し、三十一年三月第二十四回国会に上程した。この法案は、旧「教育委員会法」の根本理念を踏襲しつつ、地方公共団体における教育行政と一般行政との調和を進めるとともに、教育の政治的中立と教育行政の安定を確保することを目標とし、国、都道府県、市町村一体としての教育行政制度を樹立しようとするものであった。当時、教職員団体、学会等から強い反対が表明され、国会においても激しい論戦がかわされたが原案どおり可決され、同年六月「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」が公布され、十月一日から施行された。

 この法律の概要は次のとおりである。

 (一)都道府県、市町村のすべてに教育委員会を設置する。

 (二)教育委員の選任方法については、直接公選制を改め、地方公共団体の長が議会の同意を得て任命する。

 (三)都道府県の教育長は文部大臣の、市町村の教育長は都道府県教育委員会の承認を得て、それぞれ教育委員会が任命する。

 (四)教育委員会の予算・条例原案の送付権を廃止し、教育財産の取得・処分権、教育事務関係の契約権等は地方公共団体の長の権限とする。

 (五)県費負担教職員の任命権は、市町村教育委員会の内申をまって、都道府県教育委員会が行使する。

 (六)文部大臣は都道府県および市町村に対し、都道府県教育委員会は市町村に対し、それぞれ教育事務の適正な処理を図るため必要な指導、助言、援助を行なう。また、文部大臣は、地方公共団体の長または教育委員会の教育事務の処理が違法または著しく不適切な場合には、必要な是正措置を要求できる。

 この新制度は、発足以来十六年を経過し、その間さしたる問題も生ぜず、確実に定着して今日に及んでいる。しかし、実際運営上問題がないわけではなく、たとえば、都道府県教育委員会の県費負担教職員の任命権と市町村教育委員会の内申権との調整、市町村教育委員、教育長の高齢化・固定化、小規模な町村教育委員会の行財政能力の不足など解決を要すべき課題となっている。文部省としては、これらの問題に対処し、市町村教育委員会の統合の促進、教育委員会に対する指導・助言、財源の強化などの措置を講じてその円滑な運営に指導と努力を重ねている。

図5 地方教育行政機構図

図5 地方教育行政機構図

地方教育財政

 昭和二十八年度から「義務教育費国庫負担法」、「公立学校施設費国庫負担法」が実施され、設置者負担の原則の例外として、国が公立義務教育諸学校の教職員給与費の二分の一、教材費の一部および校舎建築費の一部を負担する制度が確立した。

 しかし、二十五、六年の朝鮮戦争時の経済界の好景気を反映して大きく膨張した地方財政は、戦争終結を境にした極端な経済不況により二十七、八年ごろから地方税収入が激減し、二十九年度を最低として地方財政の著しい窮乏に見舞われた。この状況に対処するため、三十年には「地方財政再建促進特別措置法」が制定され、二〇の県と五六八の市町村が財政再建団体として指定され、おおむね七年度以内に収入の均衡を回復するという再建計画を定めることとされた。この地方財政の窮乏は当然のごとく教育費にも及び、なかでもその相当部分を占める教職員給与費の基礎となる教職員の数については、再建計画上計画的に削減する等のしわよせが行なわれたため、計画の策定をめぐって地方団体内外に大きな波紋を投げかけた。その後三十、三十一年あたりからわが国の経済も回復し成長期にはいるに及んで、地方財政もようやく安定期にはいったのであるが、地方教育費についても、従来の教員給与費と学校施設費の国庫負担のみではなく、学校において確保・整備すべき人的・物的条件の基準や組織・運営の基準を示す教育の諸領域にわたる各種の振興法が年々制定され、その充実に要する経費について国庫補助が実施されることとなった。これらの施策により、地方教育費も地方財政の中で安定した位置を占めることとなり、また教育諸条件も着々と整備されることとなった。

 地方教育費のうち国庫負担金、補助金以外の経費については、二十五年度創設の地方財政平衡交付金によって財源保障が行なわれてきたが、二十九年度からはこれが地方交付税制度に発展、切り替えられた。この両制度の根本的な差異は交付金総額の確保の方式にあった。前者の交付金総額は毎年国の一般予算と同様な運用で計上されたため、時の財政状況に左右される面が大きく、したがって地方財政の安定した計画的運用を阻害する面があった。地方交付税制度はこの点を改め、国税三税の一定割合(二十九年度では所得税、法人税の一九・六六%と酒税の二〇%の合計額、四十六年度では上記三税の三二%の額)とされ、財源の確保が保障された。

 地方交付税制度の上で、地方教育費をいかに算定するかは地方教育費予算確保の上できわめて重要なことであるので、文部省はその合理的な算定に努めてきている。

 三十五年には地方財政法の一部改正により、市町村立小・中学校費のうち人件費と建物の維持・修繕費についての住民負担が禁止され、同三十八年には高等学校施設の建築費についての住民負担が禁止された。これらの措置に伴う財源補填については、地方交付税上の財源増額措置と各種国庫補助金の増額等によって行なわれた。

 三十七年度から高等学校生徒の急増に対処するための措置として、国庫補助金(工業高校校舎建築費、産業教育施設費)、起債充当措置がとられたほか、私立高等学校に対する補助分を含め、三十七年度~三十九年度間の特例措置として地方交付税による財源措置が行なわれた。

 四十五年度からは、国の私立大学等に対する経常費補助の例に準じて、私立の高等学校、小・中学校、幼稚園に対する都道府県の経常費補助について地方交付税による財源措置が行なわれることとなった。

 次に、地方財政における教育費の占める割合の推移をみると、二十八年以降おおむね二七~二八%と安定した比率を示しているが、四十一年度以降は若干減少傾向にある。また地方教育費中に占める国庫負担金補助金の割合もほぼ二五%程度で推移している。(表83参照)

表83 地方財政における教育費

表83 地方財政における教育費

 次に、地方公共団体の歳出総額中に占める教育費の割合の推移を都道府県、市町村別にみると、前者の場合は三〇%程度で推移し、四十一年度以降若干減少傾向にあるが、後者の場合は二〇%程度で安定した比率で推移している。(表84・85参照)

表84 都道府県の行政費と教育費

表84 都道府県の行政費と教育費

表85 市町村の行政費と教育費

表85 市町村の行政費と教育費

 また地方教育費を教育分野別の比率の推移でみると、小・中学校費の占める比率が減少傾向にあるのに比べて、国の重点施策に呼応して、地方教育費においても幼稚園費、特殊教育費および社会教育費が増加傾向にあり、高等学校費は生徒急増期を過ぎた四十年度あたりから年々減少している。(表86参照)

表86 教育分野別にみた公教育費総額

表86 教育分野別にみた公教育費総額

表86 教育分野別にみた公教育費総額(つづき)

表86 教育分野別にみた公教育費総額(つづき)

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