五 成人教育の発展

成人の学習と大学開放

 戦前の社会教育が、学校教育の補充的な役割をになうものとして、主として青少年教育と婦人教育とに傾斜しがちであったのに対し、戦後は男子成人を含めて一般成人教育に焦点が合わされたが、それが成人自身の自覚につながるのは、やはり昭和三十年代になってからである。急速な科学技術の進歩、産業経済の発展が、一方では時間的・経済的なゆとりを生み、他方ではさまざまな学習への意欲を刺激することとなったのが、その原因である。趣味・教養に関するものから生活上・職業上の知識技術に関するものなど、各種の学習の機会が商業ベースでも開設されるようになり、それに従って、一般成人の学級諸講座についての文部省の委嘱あるいは補助事業は、むしろ年を追って後退している状況であるが、これは成人教育そのものの後退と見るべきものではない。民間の企業体が従業員に対して企業内での教育を活発に展開するようになったことも、この時期の成人教育の特色である。

 その中にあって、現在もなお文部省で委嘱費を計上してその促進を図っているものに、大学の開放講座がある。大学開放の事業は、戦後、一部の大学などで情熱的に進められたものであるが、大学側に大学自身の整備などに忙殺されてその余裕がなくなったこともあり、一般的には伸び悩んだ状態のまま現在に至っている。この間、社会教育審議会は、二十八年には「学校開放活動促進方策について」、三十年には「学校開放の実施運営はいかにあるべきか」、三十九年には「大学開放の促進について」と建議あるいは答申を行なっており、大学内に大学開放に関する部局を設け、独自の予算で主体的に大学開放を実施すべきであると勧告している。成人教育の内容が高度化・専門化しているおりから、大学開放はいよいよその必要性を増してきており、現在の受け身の態勢から積極的な態勢に転ずることが強く望まれる。

PTA・高齢者教育・技能審査

 PTAについては、講和条約締結後、わが国の実情によりよく適応させるために、社会教育審議会分科審議会で「父母と先生の会」参考規約の検討をはじめ、昭和二十九年に小学校「父母と先生の会」(PTA)参考規約が改訂・作成され、全国に配布された。現在、多くのPTAがこれに準拠した規約に基づいて活動を行なっている。ただ、PTAの実態としては、ややもすると学校後援会的な性格を帯びやすいので、三十四年の地方財政法の改正に伴い、三十五年「教育費に対する住民の税外負担の解消について」を次官通達して、地方公共団体にPTA寄附金などの軽減を呼びかけ、PTA寄附金の学校教育費に占める割合は、年々減少してきている。しかし、成人教育関係団体としてのPTAのあり方にはまだ国民はじゅうぶんなじんでいるとはいえず、四十二年には社会教育審議会報告「父母と先生の会のあり方について」が報告され、四十六年度からは全国的にPTA指導者の研修が行なわれている。

 三十年代の後半、平均寿命の著しい伸長や核家族化の傾向などの中で、老人の問題は脚光を浴びるに至ったが、医療保障や老人福祉等の施策だけでなく、高齢者自身による社会的適用の学習、精神的・情緒的な安定など、その生き方についての教育的な施策の必要が叫ばれるようになり、これを受けて、文部省では四十年度から高齢者学級の開設委嘱に乗り出し、四十六年度には高齢者学習方策の研究委嘱、各種資料の作成をはじめている。

 社会教育の各種の学習によって習得した知識および技能について、その水準を審査しこれを公的に証明する、いわゆる技能審査力事業は、学習者の学習意欲や学習効果を増進し、学習者に対する社会的評価の向上にも役だつので、三十二年の社会教育審議会答申「青年学級の改善方策について」、三十三年の中央教育審議会答申「勤労青少年教育の振興方策について」、三十六年の社会教育審議会答申「社会教育における通信教育の拡充の諸方策について」などでもそれに触れ、その拡充を勧告するところがあった。それを受けて、文部省では三十三年度以来、技能審査基準の作成に当たっていたが、三十八年、はじめて財団法人日本英語検定協会が文部省基準によって行なう実用英語の技能審査事業を後援することとなった。その後、硬筆書写、編み物、速記などの技能審査が文部省後援のもとに実施されるに至ったが、四十二年には「技能審査の認定に関する規則」を告示して、それら社会教育上奨励すべきものを文部大臣が認定することとし、その制度の整備を図った。技能審査によって審査されることを希望する志願者の数は、年々増加してきている。

家庭教育と婦人教育

 戦後、核家族化や子どもの数の減少などによる家庭のあり方の変化に加えて、社会全般の価値観の混乱などで、家庭の教育機能のゆがみが生じたが、その反省として、昭和三十年代後半ごろから家庭教育への世間の関心が高まり、それを受けて、文部省では成人教育の学習内容として家庭教育を積極的にとりあげることとなった。それまでも家庭教育の学習は婦人学級、婦人会、PTAなどの活動の中で行なわれてきたが、三十七年からの指導資料の作成、三十九年度からの全国の市町村に対する家庭教育学校の開設の奨励は、画期的な試みで、その後、家庭教育学級への補助金も拡充される(四十六年度で一万二、〇〇〇学級)とともに、四十年度からは録音教材の製作、四十五年度からはテレビ家庭教育番組の製作委託や学級との関連での個別的な相談事業の委嘱なども実施され、家庭教育の振興が進められている。

 婦人教育は、前章で見たように、戦後しばらくの間、CIEによって婦人のみを対象とする施策は不適切であるとされていたが、地方の現場ではそれにもかかわらず軍政部の指導の下に活動が進められていた。そして、講和条約による占領政策からの脱却と前後して、活発な動きをはじめ、二十六年にははじめての都道府県婦人教育事務担当者会議、二十七年には第一回全国婦人教育指導者会議が開催され、二十八年度には七年ぶりに婦人教育費六〇万円の予算化をみて、その振興の機運は高まった。文部省は二十九年度から婦人を対象とする実験学級を委嘱したが、その研究の成果にかんがみ、三十一年度からは全国的に婦人学級の委嘱を行なうに至った。さらに、三十五年度には、委嘱学級の拡大、指導者研修、婦人団体への援助などを重点に、婦人教育費の飛躍的な増額が行なわれ、三十六年度には社会教育課から独立して婦人教育課が設置されることとなった。三十年代の後半以降は、社会経済の変動により家庭生活、婦人の生活に著しい変化が生じており、それに伴って、婦人教育の中で家庭生活、家庭教育、消費生活、職業上の知識技能などについての積極的な学習や新しい連帯意識形成についてのボランティア活動などが要請されるようになり、それにこたえて、たとえば四十二年度には「家庭の生活設計」が資料として編集提示されるなど、注目すべき活動が展開されている。

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