一 大学制度の整備

大学設置基準の制定

 新制大学の発足以来、大学の設置認可に当たっては、大学基準協会が定めた「大学基準」を大学設置審議会が審査基準として用いてきた。しかし、大学基準はもともと大学の自主的な団体である大学基準協会ヘの会員入会の資格判定基準であり、大学設置のための認可基準とは本来性格を異にするものであるばかりでなく、内容も具体性を欠き、不明確な点が多かった。

 昭和三十年八月、文部省に設けられた大学設置基準研究協議会は、「大学設置基準要項」を答申したが、文部省はこの答申と従来の審査内規を基礎として、三十一年十月「大学設置基準」を制定し、以後大学の設置認可はこの基準に基づいて行なわれることとなった。この大学設置基準は、教員数や校地・校舎等の施設について大学を設置するのに必要な最低の基準を定めている。大学設置基準は、その後若干の改正が行なわれたが、四十三年度以降の大学紛争を直接の契機として、多くの大学が大学改革の一環として、大学教育の内容、特に一般教育の教育課程の改善を図ろうとする動きを見せ始めるとともに、大学設置基準の関係部分の改正を要望する声が国立大学協会など各方面から高まってきた。

 そこで文部省は、大学設置基準のうち、一般教育科目の開設方法、各授業科目の単位数、卒業の要件等、主として一般教育に関する部分の改善について検討を行ない、四十五年八月、大学設置基準の一部を改正する省令を公布し、翌年四月一日から施行した。この改正は、基本的には三十八年一月の中央教育審議会の答申に基づき、大学基準等研究協議会が四十年三月に決定した「大学設置基準改善要綱」の趣旨によったものであるが、この改正により各大学はそれぞれの教育方針に基づいて一般教育の教育課程をより弾力的に編成、展開することができるようになった。

大学制度の改善・整備

 新制の国立大学のうち、弘前、山形、茨城、埼玉、千葉、富山、信州、静岡、島根、山口、愛媛、高知、佐賀、鹿児島の一四大学に設置された文理学部は、当該大学の一般教育の全部と教員養成のための教科に関する専門教育を担当するとともに、文理学部としての専門教育を行なうことを使命として発足した。しかし、これらの文理学部は、千葉大学を除き、おおむね小規模の旧制高等学校が母体であったため、教員組織、施設・設備等がふじゅうぶんであり、かつ、学部本来の目的が的確につかまえにくかったためじゅうぶん所期の教育効果をあげることができず、昭和三十八年一月の中央教育審議会の答申においても、それぞれの実情に応じた改組が必要であると指摘された。そこで文部省は、四十年度以降、各大学の実情に応じ、文理学部を二学部に分けるか、あるいは文理学部のまま充実させることとし、あわせて、教員養成学部の整備と一般教育の実施体制の確立を図ることとした。これは、これらの国立大学の教育の質的改善と同時に量的拡大を図ることにより、四十一年度以降に予想されていた大学入学志願者の急増対策としての役割を果たすことにもなったのである。

表54 年度別の文理学部改組大学名

表54 年度別の文理学部改組大学名

 次に、新制大学の重要な理念の一つである一般教養に関する教育は、そのために教養学部を設けた東京大学は例外として、大学に吸収した旧制の高等学校や師範学校をもとにした文理学部または学芸学部に教養課程を置き、ここで実施された。そのため複数の学部をもつ大学では、学部中心の考え方ないし慣行が強いため、教養課程の学生に対する教育上の責任所在が必ずしも明らかでなく、専門課程との連絡もじゅうぶんでない等多くの問題をかかえてその改善についての意見がしだいに強まった。そこで文部省は「数個の学部を置く大学に、各学部に共通する一般教養に関する教育を一括して行なうための組織として教養部を置く。」こととし、関係大学の事情と意思を考慮しつつ、三十八年度から必要と認められる大学に、逐次学部に準ずる教養部を設置した。しかし、このことにより、問題が解決されたわけではなく、依然として専門課程との一貫性を欠くなど、さまざまな問題が指摘されている。

表55 年度別の教養部設置大学名

表55 年度別の教養部設置大学名

 また、国立の教員養成大学・学部の中には、いくつかの旧師範学校等を含めて発足した経緯や、当時の教員需給の事情などにより、主として二年課程を担当するいくつかの分校をもつものが多かった。文部省は、二十八年度から各府県の教員需給事情を考慮しつつ、逐次、分散する分校を統合・整備し、あわせて、二年課程を廃止してその定員を四年課程に振り替える計画を進めてきたが、特に三十四年度以降はこの統合・整備も軌道にのり、現在、教員養成大学・学部で分校を有する大学は、北海道教育大学、新潟大学、大阪教育大学、広島大学を残すのみとなった。

 なお、公立大学は、既設の旧制の高等教育機関から切り替えられたものや、地域社会の要望にこたえて新たに設置された学校であるが、公立大学の設置者である県の中には、主として財政負担の事情から公立大学の国立移管を要望するものも現われた。新制大学発足以後の公立大学の国立への移管状況は下の表のとおりである。

表56 公立大学の国立大学への移管状況

表56 公立大学の国立大学への移管状況

学部・学科の新増設

 昭和二十三年度に発足した新制大学の四十六年四月現在の大学数および設置年度別学校数は、表57・58のとおりである。

表57 設置者別の大学数(昭和46年4月現在)

表57 設置者別の大学数(昭和46年4月現在)

 大学の総数は、三八九校であるが、そのうち大学院を設置するもの一八八校、夜間部を設置するもの六一校、通信教育を開設するもの一一校で、夜間部を設置するものは私立大学に多く、また、通信教育を開設しているのは私立大学だけである。なお、四十三年度に設置された国立の九州芸術工科大学は、科学と芸術との統合を通じて技術の人間化を目ざすというユニークな目的をもつものとして注目される。三十二年度および三十六年以降の二次にわたって推進された理工系学生の増募は、機械、電気、土木、建築等従来からの学科のほか、電子工学、制御工学、原子核工学、原子力工学等エレクトロニクスや原子力等の新しい部門においても活発に行なわれた。その後、都市工学、社会工学、交通工学、安全工学、環境工学等都市問題あるいは公害問題を対象とする新しい学科が次次と設置され、また近年、情報化時代の到来に対応して、情報処理教育の拡充、技術者の養成が急務となり、情報工学、情報処理工学、電子計算機科学、システム工学の学科が新設されている。また、文科系の分野においても、人間または人間関係を全体的、統一的に研究・教育しようとする人間科学、人間関係学を初め、国際関係学、図書館・情報学、観光学等時代の要請に応ずる新しい学科が誕生している。

 医科大学・学部は、医学の公立大学・学部が国立に移管された場合を除き、二十七年以来新設されなかったが、医療需要の増大や医師の地域的偏在などにより、医師養成数の増大の要望が近年にわかに高まり、四十五年度から四′十七年度までの三年間に、医科大学の新設が七校(私立のみ)、医学部の新設が五校(国立一校、私立四校)、医学部学生定員増を行なった大学が二〇校(国立八校、公立三校、私立九校)に達し、医学部学生の入学定員が合計一、五〇〇人増員された。このうち四十七年度に新設される自治医科大学は、都道府県知事会が中心となり、地域医療、特にへき地における医療の確保を図るため、公立病院等に勤務する医師を養成することを目的としているのが注目される。

表58 設置年度別の大学数

表58 設置年度別の大学数

 二十八、九年に、職業としての農業に直結する使命をもつものとして、一二の国立大学の農学部に設置された総合農学科は、しだいに教員養成を目的とするかのように考えられてきたことや、また、農業の体質改善を標傍する「農業基本法」の制定等もあって、三十八年度から四十二年度までに、すべて農業工学科あるいは農業経済科等に改組された。

 なお、公・私立大学の学科増設、学生定員の変更については、従来大学教育の水準の維持・向上を図るという観点から、あらかじめ文部大臣に協議の上実施するよう取り扱われでいたが、理工系学生増募を推進中の三十七年度から、設置しようとする学科がいまだ設置されたことのない名称をもつものである場合、または医学、歯学に関する学科である場合、および医学、歯学に関する学科の学生定員を変更としようとする場合を除き、法令の建て前どおり、文部大臣への届け出事項に切り替えられた。

表59 大学学部の種類の変遷

表59 大学学部の種類の変遷

医学および歯学教育の改善

 新制大学発足当初から、医学および歯学教育の修業年限は、実際は六年であったが、制度上は医学・歯学の学部は修業年限四年の専門課程だけであり、ただ、その入学資格として、医学・歯学以外の学部において二年以上在学し、所定の単位すなわち一般教育を履修したものであることを要求されていた。しかし、その実情は、さまざまな困難な事態が生じていたので、文部省は、昭和二十九年三月、学校教育法を改正して、医学および歯学の学部の修業年限を六年とし、そのうちに二年の進学課程と四年の専門課程とを置くこととした。これにより、進学課程・専門課程を通じて六年の一貫教育が行なえるようになり、教育効果を高めることができるようになった。なお、二十一年に創設された医学実地修練制度は、実地修練生の身分、処遇や実地修練施設における指導体制等に問題があったため所期の効果があげられず制度の改善が要望されていた。四十三年五月医師法が改正され、医学部卒業と同時に国家試験の受験資格を認めて、義務的な実地修練制度を廃止し、これに代えて制度上は任意の臨床研修制度が創設された。この、いわゆる卒後研修については、大学病院および厚生省指定の病院で行なわれ、研修生の身分上の取り扱いも、いわゆる無給医局員とともに逐次改善され軌道にのりつつある。

 なおまた、近年、医学の発達に伴い診療科の分科が行なわれ、内科系では、神経内科、順応内科、循環器内科、老人科等が、外科系では、脳神経外科、形成外科、胸部外科、小児外科、肺外科等が分科された。なお、中央検査部、、中央手術部、中央放射線部、中央材料部等病院機能の集中化が進み、救急部、輸血部、理学療法部、分娩部、集中治療部等の特殊施設の整備も逐次行なわれている。

 さらには、医師不足の現状にかんがみ、医師養成の拡充策とともに医学教育全般にわたりその改善を図るべく、各方面において鋭意検討がなされている。

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学制百年史編集委員会

-- 登録:平成21年以前 --