四 高等学校の拡大と多様化

 独立以後の高等学校は進学率の着実な上昇を続けて昭和四十六年には八五%に達し、しかもこの間、三十八年から迎えた生徒急増もなんとかこなして今日高等学校は文字どおり国民教育の場に成長した。高等学校に対する施策は第二期、特に三十年代後半において積極化したが、この時期は生徒急増期をはさみ進学率もすでに六〇%を越えて上昇を続け、経済も高度成長期にはいり、各種の社会的要請も強かった。高等学校拡大化の三十六年に「公立高等学校の設置、適正配置及び教職員定数の標準等に関する法律」が制定され、高等学校の設置主体、学校規模、学級編制、教職員定数について明確な基準が示されるとともに、これを裏づける財源が地方交付税によって確保された。さらに、四十二年度から高校多様化に対応する学級編制基準が五か年計画をもって適用され教育水準の向上に資せられた。

 学習指導要領は二十六年、三十一年、三十五年および四十五年の四度にわたって改訂が行なわれたが、これはそれらの時期に先行した小・中学校の改訂に続くもので、生徒の能力、適性、進路等の多様性や社会の発展に対応しつつ高等学校教育の内容充実を図ったものである。

 高等学校の定時制および通信制教育は勤労青少年に高等学校教育の機会を広く与えようとするものであるが、特にその振興を図るための法律が二十八年に制定され、さらに夜間給食に対する国の補助や担当教員に対する手当支給などの措置が続いて行なわれた。三十六年には、いわゆる技能連携制度が発足した。これは定時制または通信制の課程に在学するものが企業内訓練施設その他所定の技能教育施設で一定基準に適合する技能教育を受けている時は、これを高等学校の教科の一部の履修と認める方式で、これにより学校と職場の緊密な連携により勤労学生の負担を軽減して定通教育の発展を促そうとするものであった。しかし、全日制への進学率の上昇に伴い、定時制は二十八年の五三万人を頂点にしだいに減少し四十六年には三四万人となった。他方、通信制はしだいに内容が改善・充実され三十年には通信制のみによって高等学校を卒業できるようになったし、ラジオ・テレビの活用も加わっていっそう近づきやすいものとなってきた。勤労青少年の勤労生活との調整を図って高校教育を拡大するために定通併修や二部制、三部制など多様な教育形態が進められている。

 高等学校における職業教育は新制高校の総合制、学区制などの影響で一時不振であったが、二十六年の産業教育振興法の制定により意気を盛りかえした。特に三十年代における科学技術振興、中堅産業人の育成あるいは農業基本法の制定を契機とする農業近代化等の社会的要請にこたえ、おりからの高校生急増期に工業関係の学校、学科の新増設が行なわれ、また、農業自営者の養成・確保のための農業高校の拡充・整備が図られ、国は財政的にも積極的に助成をした。以上のような推移を経て四十年代にはいってから多くの生徒に高校教育の門戸を開き、かつ社会的要請を考慮して職業教育の多様化が進み、現在、職業教育関係の学科は二五〇種類にのぼっている

 産業教育法ともに理科教育の振興が重視され、二十八年に「理科教育振興法」が制定されたことはすでにふれた。この法律の対象はひとり高等学校に限られず小・中・特殊教育諸学校を含むものであるが、学習指導要領の改訂や機械、器具の進歩に即して理科設備の基準改訂を行ない、かつ基準充足に向かって国の補助を続けてきている。なお、高等学校に関しては、国十三年から理数科が設けられこの分野の教育に一段と力が注がれている。

 進学率の上昇と社会の成熟に比例して高校生のいわゆる非行化が増加傾向にある。また、特に大学紛争を契機に一部高校生が暴力的な政治的活動に走る現象が生じ、四十国年にはこのような事例が全国的に多発した。この二つの傾向ないし現象は性格を異にするとはいえ、また影響を及ぼす社会的要因は異なるとはいえ、高校生の指導にとっては重大な問題であり、学校教育への魅力、教師との人間的接触、大学入試のあり方、政治的教養の指導等高校教育に新たな課題をなげかけている。

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