二 六・三制の定着と充実

 新しい教育理念を掲げた六・三制は、いかにも困難な条件下に準備不足で発足したため、一時は再改革の批判を受けることもあったが、独立後の第一期の間にほぼ定着し、その後は着実に充実への歩みを続けている。この間、施設・設備・教材、教員の給与・定数、教育課程などを中心に取られた措置について概観してみたい。一時期、六・三制の最大の危機的課題であった施設については、二十八年以降懸案の国庫補助についての立法化が逐次実現し、財源も確保され、さらにこの法律を根拠に生徒急増期に当たっては三十四年から五か年計画を樹立して着実に施設の整備は進められた。続いて、第二次、第三次の五か年計画によって学校施設は量、質両面にわたって発展を続けている。教職員給与については戦後、地方財政制度の変遷の中で制度的に安定を欠いたが、二十七年「義務教育費国庫負担法」が制定され、原刑的に実員実額が国庫負担により保障されることとなった。その後児童・生徒の急増を迎え学級編制や教職員定数に圧迫が加わるに及んで、「公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律」が三十四年から制定・実施され、いわゆるすし詰め学級の解消が五か年計画で進められた。続いて第二次、第三次の五か年計画をもってさらに学校規模の適正化、新しい教育課程の実施に対応すべき教員組織の充実、さらには単級学校の解消、へき地や教育困難な事情にある地域の学校への定数配慮等逐次改善が重ねられてきている。

 教材・教具の整備については二十八年成立をみた「義務教育費国庫負担法」において教員給与のほか教材費の一部国庫補助制度が始まり、翌二十九年から「理科教育振興法」および「学校図書館法」の制定により理科設備、図書等の充実が図られてきた。さらに包括的に教育課程の実施を裏づける教材基準の設定と教材費のいっそうの充実を図るため、四十二年度に至って「教材基準」が設定され、同時にこれを裏づける一、六〇〇億円(半額八〇〇億円は国庫負担)の教材整備十か年計画が樹立され実施されるに至った。

 教育課程の改善の推移についてはのちにふれるが、以上のほか教育の機会均等を保障し六・三制義務教育を充実するために次のような領域の施策が講ぜられた。

 一つは、家庭の経済的条件により就学困難な児童・生徒に対する就学援助の措置である。このような措置はすでに昭和三年から行なわれていたが、戦後は二十一年制定の生活保護法に吸収され、措置されることとなった。ところが実際には教科書の購入や給食費の支払いに困難する、いわゆるボーダーライン層が問題となり、三十一年に教科書費および給食費について国の援助の措置が始まり、次いで修学旅行費、学用品費、通学費等の補助に拡大されてきている。

 二つは、本人にかかわる条件ではなく、主として地域的条件による教育のハンディキャップを補完するための措置である。二十九年制定の「へき地教育振興法」はこのような地域に対して国と地方公共団体が協カして総合的な施策を進めようと図ったものである。その後へき地に対する総合的施策はひとり本法に基づく措置をこえ、他の法律においてへき地への特例あるいは特別な予算補助を通じて、施設・設備・教材、教員定数・手当、通学、給食、保健等の領域にわたって多角的な充実を示してきている。

 三つは、本人にかかわる条件で、心身障害児に対する施策である。新学制は盲学校、聾(ろう)学校および養護学校を学校体系に組み入れ、その小学部、中学部の義務制を定めたが、これら特殊教育に対する具体的措置はほとんど独立後に持ち越された。二十九年「盲学校、聾学校及び養護学校への就学奨励に関する法律」が制定され、これらの学校への就学に伴う父兄の経済的負担を軽減し、就学率を高めようと図った。また義務制が見送られていた養護学校の設置を促進するため三十一年に「公立養護学校整備特別措置法」が制定され、施設費、教員給与費、教材費等について他の義務制学校の場合と同様に国の負担または補助へみちを開いた。その他、判別基準の制定、特殊学級の整備、特殊教育推進地区の設定、教育内容、教科書、教材・教具の整備、教員の養成等特殊教育の振興に関する施策が総合的に進められてきた。

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