二 教育委員会制度と地方教育行財政

教育委員会法の成立

 教育行政の改革についても、教育刷新の重要支柱として、田中文相の発案による独自の構想が練られ、昭和二十一年八月文部省内で「教育行政刷新要綱案」がまとめられた。この要綱は、全国を九学区に分かち、学区に学区庁を置き、その長官は学区内の初等から大学までの学校教育および社会教育をつかさどり、また学区には調査審議機関として学区教育委員会を設け、府県には学区支庁・支庁教育委員会を置き、学校はそれぞれ設置者たる地方公共団体の管理のもとに置くこととされた。しかし、教育刷新委員会の発足は、問題の再検討を必要とするに至らしめた。

 同年九月第一回総会を開いた教育刷新委員会は、特に教育行政について第三特別委員会を構成し、米国教育使節団報告書を基礎にして、前述の文部省要綱案その他内外の諸制度を検討し、審議した結果、同年十二月末に次のような建議を行なった。

 (一)教育行政は左の点に留意して根本的に刷新すること。1)従来の官僚的画一主義と形式主義の是正、2)教育における公正な民意の尊重、3)教育の自主性の確保と教育行政の地方分権、4)各級学校教育の間および学校教育と社会教育の間の緊密化、5)教育に関する研究調査の重視、6)教育財政の整備

 (二)右の方針に基づき地方公共団体に公民の選挙による教育委員会を設け、委員会は教育長を選任して執行の責任者とする。教育委員会および教育長は管内の学校行政および社会教育をつかさどる。また、府県間の教育内容、教育財政の不均衡を是正し、人事の適正を図るため、数府県を一単位とする地方教育委員会および地方教育研究所を設ける。その委員は府県の教育委員の互選とし、研究所は実際に即した教育の調査研究を行なう。中央には文部大臣の諮問機関として中央教育委員会を設けて重要問題の審議に当たる。

 なお、教育財政については、教育委員会の教育費請求権、義務教育費の大幅国庫負担等をあわせ述べている。

 政府は、右の建議を受けるとただちに制度化のための立法準備にはいった。当時行政各分野の改革案が並行して進行中であったが、特に地方自治制度の新しい構想との関係にじゅうぶんな考慮を払いながら立法化の準備を急ぎ、二十二年初めには早くも第一次法案「地方教育行政法案」を文部省内で定めた。その内容は、市町村・都道府県・地方の三段階に教育委員会を設置して議会と同等の議決機関とし、教育長を執行機関として、地方公共団体において、一般行政機関とは別の教育行政制度を樹立しようとしたものである。しかしこの案は、同年四月実施は見合わせになり、その後も総司令部と交渉を重ねたが、遂に廃案となった。

 その後政府は、総司令部と交渉を進め、しばしば難渋したが、ともかく第二次法案「教育委員会法案」は作成され、二十三年六月第二回国会に上程されるに至った。国会では慎重に審議され数か所修正されて成立した。

 右のような経緯で成立した教育委員会法は、教育行政の民主化、地方分権、自主性確保を根本理念とし、その骨子は次のようなものであった。

 (一)教育委員会は、地方公共団体の行政機関であり、かつ合議制の独立的な機関である。

 (二)教育委員会は都道府県および市(東京都の特別区を含む。)町村に設置される。ただし町村は、連合して一部事務組合を設け、その組合に教育委員会を設置することができる。

 (三)都道府県教育委員会は七人の委員で、市町村教育委員会は五人の委員で組織する。そのうち一人は地方議会の議員が互選で選び、残りの六人または四人は住民が投票して選ぶ。

 なお、委員の任期は四年で、二年ごとに半数を改選する。

 (四)教育委員会は従来都道府県知事、市町村長等に属していた教育・学術・文化に関する事務を管理・執行する。小・中学校教員の人事権は市町村教育委員会の所管とする。

 (五)教育委員会に教育長を置き、教育委員会が一定の有資格者の中から任命する。教育委員会に事務処理のため事務局を設け、必要な部課を置く。その場合、都道府県教育委員会には、教育の調査統計に関する部課と教育指導に関する部課を必ず置かなければならない。

 (六)教育に関する予算は、教育委員会が必要な経費を見積もり地方公共団体の長の査定を受けるが、意見が整わない場合は長が査定した予算案に教育委員会の見積もりをそえて議会に提出し、議会の判断に待つこと。

 かくて教育委員の第一回の選挙は二十三年十月五日に行なわれ、教育委員会は、同年十一月一日に発足した。当初は、都道府県および五大都市に設置され、その他の市町村は二十五年までが設置期限であったので、同年設置されたのは四十数市町村にすぎなかった。その後なお検討すべき問題があったため、二年間延期され市町村での設置は二十七年とすることとなった。

 発足以来の教育委員会の実情には運用の不慣れのほか、教員出身の委員が多く選出されるなど制度上、運営上の問題を生じたので、文部省は教育委員会制度協議会を設けて制度改善について検討を行なった。特に委員の選任方法と教育委員会の設置単位が論議の中心で遂に結論をうるに至らなかった。そこで文部省は、とりあえず市町村教育委員会の全面設置時期を一年延期する法案を国会に提出したが法案は国会において審議未了となったので、予定どおり二十七年十一月一日に全国の市町村に教育委員会が設置されたのである。したがって制度改善の課題は、後年に持ち越されたのであった。

地方教育財政

 第二次世界大戦直後から昭和二十七年度までの地方財政における最大の問題は、地方教育費に係る国の諸立法および補助施策の歴史をみてもわかるとおり、教育費、なかでもその大部分を占める義務教育諸学校の教職員給与費と戦災復旧および新学制実施に伴う校舎建築費の財源確保の問題であったといえよう。この問題をめぐり、国・地方を通じてしばしば大きな論議を呼び、幾多の困難な事態に直面したが、二十七年度を境に、教職員給与費についての「義務教育費国庫負担法」の復活・制定および学校施設関係の整備に法定根拠を与える「公立学校施設費国庫負担法」の制定(いずれも二十八年度から実施)と、これらの問題が制度的に大きく安定していくこととなったのである。

 次にこの時期における地方財政における地方教育費の推移を表42によってみると、地方教育費の占める比率では、戦前においては、約二〇%強程度であったが、戦後特に二十二年度からは三〇%に近い比率を示している。これは六・三制実施等による校舎建築費の増大と、相次ぐ教員給与ベースの改訂による給与費の増加によるものである。

表42 地方財政における教育費(昭和10年~27年)
表42 地方財政における教育費(昭和10年~27年)
表43 都道府県の行政費と教育費(昭和24年~27年)
表43 都道府県の行政費と教育費(昭和24年~27年)
表44 市町村の行政費と教育費(昭和24年~27年)

表44 市町村の行政費と教育費(昭和24年~27年)

 地方教育費総額中に占める国庫補助金の比率は、昭和の初めが二〇%弱で、地方の純負担八〇%であったが、戦後は二五%程度が国庫補助となっている。なお、十九年度および二十年度の国庫補助金の占める比率が四三%、五五%といずれも前後の年度に比べ大きな比率になっているが、その理由は、一つは、十八年度から義務教育費にかかる二分の一国庫負担の対象経費が、従来俸給のみであったのに加えて年功加俸(ほう)、特別加俸、死亡賜金、赴任手当にまで拡大されたことによる国の精算負担分が翌年度以降に持ち越されたことと、敗戦直前における国の予算編成において地方教育費に対する補助金予算が最小限に計上されたことにより、実績に応ずる精算負担分の交付が翌年度に持ち越されたことによる一時的な現象である。なお、地方歳出総額および地方教育費総額ともに、終戦時を境にして大きく伸びているが、これは国の予算の場合と同様の傾向のものであり、終戦直後からの急激なインフレ現象に対応して予算が編成されたことによるものである。

 次に、都道府県、市町村別に地方財政中に占める教育費の割合の推移をみると、都道府県ではおおむね三〇%程度であり、市町村では二十七年度まで毎年度二五%程度となっているが、特に市町村では、ここ数年間は六・三制のための学校建築費が多額にのぼった時期であった。

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