二 体育・スポーツ・リクリエーションの振興

 終戦直後体育局が復活し、体育行政が文部省に一元化されたが、昭和二十四年六月文部省の機構改革に伴い体育局は廃止された。これは、体育の重要性を強調しながらも体育行政を一局にまとめて取り扱う必要がないというCIEの強い指示によるものであり、また、占領軍当局が軍国主義の復活をおそれたためともいわれている。したがって、体育行政事務は、初等中等教育局、大学学術局、社会教育局、管理局に分属され、学校体育、社会体育の所掌が分れた。

学習指導要領の改善と対外競技

 わが国の学校体育が戦時中の体錬科から名実共に体育科に改められたのは、昭和二十二年六月「学校体育指導要綱」が発行され、戦後の新しい学校体育の方針と内容が明らかにされてからである。すなわち「体育は、運動と衛生の実践を通して人間性の発展を企画する教育である。」とされ、運動の内容については、画一的・形式訓練的なあり方を排除し、学習者の興味を尊重し、民主的・社会的態度を育成するため、徒手体操・器械運動中心の内容から遊戯・スポーツ中心の内容へ大きく転換した。次いでこの要綱の趣旨を具体化した「小学校学習指導要領体育編」(試案)が二十四年に発行された。

 また、中学校・高等学校については、二十四年から教科の名称が体育科から保健体育科に改められ、二十六年「中学校・高等学校学習指導要領保健体育科体育編」(試案)が発行された。

 さらに、二十三年に発足した新制大学においても二十四年から「一般体育」(講義二単位、実技二単位)を必修させることとなった。その結果小学校から大学までの各学校段階を通じて体育が必修となった。

 なお、体育の内容から除かれた武道は、その後、競技方法も改められ、軍国主義的な色彩がなくなり民主的なスポーツとしての性格・内容をそなえるようになったので、二十五年に柔道、二十六年に弓道、二十八年に剣道をそれぞれ新しいスポーツ教材の一つとして取り扱ってよいこととされた。

 次に、終戦後、ようやく盛んになってきた学徒のスポーツ競技会は、その運用のいかんによっては、教育上望ましくない結果を招来するおそれがあったので、学徒の心身の発達段階に応じ、しかも、当時の社会的・経済的情勢をも考慮して教育的に企画・運営されるようにするため、二十三年「学徒の対外試合について」の体育局長通牒を発した。この通牒では、小学校では校内競技にとどめ、中学校の対外競技は宿泊を伴わない程度に、また高等学校の対外競技は地方的大会に重点をおき全国的大会は年一回程度を適当とすること、主催者は教育関係団体でなければならないことを強調している。

国民体育大会等と社会体育の振興

 敗戦と戦災によって全国民が衣食住のすべてにわたって困窮をきわめ、意気消沈していた昭和二十一年、中堅スポーツマンの提唱によって国民体育大会が、大日本体育会(日本体育協会の前身)の主催で、戦災をまぬがれた京都市を中心に開催され、食糧持参で五、三七七人の選手がスポーツの復興と新日本建設への寄与をねがって参加した。以後、毎年地方持ち回りで開催され、国民の体育・スポーツに対する関心を高め、地方における体育・スポーツの振興と体育施設の整備に大きな役割を果たしている。また、国は第一回大会以来その運営費の一部を補助し、第五回大会からは主催者に加わっている。

 次に、全国リクリエーション大会は、二十二年石川県において第一回大会が開催されて以来、引き続いて毎年文部省、日本レクリエーション協会、会場都道府県の共催で開催され、明るく楽しい社会の建設に重要な役割を果たすレクリエーション活動の振興に投だてられている。

 全国青年大会は、全国の勤労青年の代表が一堂に会し、体育、芸能文化および意見発表を通じて、相互の友好親善を探め、相携えて傭康で文化的な生活を樹立し、健全な郷土社会の建設に寄与することを目的として、二十七年、講和独立を記念して、文部省・東京都教育委員会・日本青年団協議会の共催で第一回大会を開催して以来、毎年東京で開催されている。

 これらの国内的行事のほか、二十四年六月全米水泳選手権大会で「フジヤマの飛び魚」と呼ばれるほどの古橋選手らの大活躍をはじめ、二十六年には第一回アジア競技大会およびデ杯庭球大会に、二十七年には戦後はじめて第十五回オリンピック競技大会、第六回オリンピック冬季競技大会に参加するなど国際交流も逐次行なわれるようになり、スポーツを通じての国際親善と国際理解が促進された。また、二十四年六月「社会教育法」が制定され、同法で「社会教育」とは、学校教育法に基づき学校の教育課程として行なわれる教育活動を除き、主として青少年および成人に対して行なわれる組織的な教育活動(体育およびレクリエーションの活動を含む。)と定義され、社会体育およびレクリエーション活動は社会教育の一分野に示され、社会体育の法的根拠が明確になり、国および地方公共団体は社会教育行政の一環として社会体育振興のための条件整備を図ることとなった。さらに二十六年三月「社会体育指導要項」を発行し市町村ならびに職場における体育の指導についての指針を示した。

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