一 産業教育振興法の制度

新学制の発足と産業教育の不振

 戦前の実業教育を主としてになってきた実業学校・青年学校や国民学校高等科は新制度では、これら学校の一部は新制中学校へ、大部分は新制高等学校の全日制または定時制へ移行されることとなった。しかし、戦後の混乱と物資の不足等から、義務制となった新制中学校の施設・設備はふじゅうぶんであり、また、学区制、男女共学、総合制の建て前上、独立の職業高等学校は減少した。その結果、職業科への入学志願者は一般に減少し、普通科を希望する者が多くなった。しかも、実験・実習に必要な施設・設備は、戦時中の焼失・疎開・転用等のため相当不足の上、その補充もされなかったし、加えて、新しく職業に関する学科を設置した総合高等学校の必要設備もふじゅうぶんで職業教育の実施はきわめて困難な条件のもとに置かれ、社会の期待にもじゅうぶん沿うことができなかった。このような事情から、戦後の職業教育は一時不振に陥っていった。

産業教育の関係会議と振興の要請

 戦後の職業教育については、教育全般を審議する「教育刷新委員会」等において審議されていたが、それは大網を議する程度で、詳細に及ばなかったので、別に、「職業教育及び職業指導委員会」が、昭和二十一年十一月総司令部民間情報教育局の助言ならびに文部省・厚生省の取り計らいによって設置された。その後二十四年七月「職業教育及び職業指導審議会令」が公布されて、法令に基づく正式な会議となり二十四年五月には文部省に、職業教育課が新設され、中学校、高等学校における職業教育を担当することになった。

 教育刷新委員会は、二十四年六月「職業教育振興方策」を建議し、新制中学校における職業教育の使命を明確にすること、新制高等学校の画一化を避け、職業教育に重点を置く単独校の設置、施設・設備の復旧・整備、定時制高校の振興、職業科教員の養成・確保および国庫補助の強化その他必要な法律的および予算的措置を講ずることを、強く要望した。

 これより先、前述の職業教育および職業指導委員会は、二十二年職業教育ならびに職業指導行政機構の刷新拡充計画、新制中学校の職業科について、および新制中学校および高等学校職業指導教員ならびに相談員の養成計画等について、文部大臣にそれぞれ意見具申をした。その後も高等学校総合問題に関する決議や、職業高等学校および高等学校職業課程の改善振興対策について、要望を提出している。このほか、実業教育振興中央会や全国高等学校長協会各部会も、職業教育の不振を憂い、その振興について真剣に考慮し、声明や陳情をしばしば行なっていた。

産業教育振興法の成立

 実業教育に対する国庫補助は、明治二十七年に制定された「実業教育費国庫補助法」によって、昭和二十四年度まで継続されてきたが、戦後の財政改革により、二十五年度から打ち切られた。そこで全国の農業・工業・商業・水産の各高等学校長会は、法律制定によって職業教育の振興を図ろうとし、二十五年十二月「職業教育法制定推進委員会」を結成し、全国的に運動を展開した。この運動は、しだいに世論の支持を得るとともに、関係方面の協力を得て、第十回国会に議員立法として実現し、二十六年六月「産業教育振興法」が制定された。

 その内容のおもな点は第一に、本法の目的、産業教育の定義を明らかにし、また産業教育振興に関する国の任務について述べ、第二に、中央および地方の産業教育審議会について、その設置・組織・権限等について規定し、第三に、本法の中心をなす財政的援助について規定している。この決律制定と同時に実業教育費国庫補助法は廃止された。

 なお、この法律によって設けられた中央産業教育審議会は、産業教育施設・設備の基準や産業教育の総合計画樹立などについて、答申や建議を行なった。また国の補助金によって、実験・実習に必要な施設・設備はしだいに整備され、産業教育はようやく活気を呈するようになってきた。

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