三 教員の需給の状況

 戦争末期から多くの有資格教員が軍人として召集されたこと等に伴い教員の不足をきたしていたが、終戦直後はいっそうその不足が激化し、助教等のいわゆる無資格教員が増加していた。これに加えて、二十二年四月、新学制の実施に伴い、教員の需要は急激に増大した。ちなみに、二十年度における国民学校の児童・生徒数は約一、二八〇万人であり、その教員数は、約三一万人であったのに対し、新制中学校の完成年次である二十四年度における小・中学校の児童・生徒数は約三四○万人増加し、その教員数は約一七万五、〇〇〇人多い四八万五、〇〇〇人となっている。特に新制中学校の発足に際しては、青年学校教員の大多数と小学校教員の中堅層が中学校教員となったものとみられ、小学校の教員構成がさらに弱体化する事態が生じた。また当時、退職等による教員の減耗は、総教員数の約一〇~一一%に当たる五万人程度に達していたとみられ、教員の需給関係は窮迫した状況にあった。このように教員の需要が増大していたのにもかかわらず、当時師範学校等への入学希望者は激減し、また二十四年から教員を大学において養成するという理念のもとに教員養成大学・学部が発足したのであるが、当初はその志願者数が期待に反して少なく、関係者を憂慮させた。

 終戦後しばらくは、このように教員の需給には著しい不均衡を生じていたので、助教諭が増加し、二十六年度には総教員数に対してその占める割合は、小学校で約二三%、中学校で約一〇%を占めていた。このような事態に対処して、文部省は、一日も早く教員養成大学・学部の卒業者を教育現場に送るため、当該大学・学部に四年の課程のほかに二年課程を設け、さらに都道府県に臨時の教員養成所の設置を認め、これに対し助成するとともに、現職教員に対しては、計画的な現職教育を実施して、その資格と資質の向上の措置を講じた。二十六年三月からは、教員養成大学・学部の二年課程の出身者が教員として就職するようになった。また、教員の減耗も二十三年度には一一%程度であったものが、社会の安定に伴い漸減するにいたり、二十七年度には六%となり、一応の落ち着きを示すに至った。さらに二十八年度末には、教員養成大学・学部の四年課程の者の卒業が見込まれるので、これと二年課程を合わせれば需要数の過半数を占める見とおしがたつようになった。高等学校教員の場合は、職業課程をはじめ一般の教科担当についても、旧制高等師範学校等の教員養成諸学校の卒業者および旧制の大学・専門学校等の卒業者によって供給されており、さらに二十七年度末、そして二十八年度末からは大量の新制大学卒業者の就職が期待されるようになった。こうして教員の需給関係についても、ようやく戦後の混乱期から脱却のきざしが見えはじめてきたのであった。

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