七 高等教育機関入学者の選抜

旧制大学における入学者選抜制度

 旧制における大学の入学者選抜は、大正七年の大学令制定の前後では若干の相違があるが、だいたいにおいて学科試験が中心であり、志願者が入学定員を越える場合に、大学が試験科目を適宜定めて試験を実施していた。しかし、高等学校の入学定員は、官立大学の入学定員とほぼ見合っており、また、大学予科入学者は原則として大学に入学できたため、それほど困難な入学問題を生じなかった。

 これに反して、帝国大学進学へ直接つながる旧制の高等学校への入学競争はかなり激しく、それに伴って生ずるさまざまな弊害を是正するための改善方策がいくたびか実施された。しかし、明治・大正年間においては、それらの試みは、学科試験を中心としてそれをいかに合理的に実施するかに関するものであった。

 昭和二年、高等学校への入学者選抜で、初めて学科試験のみにかたよることなく、出身学校での学業成績を重視すること、また人物考査を加えてもよいことといった新しい方針を打ち出した。十五年には、この総合判定方式がいっそう強化され、出身学校長の調査書、筆記試問、口頭試問、身体検査の結果の四つの資料を総合的に判定して入学者を決定することととされた。

 以来、戦後の学制改革に至るまで、基本的にはほぼ同様の選抜方式がとられてきた。しかし、二十二年には、口頭試問が廃止されるとともに、新たに筆記試験は知能検査(二十三年以降は「進学適性検査」と改称)と学力検査の二つに分けて実施された。

新制大学下における入学者選抜制度

 昭和二十四年には、新制高等学校の初めての卒業生が新制大学に進学することになったが、入学者の選抜方法は、二十二年の方法をそのまま踏襲し、その後、進学適性検査が廃止される三十年度まで、基本的にはほぼ同様の選抜が行なわれた。

 二十二年に筆記試験の一部として実施された知能検査は、翌年、進学適性検査と改称され、その内容も知的資質を測定し、あわせてその傾向を検出しようとするものに改められた。また、国立の学校の志願者については、文部省で問題を作成し、入学者選抜試験とは別の日に、府県を単位として全国一せいに実施されることになった。進学適性検査は、高等教育機関の進学希望者はすべて受験しなければならないこととされていたが、公・私立の学校については、国立の学校のそれに合流することも各大学独自の進学適性検査を行なうこともできることになっていた。

 進学適性検査は、従来の学力検査偏重の選抜に基づく弊害を除去することを目的として実施されたのであるが、その出題および結果の妥当性についてじゅうぶんな信頼が得られなかったことと、反面、進学適性検査のための準備が激しくなり、受験生にとって学力検査との二重負担となったことなどの理由により、大学側、高等学校側のいずれからも廃止の要求が出されたため、三十年度から国が一せいに行なう進学適性検査は廃止することになり、その実施は′各大学の任意とすることとなった。

 なお、新制大学の発足に当たり、旧専門学校入学者検定および旧高等学校高等科入学資格試験に代わるべき制度として、二十四年以来各都道府県教育委員会により実施された新制大学入学資格認定試験は、二十五年度限りで廃止され、新たに二十六年度から「大学入学資格検定規程」に基づく大学入学資格検定試験を文部省が実施することになった。これは、中学校を卒業した者またはこれと同等以上の学力があると認められた者を対象として、大学入学に関し、高等学校を卒業した者と同等以上の学力があるかどうかを認定することを目的とする国の検定であり、毎年一回実施されている。

 受験者数は二十九年度までは五、〇〇〇人をこえていたが、その後しだいに減少し、ここ十数年間は、おおむね二、〇〇〇人前後となっている。

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