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一 終戦直後の高等教育

終戦処理

 戦時中の学校教育は、高等教育の分野において、戦時の非常事態が特に顕著に見受けられた。戦時体制に即応させるため、まず、理工科系統の教育を急速に拡充することとし、大学、専門学校等を通じて文科系の理科系への改造や理科系の拡充などにより、多数の学生をこの分野に進学させた。また、在学年限を短縮して、早く生産に従事させようとした。これらの方策の中で、特に高等教育に致命的な結果をもたらしたものは、学徒動員であった。大部分の学生は、学業を中断して戦場に向かい、あるいは工場等へ勤労動員にかり立てられた。また、研究の面においても戦時体制下で、戦争目的にかなう研究に重点が置かれるようになったのである。かくて、戦時下の高等教育は、ほとんどその機能が停止されたと言ってよいような事態に陥ったのである。

 昭和二十年八月、終戦とともに、文部省はまず、このような戦時教育体制を一掃して、すみやかに平常の教育体制に復帰させることからとりかかった。すなわち、八月十六日には、学徒勤労動員を解除し、二十一日には、「戦時教育令」の廃止を決定した。それ以後、相次いで通知を出し、二十八日には、復員学徒について卒業、復学の措置を定め、九月五日には、陸士、海兵等陸海軍諸学校出身者および在学者のうち、希望する者について大学、高等学校、大学予科、専門学校および教員養成諸学校への転・入学を認めることとし、二十日には、高等学校在学者について理科から文科への転科を、十月四日には、高等商船学校在学者の専門学校への転学を認めることとした。また、六日には、退職の陸海軍人および生徒で、実務教育を受けようとする者のために、農林、水産、工業、法律、経済、文学等の専門学校に特別の課程を設けることとし、十一月十九日には、外地所在の大学、専門学校等の在学学生、生徒で引き揚げ帰国したものについて、陸海軍諸学校出身者および在学者と同様の取り扱いをすることとした。

 臨時的な修業年限短縮措置は、昭和十六年度から十九年度まで実施されたが、二十年三月には、「決戦教育措置要綱」に基づいて、二十年四月一日から向こう一年間、国民学校初等科を除き、学校における授業は原則として停止することとされたが、終戦に伴いこの措置は廃止された。翌二十一年二月には、「大学令」が改正され、二年に短縮されていた高等学校高等科および大学予科の修業年限が三年に復元されることとなった。

女子教育の門戸解放

 文部省は、以上のように戦時・非常教育体制を解くための諸措置を進めるとともに、戦後の新しい教育の普及・浸透に努力したことは言うまでもない。

 教育の民主化を旗印とする戦後改革の最も大きな特色の一つは、女子に対する高等教育の開放であった。従来、中学校と高等女学校、専門学校と女子専門学校とは区別され、また、高等学校への入学を認めないことにより、大学、特に帝国大学への女子の進学は事実上不可能とされるなど、学校制度および教育内容について男女の差別が設けられていた。女子の独立の高等教育機関としては、中等教員の養成のために設置された国立の女子高等師範学校が最高の機関であった。

 ところで、早くも昭和二十年十二月、男女間における教育の機会均等、教育内容の平準化などをねらいとして、「女子教育刷新要綱」が閣議了解され、さし当たり女子の大学入学を妨げている規定を改めるとともに、女子大学の創設ならびに大学における共学制を実施するとの方針が定められた。翌二十一年の米国教育使節団報告書においても、女子への高等教育の開放が強く勧告された。このような風潮の中で、学制改革をまつまでもなく女子専門学校の設立がにわかに活発となり、二十一年度には二二校、二十二年度には二六校が創設された。また、二十二年度には、東京帝国大学に初めて女子二〇人の入学が認められた。次いで、新教育の基本となった「教育基本法」および「学校教育法」において、学校教育における男女間の平等は、制度として確立されたのである。

 このようにして、戦後、女子の高等教育進学者は著しく増加したが、とりわけ学校教育法により、二十五年度から短期大学制度が創設されたことは、女子の高等教育普及に重要な役割を果たしてきたといえる。

医学教育とインターン制度

 従来、医学教育は、大学および専門学校において行なわれていたが、昭和二十一年二月以降、総司令部の公衆衛生部からの勧告に基づき、医学教育の改善、とりわけ医学専門学校の整備と水準向上について検討が行なわれた。二十二年三月、「医学教育刷新改善要領」が閣議決定され、医学教育は、二十六年度以降はすべてこれを大学教育に統一すること、および医学専門学校について、大学昇格の可能性を調査・判定することなどが決定された。専門学校の多くが、学校教育法施行後、二十三年度から順次新制大学に転換したのに対し、医学専門学校は、二十二年にまず、旧制の医科大学ないし医学部に昇格し、次いで新制大学に転換したものが多いが、なかには前述した調査判定の結果に基づき、大学に昇格できず廃止されたものも数校あった。

 なお、二十一年八月、「国民医療法施行令」が改正され、医師国家試験の受験資格の要件として一年以上の実地修練(いわゆるインターン)を行なうことが必要であるとされたが、この実地修練は、医学専門学校の卒業者に対してのみ課されたものであった。実地修練制度は、二十三年七月に公布された「医師法」に引き継がれたが、これより先、「学校教育法」が施行され、専門学校制度が廃止されて新制大学が発足したため、受験資格の要件として、大学卒業者に一律に実地修練を課すこととされた。したがって、文部省は、新制大学院の発足以来、「大学院入学者選抜実施要項」において、大学院の医学研究科の臨床医学および社会医学の専門課程には、実地修練を終えた者を入学させることが望ましいとしていたのである。

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