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一 文部省機構の改編

文部省機構の改編

 昭和十二年から二十年に至る間の文部省機構の変遷をみると、まず十二年七月の機構改革により新たに教学局が設置されて、文部省の機構は大臣官房・専門学務局・普通学務局・実業学務局・社会教育局・図書局・宗教局・教育調査部および教学局(外局)となったが、十六年には新しく体育局が設置された。次いで十七年十一月文部省の機構は大幅に改革され、新たに総務局・専門教育局・国民教育局・科学局・教化局が設置され、また教学局が内局とされるとともに、専門学務局・普通学務局・実業学務局・社会教育局・宗務局・教育調査部が廃止されて、文部省の機構は大臣官房のほか総務・専門教育・国民教育・数学・科学・体育・図書・教化の八局となった。十八年十一月にはこのうち図書・教化の二局が廃止され、また二十年七月には総務・休育両局が廃止されて新たに学徒動員局が設置された。なお、視学制度については、再度にわたる督学官の増員のほか、青年学校視学委員が設置されたが、十七年の官制改正の際に督学官・社会教育官はすべて教学官という名称に統一されている

教学局の設置

 教学刷新審議会の答申に基づいて、昭和十二年七月には、教学刷新に関する施策を強化するため、思想局を廃止して新たに教学局を文部省の外局として設置し、国体の本義に基づく数学の刷新振興に関する事務をつかさどることとなり、教学局に教学官・教学官補を置いた。教学官は「上官の命を承け、教学の刷新振興に関する調査及指導監督を掌る。」とした。

 教学局は企画部・指導部・庶務課の二部一課をもって構成し、学会の開催・思想情報の収集ならびに対策・教員の再教育・文化講義・諸印刷物の刊行頒布・良書推薦などを所掌し、また、思想局時代の『国体の本義』に引き続き、『臣民の道』・『国史概説』の編集などを行なった。

 教学局は、その後、十七年十一月一日、行政簡素化に伴う文部省官制の改正に際して内局に編入されるとともに、社会教育や宗教行政をも所管することとなり、さらに十八年十一月の官制改正によって前年設置された教化局を廃止したのでその所掌事務をも所管することとなり、教学局の機構を拡充した。

 なお、十七年一月二十四日に国民錬成所を設け、先に設けていた国民精神文化研究所と合併して十八年十一月一日には教学錬成所となり、教学に関する研究と、教員そのほかの指導的国民の錬成に当たることとなった。

体育局・科学局の設置

 体育行政に関する機構も拡大することとなった。昭和十二年三月には、体育運動および学校衛生に関する事項をつかさどるため、大臣官房に学校衛生官に代わり体育官を置いたが、十五年のオリンピック大会の東京開催の決定に伴って関係職員の増員を行なった。十三年の厚生省の創設により、従来文部省の所管であった体育運動行政は、学校関係を残して厚生省体力局の所管に移されたが、文部省においても国民体位の向上・国防能カの向上のための学徒の保健衛生・体育向上の施策が強化され、十六年一月八日には従来の大臣官房体育課を昇格して体育局を新設することとなった。なお、この間学校衛生の面では、十二年に学校身体検査規程を改正し、十四年には学校職員身体検査規程、十五年には学校給食奨励規程を定めたほか、十六年の国民学校令によりはじめて養護訓導制度を確立した。

 科学動員体制もしだいに強化していったが、文部省は、十三年八月に科学振興調査会を設置したが、それは文部大臣を会長とし、各省政務次官・企画院次長などにより構成された。また、十五年二月には専門学務局に科学課を新設し、十七年三月二十四日には科学官を置いたが、同十一月一日の文部省官制改正により科学局を新設した。

教科書行政の機構

 昭和十二年三月の中等学校教授要目の改正に伴う検定申請教科書の処理をはじめ、十一年から十三年三月にかけての中等学校・高等学校・大学予科の教科書の再審査、十五年十一月の「高等諸学校教科書認可規程」による高等専門諸学校教科書の認可制度、国民学校令・中等学校令などの実施に伴う国民学校・中等学校・師範学校・青年学校などの新しい国定教科書の編集などで、教科書行政を所管する図書局の事務は急速に拡大されることとなった。このため、十二年には一二人にすぎなかった図書監修官の定員は、十八年十月末図書局が廃止されて国民教育局に合体したころには、その間数次の行政簡素化が行なわれたにもかかわらず、三三人に増員していった。文部省著作教科書の審議については、大臣の諮問機関として小学校用図書に関する教科書調査会をはじめとして、中等学校教科書調査委員会、青年学校教科書協議会などを設置していたが、十六年五月これらを統合して教科用図書調査会に改編した。調査会の委員は各部会に分属し、国民・中等・青年・師範の各学校用教科書の調査・審議に当たった。なお、検定教科書の審査については特別の諮問機関は置かなかった。

 国定教科書の発行、検定教科書等の認可、それらの製造・供給・使用の指導・監督や、用紙・資材の割り当てあっせんなどの事務は、戦時体制の強化とともに非常に困難となり、次々と非常緊急の措置をとることとなった。

地方教育行政機構の改編

 昭和十六年ごろまでは、中央教育行政機構の拡充に伴い府県の教育行政機構の拡充がみられた。すなわち、十四年には、文部省における社会教育官の増員と並行して、各府県に新たに青年教育官が置かれ、また、十五年には、府県に地方教学官が新設され、十六年には地方の視学の増員がなされた。そのほか、社会教育主事・主事補、体育運動主事、学校衛生技師などの職員もしだいに増員された。しかし、十七年十一月、行政簡素化のための改革によって、府県の学務部は廃止され教育行政事務は新たに設けられた内務部に吸収されることとなり、同時に、数学関係の専任職員も減員され、青年教育官も必置ではなくなり、社会教育主事なども廃止されるか、あるいは減員された。

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