三 社会教育団体の統合

大日本青少年団の結成

 社会教育に関する団体は中央・地方を通じてその数きわめて多く、しかも無統制に発達したため、しばしば重複しているばかりでなく、団体相互の調和を欠いて不要の摩擦を生じ、かえって社会教育の進展をはばむような場合もないではなかった。したがって、それら類似の諸団体を統合・整理して、社会教育活動の強化を図る方針はすでに昭和十四年のころから用意されつつあった。その先端を切ったのが大日本青少年団の結成であった。日華事変の進展に伴う内外情勢の推移とともに、青少年団の統合はすでに早くから各方面で問題とされていたが、いわゆる新体制運動が全国的に展開することとなって、ようやくその機運が成熟した。文部省では十五年九月以降、大日本青年団・大日本連合女子青年団・大日本少年団連盟ならびに帝国少年団協会の幹部たちと協議の結果、新たに大日木青少年団を結成して大同団結をすることに決定をみ、十六年一月十六日、日本青年館において結成式が挙行された。その組織・機能については、同年三月十四日文部省訓令によって示された。すなわち統合の趣旨は高度国防国家体制の要請に即応して、学校教育と不離一体のもとに強力な訓練体制を確立しようというのであり、その組織としては文部大臣統轄のもとに、地方長官を道府県青年団の団長とし、青年学校長および小学校長をそれぞれ単位団の団長とした。一般団員は二十歳までとし、指導者の場合は二十五歳までを認めた。このようにして新発足した大日本青少年団は青少年に対する統一的な戦時的訓練と活動を次々に展開した。神祇(き)奉仕・貯蓄奨励運動・軍人援護活動・教養的諸活動・健民運動・国防訓練・勤労奉仕・興亜運動などはその主なものであるが、特に青少年指導者に関しては、その一般錬成・大陸現地訓練・海洋訓練・指導者錬成・女子戦時生活指導者訓練などが行なわれ、また国防能カならびに国防特技検定制度の普及・指導が行なわれた。さらに国民総動員体制の強化につれて、青少年団の活動はますます重大性を帯びることとなり、都市女子青年の農村勤労奉仕、北海道食糧増産のための勤労奉仕隊派遣、満洲建設女子勤労奉仕隊など、時局の切実な要請に応じる顕著な活動が多面的に展開された。なお、十七年六月、大政翼賛会の強化に際し、大日本青少年団もその傘下に置かれ、いっそう時局的活動の推進を要求されることとなった。

大日本婦人会の結成

 日華事変勃発当時、全国的な組織をもつ婦人団体としては、文部省の所管のもとに大日本連合婦人会および大日本連合女子青年団の二団体があり、内務省と厚生省の管下に愛国婦人会があり、また陸海軍省指導のもとに大日本国防婦人会があった。これらの中で、大日本連合女子青年団はその対象も限定されており、昭和十六年大日本青少年団の傘下に統合されたのであるが、そのほかの三団体は、その構成員においても、その活動内容においても、単に重複するだけでなく、互いに対立抗争する場合が少なくなかった。したがって、ここでもそれらの統合・調整はつとに論議されていたことではあったが、この実現は容易でなかった。十五年新体制運動の展開に刺激されてようやく三団体統合の端緒が開かれ、十六年六月十日「新婦人団体結成要綱」の閣議決定をみた。しかし、そののちも軍部の強硬な反撃のため遷延を重ね、ようやく十七年二月二日三団休が統合した大日本婦人会の発会式挙行の運びとなった。高度国防国家体制に即応する事業としては、国体観念の涵(かん)養、婦徳の修練、国防思想の普及徹底、家庭生活の刷新および非常準備、次代国民の育成、家庭教育の振興、軍人援護、国防訓練、職分奉公、隣保協力、貯蓄奨励その他であった。なお、大日本婦人会も十七年六月、青少年団などと共に大政翼賛会の傘下に置かれ、道府県都市区町村に支部を置き、町内会および部落会の区域に班を置く全国的な組織ができあがった。

 大日本婦人会は、満二十歳以下の未婚婦人を除く全婦人層を対象とした組織であったから、その組織を動員して行なわれた婦人の銃後の活動には著しいものがあった。女子挺身隊の動員に際しても、婦人団体は大きな役割を果たした。

大日本教化報国会の結成

 昭和十八年十二月十日の閣議において「戦時国民思想確立に関する基本方策要綱」が決定され、教化団体、文化団体においてもこれに基づいて国体護持精神の透徹、国民風尚の明朗化を強力に推進する必要から、それらの協力体制として文部大臣を会長とし政府と表裏一体をなす大日本教化報国会が二十年一月二十五日をもって結成された。次いで、在来の財団法人中央教化団体連合会を発展的に解消して母体とし、左記二八団体を会員とした。

 恩賜財団大日本母子愛育会・国語協会・財団法人勤労者教育中央会・財団法人社会教育協会・財団法人修養団・財団法人大日本映画教育会・財団法人職業指導協会・財団法人大日本生活協会・財団法人中央報徳会・財団法人東郷会・財団法人東亜報徳会・財団法人大日本音楽振興会・財団法人日本国民禁酒同盟・財団法人日本語教育振興会・財団法人大日本女子社会教育会・財団法人日本青年協会・財団法人日本文化中央連盟・財団法人乃木修養会・財団法人奉仕会・財団法人大日本図書館協会・社団法人日本音盤協会・社団法人日本博物館協会・全国保導教護団体連合会・大日本教育会(○)・大日本報徳社・大日本紙芝居協議会・日本弘道会・日本文化協会(○印は協力会員)

 これらの諸団体はいずれも社会教育の重要団体であり、これら各団体の歴史的伝統と特性を生かしながら社会教育の統一的推進を図ろうとするのが教化報国会の目的であった。しかし戦局はすでに最終段階に突入し、これら諸団体の統一的活動はいたずらに紙上の計画にとどまって、遂にその実現を見ることはできなかった。

行政機構の整備と統・廃合

 国民精神総動員、青年学校義務制実施、映画法制定、社会教育団体の統合・強化など、戦時下の社会教育は時局的活動と体系的整備とが合わせ行なわれたのであったが、それに伴ってその前半においては中央・地方ともにその行政・指導機構の充実・整備が行なわれたが、後半においては行政簡素化による整備・統合が行なわれた。文部省においては、昭和十四年映画法の施行とともに社会教育局内に従来の青年教育課・成人教育課と並んで映画課が独立して、映画を中心とする文化指導を強化したが、さらに青年学校義務制実施に伴って中央においては社会教育官の増員、地方においては青年教育官の新設など指導機構の強化が行なわれた。また、十七年三月には青少年団統合に伴う指導力強化の必要から、文部省社会教育局の機構は青年教育・指導・文化施設の三課に改編された。しかし、戦局の推移とともにいわゆる高度国防国家体制の必要に基づき、十七年十一月には行政簡素化による第一次機構改革が行なわれ、青年学校および青少年団などは国民教育局の所管に移され、そのほかの社会教育は教化局総務課および文化施設課に分属されることとなり、ここに四年以来の社会教育局は廃止された。さらに一年を経過した十八年十一月には第二次行政簡素化により教化局は解体し、その所管の社会教育は新たに教学局教学課および文化課において分掌されることとなった。

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