二 勤労青少年の教育

青年学校義務制の実施

 昭和十年に実業補習学校と青年訓練所とを統合して、勤労青少年に対する統一的な教育機関としての青年学校制度が確立されたが、その後の青年学校への就学状況は、これを男子のみについて見ればいまだ該当青少年の半ばにも達しない状態であった。しかも年々行なわれた壮丁教育調査によって見ても、尋常小学校卒業のままの者が壮丁となった場合の学力の低さは寒心にたえぬもののあるところから、機会均等の建て前のもとに、青年学校を義務制として、国民実力の向上を図る必要が強調されてきた。

 政府はその第一段階として、男子青年に対する青年学校教育義務制実施の方針を定め、その要項は教育審議会に付議されたが、十三年七月十五日、「青年学校教育義務制実施に関する件」の答申が行なわれた。この答申では、政府が青年学校教育を義務とする方針を決定したことは当を得たものとして、その実施案要綱を是認するとともに、いっそうその特色を発揮し、内容の充実・向上に努めることを要望し、特に教員養成の必要を強調し、また将来女子に対する義務制実施に向かって努力することを要求している。

 このようにして青年学校義務制実施は、十四年四月二十六日勅令第二百五十四号をもって公布され、十四年度普通科男子第一学年から年を追って一学年ずつ実施、二十年本科五年の義務制によって完了することとなった。これによって青年層の約八割を占める勤労大衆も小学校卒業後さらに七年間一様に教育にあずかる機会を得て、わが国教育史上重大な時期を画することとなったのである。

青年学校教授および訓練要目の制定

 「青年学校教授および訓練要目」の制定は、昭和十年青年学校制度の制定とともに着手したが、同年文部省訓令第十九号青年学校教授および訓練科目要旨に基づき、十二年五月二十九日文部省訓令第三十三号をもって、修身および公民科(本科)、家事および裁縫科、ならびに体操科の要目が、また同年十二月九日文部省訓令第二十七号をもって、職業科の要目が発表された。普通学科と、普通科の修身および公民科とはやや遅れて、十四年五月十一日文部省訓令第十三号をもって公布した。

 各学科がきわめて総合的に編成されていることは先に述べたとおりであるが、要目の制定についても、すべて働きつつあるものの立場を考え、教授および訓練事項と現実生活とが遊離することなく、親しみやすく、しかも全体が有機的な関連をもつように配慮した。

 なお、義務制の実施によって青年学校の教科用図書は、修身および公民科については国定制度を建て前とすることとなり、十九年には、この原則をいっそう拡大した。

青年学校の実態

 表29の統計数字が示すように、義務制の実施によって青年学校は短期間に顕著な普及をみせた。特に、従来、青年学校にじゅうぶん収容し得なかった都市の勤労青年にまで及ぶようになったことは青年学校の義務制がもたらした効果の一つであった。この際大きな役割を果たしたのが私立の青年学校で、官公庁や工場・事業所に私立青年学校が設けられることによって、都市の多数の勤労青年層が教育の機会をうることができた。私立青年学校数は、昭和十三年一、二〇三校、十五年二、一八八校、十七年三、〇八〇校と急増し、生徒数も、十三年の約二三万から十七年には約六六万に達した。

表29 青年学校の学校数・教員数・生徒数の推移

表29 青年学校の学校数・教員数・生徒数の推移

 もっとも、戦時下の困難な事情によって、青年学校は幾多の不備をまぬがれなかった。その設備の点では小学校と併設されるものが多く、指導組織の点では専任教員の充実が困難であり、さらに勤労青年の職務の態様が複雑である上に、戦時下の負担が次々に加重されていったために、小・中学校に見られるような整備された教育は容易に望みがたい実情にあった。

 なお、青年学校の義務制実施を認めた教育審議会は、そののち、国民学校案の審議の結果、国民学校義務教育年限を八年に延長する方策を答申し、その結果、十六年国民学校令公布に際して、十九年から高等科の義務制実施の方針を決定した。これが実現の暁は青年学校普通科は廃止され、国民学校八年、青年学校五年の義務教育制度が実現するはずであった。しかし日華事変から遂に太平洋戦争に突入し、戦局の推移は教育実施の上にも不測の変化をもたらした。

 十八年六月二十五日の閣議決定に基づいて、「学徒戦時動員体制確立要綱」が発表され、有事即応体制の確立と勤労動員強化の方策が定められたのであるが、さらに戦局急迫とともに教育体制にも遂に非常措置が加えられ、十八年十月十二日の閣議では「教育に関する戦時非常措置方策」が決定された。これによって国民学校の義務年限延長は延期され、青年学校普通科の課程は従来どおりの義務教育として存続されることとなった。しかし、青年学校の教授訓練に対しては臨時措置がとられ、軍需生産増強の必要に応じて、教育の職場転換が強化されるよう指示された。すなわち重要軍需物資の生産関係工場に設置されている私立青年学校の教授および訓練については、従来都道府県で定めた標準時数中、普通学科および職業学科の時数を減じて青年学校令による最低時数に引き下げること、さらに必要に応じその時数の一部を職業科の時数に転換しうることとし、職業科の教授および訓練は実習を主とし、職場の勤労作業中に生産過程に即して実施するよう取り扱わせることなどが規定された。また、公立青年学校生徒の中でも、重要軍需生産関係工場または事業所に勤務する者についても、これに準じて取り扱われる措置が講じられた。

 このようにして青年教育の理想は、制度の上では形式的に整備されたが、戦局の進展に伴って、教育の内容はしだいに後退を余儀なくされつつ終戦を迎えることとなったのである。

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